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2007年12月28日 (金)

イエスの神性の雑考

四日前のこと。
そうクリスマスイヴの夜。
とあることを考えていた。
毎年のようにトマス・ア・ケンピスの
「キリストにならいて」を読んでいたときのこと。

歴史上のイエス・キリストとは、
もっと大きなエネルギー体である聖なる存在の一表現として
この地上に現れたと解釈できないものかと。

これは密教的なものの考え。
密教では釈尊も受用身の釈迦如来が変化(へんげ)して
この地上に現れたと解釈している。
とするとイエスもまた、同じようには考えられないものかと。

地上に現れる肉体は有限なもの。
その中に無限である神聖が存在するとは考えにくい。
それよりも、無限の存在である神聖な存在が、
有限の肉体という形をもってこの地上に現れ出でた
と考えた方がしっくりいくのではないか?
むしろそう考えた方が、
イエス・キリストの神性も保たれるし、
他の宗教を否定する必要性も全くなくなるのではないかとさえ感じる。
このあたりをもう少し詰めてみたい。
来年の宗教倫理学会でキリスト教関係の先生に問うてみようと思う。

このことをなぜか不動尊の護摩の後に思い出した。

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