« 倖田來未をバッシングする社会こそが幼稚な社会 | トップページ | 長く生きた人 »

2008年2月16日 (土)

誰もが同じ思いを持っているわけではない

誰もが同じ思いを持っているわけではない。

これは自明の理。
しかし、人はよくこれを忘れる。
私も同じだ。

今日、ある会合で、僧侶を褒め称える発言があった。
そしてそれに同意を求められた。
しかし、私はそれに同意することができなかった。
現在の僧侶の問題を
あまりにも間近に見ているためだ。

しかし、誰もが私と同じ思いで僧侶になったわけではない。
あえて言えば、1000人の僧侶が居れば
1000人の思いで僧侶になっている。
そこに優劣はないはずだ。
頭ではそのことは理解している。
しかし、やはり私自身のどこかに
他者を蔑む傲慢な心が宿っている。

他者が良いの悪いのではない。
他の僧侶は他の僧侶であり
自分とは異なっている。
だからこそ、そのあり方には尊重せねばならないし
逆に私自身は他者に無理に合わせることも
してはならないと思っている。
私は私色であるのだから。

同意をできなかった自分を反省し
また更に他者を受け入れていない自分を知り
大いに学ばされる質問だった。

誰もが同じ思いを持っているわけではない。
だからこそ他者を尊重し
自分の思いをも尊重して生きていかねばならない
今はそれを強く感じる。

|

« 倖田來未をバッシングする社会こそが幼稚な社会 | トップページ | 長く生きた人 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/40149919

この記事へのトラックバック一覧です: 誰もが同じ思いを持っているわけではない:

« 倖田來未をバッシングする社会こそが幼稚な社会 | トップページ | 長く生きた人 »