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2009年3月10日 (火)

大叔父の死より学ばされる

西松建設の問題。
私はがっかりした。
小沢氏はなぜ、一時辞任をできなかったのか?
それは権力者が地位を辞めると
凋落することを知っているからだろう。
しかし、私は小沢氏には政治家であって欲しかった。
今の彼は政治屋になってしまっている。
政治家は何をしたいのか
ここが最も大切なこと。

政治家なのか?
政治屋なのか?

自分個人の地位よりも、党全体の利益を。
党利党略よりもこの国の利益を。
この国の利益ばかりでなく世界の利益を。
そんな考えができる人こそが政治家。
逆に自分の保身に邁進するのが政治屋。

案外、日本国民はよく見ている気がする。
今回、いまのままで民主党が政権をとったとしても
おそらく多くの議員にとっては大変なことが起きるように思う。
もっと言うと地方議員が壊滅してしまう危険性もはらんでいる。
そのことに気づいている議員たちは果たして何人いるのだろうか?


これは政治の対極にある宗教家にも言えること。
宗教者なのか?
儀式屋なのか?
宗教屋なのか?

宗教家であった大叔父が亡くなった。
かれは新興宗教の宗教家であったが
経済的な豊かな生活を望まず
衣食住を質素に生き続けた。
そのあり方に私は感じ入った。
そういえば、わが祖父も同じであった。
若くして隠居し
その後はボランティア活動に生きた。
生活は衣食住共に質素。
また亡くなった別の大叔父もまた
実に見事な生き方をされた人であった。
祖父の兄弟は私にとっては、また師である。
彼らによって今の私があるということを
今回の大叔父の死で
改めて感じさせられた。

宗教者であり続ける

これが私の生き方。
そのために歪みもたくさん出るし
行きづらい部分も少なくないが
まっすぐに歩んでいたい。

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