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2012年9月 3日 (月)

ボランティア雑考

ボランティアで怖いのが、自分は良いことをしているという思い込み。本当にそれが良いかどうかは、時が経ち、その後に分かってくること。常に「自分は大丈夫なのか?」その思いを胸に秘めていないと、いつの間にか単なる馴れ合いになってしまいがち。もう一つ、相対的な話ですが、特定のボランティアグループでは、そのグループの構成員の家族がうまくいっていないことが少なくありません。それは、日常の苦しさから逃げ、ボランティアという一種の麻薬のような常用性の高いことをしないと、家族の問題で押しつぶされてしまうからかもしれません。ボランティアを率いる人が、家族の関係がどうなっているのか、ここを見るといろいろなことが見えてくるようにも感じます。
ボランティアの原義は自主的に行うこと。そのボランティアは自分がいないと進まないことなのか、家族やその他から逃げるために他律的にボランティア活動をしているのか、やむにやまれない思いで、または縁が満ちて自主的に活動をするのか、よくよく見つめていたいものです。
自分の日常を苦しめるようなボランティアは論外ですが・・・

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