若き日に苦悩する宗春(通春) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より
若き日に苦悩する宗春(通春) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より
実際の若き日の通春(宗春)は順調だったかというと、そうではありません。
尾張藩のプリンスとは言え、末弟であり、
よくてどこかに養子に行くか、それともお控えさまで生涯を終える立場でした。
同い年で、通春よりも四ケ月先に生まれた通温は、17歳で
間部詮房や新井白石に引き上げられ
叔父松平友著や、同母兄の松平義孝を超えて従四位下侍従安房守に任官したのですが
通春は、19歳になる直前でやっと元服、そのときに通温は近衛権少将と昇進していました。
実際に、通春は四代藩主の兄吉通に可愛がられて夕餉を共にしていたと記録があります。
間部詮房や新井白石は、吉通を煙たがっていましたので
通顕(継友)や通温を引き上げ、吉通と連なる通春を軽視したものと思われます。
18歳で江戸に下った通春は直後に、同道した家臣二人が喀血死する事件に巻き込まれます。
その直後に、通春の伯父の梁川藩主大久保松平出雲守義昌が逝去し
義姉九條輔子の実兄の九條左近衛大将大納言師考が薨去し
兄の四代藩主吉通が薨去し、五代藩主となった甥の五郎太が逝去するというように
周りで人がどんどん死んでいくことを経験します。
その年の暮れに、通春は元服して求馬通春と名乗ります。
ここまでは事実です。
物語では、自分を可愛がってくれた吉通の薨去に立会い、慟哭し
さらに甥の五郎太が、何者かに毒殺されてしまって、ここでも激しく憤る姿を描いています。
また九條輔子は、通春の初恋の相手という設定ですので
その輔子が実兄と夫と一人息子を次々と亡くしていき
側に居て何もできない自分に悔しい思いをする通春も描きました。
さらに、翌年に、江島生島事件に巻き込まれる設定にしました。
大奥中老となった江島と、宗春の母宣揚院梅津が
ちょうど同じ頃に江戸の尾張藩邸の腰元であった事実があるので
江島と梅津は二人は顔見知りという設定にし、
その縁で、事件の直前に求馬通春と江島が知り合い、
さらに、生島新五郎とは、本寿院大吉事件が絡んでおり、尾張藩とも縁があり
芝居に入れ込んでいた通春は新五郎とも知り合っていた設定です。
その江島生島事件の穏便な解決に通春が奔走したのですが
兄で六代藩主継友に邪魔をされて、
結果的には悲劇を目の当たりにせざるを得なかったことにしました。
吉宗が將軍になった後も
柳沢吉保の側室で、尾張藩とも縁が深かった正親町町子の逝去を自殺と設定し
その直後に通春が六義園を訪れ、慟哭する設定を設けました。
事実としてこの頃の柳澤家は、甲府藩主。
初代の甲府藩主は、尾張藩の諸祖義直でしたし、
宗春の大叔父(外祖父の実弟)が元甲府藩主というように
尾張藩と柳澤家とは深い縁がありました。
しかも、町子が死んだのは、柳澤家が甲府藩から大和郡山藩に
移動を命じられたその日でした。
そこで、町子が自殺したという設定にし、通春が来て、その死を目の当たりにする設定です。
その他にも、妹の前田家に嫁いだ松姫の逝去や、叔父松平義行の逝去など
通春の周りでは次から次へと人が死んでいき
そこで苦悩と悶絶を繰り返していく設定です。
今後は、吉原で大失敗をする通春も必要かと思っています。
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