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2008年5月 1日 (木)

義理とは何か

少しややこしいたとえ話。

AさんがBさんの所に出入りをしていた。
Bさんには友人が多数居り
そこでAさんはCさんとDさんと知り合う。
CさんとDさんは、Bさんの知り合いということで
Aさんにも優しく接し、接待を施している。

ところがAさんは、自分が中心という勘違いをして
CさんやDさんに直接、いろいろなことを持ちかける。
CさんもDさんもBさんが知っているものと思い
Aさんの要望にこたえている。
しかしBさんはそんなことを露も知らずにいる。

ある日、CさんからAさんのことをBさんは聞かされる。
BさんはCさんに迷惑を掛けたことをその場で謝る。
そして数日後、今度はDさんからも
Bさんの耳に同じ状況のことが耳に入る。
そしてBさんはDさんに再び謝る。
このことが数件続くとBさんはAさんに不信感を抱くようになる。
ところが逆にAさんはBさんへの不信感を
Bさんの周りに伝えるようになる。

こんな出来事は日常茶飯事に起きている。
この場合、Bさんはあまり怒ることはないが
Bさんの身近に居る人たちがAさんに不信感をますます募らせ
Aさんを拒否するようになってしまう。

私たちは大丈夫だろうか?
こんなことをしていないだろうか?

具体的な例を出そう。
うちのお寺の信者のHさんが、土地の売却を望んで相談をしてきた。
そこで知り合いのK不動産に話を通した。
ただし、このK不動産は、親友のKさんからの紹介であり
KさんとK不動産は不可分の間柄。
そのために私はHさんの物件についてKさんにも報告をしている。
ところがこれが出来ない人が時々居る。
これは事前であっても事後であってもやはり常識ではないだろうか?

紹介をしてくれた人を無視して勝手に行動を起こすのは
その仲介をしている人を軽視しすぎているからだと思う。
これこそが義理人情の世界。
欠いてはならない義理がある。

少しやたこしかったかもしれないが
最近、この手の相談が増えてきている。
逆にこうした筋目を通して
しっかりと進んでいる政治家志望の若者も居る。

ひととしてのあり方をもう一度見つめてみたいものだ。
こうした相談があるたびに、自分を見つめるチャンスを得ている。
こうしたチャンスにも感謝したい。

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