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2008年1月 9日 (水)

自分は何のプロなのか?・・・・プロフェッショナル 仕事の流儀 小野次郎 を観て

プロフェッショナル 仕事の流儀
私の大好きなNHK番組。
昨日は「数寄屋橋次郎」こと小野次郎さん。
ずいぶん以前より次郎さんの噂は聞いていた。
残念ながらまだ訪れたことはないが
その道の達人としてどんな人だろうかと興味を持っていた。
そしてミシュランの三ツ星。
なるほどぉ・・・。
今回のテレビで知ったのは
彼は決して器用ではなかったと言うこと。
器用ではなかったがゆえに、
誰よりも何度も何度も同じ本手返しを練習したという。
人の二倍三倍は練習をしたと本人は自負する。
なかなか身につかなかったそうだ。
しかし彼はある段階で思わず違う握り方をする。
本手返しを次郎握りと呼ばれるものへと昇華した瞬間だ。
このことはなんにでもいえるのではないか?
器用なものはそれで終えてしまうが
不器用なものは何度も何度も繰り返して同じことを工夫する。
これが大きな変化へともたらしてくれる。

たとえば、サッカーやハンドボールのシュート。
何度も何度も同じスタイルのシュートを
同じコースに打ち続ける。
そのうちに、自分のスタイルが身についてくると
それを超えたあるものが出てくるというものだ。

スポーツだけではない。
これはいろいろなことにいえるもの。
起用より多少不器用の方が伸びるという。
ただ次郎さんが行っていたように
不器用だからといってあきらめるこれは良くない。
自分は不器用だから工夫をする。
これがレヴェルアップを図るのだ。

つまり不器用か起用かは本当は関係がない。
自分よりも上手な人が居れば
それを超えるために何度も何度も工夫をする。
自分が最高権威になったとしても
まだ神の領域ではないと工夫をし
一歩でも高みへと上っていく。

そういえば、江戸時代の尾張藩に
柳生蓮也斎という天才剣士が居た。
彼は非常に器用だったが、その器用さにおぼれずに
精進努力を重ねた。
最終段階としては、三日前の自分をイメージして
それと対峙したという。
この心がけこそがプロフェッショナルなのだろう。
そこは僧侶が求める悟りの世界に近いものがある。
むしろ、僧侶の世界に安穏と生活している者より
悟りの世界に居るといえるはずだ。

私自身、何のプロだろうかと自問した。

 人の長所を見つけ、それを伸ばすこと

まさに僧侶としての役目だと感じている。

そのためには自分自身を磨かねばならない。
持戒をし、人がたどり着けないところまで駆け上ることが必要だ。
いや、その階段に頂上はない。
ただ今よりも一歩でも先に進んでいくことこそ大切。
文字で記された経典には数多くのヒントが記されている。
世間にも身の回りにも社会的なことでも数多くのヒントがある。
どちらも仏が記した経典。
それを身につけてこそ経典が経典となりうる。
まだまだ精進が必要なことを改めて感じさせられた。

この時期にハンドボールをしている学生たちと出会ったのは
ようやくそれができるレヴェルまでに私が上ってこれたのだと思う。
まずは縁のある学生たちにできる限りの協力をし
お節介といわれようが、自分の持てるものを
ヒントとして与えて生きたい。
彼らが知らない世界に導き、それを伝え
その後は彼らが航海していくその姿を
ゆったりと見つめて行きたい。
自分の幸せはそこにあると今は強く感じる。

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