« 地球温暖化 危機は危険であるが機会(チャンス)でもある | トップページ | 飽きない飽きない »

2007年12月13日 (木)

裏切りをどう見るか?

信じていた人に裏切られた。このように思うことが時折ある。私も今年に入って切実にそう思うことがあった。悲しくやるせなく、怒りに震えた。今は少し異なっている。その裏切りを裏切りと裏切りと捉えなくなってきた。

裏切りにあった直後は、その裏切りをした人に対して自分に都合の良いように、本当はそうでなかったんだろうけど、たまたま間が抜けただけに違いないと自分を慰めた。そうやって相手の悪口ではなく、良いところを見つめることで、自分の傷を無視しようとしたのだ。これは明らかに自分に対する逃げの口実であった。

またあるときは、その裏切り行為が許せなく、私自身が破壊的な思い出いっぱいになっていくことも経験した。しかしそれは、相手に責任を押し付けることにより、自分の犯した過失に背を向けているだけのことであった。

本当は、その裏切りをした人は、最初からそうした要因を持っていただけであり、裏切りでもなんでもなく、最初からそういう方向で動いていただけのことであった。ただそれだけのこと。元々は違うとか、ひどい裏切りという視点そのものが、実は私の色眼鏡であり、脚色であったのだと最近気付いてきた。

まだ裏切りと言う言葉を使っている自分が居るので、完全に許したわけでもないし、怒りがなくなったわけでもない。ただあの頃のような熱を持った怒りは収まった。その行為により新たな犯罪が生まれないことを望むだけである。

昨日、ある話で「裏切り」の問題が持ち上がったときに話しをした内容が上記。裏切られたと感じた場合、よく見ることもひどく見ることも、その両極端が実は色眼鏡であることを私たちは知っておく必要があるだろう。その色眼鏡をはずし、真実を見た場合、その裏切られた出来事そのものが、実は自分を成長させていく大きな出来事であることが多々ある。その出来事を忘れ去るのではなく、自分の参考書として活かしていけば、怒りも静かなものとなりうる。私の場合は裏切り行為は既に風化し、その相手のことも幻のように影の薄い存在となっている。逆に言えば、思い切り冗談の相手として活用させていただいている。あと半年もすれば、もっと広い視野でその出来事を見直せるだろう。

今、ふと気付く。出来事にあった場合は、その渦の只中かほんの近くに居るわけだから、その出来事の全体像が見えにくい。こうしたときこそ、少し外れたところで見ていてくれた友人の助言は大切なものだ。そして時を経て、その出来事から遠ざかっていくと、自らその出来事の全体像が見えてくる。このことはいろいろなところで応用できる視点。今も毎日のように勉強させていただいているのかもしれない。

|

« 地球温暖化 危機は危険であるが機会(チャンス)でもある | トップページ | 飽きない飽きない »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/17358020

この記事へのトラックバック一覧です: 裏切りをどう見るか?:

« 地球温暖化 危機は危険であるが機会(チャンス)でもある | トップページ | 飽きない飽きない »