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2010年1月30日 (土)

節分の準備で忙殺

節分の準備に忙殺。
余裕のある計画をしていたのだが
その予想を越える他の用事が続出。
そのために寝る時間を削るしかなく
強烈な睡眠不足が続いている。

それでも、2月3日の節分を
不魔成満するために
今できる最善のことを尽くしたい。

http://www.kokeji.com/2010setsubun.html

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2010年1月24日 (日)

20100122 講演 各務原市川島ライフデザインセンターで

50人ほどの聴衆。
全員60歳以上。

タイトルは「いのち」

最初は自己紹介を兼ねて
どうして環境問題に取り組んでいったのかを
阪神大震災を元に語る。
そこから環境問題に移り
その根本原因が何かを伝えた。

更に突っ込んで、欲望の話をする。

最後は、通仏教の話。
宗派的な話や、布教的な内容は一切排除する。

元々、私の話は布教というよりは
知っていただくことが基本となっているので
法話も講演に近いものばかりなので
どんな宗教の方々が聞いても違和感はないと思う。

ある布教師の方には
それは講演であって布教ではない
と批判を受けたことがあるくらいだから(^^)

特に今回は市役所主催のものなので
かなりそのあたりを気をつけて
通仏教的なお話をさせて頂く。

次回は5月に引き続きということでお願いをされる。
内容は、「死」を予定


20100122amini

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2010年1月19日 (火)

異能を活かせない上司は自ら辞すべき

ある場所で、
ある人を寄ってたかって虐める行為が行われている。
確かに、仕事が出来る人間ではない。
理解も普通とは異なって居り、ミスも犯す。
それでもその人は異能の持ち主であり
決して他者には真似できない力を持っている。
残念ながら、その人の周りのものは
その人の異能が何なのかが見えていない。
だからその異能者を異端者と見て排斥しようとする。
こんな光景は世界中のあちこちで見られるものだろう。
職場だけではなく、教育現場でもママ観る光景。
悲しいばかりである。
そんな異能の者の力を見極めること
本当は年長者たちはそこが大切。
異能の者に普通の作業をさせても無理。
しかし、その人の才能が活かされる場に移ると
誰もがその人に追随できない成果を出す。
異能を排斥するのではなく
その異能を活かすこと
それこそが上司の仕事。
その異能を認められない者は
自ら上司であることを退くべきだと思う。

ハンドボールのコーチをし始めて
特にこの異能ということが見え始めた。

カミさんが異能者だから
特にこれを感じるのかもしれない(^^)

異能者たちの相談所
私がつとめるべき仕事の一つなのかもしれない。

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2010年1月17日 (日)

検察がマスコミにリークして良いのか? 小沢問題に思う

かつて検察審査会の会長をさせていただいた経験から
検察が起訴するのは99%有罪でも
1%の疑問があれば
起訴されないと感じさせられていた。
審査会ではかなり入念にチェックし
不起訴の内容をチェックしなおしている。
だから検察の取調べ内容が
マスコミにリークされるなど
論外であると思っていた。

今回の小沢代議士の秘書や元秘書たちの逮捕劇。
何度か顔を拝見したことがある
人たちであったからかもしれないが
かなり疑問に感じている。
(かみさんが小沢代議士の国会事務所の隣で働いていたので
 何度も小沢さん本人や秘書たちの顔を拝見させていただいていた)

もちろん疑惑を持つような行為をしていたのは事実だから
その点も問題だ。
しかし、検察の取調べ内容がマスコミにリークされるなど
こんなことが民主主義国家でありえて良いのだろうか
と疑念を持たざるをえない。

これが行えれば
検察はこの国をコントロールできてしまう。
検察の恐ろしさを感じる。

検察審査会は現在は不起訴の内容事項のチェック期間だが
もう一方で、
検察や警察のマスコミリークの問題などをチェックする
そうした第三者機関が必要なことを感じさせられる。
権力に対しては必ずチェック機関が必要
そのことを見せつけられている気がした。

小沢問題の白黒よりも
こうした問題の方がかなり重要な気がする。

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2010年1月16日 (土)

御七日御修法成満のお祝い

正月八日から十四日まで
毎年、
京都東寺(教王護国寺:京都駅南の五重塔で有名)の
潅頂院という重要文化財の建物の中で
御七日御修法(ごしちにちみしゅほう)と呼ばれる
真言宗最大の行事が行われている。
もともとは宮中で行われていたもので
鎮護国家(現在では世界平和も含める)を
全真言宗の管長クラスが集まって祈祷する。

今年は我が師匠の
松長有慶高野山真言宗管長金剛峯寺座主が
大阿(大阿闍梨・導師)をされたので
二日目にお見舞いにお伺いし
結願の十四日にお祝いに出かけた。

岐阜は雪の荒れ模様であったが
彦根を超えると晴れ間が広がり
とても清々しいお天気だった。

写真は宮中(宮内庁)からの御使者が先導
Mishuho001


傘にさされている方が師匠
Mishuho003


祝賀会の風景
Mishuho004

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2010年1月 3日 (日)

今年ニ冊目の読書『残された時間』山本良一著

東京大学教授の山本良一博士。
専門は材料科学とエコデザイン。
講演会では、かなり過激な発言をされるが
それほど環境問題は差し迫っている。
それを科学的データを使って説明した本が
『残された時間』

山本教授は
20年後にポイントオブノーリターンが来るという。
つまり地球温暖化はもう止められなくなるまでに
二十年くらいしかないというのだ。

化石燃料によって排出された
二酸化炭素は簡単には消えることはない。
IPCCのデータでは
その20%以上が千年以上大気中に残留するらしい。
ある研究者によると25%は五千年以上
8%は十万年以上も残留するという。

たとえ今すぐに化石燃料を止めたとしても
膨大な量の二酸化炭素が大気中に残留する。

*温暖化が進むと、
 日光の当たらない植物が増え
 二酸化炭素を固定するはずの植物が
 逆に二酸化炭素を排出してしまうようになる。

 簡単に樹木を育てれば良いというものではない。

もうすでに人類は引き金を引いてしまったのだろうか?

核兵器以上の兵器のボタンを押してしまったのだろうか?

私個人は実は環境問題には絶望している。
もう戻れないところまで来ていると確信している。
すでにポイントオブノーリターンを超えたと思っている。
人間はあまりにもエゴイスト。
タイタニックで喩えれば、
既に氷山を避けられないコースに到達してしまった。
しかしだからこそ、環境問題は重要だ。
絶望的とはいえ、それを大きな災害にするのか
小さな災害にするのか、
そこはまだまだ可能性はいろいろある。
だからこそ出来る限り環境問題に取り組む必要があると思う。
そして環境問題に取り組んでいるうちに
その根本原因が人の心であることが見えてくるだろう。

この本を読むと絶望的になるが
まだまだ可能性はいくつも残されていることも見えてくる。
エゴを超えた社会づくり
ここへの挑戦が今始まったのかもしれない。

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初読書 『勝ち続ける力』羽生善治+柳瀬尚紀

今年の初読書は
『勝ち続ける力』羽生善治+柳瀬尚紀 新潮社

将棋の羽生名人と翻訳家の柳瀬氏の対談。
二人の分野は全く異なる。
その異なる分野で最前線を駆け抜けている二人。

将棋と翻訳の世界。
将棋は対局者がいるし
翻訳は他者が読んで初めて成立するもの。
それにも関わらず、相手にしているのは
二人とも自分自身。
二人が対峙しているのは
身体におさまった自分ではなく
その身体さえもおさめた大きな自分なのかもしれない。

読み続けるうちに、
勝ち負けを語っているわけではないことがわかる。
勝ち続けるというタイトルよりも
本が売れる売れないを無視すれば
「真剣である力」
というほうが正しい気がする。

どんなに磨いても頂点ではない。
人間の身体も脳も、刻々と變化している。
その変化は向上もあれば退化もありうる。
そのトータルな變化の中で
その時の自分に最高のパフォーマンスを
し続けている二人の話は面白い。

尾張柳生の剣豪として名高い柳生連也斎、
彼は晩年は三日前の自分をイメージし
それと対峙したという。

羽生名人も柳瀬翻訳家も
二人ともが、その柳生連也斎と同じような思考で
お互いの道を極めている。

その二人のスパークは実に面白い。

自分自身、真剣に生きようとされている方に
その道の最前線を生きるとは何かを知るには最適な書。
お薦めの一冊。

年始早々、とても良い本に巡りあえた。

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2010年1月 2日 (土)

正月早々エゴを見せつけられる


正月二日目。
新宿から妹親子が来ている。
姪っ子たちを連れてイオンに行った。
すごい人出。
カミさんと姪っ子たちを先に降ろして
私は屋上の駐車場へ。
岐阜ナンバー以外の車が目立つ。
そのためか駐車場では逆走する車が多い。
注意を促すと、逆ギレされる。
正月早々悲しい人たち。
駐車スペースに車を入れようとすると
後から来た人が、同乗者を降ろしてその場を確保。
気が弱い(?)私は、なかなか駐車できなかったが
ついにはエレベーターからほど近い場所が空く。
人のエゴをまざまざと見せつけられる。

三回に降りて買い物に付き合い
食事をする。
ここでも座席の奪い合い。
エゴとエゴのぶつかり合い。
カミさんが空いている席を見つけた。
ほど近いところで、
私たちは奪いあうようなことはなかった。

帰宅後、皆でテレビを見ていると
ニュースの中で福袋の奪い合いの様子。
これもまたエゴ。

どうも社会全体が
このエゴを助長しているような気がしてならない。

今年のテーマはこのエゴを超えること。
もちろん私にもエゴはある。
正月早々このようなエゴを見せつけられ
昨年末にはこのエゴをテーマにした
映画「アバター」を観ることができたのも
大いなる意思が私にエゴという問題を
突きつけてきたように思う。

この世からエゴがなくなることはないだろう。
それでもそのエゴを見つめていかねばならない。
環境問題をはじめ多くの社会問題の根底にはエゴがある。
このエゴをどのように昇華するのjか
ここが大きなテーマのようだ。

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