裏切りとは・・・信者の相談後にふと感じる
「**に裏切られた・・・」
その言葉を聞くたびに
その言葉を言われた方にいう言葉がある。
少し厳しい内容だが
「その方が裏切ったのではなく
その方が裏切る人だと分かっていなかったのではないですか?」
ーーーーーー
「・・・してやったのに・・・」
この言葉を聞くたびに
この言葉を口にされた方にいう言葉がある。
少し理解しづらい言葉だが
「してやったと思うのは見返りを求めているからではないですか?
見返りを求めなければ、
してやったではなくさせてもらえた ってなりませんか?」
ーーーーーー
もらう喜びはそのもらった一瞬で消えてしまうことが多い。
そのもらった相手に
逆に見えない負債を抱え込んでしまう気分になることも
往々にして起きている。
また見返りを求めて他者に与えた場合
期待した見返りがない場合は
裏切られたと感じてしまう。
一方、見返りを求めずに他者に何かを与えると
その喜びは得る喜びよりも大きく
その喜びは長続きする。
見返りを求めずに与えることは難しい
だからこそ見返りを求めずに与えることができたときは
嬉しくて嬉しくて仕方がない。
与えることそのものが喜びなのだろう。
おそらく布施というものは
本来はこうしたことではないかと思う。
外面的には他者を潤し
内面的には自分が潤う。
こんな人生を歩みたいものだ。
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