「千年先を見つめて」の言葉 慈と忍 そして美
尾張七代藩主徳川宗春卿の戯曲風小説を書いています。
そのなかのフレーズを、時折記してみようと思います。
今回は、八事山興正寺五世の諦忍妙龍の口を借りて
(逞公=宗春です)
逞公の伝えられた慈忍の慈。
目の前にかわいい赤ん坊を思い浮かべなさいませ。
その赤ん坊を見つめる眼差しが慈でございます。
逞公は常に尾張の藩士や民に、その慈しみの眼差しを持っておられました。
また忍とは、喩えれば花でございます、
花は夏や冬の寒い時期を耐え忍び、秋や春に大輪の花を咲かせます。
忍とは、我慢することではございませぬ。
寛容な心で、相手を包み込む気持ちで、
辛抱し耐え忍ぶのが忍でございます。
寛容な心は美しさであり、その美しさは花に喩えられるのでございます。
先程のお茶碗もそうですが、
逞公は美しさを重んじられました。
常に美を求められた故の行いや出で立ち。
美しさは心の内より顕れるものでございます。
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