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2011年2月19日 (土)

石上=>石神=>磯の神>>スサノオ=>浪切 雑考

Twitterで水天のTweetをする。
この水天に関しては昨年にTweetしていたために
少し手直しをしてのTweet.。

書き終えると同時に、ふと古いTweetを見た。
なぜそれを見たのかは分からない。
そこには鳥羽相差の神明神社のTweetに対するコメントが。

ふと、ハッと我に返る。

神名神社の別名は、石神さん。
相差では「いしがみ」さんと呼ばれ
海女さんたちに深い信仰を得ている女性のための神。

アッ!
「いしがみ」は「いそのかみ」なのでは?
海女と関連すれば、「磯の神」であるはず。

ということは…

奈良の石上神宮が「いそのかみじんぐう」と呼ぶのも
本来は「磯の神」なのでは?
その分社とも言うべき、
京の東寺にある石上布留神社の横に
浪切不動明王が祀られているのも、そのためなのでは?

さらに、アッ!
石上神宮には「ふつ」と「ふつし」「ふる」の神が祀られる
「ふつ」はニギハヤヒ(天火明)の子である
天香山(別名、高倉下)にもたらされ
神武帝の東征に役立ったと言われているもの。

「ふつし」は天尾羽張の剣とも呼ばれた剣で
ニギハヤjヒの父であるスサノオが用い
八岐大蛇の尻尾にあった天叢雲(草薙)の剣に当たって
刃が欠けたと言われている剣。

「ふる」はニギハヤヒにもたらされた十種神宝のこと。

いずれも、スサノオとニギハヤヒと関連したもの。

スサノオは海の波を象徴としている。
石上とは、そのスサノオの
磯の神としての神格と何らかの関連がありそう。

水天をTweetして、磯の神
そのうえ浪切とも尾張とも関連して
非常に興味深い。

まだまだ雑駁な考察だが
少し煮詰めると、面白いものが出てきそうな感覚。

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2011年2月13日 (日)

石上神宮に導かれた(2月7日)ときの記録

2月7日、高野山へ行く。
毎月行われている祖典輪読会。
いつものように名阪国道で橿原のICまでいくつもりでした。
ところが突然に腹痛が…
今まで降りたことのない天理東ICでおりてコンビニを探すことに。

見つかった!
駐車場に入る前に信号待ちでふと見ると
目の前に石上神宮が・・・

エッ?こんな形で… (^^;;

1月14日、東寺へ行く。後七日御修法の成満日。
そこで訪れたのが石上布留神社。
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東寺の政所であった阿刀家(弘法大師の母方の家系)が
代々守ってきた小さな鄙びた神社。
その横には、浪切不動尊。
私自身が高野山の浪切不動尊の前で修行をしているし
二十年近く前に、東寺で何故か道に迷ったときに
偶然、出会った場所。
この石上布留神社の元になったのが
石上神宮。

東寺から帰って以来、石上神宮について調べてみました。
スサノオが、八岐大蛇を切り裂いた剣が
天尾羽張の剣。
その剣の霊を祀るのがこの石上神宮。
物部一族によって守られてきた場所。
天尾羽張の剣は、八岐大蛇の中にあった
天叢雲剣つまり草薙の剣に当たり刃が欠けたといいます。

刃が欠けた…羽が欠けた…尾羽張から尾張へ(^^)

尾張生まれで、今も尾張に関して調べている私にとっては
このダジャレ的な内容もかなり真実味があります。

そこで、次の高野山へ行くときは寄ってみたいなぁと
朧気ながら思っていました。
ところが2月3日の節分の準備に追われて
いつのまにか、石上神宮についてはすっかり忘れていました。

そこへ腹痛という形で、
この石上神宮に導かれてしまったのです。

 ※余談ですが、どうも突然の腹痛があるときは
  何かに導かれている時が多いです。
  身体の中を綺麗にしろってことでしょうか(^^;

まず、コンビニで用を足した後に参道に入りました。
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すると尾長の鶏が、鳴き声で出迎え。
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そして、本殿に向かうと、神主さんが祝詞をあげられていました。
ちょうど終わる前で、最もクライマックスの瞬間。
誰もいないその場所で、深く頭を下げ、
自分自身をその祝詞そのものとなった気持ちで
石上の神に感謝の念を送りました。
おふだを授かり、門の反対側にある摂社に。
ここでビックリ。
こちらの方のパワーは本殿よりも一層強力なものでした。
特に向かって右側にある猿田彦は尋常ではないパワー。
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ここで大きな力をいただき深く感謝し
その左側の摂社に。
ここも右側の七座社は強力でした。
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さらに摂社の拝殿になっている国宝の拝殿も
かなりのパワー。
後に知ったのが、永久寺廃寺にあったものだそうです。
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思わぬ形で参拝できた石上神宮。
この麓に天理市が大きく広がったのも
天理教がこの神宮の力を最大限に活かしたからのようにさえ感じました。

石上神宮、大きくはありませんが
神宮の名前に価する素晴らしい場所です。

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2011年2月12日 (土)

側近政治と幕閣政治 雑考

江戸時代の歴史を調べていて、政治形態で気づいたことがあります。
それは側近政治と幕閣政治という二つに大きく分かれること。

歴代将軍(敬称略)で示しますと
家康:側近(本多正信・本多正純)
秀忠:幕閣=側近(酒井忠世・土井利勝等 )
家光:幕閣=側近(松平信綱・天海・柳生宗矩等)
家綱:幕閣(松平信綱・酒井忠清等)
綱吉:前半幕閣(堀田正俊等)
    後半側近(牧野成貞・柳沢吉保)
家宣:側近(間部詮房・新井白石)
家継:幕閣?(早逝なので)
吉宗:幕閣(松平乗邑等)
家重:側近(大岡忠光)
家治:側近(田沼意次)
家斉:幕閣(松平定信等)
家慶:幕閣(水野忠邦等)
家定:幕閣(阿部正弘・堀田正睦等)
家茂:幕閣(井伊直弼など)
慶喜:?(期間が短い)

こう見ていくと、側近政治はいわゆる将軍親政であり
幕閣政治は家臣たちによる運営であることが分かります。

八代将軍吉宗公は、その強烈な指導力で
享保の改革を成し遂げたとされますが
実は親政ではなく、幕閣による政治運営でした。
その証拠となるのが、
尾張七代藩主宗春の蟄居後の幕閣の動き。
宗春が側近政治を行ったことに、松平乗邑などが猛烈に反発。
宗春を強制的に無理やり蟄居させた後に
各藩に、藩主の親政を厳しく戒め
何事も家老による合議制にするようにとお達しが出ています。
つまり将軍や藩主は
直切的に政治に携わってはならないというものでした。
見方によっては、政治運営には成功不成功が付き纏い
そうしたことに将軍や藩主は
巻き込まれてはならないとしたからかもしれません。
ある意味、天皇家のあり方を見本にしたようです。
ところが皮肉なことに
九代将軍家重は側近政治に切り替え
乗邑を罷免してしまいます。

江戸幕府のあり方も代によって随分と異なっていて
色々学ばされます。

現代社会でも
小泉純一郎:側近(竹中平蔵)
という特例はありますが
基本は閣僚官僚政治かなぁ…

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2011年2月10日 (木)

Win7はHomeよりProfessionalはお勧め

CanoScan Lide80を常用していた。
ところがこの機械はWin7 64bit非対応。
エーッ!!!(><)
そこでいろいろ試してやっと動く方法を見つける。
実に単純。
XPモードを通せば
動かなかったCanoSca Lite80のスキャナーも動くようになった。

物は使いよう。Windows7に対応していないプリンターや印刷機がある。
リコーのPriport A300もそのうちの一つ。
さて困ったことになった。
印刷機でないと大量に印刷物が刷れない。
コピー機ではお金がかかりすぎる。
そこで何とかならないかを模索した。
試行錯誤のすえ、やっと見つけた方法が以下の方法。

BUFFALOのPRINT SERVER LPV3-TX1を印刷機に接続。
家庭内ネットワークにLANケーブルで接続する。

Windows7 Professionalを起動し
Print Server付属のソフトを立ちあげ
インストールする。

XPモードをMicrosoftからインストールし
XPモードを立ち上げる。
IEで、リコーのホームページから
プリンター用のドライバーをダウンロード。

XPモードでもPrint Server付属のソフトを立ち上げ
インストールする。

プリンターのインストール。
ここからはPrinter Serverの設定ガイドを読み
そのままインストールする。
ただし電子マニュアルの1.1LPRプロトコルは必読。
それに合わせて入力。

ここで完成。

恐る恐る動かしてみたら
ヤッター!

印刷機が見事に復活。
これで印刷物が再び刷れるようになった。

Windows7で動かなくなった機械を動かすためにも
Win7 はHome Editionではなく
Professional Editionをお勧めしたい。
そうすれば古い機械も動いてくれる。

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