食糧戦略会議は戦略ではなく予想会議なのではないか?
農林水産省が開いた食料戦略会議があったという。 http://mainichi.jp/select/today/news/20071218k0000m020124000c.html 三つのシナリオが記され、どれも悲観的なものばかりだったらしい。
さて、これを政府はどう見ているのか?結局は経済産業省のお金の論理に負けるのではないだろうか?
反論を覚悟で敢えて質問をしてみたい。
・少子化というが、人口が減れば経済は縮小する一方、一人当たりの国内生産の食料の量は増加するのではないだろうか?
・農家という既得権保守ではなく、兼業農家と農業をしたい人たちとの垣根をはずすことは難しいのであろうか?(農業したい人に一定の条件で農家に順ずる地位を与え土地購入・借用を可能にする)
・農業の会社経営の本格化はなぜ難しいのか?
・既存の農家が大切なのか、日本の農業が大切なのか?既得権益の中でヌクヌクしている農家が大切なのか、真面目に農業を営む人が大切なのか?
・工作されていない荒地を、一定の条件で地方自治体が没収し、それを新たに一定の条件で貸し出したり、売り渡したりする方法はできないのか?ある意味、戦後の農地解放のひずみを是正するための、農地管理は無理なのか?
・クラインガルテンの普及は不可能なのか? http://homepage3.nifty.com/tng/ecology/german/gercleingarden.htm
戦略会議であるのならば、私のような素人でも思いつくこと以上の結果を出さねば単なる税金食いになりかねないのではないか?戦略会議ならば、抜本的な対策をせねばならない。悲観シナリオならばそれは戦略ではなく、単なる予想屋に過ぎないと感じる。無理だと思われることを敢えて提言してこそ戦略会議であり、その無理と思われることを実現してこそ、政治世界での改革なのではないか?
農政ばかりでなく、環境問題も経済問題までもおかしくなっている。税金面もそうだろう。課税をあげることは子供でもできる政策だ。それを上げなくても国民が上手に生きていく方法を見つけてこそ国政なのではないか?国を思う心より私服を肥やしたり自分の地位や組織を保守したりすることに力を注いでいる人たちが権力の座に住している限り、この国の未来は悲観的なものになってしまう。そのためには、一人ひとりの国民が、選挙の際にしっかりとした人を選ばねばならない。最終的には、こんなことしか行えない国を作っているのは私たち自身であることを知らねばなるまい。かくいう私にも大いに責任がある。それゆえに、私は政治家と付き合い、政治家たちに提言し、次世代の若い人たちを育てていたいと感じている。
かのニュースを読んで少し方に力が入ってしまったようだ。今から高野山へ出発する。すこしストレッチをしてから行こう。
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