刷り込み 太陽エネルギー・大化の改新から考える
般若心経講座。今年最後のもの。常連さんが年末で忙しく、今日は参加者はお二人のみだったが、逆に親しくお話させていただけた。
最初に、般若心経を一巻お唱え。次に、般若心経のもっとも大切な部分を伝えた。内容は、参加者のお楽しみなので、ここでは記さない。そして次に、地球システムについてのお話。松井孝典博士の本を中心に、私なりの見解を伝えた。特にソーラーエネルギーが、第二のフロンになりかねないということについては考えていただけたように思う。太陽エネルギーは地球に優しいという刷り込みがどこかにあるのではないかという話しだった。
そして、最後に大化の改新のお話し。私達の耳に届いている大化の改新は実は疑問符だらけということをお伝えした。このことについてもう少し詳しく書きに記そうと思う。
歴史を見るとき、ある地点にポイントを置き、そこから輪を広げていくことが多い。歴史理解にはこれはとても有効な方法だ。しかし、そのポイントを置く段階で、自分に刷り込まれてしまっている知識があるかどうかを検証することは重要である。大化の改新を調べるなら、聖徳太子vs蘇我氏となりやすい。しかし、本当に聖徳太子と蘇我氏の対立はあったのだろうか?そこで、この歴史を書いた人物に焦点を当ててみる。その人物は天武天皇?こじきや日本書紀の編纂を命じた人だ。ここで楽観視するのではなく、もう少し見つめてみると、実は古事記も日本書紀も天武天皇が存命中には完成されていない。完成されたのは、天武天皇妃の持統天皇のとき。ということは、時の権力者は持統天皇であり、藤原不比等。この持統天皇に関しては里中満知子さんの天上の虹という漫画がある。二十巻出ているがまだ未完だそうだ。彼女のライフワークでもあるらしい。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062606828/prpmenade-22 この持統天皇の父親は天智天皇。藤原不比等の父親は藤原鎌足。すなわち大化の改新を起こした二人の中心人物。ということは単純に考えて、大化の改新は良い行いとして歴史に残されるように持統天皇も藤原不比等も画策するはずである。そうなると、蘇我氏が悪人であったかどうかが実に疑わしくなる。というのも、天武天皇は天智天皇が死去した後に吉野に下り、結果的には尾張から美濃に掛けての勢力を結集して、天智天皇の息子の大友皇子に壬申の乱で勝利する。この尾張には入鹿池という蘇我入鹿が作った人工の湖がある。美濃には蘇原という蘇我氏の領土があった。これらから美濃から尾張に掛けては蘇我の勢力範囲であり、その蘇我の力を使って大海人皇子すなわち天武天皇は大友皇子を滅ぼしたことになる。つまり、構図的には蘇我氏vs反蘇我氏が、壬申の乱でも成立していたといえるのではないだろうか。すなわち、大化の改新とは蘇我入鹿や蝦夷という蘇我の宗家が殺されたのは間違いないが、あくまでも個人レベルの暗殺劇であって、決して革命というほどの大きな影響力を持った出来事ではなかったのではないかと推察される。現実に大化の改新後も天智天皇はなかなか即位できなかったし、鎌足も表舞台にはそえからほとんど出てこない。さらに天智天皇の事跡を非難する文章も散見され、本当は天智天皇は決して英雄ではなかった可能性も残されている。ということは、蘇我氏と聖徳太子が対立していたということ自体が疑問に持たれる。現実的に聖徳太子は蘇我氏を外戚に持つし、彼の残した文献は蘇我蝦夷宅にあり、それが大化の改新で燃えてしまったというのはあまりにもできすぎといえないだろうか?ひょっとすると、大化の改新の後も聖徳太子の編纂した歴史書はあったが、持統天皇や藤原不比等らによってあらたな歴史書である古事記や日本書紀が編纂されたことによって、消滅させられたのではないかとも推察される。
あまり突っ込むと、言いたいことが消えてしまうのでこのあたりにしておくが、私たちが当たり前と思っていることも、実は多くは思い込みやすり込みがあるのではないかということを言いたかっただけのこと。それを大化の改新をモデルケースにお話しをさせていただいた。当たり前と思っていることにもう一度光を当て、本当に刷り込みは無いかどうかを検証する必要がある。私も、できる限りそれを実証していきたいと感じている。
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