一週間前の出来事。
七月二十一日 月例弘法大師の日。
一匹の老犬がお寺に迷い込んできた。
早朝から山門の外でじっと寝ていた。
月例弘法大師に訪れる信者さんたちが
その老犬に声を掛ける。
しかし顔を上げるだけで吼えることはなかった。
夕方になり山門の内側に老犬は移動。
雨をしのぐのに適した場所だったのかもしれない。
器に水を入れて置いておいた。
翌日も同じ場所でじっとしている。
なぜか私の顔を見ると尻尾だけを振っていた。
表情は変わらない。
夜に缶詰のドッグフードを購入。
それを与える。
半分ほど食べた。
ところがかみさんが、食べている最中に
その犬に触ろうとして吼えられてしまった。
その瞬間から老犬は餌を食べなくなった。
翌日も同じ場所でじっとしていた。
水曜日、庫裏の軒先に場所を移していた。
ドッグフードを器に置いておいたらなくなっていた。
どうも毎朝お寺やって来る猫とカラスが食べたらしい。
木曜日、本堂の脇にある水場に移る。
不動明王の石像があり
その横で過ごす。
金曜日、雨を避けるように
本堂横の渡り廊下の出入り口に移動。
もうこの頃には尻尾も振らなくなる。
土曜日はじっとしていた。
お寺に来てから
ほとんど動かない。
人が見ていないあいだに移動をしていた。
日曜日、より本堂に近い場所に移動。
月例不動護摩の日。
信者さんたちに見守られる。
いや信者さんたちを見守っていたのかもしれない。
その夕方、かみさんと覗きにいくも
既に虫の息。
翌朝、本堂の脇で逝去していた。
その顔を実に安らかで
眠るがごとく逝ったようだ。
すぐに長い段ボールに毛布を入れて
そこに包み込んで
葬儀代わりになる祈りをささげる。
人間で行なう葬儀の簡略版。
そして市役所で手続きをして
火葬場に運ぶ。
不思議な老犬だった。
弘法大師の日にあらわれ
不動明王の日に逝った。
お寺に迷い込んだ事情は分からない。
擬人化すれば一週間掛けて山門から本堂へ移動した姿は
まるで仏の手のひらに乗っているかのごとき動きだった。
捨てられたのかもしれない。
もしそうだとすると悲しすぎる。
事情はどうであれ
死の直前に手放すとは・・・
信者さんの一人が悲しそうに言った。
捨てるんだったら飼っちゃいけない。
その言葉とともに涙を流された。
周りの意見からそっとしておくことにした。
最後はお寺の愛犬になっていた。
生きることだけが大切なのではない。
いかに死んでいくかも生の一部。
この老犬によって
改めて認識させられた。
臓器移植法案の採決もあった週。
「いのち」を改めて考えさせてくれた犬だった。
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