四端の心 理に走らず情を知れ (by 伊藤東涯) 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より
四端の心 理に走らず情を知れ (by 伊藤東涯)
「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より
通春(宗春)は、享保十三年に母の見舞いということで名古屋に戻ったという事実が幕府の記録に記載されています。その間二ヶ月間。少し時が長すぎるので、私は通春は今日へ足を伸ばした設定にしました。というのも、通春が可愛がっていた姪の三千姫(兄し吉通の長女)が京の九條家に嫁いでおり、夫をなくして後家になったばかりだからです。しかも朝廷では、近衛家と霊元法皇が対立し、京がざわめいている時でした。こうした時に通春がおとなしくしているとは思えなかったので、こうした設定にしたのです。後に宗春の奥女中として最期まで仕えた猪飼いずみとはこのとき九条家で知り合ったことにしました。そのいずみの歌仲間である冷泉宗家と共に島原遊廓に行き、大橋太夫と出会い、大橋太夫から清華家の花山院常雅を紹介され、その常雅から伊東東涯を紹介されたという設定です。
特に冷泉宗家には嶋原遊廓を案内される。嶋原では、大橋太夫を紹介される。通春は、大橋太夫の教養と芸の深さに驚く。吉原と異なり、町人は男女を問わず、更に遊女も鑑札があれば出入り自由。遊女といえども一人の人間。そのような嶋原遊廓のあり方に興味を得る。また、大橋太夫の紹介で、清華家の花山院家当主常雅とも知り合う。常雅は、伊藤東涯様に私淑し、通春に東涯を訪ねるように紹介する。通春は翌日に伊藤東涯を訪ね、学問の根本について語り合う。
伊藤東涯: 「朱子学は大変良くできた学問ですが、少々理に走る所があります。新井白石殿にそれをお伝えしたのですが、ついに分かってもらえませんでした。人には情というものがありまする。孟子はその情を大切にされ、四端の心を説かれました。ご存知ですか?」
松平通春: 「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は礼の端なり、是非の心は智の端なり」
伊藤東涯: 「ほほう。よう学問をされて居られますなぁ。」
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