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2008年3月31日 (月)

四日市・桑名へ

朝早くから四日市へ。
中学校のハンドボールのタクシンカップ決勝。
桜丘中学は昨日の予選で男女とも敗退。
結果は
男子は名古屋の「はとり」が優勝。
準優勝は「宮」三位は「春日井西部」
女子は三河の「大塚」が優勝。
準優勝は「高蔵寺」三位は「汐路」
全て愛知勢。

桜丘女子はエース不在で、
正選手が怪我をしているなど
悪条件のなか予選で大塚と当たり、敗戦。
その大塚が優勝したので結果オーライかもしれない。
できれば、高蔵寺とやらせたかった。
まぁこの状態でよく戦ったと思う。

男子は完全に心の準備不足。
普段の練習の効率の悪さが露呈。
完全な敗退。
今日は最後の交流試合は勝ったものの
時間は十五分と限定。
この時間に桜丘男子の落とし穴があることを
忘れてはなるまい。
このチームのすべきこと
かなり沢山見えてきた。

愛知県は強かった。
私の時代も愛知県は
他県と比べると圧倒的に強かった。
東海他県の県大会が
愛知県の地区大会のレヴェル。
そんな感覚が今もある。

素質がそこそこあるのに
ブラッシュアップされないのは
普段からの練習に対する心構えだろう。
正直言って、甘すぎる感じがする。
全国大会レヴェルのチームは
やはりキラリと光るものがある。
特に三重県の朝明の女子は素晴らしかった。
(招待校であり、今回のカップには関係なし。)
果たしてそれをどこまで生徒たちは分かっただろうか?

少なくとも私は今回の試合を通じて得たものが沢山ある。
中学レヴェルのチームが出来ることを随分と見せていただいた。
使えるものが数点ある。
しかも今まで私が温めていて
時代遅れになっているかどうか分からなかった戦法が
今も十分に通じることを知る。

どこでどのように伝えるか、今は思案どころだ。
この土用日曜の練習をどうするかを考えねばなるまい。

この試合の後、
大叔母が住む桑名に行く。
第二の母。
元気な姿を見てホッとする。

帰り道、イオンの眼鏡屋でめがねを修理。
実は先日の練習で壊れていたので・・・。

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学門好きでハンドボール好きな、お節介な田舎坊主

大学院時代に、遣り残した研究がある。
その研究をふと思い出した。
机の前に資料を広げると
あの頃の思いがフツフツとわいてくる。

資料を閉じ
その研究対象そのものよりも
学問をし
それに思いを巡らし
瞑想をし、
そして実践に役立てるときは
心の底から生きている実感を得ることが多い自分を
見つめてみる。

大学院生時代の私は
研究者としては欲深であった。
社会的なことも含めて
あまりにもいろいろなことをしたがったので
何か一つに特定した研究はあまりできなかった。
学者には不向きな性格だった。
実際、今も
政治家のバックアップをしながら政治家と繋がっているし
福祉業界にも
教育業界にも
実業界とも
芸能関係ともいろいろ繋がりを得ている。
私の一つの顔として
環境省登録環境カウンセラーというのもその一つだ。

一方で、世俗的な僧侶のあり方には
生理的な嫌悪感が今でもある。
学問が好きで、今も月に一回の高野山での
師匠のプライベートな勉強会に参加している。
またときおり研究的なことも個人的に行っている。


一般の僧侶から見ると学者であり
学者から見ると世俗的な坊主。
それが今の私。

師は異なっている。
学者から見ても学者だし
管長となった今は僧侶から見ても僧侶。

この輪の大きさが人間的な大きさの差なのかと
時折感じてしまう。

それでも、やはり学問は好きだから
宗教倫理学会などの学術的な学会には
時折顔を出している。
住職として、祈祷もするし供養もする。

人からの評価ではなく
自分ではどう思っているのか
と、信者には伝えている。
自分にあてはめると
「学問好きな田舎坊主」
が今の私の答え。
少しでも師に近い人間であろうとする
自分を知る。

昨日書いたブログ、
自分の輪の小ささを反省すると共に
それでも自分に出来る範囲と
それを超えている範囲を見つめるのも
また大切であると感じる。

ハンドボールが大好きで
学問が好きで、独りで読書し研究し
瞑想をするのが大好きで
一方では社会的なことに対しても興味を持っている
ただのお節介な田舎坊主
こんな自分であり続けることが出来ることに
深く感謝したい。

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2008年3月30日 (日)

至極のひと時

四日市に、カミサンの元の同僚が住んでいる。
彼の家族と共にお食事をした。

美味しいお食事を
気持ちの良い仲間とし
楽しく会話をする。
これはこの世の大いなる楽しみのひとつ。
至極のひと時。

深く感謝したい。

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岐路に立つ自分を見る

あるスポーツチームが二試合連続で負けた。
これはこれで仕方がない。
試合には時の流れがあり
また練習の成果もそのまま出る。
このチームは練習をしていた。
しかし決して効果的な練習をしていたわけではない。
何度も私は口を出そうと思った。
監督さえ口に出さないことを
私が口に出すわけには行かなかった。
彼らの練習法はあまりにも稚拙だった。
またけが人続出でチームプレーの確認を
ほとんどしていなかった。
そしてその結果が試合に出た。
それはそれで学びもある。
結果そのものには悲しみはない。
負けても得るものがあるのならば、それはそれで良い。
しかし、その後の態度が、あまりにも情けなかった。
一ヵ月後、もし順当に行けば決勝で当たるチームの
試合内容をしっかりと見ていなかったのだ。
私はそのチームのビデオを撮った。
ふと横を見ていると
彼らは笑いながらおしゃべりをして
試合をまともに観ていなかった。
本来ならば、今回の結果が悔しくて
一ヵ月後にリベンジをと思い
食い入るように見つめ、
相手の分析をしなくてはならないのに・・・・。
その後も、見てはいたが、
分析をしようとか学ぼうとする姿勢の観戦ではなかった。
呆然としているならばともかく
遠足気分のような雰囲気さえあった。

私の中でプツリという音がした。
「これで終わってしまった。
 今日までだ。
 もう二度と口を出すまい。
 また協力も基本的にはしていきたくはない。
 二人の将来には私も積極的に応援をしていくつもりだが
 もうチームとして応援する気力が萎えてしまった。
 彼らが求めてこない限り、
 私はもう個人的に二人に伝えることしかすまい。 
 いや、次世代のものには伝えていきたいが
 現世代の者たちには求めてこない限り
 もう手出しは一切したくない。」
そんな思いを感じさせられた。
実際は、ここまで切り捨てるかどうかは別だが
そこまでひどい態度であった。
中には私を直接激怒させる態度をした者も居る。
「きさま何様のつもりだ!」
と怒鳴りたくなるような態度だった。

ビデオに関しては
羽ばたこうとしている二人には見せるつもりだ。
監督には手渡すつもりだったが
今はそれさえも逡巡している。

一方、関わっているもう一チーム。
一勝一敗。
最後はよく踏ん張ったと思う。
このチーム状態で
ここまで遣り通したことは褒めてあげたい。
今はこのチームを下支えしたい気持ちで一杯だ。
試合に負けた後も
しっかりと反省し、修正を施していた点は
高く評価できると思う。
ベストメンバーでなくとも、
満身創痍の状態であったにも関わらず
ここまで戦った選手たちには拍手したい。
今回の勝ち負けは大いなる財産になるだろう。

今回のことで私自身も知らされた。
失敗してもいい。
間違ってもいい。
人には誰もが間違いも失敗もある。
しかし、その失敗を糧とするか否かは
その失敗や間違いの直後に
どういう修正を施すかにかかっている。
学校のテストで言うと
テスト直後に手直しをする人間としない人間との差だ。
私自身もここから大いに学ばねばなるまい。

今回のこの思いをブログに書くかどうかも迷った。
やはり正直な気持ちを書いた方が良いと判断した。
結果、私は今後どうするかはまだ分からない。
求めてこられれば手助けをする。
私は彼らが羽ばたく方法を知っている。
しかし、口出しは私のほうからはもうすまい。

二人の若き熱き思いに対しては
とことん協力をするし、助言もする。
彼らは求めている。
手を広げているので
手渡すことが出来る。

しかし、手を開いていない者には
何も渡すことは出来ない。
手を開くまでただ待つことしかできない。
本人たちの自覚とやる気がない限り
結局は空回りするだけだから。

空回りをしていた自分を
今は嘲笑している自分も居る。
一方で、それでも諦めたくないと思っている自分も居る。

私自身も岐路に立たされた思いだ。

まぁ、こんなことに気付かせてくれたことには
深く感謝したい。

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2008年3月29日 (土)

大阪で勉強会

昨日28日は師の勉強会に参加。

御前中、護摩を焚く。
その後、すぐにお寺を出て大阪へ。

祖典輪読会。

この会は本当に面白い。
今回もいろいろ学ばされることがあった。

最初に、U師が『ニューズウィーク』の英語版に掲載された
仏教関連の記事を紹介してくださった。
非常に、仏教に批判的な文章で
こうした見方もあるのだなぁと、改めて認識させられた。

その後、A師による発表。
彼の心遣いにはいつも敬服させられる。

途中、何度か私も私なりのコメントをする。
その一つを紹介すると
「一般仏教は、<お願いします>であり
 真言密教は<ありがとうございます>」
とコメントした。
その後、師がジョークを飛ばされ
和やかな雰囲気であった。

このコメント、冗談ぽく語ったが
実はかなり真剣なものである。

お願いしますとは、英語に直すとwill。
しかし、それには言外で
I have not ・・・ yet
という意味が含まれている。

一方、ありがとうございますは、
言外で
I have already ・・・・
という意味が含まれている。

ここはとてつもなく大きな差。
釈尊も本当は、後者であったのではないかと思う。

この件については
また後日別して書くつもりだ。

終了後、師より食事に誘われたが
急ぎの用があり行けなかった。
残念無念。
また次回に・・・
4月は二度お会いできるので
ありがたいことだ。

感謝感謝。

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2008年3月28日 (金)

収穫:中学ハンドの話

昨日は一日、中学のハンドボールの練習に行った。
場所はSANYO体育館。
朝、八時十五分に集合。
私は八時半に到着。
中学生達の準備がほぼ終了していたので
身体を温めるようにアップを指示。

入念にアップしていた。
今までに無いことだが
先日、長良高校で教えていただいたことを
男子はしっかりと練習メニューに取り入れていた。
これは小さな進歩。

その後、パス練習。
顧問の先生による声出しの指示。
そして
「ハンドボールをしに来ているのか?
 球遊びに来ているのか?」
という叱責。
ピリッとした空気の中
パス練習を再開。

途中、愛知県の東陵中女子が14対6で
全国選抜の二回戦突破をしたことを携帯で知る。
50分の試合を6点で抑えるとは
よほどディフェンスがしっかりしている証拠だ。
また三重県の白子男子が36:12のトリプルスコア。
ここは逆にとてつもない得点力。
こういったチームと、この子達を戦わせたいそう思った。

練習はシュートノックになる。
女子キーパーのMさんがサイドシュートの不振に陥る。
いろいろアドヴァイスをもらううちに分からなくなったらしい。
ここで迷うなと言っても、逆に迷うばかりなので
「練習中は思いっきり考えなさい。 迷ってもいい。
 その代わり試合中は一切忘れて、自然にキーピングすること。
 自信をもって臨めばいい。」
と伝えた。
練習中の迷いは、必ず試合に役立つ。
精一杯頭を使えば、それに疲れて考えることを辞める。
その瞬間に、左の脳が右の脳と連結されて
素晴らしい技へと繋がっていく。
だから、今日は逆に考えろと伝えた。

一方、男子のキーパーは今日は絶好調。
位置取りもいい。
後ろへ倒れこんでしまう悪い癖もあまり出ていない。

シュートノックも、さまざまな状況であったが
ここで一人ひとり書くと煩瑣になるので、割愛する。
皆は気付いていたかどうかは分からないが
かなりの成果があった。

お昼は顧問の先生と出かけ、いろいろな話しをする。
食事を共にすると、また一歩お互いは理解し合え
大きなものをいただいた思いだ。

午後は2:1から速攻練習。
途中、ライバルであるHC岐阜男子が負けた情報が入る。
男子の全国の壁は厚い。

最後はミニゲーム。
審判を久しぶりに行う。
なんと25年ぶり。
ミスジャッジも多く迷惑を掛けた。
ただ私もこれに慣れないと
生徒たちの役に立たないので
今後ももっと研究したい。

連係プレーの収穫はあまり無かったが
個人プレーの収穫は
かなりあったように思う。
あまり言わなかったが
特に男子の逆サイドのH・K君の収穫は
かなりのものだったようだ。
それは技術的にも精神的にも。
本人は気付いていないと思うが・・・・。

練習終了直後、
岐阜代表の中山中学女子が
二点差で負けたことを知る。
最大の因縁のライバルチーム。
逆に言うと、全国で十分に通用することを確認。
次回は必ず全国へ行ってもらいたい。

怪我も多かったが
皆がそれぞれ多くの収穫を得ていた。
今日中にそれをまとめてレポートにしようと思う。

私自身の今日の反省は
困っている生徒たちにもう少し明確に応えること。
そして審判のジャッジの上達。

収穫は
一人ひとりの生徒に声がけをしながら
新三年生については
一人ひとりの上達度を確認取ったこと。

これはハンドボールだけではなく
さまざまな所に通じる。
一斉に対する法話も大切だが
個別に相手に応えていくことも重要。
その両者があってこそ大きな応えとなる。
それを改めて教えてもらえたことは大きい。

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2008年3月27日 (木)

「ウザイ」と戦う

「ウザイ」
今の中学生が最もよく使う言葉。

「うざったい」から派生したもの。
1980年代の突っ張りブームで使われるようになり
1990年代には、かなり広く浸透したという。

今日もある場所で、この言葉を何回か聞いた。
そのたびに悲しくなる。
注意しても結局はその言葉をまた使い
注意したものをまた「ウザイ」と言ってこき下ろす。

しかし、この言葉を使う者そのものが
そんなに立派な人間なのだろうか?
それほど完璧な人間なのだろうか?

ふと気付く。
こうしたことを書くこと自体
実は他者の欠点をあげつらっているということを。
かつてのわたしはそうだった。
人の粗を実によく見つけていた。
しかし、それは実は自分の粗であり
ただ外にそれをぶつけていただけでもあった。

最近、出来る限りその人の持ち味を活かすため
欠点と表裏一体になっている部分を強調するようにしている。
褒め、注意し、褒める
このパターンを出来る限り意識して
語りかけている。

この「ウザイ」という言葉をなくすためには
その正反対の褒め言葉を
出来る限り使うことだと改めて感じた。

良い言葉とは何なのか
人を勇気付け元気付ける言葉とは何なのか
もう一度、しっかりと見つめていたい。

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2008年3月26日 (水)

春の只中

桜が咲き始めた。
各務原では那加の新境川沿いに桜並木がある。
その一本の木が既に七部咲きしていた。
他の木は、まだ蕾なのだが
確実に春の香りがする。

お寺の境内では梅が既に満開。
他の樹木も花を咲かせている。

そういえば、今日、ツバメが戻ってきた。

春の只中に既に居ることを実感。

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2008年3月25日 (火)

天体の話からふと昔を思い出す

寺子屋で、天体の話をする。
ふと思い出したのが小学校の頃。

あの頃は星が好きだった。
プラネタリウムにはよく行ったし
夜になれば空を眺めていた。
星座にロマンを求めていた
恒星については今よりもよく知っていた。

動物も大好きで
百科事典を眺めることがほぼ日課だった。
動物や昆虫の名前は
今思えば
とてつもなく沢山知っていたように思う。

また小学生なのに量子物理学にも興味があり
原子や原子核の構成なども学んでいた。

星や動物など理科だけではない。歴史も好きで
偉人伝をむさぼるように読んでいた。
特に宗教家の話は心動かされていた。

自分たちで野球のチームを作った。
名づけてジュニアゴリラーズ。
結構強いチームで
市内の小学校クラブチームにも負けたことは無かった。
私はキャプテンで、1番セカンド。
この野球チームは野球だけではなく
いろいろなことに挑戦した。
親を動かし、キャンプに行ったり
一晩中掛けて和紙作りに挑戦したり
海外の短波ラジオを拾ったり
面白いグループだった。

何かありとあらゆることに手を出したおかげで
世の中はいっぱい楽しいことに満ちていることを知った。
それが今の私を支えている。

一方、高校に入るまで完全に理系だった私。
もちろん高校でも理系だったのだが
父の出張先のバンコクに行って人生観が変わった。
あまりにも貧しい人々が居た。
こんな人たちが居るとは・・・・。
その上に、豊かな人が胡坐をかいている。
これでよいのか。
ここが私の人生の最大の転機の一つだった。
その後、小学校時代の交通事故の後遺症が出て
高二で部活を断念。
部活はコーチ役に徹した。
これも重なり、人生の楽しさでない部分も知らされた。

星は人の人生を語るという。
私も星占いが好きで
時折、自分の誕生チャートを眺めている。
そこに記されたメッセージは
今まで生きてきた自分の人生と深く重なっている。
人生は面白い。

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2008年3月24日 (月)

聖観音

昨日、法事の際に用いた次第がある。
その中で、表白といわれる部分があり
高家寺の本尊の聖観音に関する内容を読み上げた。
以下のとおり

 夫レ惟レバ聖観自在菩薩トイッパ、
 諸々ノ観音ノ根本総体ニシテ、
 大悲王阿弥陀如来ノ所変ナリ。
 本ヲ尋レバ
 則チ毘盧遮那如来、
 曼荼羅ノ総テヲ統ベル聖王ナリ。
 一切諸法ヲ観察スルコト自在ニシテ、
 衆生ノ苦ヲ救フコトマタ自在ナリ。
 ソノ大悲抜苦ノ砌ニ形ヲ現ズレバ
 則チ阿睨盧枳多ト云フ。
 様々ナル事物ニソノ姿ヲ変化サセ
 娑婆ヲヨク導ク所ノ尊ナリ。
 妙ナル智慧ノ力ヲ以テ眠レル群ヲ導キ、
 巨大ナ妄想ノ夢自ト警シテ、
 無垢ノ光ヲ放ッテ諸ノ暗闇ヲ破ル。
 生死ノ長夜免チニ明ナリ。
 悲願ノ大イナルコト大空ニ同ジ。
 多千億ノ佛ノ所ニシテ発起スレバナリ。
 弘誓ノ深キコト海ノ如シ。
 無量無数ノ際ニモ何ゾ窮メン。
 シカノミナラズ、一時礼拝ノ功徳ハ、
 六十二億恒河沙之菩薩ヲ供スルニ斉シク、
 真言ヲ一度称スル徳ハ、
 八万四千ノ煩悩ノ垢塵ヲ除クコトヲ得。

これは新安(新安祥寺流)の次第を参照にして
手を加えた内容。
まだ完成形にはほぼ遠いが
聖観音菩薩の内容を
よくあらわしたものではないかと思っている。

今回始めて使わせていただいた。
お彼岸最後の締めとなった。
西方極楽教主阿弥陀如来の化身。
まさにお彼岸に相応しかったのではないかと思う。

今後もこれを唱えつつ、
気付いた時点で手直しをして
より良いものを作っていきたい。

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2008年3月23日 (日)

準備の中に一流あり

カミさんが名言を述べた。

準備の中に一流あり

先ほどの、長良高校女子ハンドボール部の
赤堀先生がおっしゃった言葉をカミさんに告げたら
その口から思わず出た言葉らしい。

我がカミサンはシャーマン?

いやカミサン。(^^)

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事前に準備・統御すること。「おしい」で止めず「できるまで」すること

午前中、長良高校でハンド部の練習および練習試合。
女子部の長良高校は県二位の実力。
しかもレギュラーのうち五人までもが初心者とのこと。
これは何かを得るものがあると思い、
私も出来る限り顧問の赤堀先生に引っ付いていた。

まず学ばされたこと。
男子は基本的に一言いって放っておくことが大切だが
女子は懇切丁寧に伝えることが重要。
かなり細かい指示まで赤堀先生は伝えていた。
ただし、その内容は適切でなければならない。
そしてその指示も、単に教えるのではなく
質問を出して、それを生徒たちに答えさせるというもの。
なるほどと唸らせられることが多かった。

また練習試合後の講評では
・ボールを持っていないときの準備が最も重要。
試合中ボールを持っている時間は
20分試合とすると前半で1分程度。
つまり19分は自分が持っていない状態。
そこで相手をいかに支配し
自分に有利な体制に導くかを考えて
普段の練習をすべき。
・練習は「おしい」で止めてはならない。
「できる」まですること。
惜しいは零点、できたは1得点。
この差は大きい。
これは勉強にも繋がること。

この二つの講評は当たり前のこととはいえ
とても大切なことである。
ハンドボールに限ったものではなく
学園生活の中でも
また社会の中でも
もっとも重要なこと。
これを引き出した女子ハンド部は
大いなる宝物を得たと思う。
男子部にもこの話を聞かせたかった。

私自身も、本番前の準備、できるまでする
この二つをいろいろな場面で
心がけておきたいと思う。

長良高校と練習試合を組んでくださった
桜丘ハンド部顧問の馬場先生に感謝。
それを受けてくださった
長良高校の男女の顧問の先生に感謝。
そして、生徒たち全員に感謝したい。
今日はひょっとすると
私が一番収穫させてもらったかもしれない。

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2008年3月22日 (土)

明日はお彼岸最後の日

明日はお彼岸最後の日。
午後から一件、法事があり
それが終了したら、
お彼岸の締めの祈りを捧げようと思っている。
ただ、明日は夕方には雨模様とのことなので
沈む夕陽を見つめて西方極楽浄土を観じることは難しいが
心の中で見るしかなさそうだ。

あ、そういえば昨日の守護尊メッセージで
私は「庚申 青面金剛」が出て
「分かれ道。目を瞑って、太陽の見える方向へ」
とあった。

なんのメッセージなのか?

いくつも実は思い当たることがある。
まさに「二兎を追うもの一兎も得ず」の思いだ。

庚申様、これは本来天台のもので真言のものではない。
天台では比叡山のふもとの日吉神社を鎮守としている。
日吉神社の御神体は猿。
この猿と申と庚申と猿田彦と青面金剛が合わさって
分かれ道に庚申様が祀られるようになったという。
そういえば岐阜の岐も分岐点を意味する。

これに気付いたということは
いよいよ分岐点に立ったのかもしれない。

さきほどカミサンとゆっくり話をした。

今までやっていたことを継続することも大切だが
どこかでけじめをつける必要もある。
そこで今まで行っていたことをいくつもけじめをつけ
ヴァージョンアップを図ろうと思う。

春分は、冬から春の分かれ道。
ここから昼間の方が長くなる。

今、まさに岐路に立たされた。

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ハンドボール日本リーグプレーオフ決勝をCBCで観る

今、CBCテレビで大同特殊鋼対湧永製薬の
日本リーグプレーオフ決勝を見た。
ビデオにも収めたが
とにかく凄い内容。
やはりハンドボールは面白い。
追いつ追われつ
結果的には第二延長の末のPT戦。
内容的にも壮絶。
これほど退場者を出した試合を
あまり見たことがない。
レッドカードが二人も出た。
それほど両チームがアグレッシブだったのだろう。

ビデオを観てもう一度チェックしてみようと思う。

時間が時間なので
今から睡眠をとることにする。

両チーム共に、感動を与えてくれた。
深く感謝。

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2008年3月21日 (金)

明日は何の日? 自灯明 法灯明

高家寺では、本日
春の彼岸法会・月例弘法大師・正御影供が開かれた。

意外と知られていないのが明日が何の日なのか?
特別な日。

3月22日・・・・これをwikipediaで見てみると
http://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8822%E6%97%A5
これと言った特別な日ではない。

実は旧暦で見てみると明日は2月15日。満月。

実はこの第二の月の満月の日に、
お釈迦様が涅槃に赴かれたと言われている。
そこから中国では涅槃会といわれる法要が始まり
日本でもそれを受け継いだ。
つまり簡単に言うとお釈迦様の法事を行う日。
涅槃図を掲げる。

高家寺では特別な法要を行うことはないが
私が独りで本堂にて、
釈迦の一尊法を修し
法楽の読経を捧げる予定だ。

釈尊がなくなる寸前の描写をしたのが『涅槃経』。
上座部の南伝と大乗の北伝がある。

現代語訳としては、中村始博士による
『ブッダ最後の旅 大パリニッバ-ナ経』がある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003332512/prpmenade-22
岩波文庫から出ている。
私はこの本が単純に好きだ。
釈尊が亡くなる寸前にどんな思いをされていたのか
その温かさを、やわらかく感じる。
素晴らしい文学小説の題材になりうる素晴らしいもの。
珠玉の心優しい内容のもの。
釈尊ファンはこの物語から増えたような気もする。

日本では北伝が強かったために
「自灯明 法灯明」という言葉が先行してしまった。
自らを灯火とし、法を灯火として生きていきなさい
そんな意味だ。

しかし、パーリ語では
自らを寄り島にし、法を寄り島にしなさい
とされている。
もっと言えば、
自分自身の良心にしたがって素直でありなさい
この世の中をありのままに行きなさい
そんな意味だろう。

今日の夜から明後日にかけて
この『ブッダ最後の旅 大パリニッバ-ナ経』を
読み直してみようと思う。

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2008年3月20日 (木)

スコアブックをつけてもらった

さて、今日の中学ハンド部の練習試合。
スコアを見つめなおしてみると、
面白いことが分かった。
特に女子に顕著。
一試合一試合、問題点が修正され、
良い試合になっていたことがスコアにも顕れていた。

今日は初めて詳細なスコアをつけてもらった。
そこでわかったことがいくつもある。
今日のスコアは試し運転なので
記録として残しておくだけだが
公式戦であるタクシンカップのスコアに関しては
別して機会を設けて
講義をしてみたいと思っている。
それをすることで一人ひとりが
自分と他の記録を見つめて
一試合一試合、よりはっきりと修正できるようになるからだ。

今日の試合の例で行くと
最後のSo中学との試合は顕著。
最初の10分はエースを完全に止めていた。
しかし、最後の五分間。
桜丘中学にとっては魔の五分間。
ここで今回も相手のエースに3点入れられてしまった。
この流れからすると
25分あったとしても、最初の20分は止められたと思うが
最後の五分間でエースに三点は入れられたように思う。
決して五点も入れられたような内容ではない。
スコアがそれを物語っていた。

男子に関しても
スコアを見ると、午後からの試合は
一人ひとりの選手が自分を把握し始めていたことが分かる。
誰がどこに居るときに一番強いか
新ためて数的に実感させられた。
  数的ではないが、何よりも最後の反省で
  一人ひとりが自分の収穫を明確に答えていた点は
  今までにない向上点だと感じる。
  これは精神的に未熟だった生徒たちが
  ここ数ヶ月で伸びてきていることを感じさせられた
  嬉しい出来事だった。

見た印象のコメントももちろん大切だし
具体的なシーンも大切だが
試合全体を数的に把握することも重要である。
今回、それを改めて思い知らされた。

さて、また新たな仕掛けをしていこうと思う。
仕掛けは10個中、ツボにはまるのは1,2個だろうが
私も諦めないで、工夫を凝らしていきたい。

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一日かかった練習試合

今日は中学ハンドボール部の練習試合を一日行った。

カミサンをラジオ局に送った後に出かけたために
かなり早い時間に体育館に着いた。
変にみなにプレッシャーを与えてしまうので
本当はもう少し遅く着きたかったのだが・・・。

ちょうど、一年生だけが先に来ていたので
「得点番やゴール間近の球拾いなどを
 自分たちで積極的に行うように」
と伝える。

その後、続々と人がやってきて
体育館の中に入る。

ところがどうもしっくり来ない。
何がだろう。
人の感情の波をまともに感じてしまった。
お節介しすぎで
少し前のめりになっている自分のせいだろうか?
とはいえ、私は私であり
自分が好きでやっているのだから
いまさら方針を変えられないので
改めてこのままやっていこうと決意。

さて、私は二十年以上教育業界に携わってきた。
そのために子供たちの扱いには多少慣れている。

特に中学生に関しては
性別による指導の違いが必要だ。
男子は拡散、女子は収縮をイメージ。

男子はどちらかというと
がちがちに固めた指導法ではなく
のびのびと本人たちの自由意志を
出来る限り尊重するほうが良い。
むしろ放任主義的なほうが良く伸びていく。

一方、女子は出来る限り懇切丁寧に
本人たちが納得するように
内容を伝えていく方が、力をつけていく。

全ての子供に当てはまるわけではないが
おおよそ、このあたりを意識した方が
子供たちは大きく育っていくようだ。

今日は、午前中の男子はあまりにもひどかった。
そこで、男子の副キャプテンに
「女子のコーチに一人ひとりを見てもらったので
 時間が出来たら、内容を確認取るように」
と一言だけ声がけをした。
すると昼休みに早速、女子のコーチを捕まえて
技術を学んでいった。
しかも顧問の先生の話を、それと上手に組み合わせて
午後からはかなりのスキルアップができたようだった。

女子に関しては
コーチが試合ごとに丁寧に指導をされていた。
午後からは顧問の先生が居ないときは
出来る限り先生の意見を私がもらってきて
それを子供たちに伝えるようにした。
そこには私の持っている理論を一切はさまず
ただただ伝えることのみに徹した。
ある意味、女子の今日は
出来上がりつつある形を確認して見に修めて行く
練習試合であったように思う。
かなりの成果が出ていると私は感じた。

そして今回の私の彼ら彼女たちへのプレゼントが
スコアブックのつけ方。
シュートコースやシュートを放つ位置などが分かるような
スコアブックをつけるように
一部の生徒に伝えた。
まだまだ慣れていないようだが
必ず役立つはずだ。
さすがに両キャプテンは
目ざとくをそれを感じたようだ。
男子のキャプテンなどは
「おしょうさん、新一年生が入ってきたら
 これをつけさせてもいいですか?」
そう、このスコアブックを一年生がつけることで
ルールも覚え
試合の流れも知っていくという副次効果もある。

だらだらの文章を書いてしまった。
だんだん何を言いたいのかぼけてきてしまったので
一人ひとりのコメントは
別に書き込もうとおもう。

男女共に、良き勉強になった一日だと思う。

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カミサンがローカルエフエムにゲスト出演

お彼岸のお中日。
朝の五時二十分にお寺を出る。
カミサンが、朝の六時の犬山市のローカルFMに
ゲスト出演をするため
送って行った。
そして、私も七時までゲスト出演させていただいた。
二月に始まったその番組の第一回に
私は親友のW師と友にゲスト出演している。

私はお彼岸のお話を少し。
その後、所用があり抜け出した。
カミサンは、キューバの話をして
盛り上がったようだ。

明日は、お寺でも彼岸法要。
今から明日の準備に取り掛かる予定。

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2008年3月19日 (水)

流れは変化する 変化こそ「いのち」

お彼岸。

太陽が真東から昇り、真西に沈むとき。

お昼と夜の長さが均等になることから
中道と結び付けられることもある。

また東は薬師如来の瑠璃光浄土
西は阿弥陀如来の極楽浄土と結び付けられ
先祖供養と関連付けられたりもする。

いのちとは何か?

一般には生物学的な生命を言うようだが
日本人は伝統的に
生物学的なもの以外にも「いのち」を認めてきた。
物にも出来事にも、体相用すべてに
「いのち」を感じ取ってきた。

私は「いのち」は流れであり
変化であると思っている。
この世の中に固定されたものなど何もない。
その「いのち」を見つめ
深く感謝するときがお彼岸だと思っている。

今日は、午前中は檀家さんのご実家に行き
お墓でお祈り。
傘をさしながら
古いお墓を見つめる。

家系的に早死にが多く
ご本人も気にしておられた。

実は私の母の実家も三代前までは
四十七歳の若さで多くの方が亡くなっていたという。
ところが、二代前、つまり私の曽祖父が九十過ぎまで長生きをし
一代前の私の祖父の兄弟姉妹は
ほとんどが90代まで生きている。
このように流れというのは突然に変化する。
曽祖父母はともに信心深い人たちだったらしい。
また祖父の兄弟姉妹も神様(尾張一宮)を
とても大切にしてきた。
そして何よりも皆、楽天家であった。

この話を檀家さんに伝えた。

家系的な流れはないとは言いがたい。
しかし、それも一人の人の意志で変化するし
心の持ちようで変化する。
固定されたものなどない。
悪い流れも、突然良い流れに変化する。
変化こそ大いなる躍動。
大いなるいのち。

そのことを思い出させてくれた
今年の春のお彼岸である。

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2008年3月18日 (火)

チベット動乱 ダライラマが引退を仄めかす

チベット騒乱。
遂にダライラマが引退を仄めかし始めた。
http://www.asahi.com/international/update/0318/TKY200803180353.html

あまりにも多くのものを背負われている彼の気持ちを
100%理解しているとは言いがたいが
僧侶として、平和裏に物事を進めたいという気持ちは
痛いほどよく分かる。

中国のあり方には問題がある。
中国の指導者も過去からの負の遺産を背負っている。
それはチベットばかりでなく台湾問題も同じ。
ただその負の遺産を承知の上で
指導者となった人たちだからこそ
高度な政治判断は必要だ。
今世界中がそれを中国政府首脳部に求めている。
過去の遺産に振り回されるのではなく
新たな時代を切り開く政治判断をしてもらいたい。
時代は動いている。

そしてチベット人も
ダライラマが目指す、
未来のチベットのあり方を見つめて欲しい。
チベット自治区には
既に多くの漢民族が入植してしまっている。
そしてその人たちの子供にとって
チベットは既に故郷であり家になっている。
その人たちを追い出すこともまた問題ありではないのか。

現状を見つめ、過去をお互いに非難しあうばかりでなく
お互いにとって新たな関係が気付けるように進んで欲しい。
共存共栄は可能なはずだ。
決して自分の主張ばかり押し付けるのではなく
まさにダライラマが言う高度な自治、ここは落とし所として
そして政治判断としてすばらしいものではないかと感じる。

ダライラマが引退宣言を仄めかしはじめた。
ダライラマが指名したパンチェンラマは、
子供の頃に行方不明になっており
おそらく、既に命はないだろう。
ゲルック派が主要人事を占めてきたチベット仏教も
大きく変革をするときが来ているのかもしれない。

相手に変われといっても変わるものではない。
自分さえも変わりにくいのは
個人も国家も同じだ。
この平和ボケ国日本でさえ、なかなか変化できないで居る。
しかし、自分自身は自分の意志さえあれば少しは変化できる。
だからこそ、相手に変化を要求するばかりではなく
自分の変化を示していく必要があると思う。

今回のチベット暴動は
チベットや中国問題だけではない。
私たち一人ひとりの個人の問題と無関係ではない。
むしろ現代人に突きつけられる
個人の問題とも繋がっており
そして自分の住む国の問題であることも
心に置いておかねばならないと感じる。

ダライ・ラマが僧侶として
心穏やかにチベット人を指導していく日を
心から望む。

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チベット騒乱の気になるニュース

チベット騒乱のニュースが日ごとに入ってくる。
中で最も気になるのがYOMIURIのニュース。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080317-OYT1T00487.htm

有力なチベット人亡命者が
中国政府と対話路線を進めているダライラマをも
批判し始めたことだ。

ダライ・ラマは僧侶。あくまでも僧侶。
だからこそ暴力ではなく、対話を望み
独立が本意であっても
すでに入植してしまった漢民族を慮って
高度な自治を提唱してきた。

しかし中国政府は代が変わろうとも
チベット問題には頑迷だ。
これは鉱山物質など、さまざまな要因がある。

これに業を煮やした
チベット人民間活動団体(NGO)の代表者が
ダライ・ラマの政策そのものにまで批判をし始めた。
「修正が望ましい」

もうダライラマの鶴の一声では
チベット人たちも言うことを効かなくなっている。
祖国を追われ、
祖国以外で誕生したものが圧倒的な多数になりつつある。
祖国に残っても、民族の誇りを踏みにじられ
他民族により支配されてしまった人たちが
圧倒的な多数になった。

ダライ・ラマ14世。
さぞかし心を痛めているであろう。
逃げ出したくなる立場だが逃げ出すことも許されない。
彼の心をチベット人たちにも分かって欲しい。

しかし、チベット問題は、もう絡み合って解けなくなった糸。
これを解こうとするには
中国政府の瓦解以外は出来そうもない。
だからこそ、この五輪(オリンピック)に絡めて
政治問題を起こしてきた人たちの気持ちも
分からないではない。
かつてモスクワオリンピックも政治問題で
ボイコットされてしまった。

人権問題に敏感な欧州では
既に中国政府に対する抗議運動が
盛んになっているという。

さて、日本は立場が難しい。
隣に居るということだけで
あからさまな批判が出来ない。
また日本の産業が深く中国と結びつきすぎてしまっている。
餃子問題も
実はこのチベット暴動と別問題ではないように思う。

中国の首脳陣も
この過去からの負の遺産を
すでに手放すことが出来なくなってしまっており
また眠れない夜が続くのか?

私に今出来ることは
この問題をお寺の法要の際にお話しをし
参加されている方々に考えていただくこと。
二十一日に月例弘法兼お彼岸法会を開くので
そこで参加された方々と考えてみたい。

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2008年3月17日 (月)

チベット暴動 暴力では根本解決にはならない

チベット暴動。

今からに十数年前のもあった。
一回目は、そのおかげで私のチベット渡航が中止になった。
学生時代にちべと関連の研究をしていた。
ある日中国政府の文物管理委員会の方と知り合い
そのおかげで行くつもりになっていたのだが・・・。

そして二回目の暴動の際は、
今は鹿沼のあるお寺の住職をしている親友が行っていた。
心配をしたが無事に戻ってきた。

今も覚えているのは
パンチェンラマが亡くなった時のこと。
大きな火種が一つ生まれたと
私は言っていたのだが
その当時、それを理解してくれる人は
高野山では我が師匠くらいだった。
そして結果、本来のパンチェンラマは中国政府によって
家族ごと誘拐され
今はどうなっているのか分からない。

今回の暴動。
北京オリンピックもあり
かなり政治的な陰謀を感じる。
それは誰が仕掛けたのかはわからないが
少なくともダライラマ14世ではないと思う。
今の彼は一僧侶であろうとしている。
政治から身を引き
純粋に僧侶たらんとしている。
ノーベル賞を取ってからの彼は大きく変貌した。
それまでの彼は自分の宗派のゲルックに忠実であり
他者を認めないことが多くあった。
しかし今は、他の宗教さえも認め
まずは自分に縁のあった宗教を信じなさいと勧めている。
本当の意味で、密教を信望されているように思う。
中国政府とも、折衷案を上手に考えていたようだ。
しかし、中国政府はダライラマを敵視した。
また中国を嫌う連中はダライラマを政治的に利用してきた。
その二つの勢力の対立が
今回のチベット暴動の底にある。

もちろん、中国の共産党政府が
かつてチベットを侵略したことには違いない。
歴史的にも民族的にも、チベットは独立国家であり
漢民族国家とは一定の距離を保っていた。
その侵略を侵略と認めない頑なな態度。
これは、日本に対する中国の態度と関係している。

日本を侵略国家と非難してきた中国政府。
しかし、自分たちもまた侵略国家であった。
いじめっ子がいじめられっこであり
いじめられっこがいじめっ子である
昨今の世相と合い通じる。
政府も個人も、まだまだこの時代において
成熟していないのかもしれない。

中国もチベットも、そして日本も
もっと良い意味で大人として
生きていかねばならない気がする。

暴力では心の底からは解決されえないこと
どこの国もまた、もっと知る必要がある。

人間の未成熟さ
やはり私たち宗教者の責任だと痛切に感じる。

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新聞のチラシ関連で配送センターへ行く

午前中、星の声新聞折込で、
那加北部の新聞販売店に行くと、断られてしまう。
「配送センターを通して欲しい」
と。
直接受けてくださるところもあるのに・・・。
「配送センターは遠いので」
と言ったが、無理であった。
そこで、配送センターに向かう。

結果的に行って良かった。
丁寧にいろいろなことを教えてくださり
対応も実に良かった。
今後の計画も立て直す必要を感じる。
教えてくださった、山本新聞店に感謝。

ちなみに、今回の寺報『星の声』は
http://www.kokeji.com/pdf/20080321b.pdf

その後、父の用事で一宮に行く。
途中、何度か若い仲間のSOS電話を受ける。

午後から、相談事と事務作業。

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2008年3月16日 (日)

ハンドボール日本リーグ決勝は凄い試合だったようだ

ハンドボール日本リーグ男子決勝が今日、行われたようだ。
さきほどランニングスコアを見た。

このゲームのランニングスコアは
http://www.jhl.handball.jp/jhl32/pdf/321M75.pdf
で見ることができる。

凄い試合だったようだ。
そのランニングスコアによるとおよそ以下の通り。

前半 大同14-15湧永
後半 大同12-11湧永
合計 大同26-26湧永

終了八分前、湧永が25対22とリード。
終了五分前、大同の白がペナルティを決め2点差。
終了四分前、大同の白が決め1点差。
終了三分前、大同の地引が決め同点。
その直後、湧永の武藤が決め、再び湧永リード

湧永がはこの日ここまで、
大同の得点源の末松を二点に抑えていたが
終了間際二分前に末松が決めて同点。

そして延長。
第一延長前半
大同2ー1湧永
第一延長後半
大同2-3湧永
第一延長合計
大同4-4湧永
これでも決まらず。

第二延長に。
第二延長前半は末松が活躍し
大同2-1湧永
第二延長後半
大同2-3湧永
終了間際1分前に、大同の岸川が決め同点に。

そしてPT戦。
全日本の代表坪根GKのいる湧永が有利と思われた。

  大同     vs 湧永
1 白   OK     OK山中
2 末松OK  No古家
3 浦田OK  OK渡辺
4 岸川OK  OK東
5 地引OK

結果的には
GK大同の荻田のときに
湧永キャプテンで、
この日10得点と大活躍の古谷が外して
大同の優勝が決定。

近年まれに見る好ゲームであったようだ。

最高殊勲は大同の白で14得点。

地上波ではCBCテレビでこの試合を放映するようだ。
21日の25時半(22日の01:30)より。
見逃せない。

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お寺で行われる結婚式の打ち合わせ

今、目の前で友人の結婚式の打ち合わせが行われている。
本堂で行う予定。
私はチャチャを入れ、冗談ばかり話している。

軽やかに軽やかに、そんな結婚式であって欲しい。

ちなみに式はビデオに撮ってYOUTUBEで公開予定。
今から楽しみだ。

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2008年3月15日 (土)

壮行会

桜丘中学女子ハンドボールチームの生徒の親御さんが
単身赴任をする事になり
その壮行会を女子部の親御さんと、させていただいた。
少し反省は、私の判断ミスで予
算を大幅にオーバーしてしまったこと。
あれほど高額になったことは一度もなかったので
ショックを受ける。
私自身がメニューを選べばよかった・・・・。
鍋物をもう少し増やした方がよかったかも。
皆さんに申しわけなかった。

それでも、皆が楽しんでお話をして
良い会だったのではないかと思う。
学生ハンドボールの話だけで
3時間以上も話が続くのだから
これは凄い情熱だ。
子供たちもこういう親をもてて幸せではないだろうか?
ここまで部活に力を入れてくれる
親御さんたちは珍しい。

生徒たちが、
この親御さんたちの期待に応えてくれるよう
私もできる限りのことをしたい。

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早朝から練習

昨夜、中学ハンドボール部の練習が
今朝の早朝6時半からになったことを知る。

え?ホントに朝なの?

確認をすると本当であった。
顧問もコーチも本気になっている。

応援団のハンドボーズ(?)も出向くことにした。

朝、6時過ぎに到着。
あれ?門が開いていない・・・。
いったん戻って、スーパーでチョコレートGABAを購入。
朝の目覚めに、糖分補給。

それから6時20分に再び中学へ。
今度は生徒たちも何人か来ていた。
でも一年生数人だ。
大丈夫なのだろうか?

コーチも私の直後に到着。

顧問の先生が体育館を開けてくださり
準備を開始。
お父さん方も顧問もコーチも準備を手伝う。
これは信じられない光景。
私が生徒だったら
顧問やコーチやお父さん方には決して手伝わせはしない。
誰のための準備なのか?
まだ理解していない生徒も居る。
これは後日、伝えていかねばならないことだろう。

徐々に人が集まり
男子は全員集合。
女子は二年生全員、一年生は一部。

自由参加ということだが
コーチや顧問よりも遅く来たことに対して
ほとんどの生徒が自覚無しだった。
あまりこんなことを早朝から叱っても意味がないので
次回同じことをした場合は、雷を落とそうと思う。
それでも、二年は全員参加していたし男子は全員
一年もやる気のある生徒もいたことに
喜ばねばならないのかもしれない。

体育館の練習の後、グランドで。
やはり中学生。
まだまだ精神的に未熟。
それが練習に現れていた。
コーチも顧問も居なかったので
女子には今日はお説教!
(でも言いたいことの十分の一以下なのだが)
男子はけが人が多かったこともあり
早めに切り上げていった。
本当は思い切り言いたいことがあったのだが・・・
女子の練習試合の審判をしていたので
何も言えず、残念。

ただこんな未熟な生徒たちだからこそ
成熟した後がどうなるのかワクワクする。
練習後、生徒たちといろいろ個別に話をする。
皆、良い子達ばかり。
この子達の成長は、心からの楽しみだ。
夏の大会に向けてどれだけ成長していくのか
見守って行きたい。

昼からお寺の事務とご供養。
また般若心経秘鍵大師を奉納してくださった
Mさんご一家の来訪もあった。

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2008年3月14日 (金)

好きなこと 大いなるいのちから預かった大切なもの

何をしているときが楽しい?

これを見つめると自分自身がいろいろ見えてくる。

・本堂で仏像を前に大いなるいのちと相対しているとき。
 大いなるいのちの鼓動に自分が合うと
 大きなエネルギーに満たされる。
 この感覚は何よりもに勝る。
 これを知ると動かざるを得なくなる。
・読書をしているとき。
 これは私にとっては瞑想と同じ。
 スポーツに熱中している瞬間と同じ物がある。
 読書とは人にものを考えてもらうことだと
 ショーペンハウエルは『読書について』で
 述べているが
 そのことを理解したうえでの読書は楽しい。
 読書は知識を得る場である以上に
 知恵を磨く場であるから。
・ネットサーフィンで、面白いブログを読んでいるとき。
 最近、読書以上に、面白い。
 特にシリコンバレー関連は、時代の最先端のために
 新たなエネルギーを得る。
・自己表現の文章を書いているとき。
 このブログもその一つ。
・寺子屋のこともたちや、お寺の信者さんたちに
 行事や話をすることによって
 その方々が、さまざまなことに気付いてくださったとき。
 これがあるからお坊さんは辞められない。
 他者の気付きは自分の気付きでもあるからだ。
 目覚め気付いて、この世をありのままに、皆と共に。

上記のように、真言僧として、形にとらわれず
古人の跡を求めず、古人の求むところを求む
という考えで動いているときが
もっとも楽しいとき。

それと今は中学校のハンドボールに関わっていることが
実に楽しい。
自分がプレーするのではなく
子供たちが日に日に成長していく姿が
たまらなく楽しい。
たまたま私は学生時代にハンドボールに関わっていた。
そしてトラウーマまで作ってしまっていた。
それを解消してくれた今の桜丘中の
ハンド部の中学生たちには深く感謝している。

そういえば、スポコンアニメが絶頂のとき
その選手たちを外野から応援していた大人が居た。
子供の頃、そんな大人に憧れを持っていた。
私はいつの間にかそんな大人になっていた。

これからも、桜丘中学のハンドボール部の
ハンドボーズであり続けたいと思っている。
HandbozuHandbozu2_2 
好きなこと
これも大いなるいのちから
預かった
大切なものだと
今は深く感じる。

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『パラダス鎖国』

『パラダス鎖国』について。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756151337/prpmenade-22

著者は海部美知。
本人は謙遜して子育て中の主婦と自己紹介している。
しかし、一橋大学卒業後、ホンダで初めての女子総合職として入社。
その後はスタンフォード大学でMBAを取得し
シリコンバレーに在住しながら、
携帯事業に携わっている猛者でもある。

この本は内容は深い。

一見すると、日本は住みやすい状態になっているが
そのために鎖国状態になっている部分が少なくない
という内容が鏤められている。
彼女はそれを「パラダイス鎖国」と呼ぶ。

その負の部分を政府が安直に手を出すことには反対し
まずこのパラダイス鎖国状態を知る必要を説く。
このままで良い筈がない。
かといって劇的なドラスティックな変革をも
彼女は賛成していない。
江戸時代末期の黒船に喩えて
改革者を異端視し排除するのではなく
それらを受け入れ
緩やかな開国へと導くことを
彼女は提言する。
新たな道を軽やかに進めることを勧めている。

正直言って、この本の文体は私はあまり得意ではない。
すこし硬い印象を受ける。
時折、止まってしまう自分が居た。
読んでいる最中は結構苦痛であったが
後には、その止まってしまうことが
ゆっくりと考える時間を与えてくれたことを知る。

この本は現状認識の書であると同時に
次なる世界をどのように生み出していくかの提言書でもある。
著者は、問題の根深さを認識しているが
シリコンバレーから
祖国日本への応援歌を紡いでいるように感じた。

お勧めの一書だ。

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2008年3月13日 (木)

ハンドボーズのつぶやき 20080313

ハンドボーズのつぶやき 20080313

昨日、桜丘中女子ハンドボール部のある役員お方と
お寺で二時間近く、お話しさせていただいた。
楽しいひと時だった。
ハンドのことを話していると無条件に楽しい。
時がたつのを忘れてしまう。
またお話ししたいものだ。

いつでも遊びに来てくださることは大歓迎。

Handbozu2

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『おもてなし経営学』・・・・User Experience

先日紹介した『おもてなし経営学』。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756151345/prpmenade-22

筆者はかつてMicrosoftに所属し
WindowsやInternetExplorerの設計に携わった日本人。
しかも、ビル・ゲイツと口論するほど肝の座った人物。

彼が注目したのは、彼のブログに書き込まれた
 おもてなし
という言葉。
それを英語の
 Use Experience
と対比させ、お互いに語学的には正確な訳語でないにしても
意訳として通じる場合があることを示してくれた。
むしろ世間的には、通じることのほうが多いようである。

MacとWindowsの違いを
 Soul(魂)があるかないか
というアップルの技師の言葉に、鮮烈なショックを受けた筆者。
この言葉は、MacとWindowsの問題ではなく
自分に関わっている仕事全てに言えること。
Soulがあるかどうか?

音楽にはそれがよく現れる。
二年前にローリングストーンズのコンサートを名古屋で観た。
家内が世界一の人たちの舞台を観たいと言ったためだ。
そして、前座の技術の高さにはビックリした。
しかし、面白くないし、何も響いてこない。
技術的には最高度に高いのだけれども・・・。
一方、ストーンズはどうか?
キース・リチャーズはスタートから音を外した。
技術的にも最高度ではない。(もちろんハイレヴェル)
しかし、彼らの音楽には心がしびれた。
そこにはソウルがあった。
60才を過ぎ、お金も溢れるほど持つ彼らが
なぜあそこまで過酷なコンサートを続けるのか?
好きでなくてはやってられないし
そこには、聴衆に対するソウルがあった。
そして、そのソウルが
聴衆に対する「おもてなし」であった。

その年、マドンナのコンサートも観た。
彼女の場合はアンコールさえなかった。
途中で音楽系の技術的な事故さえあった。
それでも聴衆を満足させるだけのものを与えてくれた。
彼女の舞台には「ソウル」があり
彼女自身が本当に言いたいことを鏤めながら
聴衆を満足させる「おもてなし」を深く感じた。

本の話に戻るが、この本は第一章で
おそらく筆者が一番言いたいことが
言い終わっている。
筆者も、
 ここを目を通していただくだけで
 私が言いたいことは伝わると思う。
も述べている。

第二章は筆者とインターネットの世界の関係を記し
昨今のインターネットの世界を語ったもの。

第三章は、対談。

にこにこ動画や2チャンネルの
ひろゆき(西邑博之)氏との対談は
あまり面白くはなかった。
残念ながら、ひろゆき氏の「ソウル」を私は感じない。
自己主張をする点は、大きく評価されるのだが
何か筆者とかみ合わない。
ひろゆき氏は
User Interfaceを重視しすぎなのではないかと感じた。

古川享氏とは、お互いにアスキーで出会い
Microsoftに居た事もあり
業界の裏側を見せてもらった気がする。
本当はもっと言いたいことがあるのだろうが
そこは大人。
文句よりも、これから先、どのように未来を開いていくのか
その示唆に富んでいたように思う。
その言葉が、
 徳川家康の日本では出てこない「織田信長」のiPhone
携帯ビジネス界を例に出し、痛烈な一撃だ。

三番目が、梅田望夫氏。
経営陣(スーツ)と技術者(ギーク)のあり方を中心に
ここでも明るい未来を創造することに力点が置かれていた。
面白い!
特に、私自身が寺子屋を主宰していることもあり
 ブログは新しい「私塾」の始まり
これは良い!

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2008年3月12日 (水)

おふざけ ハンドボーズ

おふざけの絵を作ってみた。

ハンドボールならぬ
ハンドボーズ。

少しやりすぎだろうか?Handbozu

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2008年3月11日 (火)

中三生が中学卒業

今日は一日、事務作業。

夕方からは寺子屋。
中学三年生が今日は卒業式。
この学年は小学校から面倒を見てきたので
思い入れがある。
おそらく、学年があがればあがるほど
成績も向上していくだろう。
しかし、何よりも彼らの人柄は素晴らしい。
よくここまで育ってくれたと思う。
明後日の入試で最後の仕上げをしてもらいたい。

卒業アルバムを見せてもらった。
それぞれの特徴ある写真。
思わず私も笑顔がこぼれた。

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2008年3月10日 (月)

事務作業と相談ごとと読書

今日は一日お寺で事務作業と相談ごとと読書。
相談事は二件、プライベートな内容なので書けないが
今、日本のあちこちで起きている問題を
考えさせられる内容だった。
これについては、後日どこかで記してみたいと思う。

事務作業は春のお彼岸の資料作り。
最近はMicrosoftのPublisherを使っていたが
少し物足りなくなってきたので
かなり以前に購入していた
AdobeのInDesingnを使い始めた。
Creative SuiteのVer.1なので
最新に比べれば機能は落ちるが
なかなか使い勝手が良い。
Publisherにもう戻れなくなってしまった。
DTPのデファクトスタンダードになった理由が
よく分かる。
CreativeSuite全部を購入するには高額すぎるが
このInDesignだけは使い続けたいと思う。
ヘビーユーザーの使用にも応え
DTPとしてかなり多様なことに使える。
特にIllustratorで不便な文字の配置が
実に手際よく扱える点は
高く評価できるように思う。
更にPDF形式でも保存できるし
Publisherでは出来なかったことも少なくない。

読書はアスキー新書の最新本二冊。

『おもてなしの経営学』中島聡著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756151345/prpmenade-22

『パラダイス鎖国』海部美知著。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4756151337/prpmenade-22

この二著については後日、記す予定。
なかなか面白い内容だった。

あ、今日のお昼ご飯のお好み焼きも
とても美味しかった。
かみさんに感謝!

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2008年3月 9日 (日)

居眠り

思わず、居眠りをしてしまった。
いびきもかなり凄かったらしい(^^;

お昼に帰宅し、
そこから事務作業。
結婚式の打ち合わせ(仲人兼導師をします)
ご供養
寺子屋
などなど、午後から大忙し。

実はこの三日間、毎日4時間程度しか寝ていない。
ただほぼ毎日運動をしているので
身体は気持ちよく疲れている。
おかげで、ウトウトし始め
結果は居眠り。
10分くらいだったのだが。

この10分の居眠りが実に心地よかった。

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2008年3月 8日 (土)

今日は一日ハンドボールデイ

今日は一日ハンドボールデイ。
午前中は中学一年生女子の指導。
シュート力がないのでそこを重点に指導。
いわゆる一番基本になるフォームが出来上がっていない。
そのために、ばらばらのフォームでシュートを撃っていた。
それを改善するために
一歩シュートなど、工夫を凝らす。
ただたった一日で直るべくもなく
今後彼女たちがいかに工夫していくのか楽しみにしている。

男子は横で見守っていたが
けが人続出。
スポーツに怪我は付き物なので
多少は仕方がないが
ここまで怪我をされるとさすがに・・・。
電化製品も一気に壊れることがあるが
怪我も同じことが言えるのかもしれない。
なにかを引き付けてしまうと言う事なのか。

午後から二年女子の練習試合を観に行く。
ポジションチェンジをして
ほとんど練習をしない状態で
今日の試合に臨んだために
結果は思うようにはならなかったようだ。
改善点がかなりある。
20080308002_0001

負けた試合の直後、
彼女たちは泣いて落ち込んでいた。
叱り付けることやお説教は簡単だが
それよりも彼女たち自身の力で
復活してほしかったので
近くに居て、元気付けることに専念した。
前回負けたとき、
あそこまで落ち込んでいなかったのに
今回はよほど悔しかったのだろう。

その後、徐々に本来の彼女たちに戻ってきた。
最後に顧問の先生に喰らい付き
先生の口より、嬉しい言葉を出させたのは
彼女たちの執念だろう。
ここで収穫した物は大きい。

帰宅後、お寺の事務作業に追われている。
二つのPCをフル活用して
今もその最中にビデオ編集したり
このブログを書いている。

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2008年3月 7日 (金)

『ウェブ時代の定理』

今、ある本にはまっている。

『ウェブ時代の定理』梅田望夫著 文藝春秋
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163700005/prpmenade-22

この中で示される五つの定理とは

1 アントレナーシップ
2 チーム力
3 技術者の眼
4 グーグリネス
5 大人の流儀

この本、これからの時代を切り開く若き世代には
とても大切な内容が鏤められている。
またこれからの世代を育てようとしている人にも
とても大切な言葉が多い。

著者は『ウェブ進化論』で有名な経営コンサルタント。
元々東大の大学院で情報工学を修めた人でもある。
アメリカのシリコンバレーに移住し
そこで、世界最先端の動きをつぶさに見て
日本にもいろいろとアドヴァイスを送ってきた。

グーグルを高く評価し
アップルのスティーブ・ジョブスを敬愛し
ゴードン・ベルをメンターとする。

この本の中には
現代の偉人たちの言葉が鏤められている。
その熱き思いが、どれほど多くのことを成し遂げてきたのかを
梅田氏自身はそのめで確かめてきた。
そして、その眼で確かめ、肌で実感したことを
著述としてまとめたのが、この著作。
決してインターネットの世界を書いたものではない。
インターネットの世界を通じて
シリコンバレーという町を通じて
世界の方向性や、若き優秀な人材が
自ら育っていくのを横からサポートしようとする
意欲的な作品だと思う。

安穏と保守的に生きたい人には向かない内容だが
新たな時代を切り開き
道なき道を創造していこうとする人には
とてもしっかりと読んでもらいたい作品だ。

この本によって、改めて私も見つめなおしたことがある。

私自身はEvangelistであること。
ただし神の福音書の伝道士ではなく
釈尊の目覚め、空海の気付きの伝道士。

 目覚め、気付いて進んでいこう。
 この世界をありのままに生きていこう。
 皆と共に歩んでいこう。

「あなたは何者だ?」と人に問われたとき
高家寺住職とか、僧侶ですというのではなく
The Evangelist of Awakening and Wisdom
と応えたい。

あ、そうだ、これから名刺の英語版には
The Evangelist of Awakening  and Wisdom
と記してみよう。
大袈裟だが
まぁ真言の坊さんだから、それもありかも。

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2008年3月 6日 (木)

舌足らずで、申しわけリありませんでした。お侘び申し上げます。

昨日の書き込みで、
内容が内容だっただけに勘違いをされた方が、
何人もいらっしゃいました。
私の筆足らずです。
申しわけありませんでした。

ある中学生を親に持つ相談者へのアドヴァイスを
そのまま文にしたものであり
それ以上のものではありません。
その中学生が生徒会長と部長を兼務しているのですが
なかなか思うようにならず
精神的に追い込まれているという相談でした。
それに対し、応えを出すというのではなく
私の今までのあり方を指し示したものに過ぎません。
ご安心ください。

尚、私が最近関わった枝葉を切ろうとしているのは
二本あります。

というと、最近の私はハンドボールにはまっているので
ハンドボールか?と思われる方もいらっしゃるでしょうが
ハンドボールはなくてはならないものですし
私の師の一つでもありますので
この枝を切る気は全くありません。
むしろもっと上手に伸ばして行きたいものです。

では、どんな二本を切るのか、
疑問に思われる方もいらっしゃるでしょうが
それはヒ・ミ・ツです。
敢えて言うならば
名よりも実を採ることにした
それだけです。

私の不注意でご心配をおかけしてしまったこと
ここに深くお詫び申し上げます。

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2008年3月 5日 (水)

リーダーシップ

中学と接する機会が多いので
いろいろな生徒たちと出会う。
その中で、損をしがちな生徒と
そうでない生徒が居ることが分かる。

上手に生きている生徒は
大人に対して自分から声をよく掛ける。
学ぶという姿勢を謙虚に持っている。

一方、大人とは距離を保つ生徒も居る。
意外とリーダー的な生徒に少なくない。

ところが、自分で突っ張るために
適切なアドヴァイスを得ることさえも拒否し
自分の思いを押し通そうとしがちになる。
そうなると、徐々に大人は離れていき
結果的には良きアドヴァイスを得ることができなくなる。
それで損をしてきた人たちを何人か見てきた。

特に中学生時代
クラス長をしたり、部活でキャプテンをしていた人が
高校になると伸び悩んでしまう例が少なくない。
自分の持つ悩みを自分だけで解決しようとし
仲間からのアドヴァイスや
年長者からのアドヴァイスを得ようとしないためだ。
ある意味プライドが邪魔するのだろう。

こうした学生たちを見るたびに
悲しくなってしまう。
アドヴァイスをしたくても
一種独特の壁を作っているために
アドヴァイスさえできないのだ。

ところが同じリーダーでも
しっかり伸びていく学生もいる。
彼ら彼女たちは、自分の悩みを
同じ道を歩んできた人に解決策を求める。
それを我が物とし
より高い自分を作り上げていく。

学生のリーダーたちに
何かを伝えていく工夫が必要であることを
最近実感し始めている。
私に何が出来るのだろうか?

こうしたリーダーの心構えのようなものを
何か伝えていく方法を研究したいと今は思っている。
国会議員や県会議員、市会議員とも話し合い
リーダー養成もしていかねばならないと
強く実感しはじめている。

リーダーはエリートではない。
リーダーは独裁者でもない。
リーダーはマネージャーではない。

彼らが作り上げた壁を崩し
新たな力の芽を伸ばしてあげたい
そう強く感じている。

そういえば、幸田シャーミンだったと思うが
面白い本を翻訳していた。
『リーダーシップとは何か』Ronald A. Heifetz著

また
『リーダーシップ論』John.P.Kotter著
も面白い本だった。

これを読み直し、
子供たちに分かりやすいようにまとめてみたい。
情熱を傾けられる新たな仕事がまた出来上がった。

そのためには何か一つを削らねばならない。
最近深く関わってきたことだが
仕方がないと感じている。
私も最も効率の良い部分に自分の情熱を傾けたい。

さきほど、それを決断させてもらった。

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ボール投げから気付かされた

昨日から、ハンドボールを投げる練習を始めた。
まずは壁に当てることから。
昔のフォームで投げると
どうもイメージと現実とのギャップが埋まらない。
最高潮の体力のときと今とでは雲泥の差の肉体(^^;
そのために、最高時のフォームを真似しようとすると
無理が生じることが分かった。
そこで、フォームを矯正できるように
ステップ無しで
投げる足と反対を前に出し、
逆足を後ろに引き
身体を壁に垂直に近い形で構え
大きく振りかぶって投げるようにしてみた。
最初は違和感があったが
慣れてくるうちに、徐々に昔の感覚が戻ってきた。
まだまだ遠い先だが
少し、ゴールが見えてきた気がする

一日、右を二百球、左を五十球を目標に
壁に向けての投球。
とりあえずこの二日間を実施してみて
肩の様子を見てみようと思う。

実は、なぜ始めたのかというと
今度の土曜日に、
一年生女子のシュート練習を
見守ることになったのだ。
今の一年生女子のシュート力は、あまりにも弱い。
そこで、この土曜日は一年生だけで
しかも顧問もコーチも居ないということだったので
私がシュートの面倒を見ることになった。

となると私自身が
この究極に重くなった身体を使って
人体実験するのが良いと思い
練習を始めた。

最初は一歩シュートと思ったのだが
その前にパスの投げ方が重要になる。
そこで、実際に過去の練習方法を思い出しながら
書籍類で注意点を参考にしながら
自分で実践してみたのだ。

自分自身の場合はボールを握るのだが
女子は握れない子が少なくない。
そうした場合もどうすればよいのか
いろいろ工夫してみた。

やはり、腕のふりも重要だが
そのまえに身体を向ける方向と
足捌きの形が重要であることも知った。
そして何よりも
肩甲骨を十分使って投げることが重要だ。
とっさにボールが握れなくても
十分に肩甲骨が使えるフォームを考えてみた。
左腕でシュートを撃っているのは
初心者として行うためだ。
まだ二日目を終了したばかりだが
かなり教え方を自分なりに考えられたように思う。
今週末まで実験を繰り返し
実際に、彼女たちに教えていこうと思う。

この練習をし始めて感じた。
まずは実験してみること。
何事も理論がぼんやりし始めたら、
実験をして、その中で修正し
また考え、実験し、修正し
この繰り返しが重要であることを
改めて教えられた。

一年生女子のハンドボールのシュート力が弱いおかげで
私は全く別のことにも気付かされた。

大きく感謝したい。

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2008年3月 4日 (火)

祈祷や供養の私次第の改変

今日は、供養や祈祷の際の私次第の改変を行っている。
年数が経つに連れ
かつて自分で作ってきたものをヴァージョンアップする必要性を感じる。

実は今日は昼間に江南より相談の方が四人ほど来られた。
そこで感謝の話やらいろいろお話した。
帰られた後に
こうしたお話しはもちろん磨いていかねばならないが
ご供養や祈祷の作法そのもので
来られた方々の心を満たすことは出来ないものかと
自分に問うた。
そこで次第の見直しをまずしてみようと思ったのだ。

最近、光明真言加持土砂の法を中心に
過去精霊供養を行ってきている。
故三井英光大僧正より教えていただいたものだ。
最初はそのまま行っていたが
私自身の工夫を加えて、ここ十年ちかく行ってきた。
ところがやはりしっくり来なくなってきていた。
用い始めた当初と
今の私が明らかに変化しているからだ。
今の自分に合わなくなってきている。
そこで改変を思い立った。

まだ完璧とはいえないが
今の私の持つ思いや知識を整理したものができたと思う。
しばらく実践していきながら
マイナーチェンジをしていきたい。
(もちろんこれは誰かに伝えるものではなく
 あくまでも私自身が用いるものでなので
 他に伝えるつもりは全くない。
 また、次第の根幹は
 私ごときものが変えられる物ではないことは
 重々承知している)

この改変は私次第だけではなく
ひょっとしたらいろいろなところで行わねばならないのかもしれない。
明日あさってはそれを探し出してみようと思う。

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2008年3月 3日 (月)

久しぶりに気持ちの良い汗をかく

今日は午後から御供養が一件。
その後、事務作業を行い、
夕方からホイッスルを購入しに行く。
いろいろなタイプがあり
どれにするか迷ったが
最初から最高のものではなく
とりあえずは気軽に使えて
手入れが楽なものにする。
モルテン製。

その後、中学校へ。
今日も男子は自分たちで考えた練習メニューをこなした。
すると女子から「今日の男子は練習が楽しそう」という
声を聞く。
今日の練習は決して楽なものではなかったが
やはり自分たちで考えて決めた練習だけに
気合が入っていた。
こうした練習は続けて欲しい。

実は今日は私もディフェンスで一年生と共に
練習に参加した。
久しぶりに身体を思い切り使った感がある。
やはり身体を動かすのは楽しい。
まだまだ体力が最高時の10分の1にもなっていない。
イメージと身体の差があまりにもギャップがある。
ただ一人の一年生と
「この三ヶ月で身体をどちらが作り上げるか競争しようと」
伝えてあるので負けるわけには行かない。
今の年齢で無理のない程度に
しかし、せめて中学生の練習には耐えられるだけの
身体にはしたいと思っている。
これだけ汗をかいたのは久しぶりだが
呼吸器の方も調子が良くなってきたので
しっかりと身体作りをしていき
子供たちと共に走り抜けたい。

明後日は、また市の体育館で男子だけ練習。

身体と心は実に密接に繋がっている。
そのことをハンドを通して改めて確認している。

自分の出来る範囲でよいから
身体を動かすことは良いものだ。
ハンドボールはさまざまな運動能力を使うので
とても面白い!!

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適正とポジション

昨夜は、辛い相談があった。 
個人的に仲良くしてきた人に対して、
その仕事の不適正を宣言しなければならなかったからだ。
雇っている側からの相談であり
今まで半年以上見守ってきたが
どうしようもなかった。

人には与えられた時と場所と機会がある。
そのチャンスをGETできるかどうかは、
やはり本人の意識次第だ。
そしてそれ以上に、その人の向き不向きがある。
世間的な名誉やお金などではなく
この大きないのちが
自分をこの世に生かしているという視点から
向き不向きを見つめる必要を改めて感じる。

少し卑近な例になるが、自分のことを語ろうと思う。

小学校時代から天体物理学や量子力学の世界に魅了され、
分からないながらもその勉強をしていた変わり者であった。
大学では、全く異なった専門に行ったが、
やはり図書館で毎日のように経典群と睨めっこしていた。
今も、誰も居ない書斎で本を読んだり、書き物をしたり、
本堂で独り端座したりするのが好きだ。
これらの面を見ると、私は独りで象牙の塔に篭り、
研究することが好きなように見える。

しかし、一方では小学校のときは、
仲間を募り野球のチームを作った、その中心人物であった。
中学校でもハンドボールのキーパーをして、
やはりチームプレーのスポーツの中心の一人であった。
高校でも、初心者ばかりで、
経験者として新たなハンドボールのチームを作っていった。
大学でも、ゼミのリーダー格としてとりまとめを行ったりしてきた。
大学院を卒業して後は、学習塾に入り子供たちと共に生きた。
僧侶に復活して後も、ボランティア活動を行い、
中心的な位置を占めるようになっていった。
今のお寺では入寺時にはほとんど居なかった信者さんの数も増え、
相談事を受けて、その方々と共に活動し、
寺子屋の子供たちとも共に歩んでいる。
今もハンドボールを通じて、人と人のつなぎ役を行っている。
これらの面を見ると、私は人と接すことが適役。

私はチームの中に居てもキーパーをしていたように
やはりいつも少し全体から離れている位置が適役。
だからこそ独りで居ることも好きなのだと思う。
このチームの中での独り、これが私の位置。

そういえば、今関わっているハンドボールのチームも
最近、ポジションチェンジを行った。
成長と共に
適切な位置は異なっていくものでもある。

今回、不適格を言い渡されたTさんが
今後自分の位置を見出し
彼の最高の位置で、この世で生きて行っていただくことを
切に願う。
この文を読んでもらい
Tさんが何かを感じてくれれば幸いである。

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2008年3月 2日 (日)

今日も半日ハンド漬け

男子ハンド部の合宿が終了。
二時まで起きていたらしいが、
朝の六時半には全員が起床し、
食事をしっかり摂り、掃除し、グランドへ練習に。

グランドでは、自分たちの練習メニューに従い
練習をこなしていった。
いつもよりは、よく走っていたように思う。
コーチより、練習のための練習はするなと注意を受けていたが
逆に言うと、やっとそこまでのレヴェルの練習が
出来るようになったと思う。

女子はコーチが厳しく鍛えていた。
敢えて言うと、待ち時間に突っ立っているのではなく
何らかの形で身体を動かしていてもらいたかったが・・・。
それでも、二年生については
通常メニューを越える練習をしていた。
練習後も一時間以上居残り特訓を
自主的に行っている生徒も四人も居たほどだ。
女子はポジションチェンジが化学反応を熾し始めた。
これは注意深く見守っていたい。

男子も、副キャプテンがサイドシュートの練習を
居残って教えてもらっていた。
まだまだだが、かなりレヴェルが上昇中。

残念ながら、所用ができて
夜の練習には行けなかった。
どんな状況だったのだろうか。

男女共に、明日の練習が楽しみだ。

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2008年3月 1日 (土)

ハンド部男女共に練習試合と男子ハンド部合宿

今日は午前中ハンドボール部の練習試合。
男子はなかなか良い試合をしたと思う。
女子は何よりも本人たちが鬱憤をためていたと思うが
収穫は大きかったのではないだろうか。

午後から男子の合宿をお寺で行う。
基本的に普段の練習方法や
緊急時のポジションなど
決め事を行った。
このチーム、よくもこれまで何も決めずに
ここまできたもんだと半分呆れる。
ある意味、身体能力の高さがあるのだろう。
これでこれからの練習で決め事を練習中に行ったり
試合中につポジショニングの指示を
待つことはなくなったと思う。

本当は、マインド関連の話もしたかったが
彼らの受容量の上限を超えてしまっていたので
今日は決め事のみで終了。
それでも大きな一歩ではないかと思う。

さて、明日の練習がどうなるか
男女共に楽しみだ。

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