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2011年2月13日 (日)

石上神宮に導かれた(2月7日)ときの記録

2月7日、高野山へ行く。
毎月行われている祖典輪読会。
いつものように名阪国道で橿原のICまでいくつもりでした。
ところが突然に腹痛が…
今まで降りたことのない天理東ICでおりてコンビニを探すことに。

見つかった!
駐車場に入る前に信号待ちでふと見ると
目の前に石上神宮が・・・

エッ?こんな形で… (^^;;

1月14日、東寺へ行く。後七日御修法の成満日。
そこで訪れたのが石上布留神社。
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東寺の政所であった阿刀家(弘法大師の母方の家系)が
代々守ってきた小さな鄙びた神社。
その横には、浪切不動尊。
私自身が高野山の浪切不動尊の前で修行をしているし
二十年近く前に、東寺で何故か道に迷ったときに
偶然、出会った場所。
この石上布留神社の元になったのが
石上神宮。

東寺から帰って以来、石上神宮について調べてみました。
スサノオが、八岐大蛇を切り裂いた剣が
天尾羽張の剣。
その剣の霊を祀るのがこの石上神宮。
物部一族によって守られてきた場所。
天尾羽張の剣は、八岐大蛇の中にあった
天叢雲剣つまり草薙の剣に当たり刃が欠けたといいます。

刃が欠けた…羽が欠けた…尾羽張から尾張へ(^^)

尾張生まれで、今も尾張に関して調べている私にとっては
このダジャレ的な内容もかなり真実味があります。

そこで、次の高野山へ行くときは寄ってみたいなぁと
朧気ながら思っていました。
ところが2月3日の節分の準備に追われて
いつのまにか、石上神宮についてはすっかり忘れていました。

そこへ腹痛という形で、
この石上神宮に導かれてしまったのです。

 ※余談ですが、どうも突然の腹痛があるときは
  何かに導かれている時が多いです。
  身体の中を綺麗にしろってことでしょうか(^^;

まず、コンビニで用を足した後に参道に入りました。
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すると尾長の鶏が、鳴き声で出迎え。
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そして、本殿に向かうと、神主さんが祝詞をあげられていました。
ちょうど終わる前で、最もクライマックスの瞬間。
誰もいないその場所で、深く頭を下げ、
自分自身をその祝詞そのものとなった気持ちで
石上の神に感謝の念を送りました。
おふだを授かり、門の反対側にある摂社に。
ここでビックリ。
こちらの方のパワーは本殿よりも一層強力なものでした。
特に向かって右側にある猿田彦は尋常ではないパワー。
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ここで大きな力をいただき深く感謝し
その左側の摂社に。
ここも右側の七座社は強力でした。
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さらに摂社の拝殿になっている国宝の拝殿も
かなりのパワー。
後に知ったのが、永久寺廃寺にあったものだそうです。
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思わぬ形で参拝できた石上神宮。
この麓に天理市が大きく広がったのも
天理教がこの神宮の力を最大限に活かしたからのようにさえ感じました。

石上神宮、大きくはありませんが
神宮の名前に価する素晴らしい場所です。

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