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2008年5月 2日 (金)

菩薩様がいっぱいのハンドボールの練習

昨日、女子の三年生のNさんが
最近練習を休みがちだったので
他の人よりも多く走りたいと申し出てきた。
これは嬉しい話。
なにか熱いものを感じさせられた。
目頭に涙が出るほど嬉しかった。

中学のハンドボール部の応援に行くようになって半年。
この間にいろいろな出会いがあった。
そこで知ったこと。
ここに集まる人はみな純心で利害がない。
そのためにみな心優しく、気持ちが良いばかり。
もちろん生徒たちの失策には怒号が飛ぶが
それも生徒たちのことを思ってのこと。

一方、宗教界はどうなのか?
宗教を商売にする宗教屋があまりにも多い。
先祖を人質に取られていたり
旧習を逆手に取られたり
あまりにも悲しい出来事が多すぎる。
もちろん、立派に宗教活動をされている人も少なくない。
師匠のお宅で勉強会をしているメンバーは
まさにしっかりと宗教を学ぶ宗教者の集まり。
また宗教政治の中枢部に居ながら
その泥に染まらず蓮の華を咲かせている人も居る。
そういう方は宗教屋ではなく宗教家に徹している。

そういう自分はどうなのか?
ふと振り返る。

ハンドボールに行きかけた理由は・・・
そこには宗教など無縁に見える。
しかし人が人としてありのままに生きていくことこそ
仏教の本来のありかたであると見ている者には
宗教という枠がない場所にこそ仏教があるように見える。
ハンドボールにかかわっている方々の
多くはまさに純心な方が多い。
そこには慈悲と布施いう仏教の真髄が見出される。
自分の持てるものを子供たちに伝える
まさに慈悲に裏打ちされた布施である。
そこには宗教家は居ないが
仏教を実践する宗教者がたくさん居る。
そこに居るのはまさに菩薩さまたち。

もちろん菩薩様たちだけではない。
子供たちのあり方を無視して
自分の考えを押し付ける指導者も少なくない。
だがそうした指導者は確実に子供たちが離反していく。
その原因は、その指導者の我執のためであろう。

幸い、私が出入りしている桜丘中学は
指導者の方々に我執がない。
本当に子供たちの成長を望まれている。
長森のHコーチも同じ。
目先にとらわれず、
子供たちが大きく育つことを望まれて指導に当たっておられる。
子供たちのハンドボールを上手になることに精進していく姿は
まさに六波羅蜜の実践者に他ならない。
私にとってハンドボールの練習に応援団としていくことは
まさに菩薩の教えを請い、学ぶ場所。
魑魅魍魎たちの居る場所より心地が良いのは当然だろう。

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