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2012年1月31日 (火)

誰のための改革なのか?江戸時代から曖昧になっている。

江戸時代の三大改革といえば、
江戸幕府八代将軍徳川吉宗の享保の改革
吉宗の孫の幕府老中松平定信の寛政の改革
幕府老中の水野忠邦の天保の改革。

塾では「きょう・かんてん」と順を覚えなさいと私は言って来ました。

ところが、尾張藩七代藩主徳川宗春卿を調べるに辺り
幕府の公式記録である『徳川実紀』を通読して、
今までの認識が全くの誤りであったことが分かりました。

享保の改革の後半・寛政の改革・天保の改革に共通するのは
庶民が抑圧され、社会が潤っても居ないのに増税され、
庶民が苦しみ、一揆や暴動が続発していたということ。
これはびっくりする内容でした。

江戸時代の三大改革は、庶民のための改革ではなく
官僚のための、財政優先主義に過ぎなかったのです。
しかもその財政も目先のものを追っていて
恒久的な財政健全化ではなく
むしろ幕府の実入りを少なくしていくようなものでした。

では、なぜ、現代ではこの3つの改革を持ち上げるのか?
なぜ三大改革というのか?

それは、官僚政治を日本に定着させるために必要な考えかたを
日本人に押し付けるためのものであるように感じます。
ある意味、官僚政治を善とする洗脳教育です。

私は官僚が悪いとは思いません。
官僚の方々は非常に優秀で、
頭がさがるくらい一所懸命に日本を思い働いている。
しかし、彼らには遠くを見つめる政治哲学が許されていません。
目の前の、自分が所属する組織防衛の哲学で
それが日本のためだと思い込んでしまうくらい
彼ら自身が先輩たちによって
洗脳されているのではないでしょうか?

それは今に始まったことではなく
江戸幕府六代将軍家宣が死去した後に
間部詮房・新井白石の二人により幕府が動かされた時から
日本の官僚政治は、凝り固まっていったように思えます。
特に、吉宗政治の後半は、官僚政治の最たるものでした。
その中心人物が、老中松平左近将監乗邑。
頭がよすぎる彼は、近視眼的な政策をし続け
一次的に財政は改善されますが、
結果的には、九代将軍家重に嫌われます。
しかし、祖父を吉宗に持つ松平定信
先祖に、吉宗側近の最初の老中だった水野忠之を持つ水野忠邦
この二人は、吉宗の後半の政治を踏襲してしまいました。
これは吉宗の政治ではなく、松平乗邑の政治の真似だったのです。

3つの改革は、結果的には官僚支配のための
庶民にまで質素倹約を押し付ける改革でした。

そして現代もその改革を善として、学校では歴史を教えます。
つまり、学校では官僚支配を善として教えてしまっているのです。
さらに、受験でもそれが正解とされています。

今の政治もそうで、あらゆるところに共通することですが
改革とは誰のためのものなのか、
この根本を見失うと、かえって弊害が高くなるように思います。

政治が悪いとか、官僚が悪いとか言う前に
私たち庶民自身が目覚めないと
結果的には何も変わって行かないということを最近つくづく感じます。

こうしたことを知ったのも
尾張七代藩主徳川宗春卿のおかげなのかもしれません。

また、目覚め気づくことを教えてくれた釈尊(仏陀とは目覚めた人のこと)であり
発想の大転換を教えてくれた弘法大師のおかげと思っています(^^)

宗春卿や密教を通して、私は今後も
目覚め気づき(仏)、
ありのままの自分を大切にし(法)
皆と仲良く平和に生きていきたい(僧)と
強く思っています。

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