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2011年4月22日 (金)

党議拘束の問題点

少し算数をします。

ABCDEという政党があり
A=60%
B=35%
C=3%
D=E= 1%
という構成だったとします。

またA党はWXYZというグループに分かれ
W=10%
X=10%
Y=20%
Z=60%
という人員構成だったとします。

ここでZグループの構成員がある法案を提案します。
Zグループの中で話し合われ
Zグループの60%が賛成で、40%が反対しました。
しかしグループ拘束で、Zグループは全員賛成となります。
これを党の会議にかけ
Zグループ以外は反対しますが、
Zグループの賛成多数で議決され、A党全員が党議拘束されます。
本会議に出るとA党の以外は反対しますが
A党の多数で法案は成立してしまいます。

これはどう見てもおかしいですね。

もし実際に自由投票にした場合、
賛成は全体の21.6%の賛成で、78.4%の反対となり
この法案は確実に廃案になるはずです。
これが国民の声を反映した数字。
しかし党議拘束をかけると、
60%が賛成して、40%が反対と、大逆転が起きてしまいます。

この数字のマジックを一番良く知るのが小沢一郎氏。
ですから数に徹底的にこだわっているようです。

国会議員は、国民により選ばれた人達。
その人達は自分の意志で一票を入れて当然。
本来は自由投票こそが当たり前。
でも多くの国会議員は
党議拘束を掛けることじたいが問題だとは理解していません。
ここが組織の論理です。

一人ひとりが責任をもって議員をする。
一人一政党であり
法案によってグループを作り合従連衡する
こういう形であれば
民主党も労働組合に牛耳られることはないでしょうし
自民党も経団連のようなグループに牛耳られることはないと思います。

でも党議拘束をしない政党
こんな政党を作る勇気のある人は居ないのでしょうね。

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2011年4月 7日 (木)

オゾン層破壊問題と原子力問題が私達に伝えている物

2010年の南極のオゾンホールは
ここ数年の中で最小であったといいます。

http://www.data.kishou.go.jp/obs-env/ozonehp/diag_o3hole.html

宇宙からは様々な宇宙船が飛来しており
それを防御するものがなければ
この地球上に生物は誕生しなかっただろうと言われています。
その防御服の役目をしているのがオゾン層。
オゾン層は一気圧に圧縮すると
100km内にビーズ三つ分の厚さしかないと言われています。
とても薄い薄い膜なのですが
その薄い膜が、宇宙線から私達を守ってくれています。

ところが人間がフロンという自然界に存在しない
無色無臭無毒で冷媒としても溶剤としても便利なものを生み出しました。
開発当初は潜水艦の冷媒で使われ
次第に用途が広がり大量に使用され生産されました。
ところがこの地上では夢の化学物質と言われたものが
オゾン層を破壊していることがわかったのです。

メカニズムを単純に説明しますと
極の当たりが冬に冷えれば冷えるほど
そこにフロンなどのオゾン層破壊物質が不活性となり滞留します。
それが春になり、温度が上がると活性化され
一気にオゾン層を破壊していってしまいます。
そのために、オゾン層がオゾン層破壊物質で破壊され、
宇宙線を通してしまう穴、つまりオゾンホールが出現しやすくなります。
この穴は、ずっと空いているわけではなく
瞬間的にできたりできなかったりするものです。
南極域で、ずっと穴が開いているわけではありません。

2010年の南極の最大オゾンホールは
ここ数年間で最小の
2190万平方kmであったとのこと。
過去最大は平成10年9月9日及び21日の
2724万平方kmだったそうですから
それに比べれば20%減です。
それでもこの2190万平方kmを国の面積に当てはめますと
カナダ 約998万平方メートル
アメリカ合衆国 約963万平方メートル
メキシコ 約196万平方メートル
この三カ国の合計が約2157万平方メートルですから
それを上回るほど巨大なものでした。

この小さくなったい理由は
南極域の温度が高温であったために
冬場の不活性であった不フロン類などのオゾン層破壊物質の滞留が
少なかったからだと言われています。

その影響があったかどうかはわかりませんが
昨年末の北半球は、温暖化傾向の為に冬の訪れが遅く
暖かい空気が勢力を保ち続けたために
冷たい空気の南下が遅れました。
南の暖かい空気に押され北極域に冷気がこもってしまったようです。
そのために、冬の北極域にオゾン層破壊物質が滞留してしまい
春の暖かさで一気にオゾン層破壊物質が活性化し
北極域のオゾン層が急激に破壊されてしまったようです。
そして、ニュースでも報道があったように
http://www.cnn.co.jp/world/30002362.html
40%ものオゾン層破壊が進行してしまったようです。

今回の東日本大震災も追い打ちをかけることになる気がします。
フロン類は徐々に上昇していきます。
今回の大震災の破壊で大気に漏れ出したオゾン層破壊物質は
将来確実にオゾン層破壊を大きくすると考えられます。

このところ、温暖化ばかりが注目され
あの、アル・ゴア元アメリカ合衆国副大統領さえも
オゾン層は大丈夫のような話をされていましたが
これには誤りがありました。

私達を守っているオゾン層は今も破壊され続けているのです。

さて、以下は私の個人的な見解です。
オゾンとは殺菌に使われるほどのもので、実は人間にとって猛毒です。
さらに光化学スモッグのもとにさえなります。
ヨーロッパではオゾン濃度を公表して
光化学スモッグ注意報を出している地域もあります。
しかし、上空に登ればこの猛毒の物質は
宇宙線から私達を守ってくれる正義の味方となります。

一方、フロンは、今でこそオゾン層破壊をしてしまう敵役ですが
冷媒としての便利さや溶剤としてもとても
科学技術発展と近代社会設立に大いに役立ってきました。
私のように喘息を持っているものは
このフロンを使った治療薬で命を何度も助けられたと思います。
フロンは、上空では悪役ですが
地上では本来は正義の味方でした。

所変われば…ということばがありますが
フロンもこの地球の自然治癒力内で使用しておれば
おそらく正義の味方で在り続けたでしょう。
しかし、人間の欲望が、この自然界に存在しない物質を
大量生産大量消費したことにより
自然の秩序が乱れ、オゾン層破壊という生物そのものの存在を危うくしました。

ほんとうはここで私達は気づかねばなりませんでした。
フロンなどのオゾン層破壊物質が悪いのではなく
それを大量生産大量消費して便利快適ばかりを追い続けた
私達人類の最果てのない欲望こそが最大の問題だったように思います。
しかし人類は、自分の際はてのない欲望に目を向けずに
フロンそのものを悪役にし、フロン生産を全面禁止し
それで事足るとしてしまいました。
これは大きな誤りだったように思います。
フロンの生産をすべて打ち切ることも重要でしたが
それ以上に私達人類が自己反省しなければならなかったのです。
ところがそうはいきませんでした。
その結果が、今のオゾン層破壊に繋がっているように思えます。

実はこの問題はオゾン層破壊ばかりではなく
原子力の問題ともつながっています。
フロンと原子力は直接繋がってはいませんが
原子力に対する私たちの態度が
あまりにもフロンに対する態度と似通っている気がします。
今回の福島第一原発の事故から原子力否定の運動が起きるでしょうが
原子力そのものを悪としてしまうことには疑問を感じています。

原子力は原子爆弾と共に生まれ、
フロント同じように戦争の道具として登場しました。
その破壊力はエネルギーとなり
夢のエネルギーとしてもてはやされました。
今でも、世界中で温暖化対策の切り札として増設が計画されています。
しかし、原子力発電所から出される廃棄物は未だに処理ができません。
そのために放射性廃棄物は年々増加し
年々増えていています。

フロンも原子力(核分裂)も
どちらも自然界に存在しないもの。
そしてそれを人間が生み出し
大量生産大量消費をし
自然の自己治癒力をこえて
自然界の秩序を壊してしまいました。
自己治癒力を越え秩序を壊し
最後は何もかも破壊し尽くして
作りだした人間さえも
この地球から消し去り
ようやく自分自身が消えることになります。

自然科学だけの力でなんとかなるというレヴェルは既に超えている
そのことを気づかねばならないのではないでしょうか?

フロンも原子力も今は悪役です。

でも本当にフロンや原子力が悪役なのでしょうか?

おそらく両者とも自然の自己治癒力の範囲内で使用されるものならば
人間にとっても、とても役立った可能性があります。
問題なのは、それを自分の欲望のために
過剰に使用してしまった人間にこそ問題があるように思えます。

フロンも原子力も
すぐに停止しなければならないほど、
この地球上では問題になってしまいました。
この二つの悪役を単なる悪役にするのではなく
この二つを悪役にしてしまった私達自身が
反省しなければならない時。

東日本大震災は、人の生き方に警告を与えたように思えます。
そのためには、あまりにも多くの犠牲を出してしまいました。
私達は気づかねばならないのでしょう。
一人ひとりが、過剰な欲望を充足することよりも
人間らしい生き方に目覚める時が来ているように思います。

手間ひまをかけ、時間に追われることなく
芸術的に人間らしく生きる
これを追求していきたい、今はそう願います。

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桃と八の連続

四月五日、旧暦の三月三日に桃の節句を
上巳を妻と二人で行う。
そこから何故か桃の連続。
真名井神社の波せき地蔵尊の桃のマークを思い出し
子供の頃から一宮の桃花祭にこだわり続け
幼き頃は祖父に
しょっちゅう桃太郎神社に連れて行かれたことを思い出す。
今はお寺に、今年植えた桃の花が咲き
挙句の果ては、コンビニに行くと
桃のジュースに桃のアイスクリーム(笑)。
さすが、桃の節句!
そこで、桃に関していろいろ調べると
桃は日本において実に重要な果樹であることが判明。
桜に押されて、桃の花の季節であることが忘れ去られ
桃の姿があちこちから消えている感覚。
霊木桃が消えて行る?
桃はいったい何を伝えようとしたメッセージなのか?

四月六日、ここは八の連続。
名古屋に行ったのだが
名古屋のマークは丸八。
居た場所が喜多八寿司。
これは今私が調べている尾張藩のシンボルマークでもある。
宗春公は七代藩主だが吉宗公は八代将軍。
真名井神社の看板に平成八年八月八日。
お寺の花の周りではハチが飛び回り
未明に名古屋から帰る途中、
ナンバーが8という車に二台遭遇(笑)

実はもっと桃と八があったのですが
このあたりで…

これらの桃と八にはいったい何があるのでしょうか?

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2011年4月 6日 (水)

妄想:真名井の予言の和歌

以下に書くのは私の今夜の妄想の中での内容。
妙に勘ぐったりしないでくださいね。
ただ思いつくままに、記すもの。
笑い話であって欲しいものですから。

昨日は旧暦の桃の節句、上巳、雛祭りでした。
うちのお寺では
この東日本大震災をきっかけに
日本古来の風習を実施しようと思い
昨夜は妻と二人で、日本の罪障を除くようにと
祈りの儀式を行いました。

さて、それもあったので余計に気になったことがあり
それを妄想しつつ記します。

昨年11月9日、旧暦十月四日に
宮津の真名井神社を訪れました。
丹後一宮の籠神社(元伊勢)の奥宮で
訪れる人はまばらで、
私達が訪れたときは無人でした。
知る人ぞ知るパワースポットと聞いています。
その入口にお地蔵様が居られます。
そのお地蔵さまは「波せき地蔵」と呼ばれ
1300年前にあった大地震の大津波から
人々を救ったお地蔵様と言われています。
地質学的には、
地震があったかどうかは疑わしいらしいとのことでしたが
最近になり、
その可能性は皆無でないことが分かってきたと聞いています。

そのお地蔵様の看板を
妻が写真におさめると
何度撮っても虹がかかっていました。
Img_1819c_2


この看板の最後に和歌が記されています。

ふたちいほ(二千五百)
しづまるかみの(鎮まる神の)
かみはかり(神謀)
もものみあれの(百の御生れの)
ときぞちかづく(時ぞ近づく)


この和歌を読んで妄想したのが以下の事柄です。
*******
「ふたちいほ」
これは二千五百という意味で年は関係ありません。
2500とはいったい何か?
ふと数字合わせ。
1200年前に、東北で今回に近い大津波があったそうです。
1300年前に、この看板のような大津波
2500とはこの両数の合わせた数字
妄想しすぎ?ならばありがたいです。


「鎮まる神の謀」
今まで何かしらによって押し込められ
静まっていた神々のエネルギーが
そろそろ動き出す気配。
ここには大いなる意思(神謀)があるのか?


「もものみあれの」
桃は鬼の追難に使われていたそうです。
百と桃の掛詞かと。
ちなみに、偶然にもこの数日桃花について考察。
気づかぬ間に、昨夜、旧暦の雛祭りを行い
来年からは雛祭りを「桃花雛祭り」にすると宣言したばかり。
百とは何なのか?
おそらく多いということかと思われます。

みあれとは「高貴なものの誕生」を意味します。
京都の葵祭や賀茂祭では
「みあれ祭」とは、お迎えするという意味だそうです。
そして福岡県の宗像での「みあれ祭」とは
天尾羽張剣(十束剣・天羽々斬剣)から生まれた
三人の女神、
田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
の祭だそうです。
最近、天尾羽張剣に関わる場所ばかりに導かれていました。
車を運転していて、突然お腹が痛くなり
トイレのためにコンビニを探したら
そのコンビニの目の前に神社があったりもしました(^^;
冗談みたいなほんとうの話です。


「時ぞ近づく」
看板を見たあの時、
東日本大震災には全く気づきませんでした。
そしてこの看板の和歌に気づいてしまったのが先ほど。
だからこそこうしてブログに書いています。
まさに時が近付いているのかもしれません。

これらが勘違いならば良いのですが…

*******
以上が思いきりの妄想族です(^^)
ここのところ、脱原発の話ばかりをTweetしてきました。
今も脱原発の考えには変わりありませんが
それ以上に、考え方の根本を見つめる発言へと
今後は切り替わっていこうと思っています。
それはオゾン層破壊がより深刻になっているという記事を
読んだことにも関係があります。

私はフロンガスと原発との間に
不思議な関係があると見ています。
それはまた別項で記しますが
こうしたものを生み出し過激に使用しすぎてしまった
人間の心にこそ最大の問題があると見ています。

宗教家は宗教家らしく、そのあたりを顕にし
そして「これからの日本のあり方を提言していければと思っています。
それが東日本大震災の被災地に直接赴くことができない
自分の役割だと思うようになりました。

時々、今夜のような妄想族になりますが
その点はお目こぼしください。

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2011年4月 4日 (月)

脱原発に向けて 宗教者である環境カウンセラーとして

脱原発に向けて 宗教者である環境カウンセラーとして

自然に対する畏敬の念
アニミズムと呼ばれる宗教形態にはそれがありました。
多神教の世界観もこれに繋がります。
そこには、どんなに人間が頑張っても
超えることのできない領域があるという教えがあります。
その自然の猛威を
オドロオドロシイ姿や物語で表し
大自然を大いに畏敬しました。
多くの踊りや歌も、その自然を畏敬し
鎮撫するためのものでした。
この世界観では、自然を越える発想はありません。
常に自然と共に生き
自然が与えてくれる恩恵の中で生きて行くことが求められます。
自然には再生能力があり
その再生能力の範囲内で
人は自然の恵みを享受することができるのです。

ところが、人は神に代わって
自然を支配する立場にあるという思想が
科学技術を発展させました。
それは、遂には
角砂糖一つで地球を滅ぼすことさえできるエネルギーを
理論的に見つけてしまったのです。

一方、哲学や宗教も理屈上は発展しましたが
それを体現する人が増えたかどうかは疑問です。
科学技術の発展に対し
人間の倫理観が十分に発展してこなかったのも
事実だと思います。
そのために欲望が蔓延する世界となり
経済至上主義という歪な形の世界が生み出されました。
何もかもが欲望の充足ということが社会の常識。
そのために様々なものが生み出されてきました。

その欲望の充足の一つが原子力です。
アインシュタインの見出した公式は理論として美しいものでし。
だから彼はその実用化には強く反対しました。
しかし、他者を支配しようとする政治屋に利用され
科学者の学問的欲求と
技術者の腕の見せ所という欲望にも後押しされ
原子力が開発。
原子力爆弾や原子力発電が生まれてしまいました。

もし、人間の倫理観が十分に発達していたのならば
原子力が生み出す廃棄物の処理ができないうちは
実用化はしなかったでしょう。
そのエネルギーの暴走を
止め立てる方法論が見つからないうちは
原子力は一部の学者たちの研究の対象のみで
留まったと思います。

しかし、人は目の前にある
原子力というエネルギーの魅力に抗えず
結果的には世界中に原子力爆弾を配置し
原子力発電所を建設してしまいました。

これは実は、フロンの問題とも関連しています。
フロンは開発された当時は
無毒無臭無色で、冷媒として、溶剤としての能力が高く
夢の物質とまで言われました。
フロンは自然秋に存在しないものであり
それを大量生産し空気中に放出。
それが結果的には
地球を宇宙船から守るオゾン層を破壊し
大変な問題に発展。
フロンは国際的に規制のかかるものとなりました。

しかし、本当はこのフロン問題の時に
人は気づかねばならなかったように思います。
フロンの生産使用が問題だったのではなく
そのフロンを使用した人の心が問題だったのです。
自然にないものを大量生産し垂れ流しにした
自然のサイクルを全く無視した人の心こそ
オゾン層破壊問題の根源だったように思います。
しかし人は、いつの間にかオゾン層破壊の責任を
フロンそのものにかぶせ
オゾン層破壊は人間の心が招いたことを無視してしまいました。

その後世界的に問題になったのは
地球温暖化です。
これも間違いなく人の心が引き起こした環境問題。

そして、大震災による今回の原子力発電所の問題です。
(ただしフロン問題以上に原子力を縮小し止める運動が
 世界中に起こらなければ大変な問題になりかねません)

どれもが、人の心のなかの
過剰な欲望と、大自然に対する畏敬の念の喪失が引き起こした
問題のように思います。

今回の原子力の問題から私達が知らねばならないのは
自然のサイクルにないものを生み出すときには
かなりの注意が必要ということです。

赤ん坊に火や刃物を近づけないのと同じで
精神的に十分に発展していない現在の人類には
超えてはいけない科学技術があることを知らねばなりません。
今回の原子力問題は
原子力の問題のみに留めるのではなく
ありとあらゆる科学技術の分野の検証に
役立てなければならないように思います。

もちろんむやみやたらに
科学技術を否定することも問題です。
しかし、今の人間の倫理観のレヴェルを超えることは
新たな問題を創出するでしょう。
これは医学会の遺伝子や移植問題にも
繋がるものだと思います。

今一度、立ち止まり
大自然のサイクルの中で生きることを
もう一度見直す必要があるように思います。

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