映画『チェ 28歳の革命』を観て
このところキューバがマイファミリーブーム。
一昨年からキューバに少しずつ関わってきて
昨年二月には急遽カミさんが二十日ほどキューバ滞在、
カミさんの親友がキューバ人とのことどもを生み
彼女自身はキューバの本を出版。
しかもチェ・ゲバラの娘と交流し
彼女から巻末の文章を書いてもらったほど。
そして今年もどうもキューバの波が押し寄せている。
私は共産主義が嫌いである。
エンゲルスの著述にはある程度の理解を示せるが
モノに主体を置いた物質主義のマルクスの思想には
着いていけない。
その熱き思いを理解したかったが
彼の『共産党宣言』は全く理解できなかった。
その後も私の共産党嫌いは続いている。
それもあって、カストロやゲバラについては
避けて通ってきた。
しかしあるときゲバラのことに接する機会があった。
図書館で彼の事績を調べ
彼が目指した革命は共産革命ではなく
支配からの自由と責任を持つこと
それが彼の革命であったことを知った。
そして彼が喘息で苦しんでいたことも。
チェの発想は
実は私と非常に近いものであることを知ったとき
逆に私には近親憎悪的な感覚が芽生え
彼から敢えて遠ざけていた。
しかし、カミさんの影響のおかげで
再びゲバラは眼の前にやってきた。
映画の喘息の描写は
喘息をわずらったものにしか分からない
細かなことがしっかり描かれていた。
あの苦しみの中に
彼の革命のエネルギーがあることも
同じ病を有するものとして
良く理解できる。
彼を貫くものは
それこそ人類へのあいであったと改めて感じる。
ただこの映画は
時代背景をある程度知ってから見たほうが面白い。
例を挙げれば
赤狩りのマッカーシーが出てきたが
この映画を観た人がシンボリックなこの人を
理解していたかどうか、
特に現代日本人には分からないのではないだろうか?
今日も軽い喘息の穂ssが出ている私には
映画の中の彼に
あまりにも自己投影をしてしまっていた。
私にも革命への志向がある。
それはもちろん共産革命ではない。
今私は、各務原高校女子ハンドボール部に
革命を引き起こした。
そして、チェと同じように戦線離脱していくものを
見送らねばならない苦しさも味わった。
それは同僚が死んでいく姿にも等しいもの。
それでも最後まで遣り通さねばならない。
そこを貫くものは、やはり愛なのか?
私は大乗仏教徒であるが故に
愛というのではなく
そこにあるのは慈悲喜捨の四無量心
であると断言したい。
このハンドボール部が終了したら
おそらく次のものが待ち受けているのであろう。
ゲバラのように途中で倒れるかもしれないが
それでも私はその途上でも構わないので
その道を歩んで行きたいと
改めて感じさせられた。
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