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2008年5月12日 (月)

応援団かメンタルアドヴァイザーか

中学ハンドの試合のビデオを少し整理しながら
一部を再確認してみた。
そこで感じたこと。

「あ、このときに選手に声を掛けたい!」

そうした思いばかりだった。

私は僧侶である。
僧侶は一般人と異なる生活をしている。
朝起きる時間も違うし、昼間の生活も全く違う。
経済活動を特別に行っているわけではないし
世間的な常識で動いているわけでもない。
いわゆる世の中で無駄な存在。
自動車のハンドルに遊びがあるように
また人生の中でも遊びがるように
その遊びで、一見無駄な存在が
私たち僧侶であると思っている。
また普段は無駄な存在だが
ピンチのときこそ必要な存在。

そのためか、私の視点は
どうも一般の方々と異なっているらしい。
十数年前の学習塾時代の生徒たちが
何人も関西方面からこの各務原まで訪ねてくるのも
そうした視点のためだと思う。

この視点で見つめていると
試合中に一人ひとりの生徒の動きで
気になることがあまりにも多い。

それは場外から見ているからかもしれないが
最大の原因はこの視点であろう。
特に精神的に不安定な中学生。
その彼ら彼女らのプレーを見ながら
いつもは応援席から大声を出すしかないが
大声ではなんともならないことがある。
そんなとき、

 ベンチに居て、あの生徒に声を掛けたい

という思いに駆られることは少なくない。
今回の春の大会もそうであったし
タクシンカップも市の大会もそうであった。

ただ私は近所のハンド好きなおじさんに過ぎないし
技術的な面や練習方法は
顧問の先生やコーチにお任せしているので
それ以外の精神的な面でのアドヴァイザーと
先生方が居ないときや目の届かないときの
アシスタントを
普段の練習の中で
させていただいている。

また自分の居心地として楽しいのは
応援団席だし
そこで親御さんたちと一緒になって騒いでいたい。
この地域の子供たちが
大活躍する姿がただただ嬉しい。

しかし、子供たちの試合の状況を見ていると
居ても立っても居られなくなる。
おそらく普段の練習の中で、
こまめに生徒たちに声をかけ
話をしているので
子供たちの感情の動きが
手に取るように分かるからであろう。
そんなときに、ベンチに行って、
生徒たちに精神的なアドヴァイスをしたいと強く感じてしまう。

時には、先生の思いが生徒たちに巧く伝わっていない時
逆に生徒たちの思いが先生に巧く伝わっていないときがある。
そうしたときも、普段から先生や生徒と話しをしているので
そのパイプ役をさせて欲しいと強く強く感じる。

単純に外野から応援団をしたいとう熱い思いと
内部に入って精神的なアドヴァイスを施したいという思いが
日替わりに私の中を駆け巡っている。

勝っている試合では私は不要な存在。
そうしたときは単純に応援団で良い。
しかし負けているときこそ
先生にも子供たちにも声を掛け
時局を好転させる特効薬であると
おこがましいが自分では感じている。

一度、時間を作って顧問の先生と話し合ってみたい。
試合のとき私はどうすればよいのかを。
私に何が出来るのかを。

この地域の桜丘中学の生徒のために
私に出来ることを最大限にさせていただきたい。

取り留めない話だが
ビデオを観ながら
改めて強く感じさせられた。

今夜の練習は所用があり早退になりそうだが
昨日の練習からどれほど進歩したかを確かめてみたい。

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