文面より口伝
仏教の経典の最初は五成就と呼ばれる文句から始まります。
五成就とは、信・時・主・処・衆の五つ。
最初の信とは、「如是我聞」のこと。
誰かの書いた文章を読んだのではなく
教主である仏から直接聞いたということ。
だから信がここにあります。
文章よりも、直接聞いたことを大切にする態度は
現代社会では少し違和感があります。
口約束よりも文章で残した書面のほうが優先される社会だからです。
しかしよく見つめてみると日本を始めアジアは
文面よりも口伝を大切にする文化がありました。
近世以降の日本でも同じです。
剣道も柔道も茶道も華道も香道も
書面に書いてあることをどんなに忠実に守っても
それをマスターすることは非常に困難です。
やはり肝腎な所は師について学ばなくてはなりません。
仏教も仏道と元もは呼ばれていました。
他の道と同じように文面よりも口伝を大切にします。
これは特に真言密教や禅宗では当たり前のこと。
経典や祖典も独学ではなく
師について学ぶからこそ
それは「如是我聞」につながります。
これはこのようにどんなに文に書いても伝わらない。
経典は文として読むのではなく
師に教えられ
自らが三昧(定)に入って
その文を通してその経典の内容が
ありありと感じる、つまり
情景や衆(対告者を代表とする聴衆)を観じ
仏の言葉や対告者の言葉を聴き、
その場面の香りを感じ、
その場面の空気の肌触りを実感する
そのときに本当に経典は「如是我聞」になる
そのように最近強く感じるようになりました。
月に一度ですが、
五十を前にする年齢になりながら
師匠のもとで学ぶ事ができるありがたさを実感しています。
こうした貴重な時間を得ているからこそ
私もまた私なりに噛み砕いたものを周りに伝えなければならない
そのように感じています。
月に三つの勉強会を開くようになったのはそのためです。
全部でおよそ三十名の方々が聴講してくださっていますが
そのおかげで私自身がより一層学ばさせていただいています。
こうしたチャンスを与えて下さった師にも、
また聞いてくださる方にも
深く感謝しています。
直接、この全身を使って表現をして皆に伝え
もっともっと工夫をし
縁のある方々に「如是我聞」を実感していただきたいと願っています。
| 固定リンク
コメント