私には三年から五年の周期で
新しい波がやってくる。
大学院を出た後は、教育であった。
学習塾にすっぽりはまり
まさにその道を一心に進んでいった。
しかし、三年半経ったある日、
師匠に逢えるはずが会えなかった。
ここから歯車が変わり
私は精神的な意味でも肉体的な意味でも
学習塾を辞めねばならなかった。
地元に戻り、お寺のお手伝いをする。
そこからは実践的なお寺の習熟であった。
二年が経ち、高家寺に跡継ぎがいないとのことで
その住職となる。
しばらくはこのお寺の管理人としての仕事が続いた。
基礎的な学習もかなり行なった。
それと平行して環境問題に触れた。
阪神大震災がきっかけだった。
いつのまにかNGOの講師として
年間に五十回を越える講演をするようになっていた。
ところがここでも思わぬことで
このNGOを辞さなければならなくなる。
かなり理不尽なあり方だったのだが
自分の意志とは別に引っ張られた感がある。
次に訪れたのが、司法の問題。
検察審査会の会長にまでなってしまい
それと同時に
高家寺の移転に関する不正に対する裁判も行なう。
弁護士の方々との付き合いも生まれ
司法に関しての学習をさせられる。
結婚をし
かみさんが国会議員の公設秘書となる。
そのおかげで代議士に私までもが可愛がられ
今度は立法府に関して行政府に関して勉強をさせられた。
いつのまにか秘書の秘書的なことを行なうようになり
衆議院会館へも月に数日は顔を出すようになる。
っこでいろいろな方の顔を見たし
委員会をはじめとするさまざまな傍聴も行なった。
時には代理出席もさせていただいた。
その途中から食の問題に関わるようになる。
マドンナのプライベートシェフに出会ったのも
この食の問題の流れ。
しばらく食の問題に集中して行った。
その彼女が元々ハンドボールをしていたことを知り
親近感を得た。
すると今度は寺子屋の生徒が
ハンドボールをしていたことがきっかけとなり
今から一年前からハンドボールに深く関わるようになる。
まさにスポーツを通した教育問題に直面。
そして今がある。
ここに全てに共通したことが見えてきた。
私は全て当事者であるが
どちらかというと監督業に近い形にものが多い。
そしてその場合も
子供のころから一致しているのが
カリスマ的な監督ではなく
他の方々の力を借りて
それをコーディネイトしていくあり方だ。
ここに自分の持ち味を最近感じる。
自分が自分がと前面に出て行くのではなく
選手をはじめとする当事者たちのために
陰になり日向になり最大限の工夫をし
その方々が目指す方向を精一杯応援すること。
ここが私の生きる道のようだ。
やはり教育に繋がっているような気がする。
民間教育。
ハンドボールを通じながら
ここ数年は民間教育にまい進していくつもりだ。
そしてどの道にしても
私の視点では全てが密教そのもの。
密教を生きる
これが自分の道であることを改めて感じる。
気づこう 目覚めよう
自然に生きよう ありのままに生きよう
仲良く進もう 皆と共に進んでいこう
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