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2009年7月30日 (木)

大笑い 自民党の前回のマニフェスト達成は?

以下のニュースを見て大笑いした。

http://www.asahi.com/politics/update/0729/TKY200907290408.html

ついにここまで着たとは・・・・

自民党が前回の選挙のマニフェストを自己評価して
ABCランクでCは一つもなかったと発表した。
だったらなぜ今こんなことに?
なぜ選挙も経ずに三人も総理が交代した?
だったらなぜこんなに民主に風が吹くのか?

やはり自民党には自己浄化能力が
完全に欠如していることが露呈した。

大笑いの後
悲しくなった記事でもあった。

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私塾

幕末時代、多くの志士たちが誕生した。
なぜか?

そこには教育があったように思う。
志士たちはいずれかの私塾で学んだものが多い。
それは公的な教育機関ではない。
その私塾は全人教育が施されていた。

ここに現在の日本が
見つめなおさねばならないものがある気がする。

日本でもっと私塾を開校すべきなのではないだろうか?

いろいろな私塾があっていい。
それはスポーツでも良いし、人文教育でも
道と名のつくものでもあってよい。

教えるものと教えられるものが
お互いに刺激を与えつつ進んでいく場。
それが大切な気がする。

私は寺子屋を開いている。
ここでは教える立場。

一方では月に一度、高野山で
師匠の個人的な勉強会に参加している。
ここでは教えられる場。

この場に居られる自分は
幸せ者だと思っている。

私教育。
もう数年、これに真剣に取り組んで意向と思う。

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2009年7月25日 (土)

政治家に望むものは何かと問われたら?

「政治家に望むものは何かと問われたら?」

来週の寺子屋の課題は選挙。
子供たちに選挙を考えてもらおうと準備を始めた。

最初の質問をどうするのか?

「政治家に何を望む?」

経済・福祉・教育・環境など
政治の問題や山積み。
多義に渡っており
いろいろ考えられる。

この質問を自分に向けてみた。

最初に浮かんだのが
「各個人が自分を生かせる世界で活躍できる社会作り」
これが「抽象度の高い要望事項だった。

技術者が営業に出たり
他人と対応が得意なのに機械相手にしていたり
能力はあるのに出生の問題で場を得られなかったり
逆に出生の問題で自分には不適切な場を与えられたり
そんな不適正社会が蔓延しているように思える。

ここで改めて自分に質問。

「この要望事項は政治に向けるものなのか?」

Not only 政治

宗教界にも教育界にも経済界にも言えること。
もっと大言壮語すれば
私が宗教家になった原因の一つが
これの実現を宗教界から支えたいと思ったこと。

もう一度、
「僧侶になった原点に戻って見つめ直したい。」
今はそう思っている。

各個人が自分を生かせる世界で活躍できる

それを誰もが実現できるように
私なりに工夫をしていこうと改めて決意。

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英語教育の見直し

寺子屋の英語教育を見直し始めた。
いろいろな書籍を見つめ
最新の効果ある教材を探していた。

最終的に残ったのは二人のもの。

苫米地英人氏のものと
大西泰斗氏のもの。

この二つは相互補完をしていて
ないかと便利だ。

前者は脳機能から見た英語の学習。
後者はネイティヴスピーカーの視点での学習。
どちらも現在の学校教育とは
方法論が明らかに違う。

山登りに喩えると
学校も最新の学習法も
英語習得が最終目標の頂上。
学校教育明治以来の学習という規定の道を使う。
しかしこの道はあまりにも過程が長く
生きている間に頂上までつけるかどうかは
大変疑わしい。
よほどの健脚でない限り
頂上には到達不可能。
一方、大西氏のものと苫米地氏のものは
頂上から現在地を見つめているために
一気に頂上に向かうことができる。
途中険しい坂もあるが
それも結局は過去の記憶という障壁が作る坂であって
それを越えると一気に山登りができる道筋のようだ。

寺子屋の生徒に教えつつ
まずは私自身が実践している。
なかなか面白い!

英語教育だけではなく
私自身が直接絡んでいる真言密教にも
随分と応用できる内容。
様々な分野に応用してみたい。

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2009年7月21日 (火)

メッセージカード 金剛鬘菩薩:月例弘法大師

今日は月例弘法大師。
いつものように私もメッセージカードを引いた。
21番 金剛鬘菩薩(こんごうまんぼさつ)
金剛界 内四供養菩薩の一。

メッセージは
「身体を、できる範囲で最高にお洒落してみよう。
 まずは見た目をよくすること。
 そして、言葉のお洒落と、心のお洒落を心がけよう。」

解説には
====    ====    ====    ====
お洒落は何のためにするのか?
自分自身が気持ち良いことはもちろんのこと、
他者を喜ばせるためのもの。

華美過ぎるお洒落は、失笑を買うが、
あなた自身の本質を活かし、
あなた自身を表現するお洒落は、
あなたをも周りをも和ませる。

まったく素のままもあなたそのものであるが、
お洒落したたその姿もまたあなた自身のもの。
あなたを表現しあなたに合った色を身に着けよう。
あなたに合った素材を選ぼう。

まずは見た目を飾り、あなた自身を飾り付け表現することは、
大いなる命への感謝の表現に繋がっていく。
この世に生まれ、この世で生きている
そのことに対する感謝を
あなた自身がお洒落することで見える形に表すのだ。

そして、身体をお洒落にすると同時に言葉をお洒落にして、
言葉で深い感謝を表現しよう。
また心を爽やかにし、お洒落な心を心がけよう。
言葉と心をお洒落にすると、
また身体の飾りつけも一層深みのあるお洒落へとなっていく。

眼に見える形でおしゃれに飾りつけることは、
大きな命への感謝の気持ちの表現をすることだ
====    ====    ====    ====

さてどんなおしゃれをしようか考察中。
最近普段はジャージが多いが
それにもおしゃれが必要かもしれない。

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2009年7月20日 (月)

異能のものに対する評価

燕雀いずくんぞ 鴻鵠の志を知らんや

最近、これを痛感する出来事が周りでいくつかあった。


ある学校の話。
喩えて話してみる。
Aという先生にはBCという生徒が居る。
Cは少しやんちゃなところがある。
Bは一見真面目そう。
当然、先生はBの意見を重視する。
しかし教師としてはこのA先生は失格である。
Bは自分の感情を押し殺し真面目を演じているので
我慢強いという言い方もできるが
反面、いつも顔色を伺い自分の心に嘘を言っていると
言えないこともない。
大人ならば仕方がないが、子供ではいかがだろうか?
BCと実際に接してみると、Cのほうが人間味があり
真実を語っていることが多い。
しかしA先生はBを評価して信じてしまうことが多いために
事実が見えてこず
結果的には全体にとって不利益な選択をすることが少なくない。
それを先日目の当たりにした。


ある事務所でも同じようなことが起きている。
そのものが持つ異能を理解できないがために
過小評価して苛めをする。
ここを見ていると外部告発をしたいほど
パワーハラスメントが日常化している。
表ざたになると大変なことなのに
その周りの者たちも見てみぬどころか
そのパアワハラに追随してしまい
異能の才能を半減させている。


私も寺子屋を主宰し
ハンドボールのコーチをしているので
常にこの異能には気を遣っている。
異能者こそ世界を改革する力を持っていることに
気づかねばなるまい。
歴史はこの異能者によって作られてきた。
私自身も燕雀のみの発想だけではないように
気をつけたいと、最近感じさせられている。

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2009年7月19日 (日)

政治家の妻

先日、ある方とお話をしていて
ある国会議員の奥方の話を伺った。


檀那が東京に居るときは
檀那に代わって支持者の家に挨拶回るに伺っている。
「主人が来れませんので私が代わりに」

普段はほとんど事務所に顔を出さないが
事務所に来れば、秘書たちに
「いつもありがとう。これからもよろしくね」
と声を毎回掛ける。

普段来ない事務所に居て来客があった場合は
その来客の両手を優しく掌で包んで
「よくお越しくださいました」
と笑顔で挨拶する。

他党の議員と出会ったときも、笑顔で
「いつもお世話になっています」
と優しい言葉で挨拶する。

代理で代議士の代わりに会合にも顔を出すが
請われない限り限り決して表舞台に立たない。
表に立てば優しく暖かく挨拶をし、余分なことは言わない。


これぞ代議士の鏡というべき存在だ。
こういう人が居ると表の数字とは異なる別の数字が動く。
選挙のときに予想の数字と異なるのは
こうした表に出ない数字が動くからだ。
いろいろ勉強させられた話であると想う。

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2009年7月13日 (月)

堤杯の対戦相手

各務原高校女子ハンドボール部新チームの
対戦相手が決まる。

岐阜北高校。

インターハイ予選の県大会で一回戦で当たったチーム。
縁があるようです(^^)

それに勝てば、長良高校。
こことは一度やっておきたかったので
ちょうどよい機会。

それに勝てばおそらく飛騨高山でしょう。

どこまでいけるのか
彼女たちの活躍を
心から応援して行こうと思います。

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2009年7月12日 (日)

ファーストガンダムをリアルタイムで観ていたことを思い出す

ガンダム生誕三十周年とか。
夜中に朝までガンダムとして
テレビ放映されていた。
普段テレビを観ないが
こことばかりの夜更かしを三週連続。

思えば高校一年生。
毎週土曜日、部活から帰り
シャワーを浴びた後はテレビの前に座り込み
チャンネル11(名古屋テレビ)を見つめた。

前作、ダイターンスリーは
コミカルな内容ながら社会派ドラマでもあった。
しかしヒーローはスーパーヒーロ路線。
大好きな作品だが
マジンガーゼットなどの延長線上。

機動戦士ガンダムは異なっていた。
ヒーローはどちらかというとお宅系。
決してスーパーヒーローではなく、むしろ等身大。
心のうちをも描き出した秀作。
思わずのめりこんでいた。
周りに面白さを伝えたが
オタッキー系とその当時は思われていたかもしれない。
視聴率もそれほど高くはなかったようだ。

おそらくファーストガンダムを
リアルタイムで喜んで見ていた
数少ない人間の一人だと自負?している(^^;

ニュータイプという宇宙が生み出した人類の変化。
シャリア・ブル、エルメスのララァ、アムロ・レイ
いずれも社会にはあまり適合した存在ではなかったが
新たな躍動を生み出す存在でもあった。
最後にはシャー・セイラ・ミライ・カツ・レツ・キッカも
目覚めていく。
目覚め、仏教に造詣のある富野作品ならではだったと思う。

その後に放映された
伝説巨神イデオンや聖戦士ダンバインなど
生死に関わる内容にも切り込んだ富野監督。
面白い作品群だったと思う。

久しぶりにファーストガンダムを観て
あのころの青き炎がまだ私の中に残っていることを知る。

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2009年7月11日 (土)

オンリーワンだからナンバーワン マイケル・ジャクソンのビデオクリップを観て

マイケル・ジャクソンの特集がテレビで放映。

普段はあまりテレビを観ないが

たまたまスイッチを入れたら、マイケル特集だった。

スリラーやBADなどのビデオ映像をフルで放送。

まるで映画のような作りこみ。

ビデオクリップにはあまり興味のない私だが

そんな音楽素人の私でもひきつけられる作品群。

ダンスの凄さ。全体による表現の豊かさ。

改めてスーパースターを実感。

まさにオンリーワンだからナンバーワン。

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2009年7月10日 (金)

裏切りとは・・・信者の相談後にふと感じる

「**に裏切られた・・・」

その言葉を聞くたびに
その言葉を言われた方にいう言葉がある。
少し厳しい内容だが

「その方が裏切ったのではなく
 その方が裏切る人だと分かっていなかったのではないですか?」

ーーーーーー

「・・・してやったのに・・・」

この言葉を聞くたびに
この言葉を口にされた方にいう言葉がある。
少し理解しづらい言葉だが

「してやったと思うのは見返りを求めているからではないですか?
 見返りを求めなければ、
 してやったではなくさせてもらえた ってなりませんか?」

ーーーーーー

もらう喜びはそのもらった一瞬で消えてしまうことが多い。
そのもらった相手に
逆に見えない負債を抱え込んでしまう気分になることも
往々にして起きている。

また見返りを求めて他者に与えた場合
期待した見返りがない場合は
裏切られたと感じてしまう。

一方、見返りを求めずに他者に何かを与えると
その喜びは得る喜びよりも大きく
その喜びは長続きする。

見返りを求めずに与えることは難しい
だからこそ見返りを求めずに与えることができたときは
嬉しくて嬉しくて仕方がない。
与えることそのものが喜びなのだろう。

おそらく布施というものは
本来はこうしたことではないかと思う。
外面的には他者を潤し
内面的には自分が潤う。

こんな人生を歩みたいものだ。

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2009年7月 9日 (木)

大崎 染谷雄輝 鮮烈デビュー!

高松宮杯 ハンドボールの実業団の選手権
今、名古屋で開かれている。

午前中に事務作業を終えたので
思い立って名古屋へ行く。

大崎電気 対 豊田合成。
ひょっとしたら・・・と想っていたが
お目当ての人が今日デビューした。
染谷雄輝。背番号二番。左サイド。
実は各務原高校のアドヴァイザーコーチの
染谷雄一さんの弟さん。
ともに日本体育大学のキャプテンをつとめられた
凄い兄弟。
そんな縁で、お会いしたことはないが
思い切り応援させていただいた。

前半の終了五分前から出場。
しかし、いきなり二分退場。
審判には危険行為に見えたらしい。
本当は何もせず、ただただ立っていただけ。
初出場でいきなり酷い洗礼を受けられた。
ベンチも抗議されたのだが・・・

それに奮起してか後半は怒涛の攻め。
なんと最初の14分で7得点。
結果的には半分出場で8得点の大活躍。
涙が出るほど嬉しかったし興奮した。
思わずシュートが入るたびに拍手をしてしまった。

ピンチはチャンス。
それを改めて教えてくださった雄輝さんに感謝。


20090709a_3
「20090709a.jpg」をダウンロード

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夜中に面白い出会い

夕方、従兄弟が訪ねてきた。

近いうちに、35年前によく遊んだ従兄弟たちと

食事会をすることになった。


一方、カミさんは朝の6時から出かけて一日名古屋に。

15:00と20:00に電話があったが帰りますコールは・・・・

こちらから電話を掛けたのが23:30 まだ栄に居た。

迎えに車で出かける。

00:15目的地の喜多八に到着。

私までもが、ご主人と女将と話が盛り上がってしまい

結局閉店後の01:30過ぎまでお邪魔した。


伊勢神宮や真名井御前の話で盛り上がる。

そして最後に見たのが驚愕の写真の数々。

新たな動きを感じる。


そして知った。

20年前に高野山を下りた私が

なぜ西宮に行かねばならなかったのかを。

私は手のひらで遊ばされていた。

首輪は繋がったままであった。


そして今もまた手のひらの上で首輪に繋がったまま。

まだやらねばならないことをなしていないようだ。

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2009年7月 8日 (水)

お天道様に笑われる

久しぶりに太陽が顔を覗かせた。
お、これは・・・車を久々に洗える。
で突然あるものが映像に浮かんだ。
10年ほど前に購入していたスチームクリーナー。
しかし、見つからず・・・こういうときに限って・・・
するとまぁ実に単純なところに置いてあった。
というよりも倉庫で放置されていた

すぐさま準備に取り掛かる。
あれぇ?
スチームが出てこない・・・
調べようと蓋を開けると
蓋が飛んで大量の湯気発生。
腕に少しかかるがそこまで高温でなかったので一安心。
どうも水を入れすぎていて
上手く圧力がかからなかったようだ。

しばらくしてやり直し。
よっし!これで上手く扱える・・・。
右サイドの扉を二枚洗ったところで
頭に水???
スチームにしては冷たい。
にわかに曇りだして雨が降り始める。
すると豪雨。

それを見ていたかみさんが
「住職が車を洗うから雨が降ってきた」
と大笑い。

慣れんことをするとお天道様までもが
涙を出して笑ってくれる。

諦めて部屋に戻ると雨は止んだ。

アハハ

まぁスチームクリーナが復帰したことでヨシとしよう。

明日はこの続きを・・・・と思ったが、
お天道様は明日は思い切り汗を流しているそうだ。

このスチームクリーナー、
出番はもう少し後になりそうだ(o^-^o)

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2009年7月 7日 (火)

七夕?祈った人は残念でした もう少しお待ちください。

七夕。

願いを込めて・・・

でも、今夜にお祈りをした人は残念でした。

雨模様だからじゃありませんよ。

実は今日は本当は七夕じゃないからです。

七夕はあくまでも旧暦七月七日。

旧暦じゃないと星の位置が合わないんです。

しかも今の時期は梅雨時で空が見えるわけがない。

七夕に限らずほとんどの行事で

どうも太陽暦のおかげで

日本人の季節感は狂ってしまって

意味のない形式的な行事に堕してしまっているような気がします。


ちなみに今年の七夕は8月26日水曜日です。

この日こそ祈りに適した日です。


七夕の祈りはもう少しお待ちください

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2009年7月 6日 (月)

「いのち」を改めて考えさせてくれた犬

一週間前の出来事。

七月二十一日 月例弘法大師の日。
一匹の老犬がお寺に迷い込んできた。
早朝から山門の外でじっと寝ていた。
月例弘法大師に訪れる信者さんたちが
その老犬に声を掛ける。
しかし顔を上げるだけで吼えることはなかった。

夕方になり山門の内側に老犬は移動。
雨をしのぐのに適した場所だったのかもしれない。
器に水を入れて置いておいた。

翌日も同じ場所でじっとしている。
なぜか私の顔を見ると尻尾だけを振っていた。
表情は変わらない。

夜に缶詰のドッグフードを購入。
それを与える。
半分ほど食べた。
ところがかみさんが、食べている最中に
その犬に触ろうとして吼えられてしまった。
その瞬間から老犬は餌を食べなくなった。
翌日も同じ場所でじっとしていた。

水曜日、庫裏の軒先に場所を移していた。
ドッグフードを器に置いておいたらなくなっていた。
どうも毎朝お寺やって来る猫とカラスが食べたらしい。

木曜日、本堂の脇にある水場に移る。
不動明王の石像があり
その横で過ごす。

金曜日、雨を避けるように
本堂横の渡り廊下の出入り口に移動。
もうこの頃には尻尾も振らなくなる。

土曜日はじっとしていた。
お寺に来てから
ほとんど動かない。
人が見ていないあいだに移動をしていた。

日曜日、より本堂に近い場所に移動。
月例不動護摩の日。
信者さんたちに見守られる。
いや信者さんたちを見守っていたのかもしれない。
その夕方、かみさんと覗きにいくも
既に虫の息。

翌朝、本堂の脇で逝去していた。
その顔を実に安らかで
眠るがごとく逝ったようだ。

すぐに長い段ボールに毛布を入れて
そこに包み込んで
葬儀代わりになる祈りをささげる。
人間で行なう葬儀の簡略版。
そして市役所で手続きをして
火葬場に運ぶ。

不思議な老犬だった。
弘法大師の日にあらわれ
不動明王の日に逝った。

お寺に迷い込んだ事情は分からない。

擬人化すれば一週間掛けて山門から本堂へ移動した姿は
まるで仏の手のひらに乗っているかのごとき動きだった。

捨てられたのかもしれない。
もしそうだとすると悲しすぎる。
事情はどうであれ
死の直前に手放すとは・・・

信者さんの一人が悲しそうに言った。
捨てるんだったら飼っちゃいけない。
その言葉とともに涙を流された。


周りの意見からそっとしておくことにした。
最後はお寺の愛犬になっていた。

生きることだけが大切なのではない。
いかに死んでいくかも生の一部。
この老犬によって
改めて認識させられた。

臓器移植法案の採決もあった週。
「いのち」を改めて考えさせてくれた犬だった。

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2009年7月 5日 (日)

自分の適材適所を見つけることから新たな道が始まる

一ヵ月半ぶりの更新です。

最近、身の処し方を考えさせられている。

自分に関して言えば
若手が出てきた故に、
宗団の支所で私の存在が邪魔になる可能性を見出し
かなり強引であったが代議員を辞した。
また各務原高校ハンドボール部のヘッドコーチも
次なる人のために辞そうと努力し始めた。
残念ながらこれは未だできずに居る・・・。
住職はいつまで続けるのかも最近考えさせられている。

周りを見つめてみると
ある伝統芸能の大先生は既に八十半ば。
しかし未だ現役にこだわり続け
後進に道を譲っていない。
しかし高齢化したことによる弊害がかなり生じている。
道を譲ることの大切さを実感している。

他にも道半ば故に
中途半端な状態のままだらだら継続し
自分の道を誤ってしまっている人も数人居る。

声を掛けるか否か
躊躇している。
自分で気づくことが大切だからだ。

私の持論。
自分よりも優れた能力を有し
人間的魅力が溢れる人が出てきたら
その人に道を譲り
自分は次のステップに進むべき。
いつまでも今の自分のポジションにこだわると
次なるものが進めない。
去るときは確かに寂しい。
しかし自分の人間味に魅力があれば
去った後も付き合いは変わることはないし
むいしろご隠居様のほうが自由にものごとが言える。
いつまでもこだわりつつ付けるのは
自分を貶めていくことに他ならない。

政治の世界でも今はこのことが謙虚になっている。
実業界でも同じことが言える。
教育界でも
スポーツの世界でも
この弊害を感じている人は少なくあるまい。

たとえ道半ばであっても
自分をしっかり見つめて
次の道を模索すること
そこにダイナミズムが生まれ
命の躍動を感じる。

岐阜地区ののハンドボールを見ると
ロートルと呼ばれる人たちが
楽しそうにハンドボールをしている姿を見る。
おそらく彼らもそこへ入るときは躊躇ったであろうが
そこに彼らの生きる道を見出している気もする。
彼らの姿は勉強になる。

高校生も三年生たちは引退した。
しかし面白いことに現役時代より余分な力が抜けて
プレーが上手くなってきた。
おそらく高校以上の場所で彼女達は
大きく活躍してくれると思う。

人には適材適所が在る
それを最近強く感じる。

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