危機こそチャンス
来年辺りから、欧州危機を引き金に経済的な問題が続出して、結構大変になる可能性あり。
これを煽って世界滅亡説まで出るかも。
でも安心論や滅亡論などの両極論は捨てたほうが賢明。
この危機は自分を深め、優しさと繋がりを知るための、大いなる意思と思うと、大火傷は避けられると思います。
ピンチこそ最大のチャンス!
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来年辺りから、欧州危機を引き金に経済的な問題が続出して、結構大変になる可能性あり。
これを煽って世界滅亡説まで出るかも。
でも安心論や滅亡論などの両極論は捨てたほうが賢明。
この危機は自分を深め、優しさと繋がりを知るための、大いなる意思と思うと、大火傷は避けられると思います。
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四書五経の『大学』に
「徳は本なり。
財は末なり。
本を外にして末を内にすれば、
民を争わしめて奪うことを施す。
この故に財聚まればすなわち民散じ、
財散ずればすなわち民聚まる。
この故に言悖って出づる者は
また悖って入る。
貨悖って入る者は
また悖って出づ。・・・」と。
無理に税金を集めれば人民は離反し逆に国家から収奪しようとし、
無理な命令は逆に人民から無理な要求が返ってくるもの。
財を求める政治ではなく徳ある政治を
と古人は伝えています。
今の政治家や教師に伝えたいですね。
あ、いや私達僧侶も、心すべきかと。
でも教師が徳ある生き方を知らないのに、
どうやって子供たちに徳ある生き方を教えるのでしょうか?
修身は、明治政府により悪用されてしまいましたが、
言葉の意味は決して悪いことではありません。
教師は、教職在職中に人文教育を受けることを必須にして、
受けなければ免許不交付くらいにして欲しいですね。
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今、世界で危ないのは、
東アジアでも、中東でも、アフリカでもないといいます。
欧州のラテンの国々。
ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペイン
そしてフランスまでもデフォルトの危機。
来年はフォトンベルトのような妄想よりも、
デフォルトという現実的な危機があちこちに飛び火しそうです。
そしてラテンの国々のデフォルトの影で
東ヨーロパっがより悪化する可能性もあります。
EUは各国の財務省に任せるのではなく
今すぐにEUの財務省に任せる体制をしかないと
連鎖式のデフォルトに陥ってしまいそうですね。
これを太平洋に置き換えてみると、
TPPの本来の狙いは貿易自由化ではなく
TPP関連国の財務をはじめ、
政務をひとつにしようという
大構想があるように思えてきます。
これが杞憂ならば良いのですが・・・
ある友人から言われました。
ヨーロッパの危機が深まっていくと
かならず投資家もそして各国も
自らが生き残るために他国を食い散らし始めるもの。
来年の日本の国債の金利が上がり始めたら
それは外国が日本という美味しい肉を食べ始めた時だと。
日本人の持つ資産を食い荒らし始めたサインは
日本の国債の金利の上昇だそうです。
国レベルの危機を見た時
他国のことだと傍観するのではなく
自国のこと、自分の周りのことだと
感じていたいものです。
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江島生島事件(絵島生島事件)、
実はあまり知られていないことがあります。
それを見つけることができたのは
徳川宗春(以下全員敬称略)の戯曲を書いているからです。
その過程で、いろいろなものが見えてきました。
時折、ブログでそれを発表しようと思います。
今回はドラマでも有名な江島生島事件。
この事件を取り扱ったものとして
近い所では、2006年の映画『大奥』仲間由紀恵主演があります。
単純に言えば、
大奥では六代将軍家宣の御台所(正妻)の天英院派と、
七代将軍家継生母の月光院派に分かれていました。
天英院は、前関白太政大臣近衛基煕の長女で、
気位が高い公家出身。
一方、月光院は、父は元加賀藩士で浅草唯念寺の住職勝田玄哲。
身分の差は歴然としていました。
いわゆる、身分の高い養母と身分の低い生母の関係でした。
それでも天英院は従一位となり、月光院は従三位となりますから、
位の高さは相対的なものです。
その月光院の側近の江島(絵島とも書かれる)が、
六代将軍家宣の墓参ということで、増上寺に行き、
その帰りに今の銀座のあたりの木挽町にあった山村座という芝居小屋で、
当時男役としては絶大な人気を誇った生島新五郎の舞台を見に行きます。
そして、薪炭屋栂屋善六の饗応を受けて新五郎を交えて宴会をし、
四時までに戻らねばならないところを、ギリギリに帰ったところ、
その女中と門番がいざこざを起こしました。
それが若年寄の耳に達し、大奥の風紀の乱れが問題となり、
一大事件となってしまいます。
江島は死刑のところを免れて信州に蟄居謹慎。
その兄は死刑(切腹ではなく斬首)。弟は追放。弟の子は遠島。
など千人を超える人の刑罰がくだされました。
この事件は冤罪という説も少なからずあります。
六代将軍家宣は、実子の家継が幼すぎるのを見て、
将軍位を尾張四代藩主吉通に譲るつもりで居ました。
それを側近の間部詮房や新井白石に止められます。
そしてその将軍の遺言が無視され、
幼少だった家継が七代将軍になります。
ところが翌年に、
吉通の義理の兄の左大将大納言九條師孝
(吉通の正妻輔子の兄)が江戸から京に帰るとほぼ同時に薨去し、
続いて吉通の叔父の尾張藩御連枝梁川藩主松平義昌が逝去し、
二ヵ月後に吉通が薨去し、
三ヵ月後に吉通の嫡男で幼き尾張五代藩主五郎太が死にます。
そして、家継の継承問題で、
紀州藩主吉宗・尾張藩を継いだばかりの継友・
水戸藩主綱條・家宣の実弟の越智松平清武の四人が後継候補となり、
色々な暗躍があった時期が、江島生島事件の頃でした。
この江島という人は、三河出身で、
尾張藩の江戸藩邸に仕えた後に、
甲府藩邸(六代将軍家宣の前任地)に仕え、
大奥に入ったと云われています。
時期的に考えると、宗春の実母の宣揚院と同じ時期に江戸藩邸にいますし、
その宣揚院の叔父は甲府藩の宗門改めの藩士で、後に幕臣となりますので、
江島と宗春および尾張藩は多少は縁がありました。
この事件には前段があることを、今回の戯曲を書いている途中で知りました。
赤穂浪士による吉良邸の討ち入り事件の翌年、
すぐに赤穂浪士の事件が歌舞伎芝居となりました。
それとほぼ同じ時期に、
荒事を完成させた初代市川團十郎が、生島半六に舞台で刺殺されました。
この半六は生島新五郎の弟子でした。
新五郎はその責任を取り、二代目団十郎をすぐに襲名させ、
その後見となり、團十郎を育てて行きました。
その刺殺事件の翌年、
新五郎の実弟の初代生島大吉が、
尾張四代藩主徳川吉通の生母の本寿院と密会した罪で、入牢。
一年後に解き放たれますが狂い死にしたと云われています。
本寿院は四谷の本寿院邸に蟄居謹慎です。
このときに、生島大吉は四谷の本寿院邸に長持に隠れて通ったと云われています。
(江島生島事件も長持に隠れて通ったという風評が流れました。)
私はこの事件そのものが政治的な動きで、冤罪だと思っていますが、
この事件をコピーしたかのように、江島生島事件が発生しているのです。
吉通は七代藩主宗春の七つ上の兄。
本寿院は、宗春により蟄居謹慎を解かれ、晩年は自由自在に生きています。
江島生島事件の割には、本寿院大吉事件はあまり注目されていませんが、
実は江島生島事件の元は、この本寿院大吉事件にあるのではないかと思われます。
どちらも政治に女性と役者が利用された事件。
真実は資料不足でわかりませんが、状況証拠からすると、
江島生島事件も本寿院大吉事件のどちらも、
政治的に利用された冤罪であった可能性が高く、
とても悲しい事件だったと思います。
ドラマになってしまった事件は
何処かにプロトタイプができてしまって
真実が見えにくくなりますが
少し調べるだけで全く違ったものが見えてきますね。
ちなみに、生島新五郎・二代目團十郎と
宗春の関わりも戯曲の中でおりまぜて書いています。
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