生きていて死する者と、死して生きる者 赤穂事件と公辯法親王 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より
萬五郎通春(宗春)の兄の故吉通の本妻である瑞祥院九條輔子の伯父である
日光輪王寺門跡(寛永寺門跡・天台座主)である公辯法親王と
萬五郎の対談の場面を設定しました。
当時の、天台座主は寛永寺の住職でもあり
将軍家に多大な影響を与えておりました。
若き宗春こと萬五郎通春は公辯法親王を、義姉の血統の縁を頼って訪ねる設定です。
公辯:
「十一年前、松之廊下事件が起き赤穂の浪士たちが
吉良少将の邸宅に討入りした事件はご存知かな。」
求馬通春:
「はい。浅野本家は尾張藩とは縁戚ゆえ。」
公辯:
「そのときのう。公方(五代将軍綱吉)は、
浪士の助命するように暗に助けを求めてきたのじゃ。」
通春は驚いた顔をする。
公辯:
「されど助命をしなかった。あの者達は命を賭けて君主の敵を討った。
そうしなければ歴史の塵に埋もれてしまう。
あの者達は、不忠者の浪人として命を長らえるより、
忠義に厚き武士として名を残そうとしたのじゃ。」
求馬通春:
「はい。」
公辯:
「そこで大いに迷った。
生き長らえさせて、罪人として名を貶めさせるのか?
討ち入りの罪は罪として処断し、名を残させるのか?どちらが本望かと。」
求馬通春:
「はい。」
公辯:
「求馬殿、そなたならどうする。」
求馬通春は、しばらく考えて
求馬通春:
「罪は罪として処断せねばなりませぬが、命は一度なくしたら帰らぬもの。
何か生きておれば役立つこともあるやも知れませぬ。」
公辯:
「うむ。若いのによく気づいた。そこじゃ。
まだ三十半ばの拙僧は、結果的にはあやつたちを死なせてしもうた。
名は残させたが命を奪ってしまったこと、僧侶としていまだに迷っておる。」
求馬通春は自らの迷いを正直に話す公辯法親王の素直さに驚く。
求馬通春:
「されど、あそこで彼らが切腹したことにより、
大石殿のお子は昨年九月に浅野本家で仕官し、
元の家禄を安堵されたと聞いておりまする。」
公辯:
「実はのう、今さらに思うのだが、あの時の答えはなかったように思うのだ。
どちらかを選ぶしか無い、ただそれだけのことだった。
公方殿は苦しかったことだろう。」
求馬通春:
「生類哀れみの令を出されたほどの方でしたから。」
公辯:
「生きていても死んでいる者もいれば、死んでこそ生きる者も居る。
植物の実は自らが死に子孫を残す。
人は産まれる時期と死ぬ時期は植物とは、ずれておるが、
やはり子々孫々連綿と繋がる命があり、
一人の者が長生きしているわけではない。
世は無常じゃ。」
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