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2009年7月 5日 (日)

自分の適材適所を見つけることから新たな道が始まる

一ヵ月半ぶりの更新です。

最近、身の処し方を考えさせられている。

自分に関して言えば
若手が出てきた故に、
宗団の支所で私の存在が邪魔になる可能性を見出し
かなり強引であったが代議員を辞した。
また各務原高校ハンドボール部のヘッドコーチも
次なる人のために辞そうと努力し始めた。
残念ながらこれは未だできずに居る・・・。
住職はいつまで続けるのかも最近考えさせられている。

周りを見つめてみると
ある伝統芸能の大先生は既に八十半ば。
しかし未だ現役にこだわり続け
後進に道を譲っていない。
しかし高齢化したことによる弊害がかなり生じている。
道を譲ることの大切さを実感している。

他にも道半ば故に
中途半端な状態のままだらだら継続し
自分の道を誤ってしまっている人も数人居る。

声を掛けるか否か
躊躇している。
自分で気づくことが大切だからだ。

私の持論。
自分よりも優れた能力を有し
人間的魅力が溢れる人が出てきたら
その人に道を譲り
自分は次のステップに進むべき。
いつまでも今の自分のポジションにこだわると
次なるものが進めない。
去るときは確かに寂しい。
しかし自分の人間味に魅力があれば
去った後も付き合いは変わることはないし
むいしろご隠居様のほうが自由にものごとが言える。
いつまでもこだわりつつ付けるのは
自分を貶めていくことに他ならない。

政治の世界でも今はこのことが謙虚になっている。
実業界でも同じことが言える。
教育界でも
スポーツの世界でも
この弊害を感じている人は少なくあるまい。

たとえ道半ばであっても
自分をしっかり見つめて
次の道を模索すること
そこにダイナミズムが生まれ
命の躍動を感じる。

岐阜地区ののハンドボールを見ると
ロートルと呼ばれる人たちが
楽しそうにハンドボールをしている姿を見る。
おそらく彼らもそこへ入るときは躊躇ったであろうが
そこに彼らの生きる道を見出している気もする。
彼らの姿は勉強になる。

高校生も三年生たちは引退した。
しかし面白いことに現役時代より余分な力が抜けて
プレーが上手くなってきた。
おそらく高校以上の場所で彼女達は
大きく活躍してくれると思う。

人には適材適所が在る
それを最近強く感じる。

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