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2012年2月29日 (水)

情に流される愛論と理屈に走る見論を離れる 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

情に流される愛論と理屈に走る見論を離れる 
「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

前回に引き続き、公辯法親王と通春(宗春)との対話

法親王は、笑顔になり、そして少し難しい顔になる。

公辯:
 「幕閣の者達はこれをわきまえておりませぬ。なんでも理屈で決めようとする。」

通春は涙をためて

求馬通春:
 「それが悔しくてなりませぬ。」

公辯:
 「華嚴經の入法界品をご存知ですか?」

求馬通春:
 「東海道五十三次の元になった?」

公辯:
 「よくご存知ですなぁ。その善財童子の案内役はどなたでしたか?」

求馬通春:
 「確か文殊菩薩かと」

公辯:
 「そのとおり。その文殊菩薩とはどういう方ですか?」

求馬通春:
 「智慧の文珠。」

公辯:
 「智慧とは?」

求馬通春:
 「暗闇に光る灯明。ありのままに見ること。」

公辯:
 「他には?」

法親王は右手に剣印を結ぶ。それを見て通春は

求馬通春:
 「不動明王と同じ諸刃の剣」

公辯:
 「何を切るための道具ですかな?」

求馬通春:
 「煩悩かと」

公辯:
 「そう。それじゃ。文殊菩薩は、その煩悩が巻き起こす
  二つの極論を切り裂き、中道を掲げる仏じゃ。」

求馬通春:
 「二つの極論とは?」

公辯:
 「二つの極論を戯論という。
  一つは愛論。情に流されること。
  もう一つは見論。理屈で固めて凝り固まった考え。いかがかな?」

求馬通春:
 「大奥が愛論で、幕閣が見論ですね。」

公辯:
 「保山殿や江島殿は、中道を歩まれた方であった。
  そういう方々を追い出すお城の輩は悲しいですなぁ。」

求馬通春:
 「私が戯論を離れる道を全うすればよいだけのことですね。」

公辯:
 「うむ。そこに気づかれれば本日の講義は終わりじゃのう。」

求馬通春:
 「ありがとうございます。雲がひとつ晴れました。」

公辯:
 「また来なされ。そなたと話すと楽しいゆえな。」

求馬通春:
 「もったいなきお言葉、痛み入りまする。これから保山殿を訪ねてきます。」

公辯:
 「そなたのそういう所が良い。何事も頭ではなく、自分の血肉になされませ。」

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2012年2月28日 (火)

四苦八苦を抱え、根を張る時期。人の三不幸とは?「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

四苦八苦を抱え、根を張る時期。人の三不幸とは?
「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

江島生島事件があり、それに対処出来なかった自分を攻める通春(宗春)。
それを公辯法親王に相談に行ったという設定です。

公辯:
 「江島殿のこと残念でなりませぬ。赦免を乞うたのじゃが体良く扱われました。」

求馬通春:
 「門跡様、今回の場合、私はどうすればよかったのでしょうか?」

公辯:
 「四苦八苦をごぞんじかな?」

求馬通春:
 「生、生きる苦しみ。老、老いる苦しみ。病、病の苦しみ。死、死の苦しみ。
  愛別離苦、親しき者と別離する苦しみ。
  怨憎会苦、怨み憎む者と出会う苦しみ。
  求不得苦、求めても得られない苦しみ。
  五蘊盛苦、苦しみが次々と湧いてくる苦しみ。以上でございます。」

公辯:
 「うむ。よく学ばれておる。生きている限り苦しみは伴うもの。此度はいかがでございましたか?」

求馬通春:
 「後ろの四苦が痛いほど身に沁みました。まるで底なしの沼に陥ったような。」

法親王は通春を見つめる。通春は法親王の顔を見つめ、カッと目を開ける。

求馬通春:
 「泥の中の蓮でございますね。」

公辯:
 「よう覚えておいでだ。」

求馬通春:
 「されど此度の私は泥の中に埋まってしまい、花を咲かせられませんでした。
  むしろ美しき花をみすみす枯らしてしまったような。」

公辯:
 「そなたの生き様はこれからではありませぬか。
  そなたが此度のことをよくよく覚えておいて、
  上に立つ者となったときに、此度のことを活かせば、
  此度の出来事は無駄にはなりますまい。
  そなたはまだ花を咲かせる段階ではなく、
  根を張る時なのではあるまいかのう。」

求馬通春:
 「根を張る時期。」

通春は、その言葉を繰り返し、しばらく沈思する。そして

求馬通春:
 「確かに十九の私は根を張る時期で御座います。」

公辯:
  「人に三不幸ありをご存知ですか?」

求馬通春:
 「『小学』ですね。」

公辯法王様はうなずき

公辯:
 「第一の不幸は?」

求馬通春:
 「第一は少年にして高科に登る。
  第二は父兄の勢いに席りて美官となる。
  第三は高才有って文章を能くす」

法親王は、笑顔になり、

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田舎から僧侶を迎える葬儀が徐々に増え始めているとのこと。

先日、ある四国に住まれる老僧より聞かされたこと。
最近、東京や横浜での葬儀が増えてきたとのこと。
東京や横浜での葬儀料が高騰しているため
田舎から僧侶を迎え、ホテルに宿泊してもらっても
結果的には安く済むことが大きな原因らしい。
ただそのおかげで、先祖を大切にする気持ちも
一分で徐々に復活仕掛けていると聞かされた。

一部で起きている現象だろうが
単純に一現象として捉えることはできなかった。

このことを私たち僧侶はどう受け止めていけば良いのか。
町と田舎とは事情が違うし
今後に向ける対応が異なってくるのも事実。

私自身答えは出ていないが
深く考えさせられるお話であった。
その直後、26日は葬儀の導師を務めた。
家族の希望で、家族葬であった故に、
余計に考えさせられている。

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2012年2月27日 (月)

お目こぼしも必要 ただし、慈悲に基づくさじ加減が重要 「千年先を見て(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

お目こぼしも必要 ただし、慈悲に基づくさじ加減が重要 
「千年先を見て(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

通春(宗春)が、公辯法親王と語り合った後、
大奥の江島と語り合い、
その日の午後に六義園の柳澤吉保に会いに行ったという設定です。


通春は、そのあと本駒込の六義園に足を伸ばし、
そこで柳澤吉保と側室の正親町町子に江島との話をする。

柳澤吉保:
 「なるほど。確かに越前(間部詮房)も筑後守(新井白石)も、
  生真面目さゆえに、人の心が分からぬ時がありますからなぁ。
  特に大奥というところは閉ざされた場ゆえに、
  お目こぼしがないと窮屈きわまりありませぬ。」

町子:
 「私はあのようなところは嫌ですわよ。おほほほほ。」

吉保は町子の言葉に微笑むと

柳澤吉保:
 「今のお城の中は一見すると、御台所天英院様、御生母月光院様の争いのようで、
  表もどちらかについているように見えますが、
  江島殿の言うとおり、実体としては、大奥と表の宿老たちとの争いですな。
  また表は表で、名門の者とそうでない者との争い、少しややこしいですなぁ。
  なんでもそうですが全てを暴こうとすると歪が出るもの、
  どんな者も秘密の一つや二つはあるものです。
  それを暴くのではなく分かっていながら目をつぶる時は目をつぶる。
  ただしそれは保身のためでなく慈悲のためではなりませぬなぁ。
  このさじ加減を間違えると大変なことになりまする。何事も慈悲でござるよ。」

求馬通春:
 「あらゆる者、特に弱き者には慈しみ、大きな寛容の心、
  つまりは忍の心で受け容れるということでございますか?」

町子:
 「慈と忍は、求馬殿の旗印ですわね。そろそろお食事でもいたしましょうか?」

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殿の中で咲く蓮の華のように 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

殿の中で咲く蓮の華のように 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

今回は前回に引き続き、公辯法親王と求馬通春(宗春)の対話です。
求馬通春が、義姉(兄嫁)九條輔子の兄・夫・息子が
半年で次々と亡くなってしまったことから、名古屋へ引っ越すことになり
そのことを輔子の伯父である公辯法親王に、
通春は相談に来たという設定です。
宗春と公辯が出会っていたという記録がありませんが
非常に近い方であったのは事実ですので、こうした創作をしました。
公辯法親王は天台座主ですので、天台の話を用いています。


公辯:
 「そなた、この天台宗の所依の経典を知っておるか?」

求馬通春:
 「法華経・華厳経・涅槃経・大日経・金剛頂経・蘇悉地経でございましょうか?」

公辯:
 「ほほう。そなた仏法もよう学んでおるな。此度は法華経の話じゃ。
  この法華経は蓮の花という意味だが、いかが思うか。」

求馬通春:
 「泥の中で咲く花。」

公辯:
 「うむ。そのとおりじゃ。仏で言うと阿弥陀如来であり、
  その阿弥陀様が変じられた観音菩薩ということよ。」

通春は、眼を大きく開けて法親王に問う。

求馬通春:
 「人の命は無常であり、この世界は泥にまみれている。
  しかしだからこそ自らは阿弥陀如来に包まれて本質は清らかであり、
  泥にまみれた世界であっても泥に染まることなく、
  観音様のように生きて行けということでございましょうか。」

公辯:
 「輔子や左大臣(九條輔實)よりそなたのことを聞いておったが、予想以上だ。」

通春は、突然深くお辞儀をし

求馬通春:
 「ありがとうございます。私の霧が晴れました。」

公辯:
 「うむ。どういうことかな?」

求馬通春:
 「世は無常。そして権謀術策に満ちては居ますが、
  だからこそ、そのなかで輝く蓮であれ。泥に染まらぬ蓮であれ。」

公辯:
 「そなた、ここへも時折訪ねて参られよ。そなたと話しておると楽しいゆえ、
  話し相手になってくれるか?私の身分を憚って皆が遠慮しておる。
  まぁ、伯父と姪ではあるが、輔子と私とではずいぶんと異なるがのう、
  わははははははは。」

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2012年2月25日 (土)

生きていて死する者と、死して生きる者 赤穂事件と公辯法親王 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

萬五郎通春(宗春)の兄の故吉通の本妻である瑞祥院九條輔子の伯父である
日光輪王寺門跡(寛永寺門跡・天台座主)である公辯法親王と
萬五郎の対談の場面を設定しました。
当時の、天台座主は寛永寺の住職でもあり
将軍家に多大な影響を与えておりました。
若き宗春こと萬五郎通春は公辯法親王を、義姉の血統の縁を頼って訪ねる設定です。

公辯:
 「十一年前、松之廊下事件が起き赤穂の浪士たちが
  吉良少将の邸宅に討入りした事件はご存知かな。」

求馬通春:
 「はい。浅野本家は尾張藩とは縁戚ゆえ。」

公辯:
 「そのときのう。公方(五代将軍綱吉)は、
  浪士の助命するように暗に助けを求めてきたのじゃ。」

通春は驚いた顔をする。

公辯:
  「されど助命をしなかった。あの者達は命を賭けて君主の敵を討った。
  そうしなければ歴史の塵に埋もれてしまう。
  あの者達は、不忠者の浪人として命を長らえるより、
  忠義に厚き武士として名を残そうとしたのじゃ。」

求馬通春:
 「はい。」

公辯:
 「そこで大いに迷った。
  生き長らえさせて、罪人として名を貶めさせるのか?
  討ち入りの罪は罪として処断し、名を残させるのか?どちらが本望かと。」

求馬通春:  
 「はい。」

公辯:
 「求馬殿、そなたならどうする。」

求馬通春は、しばらく考えて

求馬通春: 
 「罪は罪として処断せねばなりませぬが、命は一度なくしたら帰らぬもの。
  何か生きておれば役立つこともあるやも知れませぬ。」

公辯:
 「うむ。若いのによく気づいた。そこじゃ。
  まだ三十半ばの拙僧は、結果的にはあやつたちを死なせてしもうた。
  名は残させたが命を奪ってしまったこと、僧侶としていまだに迷っておる。」

求馬通春は自らの迷いを正直に話す公辯法親王の素直さに驚く。

求馬通春:
 「されど、あそこで彼らが切腹したことにより、
  大石殿のお子は昨年九月に浅野本家で仕官し、
  元の家禄を安堵されたと聞いておりまする。」

公辯:
  「実はのう、今さらに思うのだが、あの時の答えはなかったように思うのだ。
   どちらかを選ぶしか無い、ただそれだけのことだった。
   公方殿は苦しかったことだろう。」

求馬通春:
 「生類哀れみの令を出されたほどの方でしたから。」

公辯:
  「生きていても死んでいる者もいれば、死んでこそ生きる者も居る。
  植物の実は自らが死に子孫を残す。
  人は産まれる時期と死ぬ時期は植物とは、ずれておるが、
  やはり子々孫々連綿と繋がる命があり、
  一人の者が長生きしているわけではない。
  世は無常じゃ。」

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天下のために自分の立場を極める 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

尾張藩の御連枝(分家)の陸奥梁川藩初代藩主松平義昌。
宗春の父、尾張三代藩主徳川綱誠の異母兄(綱誠は本妻の子で嫡男)。
宗春は将来、梁川藩主となるのですが
その義昌から、宗春が御連枝としての心構えを伝えられるシーンを設定しました。


松平義昌:
 「そなたには元服もさせず任官もさせず申し訳ないが、
  何者にもとらわれないその立場でこそ、多くを知ることもある。
  心しておけよ。わしからのそなたへの遺言は、
  天下のために尾張のあり方を極めろということだ。
  天下のための尾張だ。よいな。」

萬五郎通春:
  「天下のために尾張のあり方を極める。」

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欲と暴れ馬 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

前回と前々回に引き続き、柳澤吉保と萬五郎通春(徳川宗春)のやりとり。

柳澤吉保:
 「人には欲というものがございます。
  欲が過ぎれば身を滅ぼしますが、
  誰もが欲を持っているということを認めなければ、
  この世が成り立ちませぬ。
  その欲を抑えこむのか、その欲を上手に扱うのか。
  暴れ馬を扱うのと似ておりますな。
  その暴れ馬を殺すのか、上手に活かすのか。」

萬五郎通春:
 「慈しむと忍ぶいうことに繋がりましょうか」

柳澤吉保:
 「流石ですな。これだけの話で、そこまで理解なさるとは。」

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2012年2月23日 (木)

「海」の意味 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

前回に引き続き、柳澤吉保と萬五郎通春(宗春)の対話。


柳澤吉保:
 「萬五郎様の、その素直さがよろしゅうございまするな。
  大いに学びなされませ。大いに学びなされませ。
  清濁を併せ呑む大きな人になられませ。
  ところで弘法大師(空海)や慈眼大師(天海)の名前に
  何故海の文字が入っているかおわかりですか?」

萬五郎通春:
 「大きいという意味なのでは?」

柳澤吉保:
 「天も空も無限に大きい。海も大きいには違いありませんが、他には?」

萬五郎通春:
 「『貞観政要』十思九徳でございますか?」

(中略)

萬五郎通春:
 「他には海はどの川よりも低いところにある。
  それ故にすべての水が集まる。ということで御座いましょうか?」

吉保は、池の鯉に餌をやりながら、

柳澤吉保:
 「いかにも。では他にはございませぬか?」

通春は、しばらく考え、池を見つめる。

萬五郎通春: 「先程の、青濁併せ呑むと関係がありましょうか?」

吉保は、鯉の餌を止められて、萬五郎様を慈しむように見つめ

柳澤吉保:
 「なかなかの慧眼でございまする。
  海はきれいな水も汚れた水も飲み込んで、
  それを清浄に浄化する力を持っておりまする。
  水清ければ魚住まず。
  ほんとうに美しいとは、清濁併せ呑む大きな心なのではないでしょうかな。」

萬五郎通春:
 「元禄の世もそのような理想を掲げられたのでしょうか?」

柳澤吉保:
 「常憲院(五代将軍綱吉)様は生命というものをとことん尊ばれました。
  生類憐れみの令も、下々の者は勘違いをしてしまいましたが、
  生命の尊さを訴えたものであるのです。
  一度、消えた生命は決して戻りませぬ。」

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権謀術策に対する態度 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

萬五郎通春(宗春)が江戸に出てから、
五代将軍綱吉の御側用人兼大老格であった
柳沢吉保の下屋敷六義園を訪れる設定にしました。
吉保の愛妾正親町町子の姪が、
尾張藩御連枝川田久保松平友著の正妻であったからです。
そこで吉保と萬五郎のやり取りを設定しました。


柳澤吉保:
 「なにやら大きな蠢きがあるようでございますな。
  江戸には権謀術策を用いるものが多うございまする。
  そのような者共に私も讒言を何度もされてまいりました。
  吉里が上様(綱吉)の子であるとまで言われた折には
  言葉も出ませなんだ。
  ただそこから学んだことがございまする。
  分からぬことは無理に詮索しなくても良いと存じまする。
  大きな目で見つめていれば、そのうちに流れが見えてきて、
  小さき出来事もハッキリといたしましょうほどに。」

萬五郎通春:
 「新陰流と同じでございますな」

柳澤吉保:
 「新陰流とですか?」

萬五郎通春:
 「新陰流では、木を見ず森を見ず、共に注意して観ぜよという教えがございますれば。」

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他と異なる道を歩む 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

萬五郎通春こと宗春が上京する直前に、生母の宣揚院を尋ねた時の会話です。


萬五郎通春:
 「私は徳川将軍家ではなく尾張藩の庶子でございます。
  もし将軍家になにかある場合は、尾張藩が支えねばなりませぬ。
  尾張が将軍家と同じ様なことをしていては
  神君が尾張藩をお作りになられた意味がなくなりまする。
  将軍家・尾州・紀州の三つでこの日の本を守らねばなりませぬ。
  つまり、それと同じように私が兄上と同じことをしていては
  神君の意に逆らうのと同じ事でございます。
  それゆえ、この尾張藩を支えるためにも
  私は常に皆と反対の道を歩みたいと存じます。」

宣揚院:
 「よくそこまでお気づきなされた。私があなた様を生むことができたのも、
  他の方々とは常に異なる道を歩んだからにほかなりませぬ。
  それともう一つ言い聞かせることがある。
  四谷に移られた本寿院様の元へ行くように。」

萬五郎通春:
 「誰もが避けて通る本寿院(藩主吉通母)様の元へ?」

宣揚院:  
 「本寿院様は美しい方でございます。
  心根も美しい。頭も名刀のようでございます。
  殿の御生母として立派な方。
  されどそのために、若き殿へのご影響が大きすぎ年寄りどもにより
  罠にはめられ四谷屋敷へ閉じこめられてしまいました。
  しかし、あの方から学ぶことは多いはずです。
  江戸表で殿にお仕えし、本寿院様ができなんだことをあなた様がなされませ。
  他の兄上方とは同じ道を歩みなされてはなりませぬ。よろしいですか。」

萬五郎通春:
 「はい、肝に銘じます。」

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性欲や物欲をどうするのか? 「千年先を見つめて(尾張藩七代藩主徳川宗春物語)」より

正親町公通と、吉見幸和、そして萬五郎通春(宗春)の対話場面を設定しました。

萬五郎通春:
 「幸和先生より『創られし万象、殊に人には、創りし神の霊が内在し、
  神と人とが合一する「天人唯一之道』を教わりました。」

正親町公通:
 「うむ。確かに麒麟児じゃ。簡単に言えば、正直にあれということじゃのう。」

萬五郎通春:
 「性欲や物欲などにも正直にあれということですか?」

正親町公通:
 「そなたはどう思う?」

萬五郎通春:
 「イザナギとイザナミの両神が居られるということは、
  われら人も、男と女を求めるのが本質と存じます。」

公通は笑顔でうなずく。

萬五郎通春:
 「それを上から力で抑えても詮なきこと。自らの範囲で上手に解き放ち制することが大切かと。」

正親町公通:
 「吉見殿、この麒麟児は日の本の鳳凰になるやも知れませぬぞ。驚き申した。」

吉見幸和:
 「やんちゃ萬五郎君で名古屋城下では勇名ですが、それは仮の姿。
  やんちゃをしながら実に多くの家臣や領民と交わっておりまする。
  拙者も萬五郎君を尾張の光と見ておりまする。」

その後、三人は垂加神道や自分の考えを語り合い、夜遅くまで過ごす。

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相撲 武道 の心得 「千年先を見つめて(尾張七代藩主徳川宗春物語)」より

江戸時代まで、宮中の相撲節会を差配したのは半家の五條家。
五條家は為長の次男高長を祖とし、菅原氏は野見宿祢を祖としている。
野見宿祢は、当麻蹴速と相撲を取って勝った伝説的な相撲巧者。
その五條家当主五條為範と、萬五郎通春(宗春のやり取り)を設定しました。

五條為範:
 「萬五郎殿は、何故に相撲が大切だと思われるのか?」
萬五郎通春:
 「相撲は勝負事ですから勝たねばなりませぬが、
  かと言ってなんでも勝てば良いのかといえばそうではありませぬ。
  正々堂々とぶつかり合い、己の持てる力を出し、
  また相手の持てる力を最大に出し合い、、
  周りの観衆や神々の威力を高めるものと存じまする。
  五穀豊穣、子孫繁栄、天下泰平に繋がるものかと。」

中略

五條為範:
 「何事も策を弄して勝つことよりも、互いを研鑽し伸ばし合うこと、
  これを常に心に置いて下さいませ。」

萬五郎通春:
 「互いに研鑽し伸ばし合う。」

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2012年2月22日 (水)

「千年先を見つめて」の言葉 学問とは 諸芸とは

尾張藩四代藩主徳川吉道が、
常に夕餉を共にする萬五郎通春(宗春)に
ある日、語り聞かせる場面です。

徳川吉通:
「学問はな、このようにしてよくよく考えることだ。
 ただ書を読むだけでは単なる物真似にすぎん。
 自らの血となり肉となるまで熟慮し自問自答することだ。」

萬五郎通春:
「はい。」

徳川吉通:
「学問と同じようにな武芸も含め、芸と名のつくものは奥が深い。
 少しできるようになったからと言って名人ぶってはならぬ。
 兵庫(柳生厳延 新陰流八世)より連也斎殿のことをよく聞かされる。
 連也斎殿(尾張柳生)は、死を間近にしても、
 道場にて三日前の自分と対峙したという。
 諸芸を修めるものは、かくありたいものだ。」

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「千年先を見つめて」の言葉 慈と忍 そして美

尾張七代藩主徳川宗春卿の戯曲風小説を書いています。
そのなかのフレーズを、時折記してみようと思います。

今回は、八事山興正寺五世の諦忍妙龍の口を借りて
(逞公=宗春です)

逞公の伝えられた慈忍の慈。
目の前にかわいい赤ん坊を思い浮かべなさいませ。
その赤ん坊を見つめる眼差しが慈でございます。
逞公は常に尾張の藩士や民に、その慈しみの眼差しを持っておられました。
また忍とは、喩えれば花でございます、
花は夏や冬の寒い時期を耐え忍び、秋や春に大輪の花を咲かせます。
忍とは、我慢することではございませぬ。
寛容な心で、相手を包み込む気持ちで、
辛抱し耐え忍ぶのが忍でございます。
寛容な心は美しさであり、その美しさは花に喩えられるのでございます。
先程のお茶碗もそうですが、
逞公は美しさを重んじられました。
常に美を求められた故の行いや出で立ち。
美しさは心の内より顕れるものでございます。

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