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2012年10月20日 (土)

院号道号戒名雑感

これからお通夜。
最近、戒名の上に置く道号に対して色々考えている。戒名は、出家名なのでここに俗名を入れることを私は避けている。私の名前の一文字を入れた仏教語から選定している。道号は、その人の人となりを表す言葉なので、本来は俗名を避けるべきなのだろうが、通称という説を取り入れてこの道号に俗名の一文字を入れさせていただいている。今回は三文字の俗名の方であったので、その上二つを道号とした。たまたま『金剛頂経』の中の言葉であったからだ。時代が変わり俗名が通称となってしまった昨今、字(あざな:通称)と諱(いみな:本名)が一つになってきている。あからこそ、字(あざな)にあたる道号に諱を入れるのも大切に感じている。ちなみに江戸時代は自分の諱を院号にする例も時折あった。私は院号で、その人の人となりを表すようにしている。今回は珠算が初段という方であったので、珠をとり寳珠院とさせていただいた。今後は、、院号に諱を、道号に人となりを表す通称を、という例も出てくるかもしれない。ただし、暫くは今の方針を貫き、機会があれば見なおしてみようと思っている。
私たち僧侶にとっては、何十人何百人のうちのお一人だが、死というのは人にとって一生に一度のもの。ましてや俗名以上に、その人の人生を表すのが院号道号戒名。だからこそ、時には徹夜し、経典から文字を検索し、最高の名をと思い工夫をし続けている。

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