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2008年2月16日 (土)

倖田來未をバッシングする社会こそが幼稚な社会

倖田來未。
羊水発言で自粛とのこと。
自粛?
ほんとに?

本とは自粛ではなく
強制的に休まされているはず。

彼女の発言は確かに拙いものだった。
決して発してはならないこと。
しかし、その後のマスコミの対応には疑問が残る。
ここまでバッシングして良いことなのか?
大人が彼女にたしなめる
それだけで済んだことではないだろうか。
大御所と呼ばれる方々が彼女をマスコミを通じてたしなめ
彼女がそれを素直に聞き入れれば
それだけで済んだこと。
CMや番組、また自身の宣伝まで自粛とは・・・・。

今のバッシングは逆にいじめに見えてならない。

学校で喩えると
ある生徒が問題発言をした。
その問題発言を皆でバッシングする。
これで良いはずがないのに
ひょっとすると
こうしたことが
学校でさえ
日常茶飯事で起きているのではないのか?

歌手は聖人君子ではない。
芸術家だ。
芸術家はどこかが突出している分だけ
欠けるところがありがち。
だからこそ芸術が光り輝く。

ましてや
倖田來未はエロカワといった
少し反社会的な部分での人気の持ち主。
こんな言葉尻を捕まえてバッシングするのは
日本の恥。
本当にこれでよいのか?
こんな幼稚なことは
もう辞めて欲しい。
彼女も謝った。
その誤りを素直に受け入れる社会こそが
大人の社会なのではないのか。
彼女の復帰を心から望む。

幼稚な社会から脱出しない限り
政治も結果的には幼稚な政治家を選んでしまうだろう。

政治家が悪いのではない。
そんな幼稚な政治家を選んでいる私たち国民が悪い。

倖田來未だけがわるいんではない。
彼女をバッシングしてしまう私たち国民もわるい。

このことを
寺子屋の生徒にも考えてもらおうと思っている。

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