何が目的なのか?
日本のものづくりに対するアンチテーゼとして
アップルという会社があるという面白い内容のブログを読んだ。
http://satoshi.blogs.com/life/2008/02/macbook.html
toyota方式をもっと進化させ
自社内に部品の在庫さえほとんど滞留させない方式。
そこに現れるのは、見た目の美しさであり
中身の美しさは二の次。
ある意味、中身は専門家の領域であり
そこの美しさはユーザーとはそれほど関係がないという
面白い発想の結果だ。
パソコンに求められるものは何なのか?
それはパソコンを使うものにとっての便利さであり
購入するものにとって手軽さであると思う。
それを思うと、アップルの決断は凄いことだ。
パソコンという機会が何を目的としているのかという
そのもっとも重要なところに
視点を特化して
ものづくりのこだわりを捨て去ったところに
凄さを感じる。
私はものづくりのこだわりを否定しているわけではない。
お茶碗一つでも、そのもの作りには尊敬の念を抱いている。
しかし、パソコンのふたを空けた部品の世界においては
果たしてそのもの作りの美しさは
それほど重要なことだろうか?
それにこだわっているために
本来の目的から逸れてしまっていることはないだろうか?
ふふと感じる。
僧侶の世界でも、儀式の形を大切にするあまり
信者さんたちを無視したものが少なくない。
本当にこれでよいのか?
、
目覚めて気付いていただき
世界をありのままに生き
皆と共に歩んでいく
これこそが仏教の役目。
儀式はそれを信者さん一人ひとりに
感じ取ってもらうためのもの。
そのためにカットできるところはカットして
最も大切なところに特化する必要がある。
何を儀式で伝えたいのかを集中的に考えると
非常にシンプルなものが目の前に現れることを感じた。
もちろん細部にこだわることは大切なときもあるが
細部への美意識のために
大きな目的を忘れてしまうことだけは避けたい
今は強くそう感じる。
今のアップルのあり方に
ずいぶんと感じるものがある。
実はこのことを
今日の夕方に
親友二人に告げられた内容と一致する。
偶然の一致とはいえ面白い。
| 固定リンク
コメント