徳川宗春公と我がご先祖の小さな結びつきが見え始めました
何故、今年は徳川宗春高を調べなくてはならなかったのか・・・
宗春公の、最後の従者である河村秀根。
一宮の真清田神社と深い関係があることが分かりました。
『真清田神社史』を、ひょんなことから読んでいたら
河村秀根が出てきたのです。
秀根は真清田神社に残っていた資料から
宮中の大嘗祭の久米舞(雅楽の一種)と呼ばれる儀式を掘り起こしたそうです。
河村家は相当深く真清田神社と付き合っていたようです。
大嘗祭は、宗春公が蟄居謹慎を貰い受けたときのキーポイント。
尾張家と宮中はかなり深く結びついていたようです。
宗春公の蟄居は宮中関係である可能性がますます高くなってきました。
実はこの当時の真清田神社の楽舞を担当していたのが
私の母方の祖先の片山清九郎。
片山家は名古屋の片山八幡宮(徳川美術館側)から出た家で
江戸時代の真清田神社の楽舞の正の担当者、片山清九郎は
名古屋東照宮の宮司吉見幸和から楽舞を学んでいたそうです。
河村秀根は吉見幸和の弟子で、幸和から楽舞を学んでいましたので
我が母方のご先祖と河村秀根は同門であったわけです。
ちなみに、名古屋東照宮の祭礼など
宗春公にも河村秀根にも深い影響を及ぼしたのが吉見幸和。
吉見家は、今は片山八幡宮の宮司。
直接ではないにせよ
母方の御先祖様の片山清九郎は
宗春公に非常に近い位置に居たことがわかりました。
まだまだいろいろ出てきそうですが
ご先祖の何か見えない力で動かされている感覚がります。
そういえば、片山家は代々のお祭り好き。
祭り好きの宗春公と同じ。
これも何かの縁かもしれません。
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