尾張藩七代藩主徳川宗春公の真実(3-02)『温知政要』二条 愛に敵なし 家康公のように仁者であれ 原文と現代語意訳
第二条 愛に敵なし 家康公のように仁者であれ
<原文>
一和漢古今ともに
武勇知謀千万人に勝れし名将
其数限りなし
しかるに功業終に成就せすして滅ひ失せ
子孫二代と續かさるは
慈仁の心なく
私欲さかんにして
自分の栄耀奢りを極め
人民を済ふの本意
曽てなかりしゆへ也
東照宮には
内に寛仁の御徳そなはらせ給ひ
下々迄も御慈悲深く
御敵となりし者さへ
心を改め服すれは
其罪をおゆるしなされ
義の為には御身を忘れさせ給ふ程の
明君にて渡らせられしゆへ
御子孫枝葉迄も
その徳行を受はかせられ
千万年かきりなき御治世は
昔王代にもまれにして
天下の政務武将の執行ひ
初しより以来
御當家の様に成
四方の隅々まで
物いひ少もなく
堅く御大法を守り
御仁政に服し奉りたる
目出度御世はなき事也
仁者に敵なしといへる古人の語
尤至極のことなるへし
<現代語意訳>
日本も中国も、昔も今も
武勇と知謀が、誰よりも優れた名将たちは
数限りなくいる。
しかしその功績が完成する前に滅び
子孫が二代と続かないのは
慈しむ深い愛情の心がなく
私欲に充ち溢れ
自分の栄耀栄華を奢りつくして
民衆を救おうという本来の心が
なかったからだ。
東照神君家康公におかれては
心に広く深い愛情のお徳が備われており
世間一般の者に対してまで慈悲深く
敵になった者さえも
心を入れ替えて心服すれば
その罪をお許しになられた。
やらねばならない道義のためには
自分の身体のことを忘れるほどの
名君であられたので
子孫は傍流の末までも
その徳を受け継がせていただいている。
永遠に続くであろう幕府の政の世は
今までのどんな王朝にも殆ど無かった。
天下の政治を、
武家が執り行なうようになって以来
徳川家のように
四方の隅々にいたるまで
言い争うことが少しもなく
しっかりと法を守り
深い愛情あふれる徳ある政治に
心服されるような
めでたい世はなかった
「仁者に敵なし」という
古い時代の偉人の言葉は
もっとも当然のことである。
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