« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月29日 (土)

着物の購入 本来は親子三代の繋がりを確かめる場

昨夜は和創工(きものそうこ)伊神社長と、講演会&演奏会でご一緒させていただきました。始まる前のお食事で色々お話を聞かせていただいた中で、ここ二十年でころっと変わった出来事があることを知りました。

元々着物というのは、祖母・母・本人と親子三代で買いに来られる方がほとんどだったそうです。今はそういうお客は皆無。親子でしか買いに来ず、祖母の姿が見えない。少子化で老人の数が増えているのに、着物屋におばあさんが来ない、そのために着物に関する知識がなく、買い物も、物が悪くても安い物を選ぶ傾向にあるとか。良い物を手に入れようとする意識が希薄になってきているとのこと。日本人の持つ「老人は知恵者」という良き伝統が確実になくなってしまったことを社長は実感されているそうです。

社長は、八年ほど前の孫の幼稚園入園式の時に、孫に着物を着せたところ、卒園児には六人の子が着物だったそうです。しかし、今では着物に一度も手を通したことがない人が多く、着物=浴衣と勘違いしている人が多すぎるのを嘆いておられました。

自動車にお金はかけても、着物や箪笥・家具・仏壇にはお金をかけない時代ですから、仕方がないと言ってしまえばそれませのことです。それでも、孫の着物の購入を通し親子三代が言葉を交わし合って、悩みに悩んで良い物を手に入れるその姿は、実に微笑ましいものがあったそうです。

日本の伝統文化、真剣に考えていかないと、どんどん消えていってしまう可能性があります。良き買い物とは、良い物を買うばかりでなくその買い物を通して親子の対話が生まれ主ぴでも心の交流もできるもの。改めて、伝統文化に連なる商品の買い物を学ばされました。


来年の宗春の二五〇回忌で、親子三代の着物ファッションショーでもしてみると良いかもしれませんね(^^)。

http://www.kimonosouko.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月25日 (火)

トラディッショナルな宗教に住するがゆえにリベラルでありたい

昨日、ある会合で、いろいろな宗教のお話しをしていて、自分なりの思いを述べました。するとある方から「住職は自由人ですね」とおっしゃっていただけました。私にとって最高の褒め言葉。
在家で生まれ、ひとつの宗教に縛られず、あちこちを見聞きした上で、今の高野山真言宗を選んだ遍歴がなせるわざなのでしょう(^^)。

千人いれば千通りの宗教がある、それが個人的な見解です。同じ宗派の方々よりも、全く異なる宗教の方と共鳴することが少なくないのはそこなのではないでしょうか。人それぞれの縁や思いによって宗教を選べばよいし、自分なりの思いをいだいても良いのだと思います。
ただ、自分の思いを相手に押し付けて、これが絶対だとか、相手を支配したいとか、そうした発想の教えや人は問題ありと強く感じます。
いずれにしても、一部の民族宗教を除き、宗教の基本は個人がどのように感じるのか、ここが最も大切な部分。

できるかぎりリベラルな物の考え方は大切にしていたいものです。

最もトラディッショナルな宗団に住しているがゆえに、リベラルな発想は生涯大切にしていたい、そう強く感じています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 6日 (木)

アニオタネタ。水樹奈々が演歌を・・・「恋の桶狭間」・・・これは良いです!

少しアニオタネタです。今年の最初に「シンフォギア」というアニメーションがあり、その中で水樹奈々が、なんと演歌を歌いました。タイトルは「恋の桶狭間」。水樹奈々が声を担当したアイドル歌手の風鳴翼がカラオケで歌うというもの。あまりに似合っているので絶句。最近、歌詞全体が出たので紹介(^^)歌詞は以下のURL
http://www.uta-net.com/song/132950/
かなり強烈な歌詞で、最後の「嫉妬は乙女の花火」というセリフは、男は身震いしてしまいそうです(^^)
裏ネタ設定は、
http://www.symphogear.com/key43.html
にあります。織田光子という歌手の持ち歌を、風鳴翼がうたうというもの。なかなか面白いですよ。マイクでなく刀を振り回すというPVだそうです。風鳴翼も天羽々切という太刀を武器にしていますから、面白い。ちなみに本当の天羽々切は、とても深い意味があるのですが、作者はそれを知っているかどうかは、私は知りません。
シンフォギアのURLは以下です。
http://www.symphogear.com/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

会合で子供の自慢話に陶酔することがありませんか?

同窓会に行くと、子供の話が結構出ます。ある時、子がない友人の一人が
「おまえら、エエかげんにせえよ。子供の自慢大会じゃない旧交を温めに来てるんと違うか?」
と勇気ある発言。
親が子を可愛がるのは当然ですが、
行き過ぎると他者の鼻につくもの。

ちなみに私たちには子がありませんが、
寺子屋など子供たちが多く出入りしているので
あまり気になっていませんでした。
この時、彼らの子供自慢を増長させてしまっていた自分も猛省でした(^^;

これと同じようなことは多々ありますね。
会合をした時に発言をする場合、
その場がどんな場所なのか注意していたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボランティア雑考

ボランティアで怖いのが、自分は良いことをしているという思い込み。本当にそれが良いかどうかは、時が経ち、その後に分かってくること。常に「自分は大丈夫なのか?」その思いを胸に秘めていないと、いつの間にか単なる馴れ合いになってしまいがち。もう一つ、相対的な話ですが、特定のボランティアグループでは、そのグループの構成員の家族がうまくいっていないことが少なくありません。それは、日常の苦しさから逃げ、ボランティアという一種の麻薬のような常用性の高いことをしないと、家族の問題で押しつぶされてしまうからかもしれません。ボランティアを率いる人が、家族の関係がどうなっているのか、ここを見るといろいろなことが見えてくるようにも感じます。
ボランティアの原義は自主的に行うこと。そのボランティアは自分がいないと進まないことなのか、家族やその他から逃げるために他律的にボランティア活動をしているのか、やむにやまれない思いで、または縁が満ちて自主的に活動をするのか、よくよく見つめていたいものです。
自分の日常を苦しめるようなボランティアは論外ですが・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 2日 (日)

筆頭檀家総代の奥様の死に臨み

筆頭檀家総代の奥様が亡くなられました。江戸時代からの我が寺の総代の家に生まれられ、四女であったにもかかわらず婿を迎えて家を継がれた方でした。誇り高き努力家。この寺の復興の良き相談相手のお一人であったので、とても寂しく感じています。
今朝未明に連絡を頂いて、戒名をゆっくりと考えました。そして朝になり枕経に赴き、祈りを捧げていると全く別の戒名が浮かんできました。寺に戻り、SATで典拠があるかどうかを調べ、
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/
院号は真言宗の両部大経の一である『大日経』に、道号は釈尊のお母様の摩耶夫人(まやぶにん)について記された『仏昇忉利天為母説法経』に、戒名は両部大経の一である『金剛頂経』に属する『守護国界主陀羅尼経』に典拠となる言葉を見つけました。
本来の戒名の命名は、経典の意味から文字を選ぶべきなのでしょうが、浅学ですのであまりにも幅が狭く深みも浅いので、逆転させて意味ある漢字を選び、それが経典にあるかどうか、意味がかなっているかどうかを調べています。このおかげで、逆に沢山の文章を読むことができ、思わぬ発見もしばしばあり、今ではこの方法を用い続けています。そして度牒をお渡しし、裏には院号道号戒名の意味と出典の典拠を記して、お通夜に用いて得度式を行い、その度牒は遺族にお渡ししています。

江戸時代までの日本は、生まれた時、少し大きくなった時、大人になった時、隠居後、そして死後で名前が変わって行きました。その時その時で名前を変え、立場に合わせて生まれ変わって、新たな生命を得ていたようです。明治になり、なんでも一つにしようとする西洋の動きに合わせて、日本のこの伝統文化は廃れ、今では戒名さえも滅びようとしています。
田舎の片隅ですが、私は日本のこの伝統文化を細々とながら守って行きたいと思っています。
明日はお通夜、明後日は告別式。真言宗ですので、お通夜は得度式、告別式は灌頂の儀式を行う予定です。
筆頭総代の奥様を心よりお送りするつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »