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2007年12月11日 (火)

吉良町で意味のある偶然の一致

今日も起きた意味のある偶然の一致。もちろん毎日起きているが、今日のは強烈な一撃だった。

200712112151000カミさんの元のボス、佐藤謙一郎氏に誘われてカミさんと共に車で吉良町に出かけた。東岡崎で佐藤先生をピックアップ。出かけた先は、華蔵寺。吉良上野介の菩提所。佐藤先生もかつての支援者の方に誘われてのことで、お寺であるということで、お寺関係の私を誘っていただいたものだった。

実はこの四月に私は、吉良町の社会福祉協議会からの依頼で、環境問題と仏教の講演会をさせていただいた。その帰りに華蔵寺を訪れお墓をお参りしていた。こうした偶然もあるんだなぁと、思いながら今日も出かけた。

実は吉良家とはちょっとした因縁があるのかもしれない。 http://mantra.way-nifty.com/osho/2007/03/index.html の三月四日にも記したが、私の出身地が愛知県一宮市で浅野家と深い因縁がある場所。出身小学校は浅野小学校。また高家筆頭(肝煎)であった吉良家、うちの寺の名前は高家寺などなど

ご住職からいろいろお話を伺い感慨深く華蔵寺を後にした。というのも高家寺は元々岐阜市加納にあったお寺。華蔵寺の開山は加納出身ということであり、その方が加納を出てしばらくして大名が入れ替わり、高家寺建立。地縁もここにあった。

そして、裏にある花岳寺。ここは吉良上野介の先祖のお寺で、姉君が多額の寄付をした寺でもある。ここの鈴木御住職よりお話を伺い、新たなことをいろいろ知る。

・浅野匠頭の菩提所の泉岳寺は、吉良家出身の方が開いたお寺。
・浅野匠頭の赤穂での菩提寺もまた花岳寺という名前。
・大石内蔵助の妻のりくの出身地の豊岡で大洪水が起きたとき、吉良町の役人が援助に行った。

などなど、浅野家と吉良家は相当な縁があるようだった。お話は尽きなかったが、もっともっといろいろ学ばせていただきたい内容だった。帰り際に、この鈴木ご住職に、私が僧侶になった大恩人である養老の大悲閣の故玄興和尚のことをお話したら、ビックリされた。なんと、鈴木ご住職は玄興和尚の弟弟子であったのだ。私も驚いてしまった。玄興和尚が子供の頃の私を可愛がってくれたおかげで、私の僧侶の理想像がある程度出来上がっていた。私たち家族にとっての大恩人。その兄弟弟子の方と、期せずしてこうして出会った。

相手は臨済宗。私は真言宗。よくよく聞くと、往古は、その花岳寺は真言宗のお寺であったことも分かった。

帰る寸前であったので別れを惜しみつつ、再会をお約束した。車に乗り、思わず合掌。ふと気付くと涙が一筋流れ出していた。嬉しかった。

この偶然の一致は、意味のある偶然の一致として私を包んでくれた。高祖弘法大師と玄興和尚に導かれたような気がする。鈴木御住職とは、また来春に訪れてゆっくりお話しをしようと思う。

今日の一日をプレゼントしていただいた佐藤先生に縁を繋いでくれたカミさんに、吉良家浅野家の方々、鈴木ご住職、玄興和尚、高祖に深く深く感謝する。

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