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2007年12月31日 (月)

今年最後のカラオケ

夕方からこれも恒例になった忘年会を兼ねるカラオケ。
今年はなんと4時間も。
そこでカミさんが驚く行動を・・・・写真参照。20071230_2313

悔しかったのは新規のマシーンであったために
得点が84~87点しか出なかった。
DAMの最新機種(シダックス鵜沼店)
最近、私はどの機種でも90点を切ることがなかったので
かなりのショックを受けるが
まぁ人が聞いて気持ちのよい歌であるかどうかが大切で
マシーンの判定は二の次と気持ちを取り直す。

それとある一人とカラオケ競争をして
負けてしまった。
相手が81点。私が85点。
5点のハンディを相手に与えたために
私の負け。
素直に負けを認める・・・・。

楽しさは最高のカラオケになったので、それでよしとする。

お寺に帰宅後、またとても嬉しい話を耳にする。
これも最高の内容。
来年が今から楽しみだ!

終わりよければ全てよし。
いろいろあったが本当に素晴らしい締めくくりになった。
感謝!

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2007年12月30日 (日)

毎年恒例のお餅つき2007

P1060664毎年恒例のお餅つき。
高家寺の特徴は、薪で火を焚きもち米を蒸し、石臼でお餅をつくこと。
しかも、玄米餅を作っている。

P1060656 年々、素晴らしい行事になってきた。
特に寺子屋を巣立った生徒たちが
どんどん立派になり
この場を同窓会のようにしてくれている。
P1060585_2気持ちの良い楽しい場になった。
また現役生たちも、徐々に馴染んできてくれている。

老いも若きも一緒になって楽しめる行事。
20071230_927 それがこのお餅つき。

来てくれた人は大いに楽しんでくれたと思う。
また新たな年のツキを呼び込んだに違いない。

尚、この様子の写真は後日高家寺のHPで掲載する予定。

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寺子屋冬の合宿中

昨日から寺子屋の生徒の合宿。

男子生徒と共に買出しにイオンに行く。
女性とはその後に食事作り。
食事を皆で摂り
そして男子生徒が後片付け。
お風呂。

その後も勉強。
この夜の時間は勉強を進めていくというより
いろいろな話ができることが大きい。

今目の前で二人の生徒はポーカーをしている。
一人はハンドボールのフォーメーションを考えている。
一人は黙々と理科・数学の勉強中。
もう一人はハンドボールのディフェンスを強化するために本を読んでいる。
そのほかは既に就寝中。
20071230_107 実は起きている5人のうち一人はかなり眠そうにしている。
いろいろあって面白い。
そういえば、先ほどの夜食タイムである生徒が400グラムのプリンを食べた。
途中でギブアップ。
私がもらって、一気に食べ干したのだが・・・・今は少々胸焼けがする。

一件勉強合宿ということになっているが
本当の目的は、
寝食を共にすることで連帯意識や仲間意識が増え
助け合うことの大切さを覚えていくこと。
また団体行動も覚えていくこと。
そして、合宿中のさまざまな機会で
自分を振り返ることができる。
さらに夜中まで起きることにより
自分の限界を知ること。
この限界を知ることはとても大きいな成果を生む。

まぁ、お寺なので、合宿するのにも便利なこともある。
余分な経費がかからなくて済むからだ。

明日は餅つき。
それで合宿は終了。
今年の授業も終了する。

この合宿で何かをしっかり身につけてもらえれば幸いである。

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2007年12月29日 (土)

今年最後の法事

先ほど、今年最後の法事が終わる。
前讃を唱え、鉢を撃ち、登壇して理趣経。
そして高家寺オリジナルの作法。
そして法話と守護尊カード。

来られた檀家さんは地域でご夫婦共に活躍されている方。
まさに地域密着型の見本のような方々。
ご主人はボランティアで活躍し
奥様は某市役所で、
看護士としての資格を有して子供たちの教育に取り組んでいる。

一方、お子様方は、
息子さんが日本全国を駆け巡る仕事をし
充実した人生を送っている。
娘さんはNY在住で、世界を駆け巡る敏腕コーディネイター。
とても楽しく会話させていただいた。

この娘さんは特筆すべき方。
日本では教育が合わずに、渡米。
そしてアメリカで大ブレイクする。
お話をしていてもびんびん伝わってくるものがある。
そのエネルギーは並じゃない。
私もしっかり座っていないと吹っ飛ばされるほどの
とても素晴らしい感覚を受けた。
食事もNYで玄米中心の食事とか。
ここも我が家に通じる。
少しお話ししただけだが
彼女の哲学はなかなか面白そうだ。
しばらく日本に居るとのことで
1月にまた遊びに来てくれるらしい。

最後の法事で、こうしたご家族と会えた。
終わりよければ全てよし。
最高の一年であったと深く感謝。

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金スマスペシャルを見て、カミさんと語り合う。

昨夜、寺子屋が終了し食事。
お鍋だった。
美味しくて、カミサンと二人、食べ過ぎ注意報発令!

珍しくテレビを見ながらの食事だった。
金スマ スペシャル。

姫井由美子参議院議員。 http://himei.jp/ 
なかなか面白い内容だった。
見せるのがテレビだが、
それ以上になかなか上手に突っ込んだ内容だったように思える。
三輪明宏氏も面白いものだった。

この後、カミさんと話し合う。
テレビは見せることを目的としている。
それは10人のうち1人に見せるのではなく
10人の内5人以上もしくは9人に対して意識を向ける。
それはものを考える人ではなくて
提供されるものをただ喜ぶ人たち。
今回の金スマはそれをとてもよく教えてくれたように思う。
ただそれに気付いた人は10人の内1人だろう。

では私のブログは誰に向けている?
実は10人の内1人に分かっていただければそれでも嬉しいと思っている。
マドンナは自分のコンサートを2万人のうち2人が分かってくれれば良いと言った。
まだそこまでの境地には至っていない自分が居る。
私もまた10人の内9人に影響力を持つ1人の人に伝えたい。
それを切に願っている。

そういえば、昨日の法話で自分を磨くことが大切であるとお話しした。
(内容は高家寺ブログに載せる予定)
自らを磨き、その磁力(attraction)が強まることによって
より幸運を招きいれ、他者にも幸運を広げていくことができるのではないかと思う。

昼間に親友のW氏と電話したある企画がある。
これも、実はこのattractionなのだろうか?

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2007年12月28日 (金)

イエスの神性の雑考

四日前のこと。
そうクリスマスイヴの夜。
とあることを考えていた。
毎年のようにトマス・ア・ケンピスの
「キリストにならいて」を読んでいたときのこと。

歴史上のイエス・キリストとは、
もっと大きなエネルギー体である聖なる存在の一表現として
この地上に現れたと解釈できないものかと。

これは密教的なものの考え。
密教では釈尊も受用身の釈迦如来が変化(へんげ)して
この地上に現れたと解釈している。
とするとイエスもまた、同じようには考えられないものかと。

地上に現れる肉体は有限なもの。
その中に無限である神聖が存在するとは考えにくい。
それよりも、無限の存在である神聖な存在が、
有限の肉体という形をもってこの地上に現れ出でた
と考えた方がしっくりいくのではないか?
むしろそう考えた方が、
イエス・キリストの神性も保たれるし、
他の宗教を否定する必要性も全くなくなるのではないかとさえ感じる。
このあたりをもう少し詰めてみたい。
来年の宗教倫理学会でキリスト教関係の先生に問うてみようと思う。

このことをなぜか不動尊の護摩の後に思い出した。

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ブット元首相暗殺に思う

パキスタンのブット元首相暗殺事件。
フィリピンのアキノ氏暗殺とダブってしまった。
詳細は分からないので、
この事件そのものをどう表現したらよいのかは分からないが、
やはり暗殺は問題がある。
そして核兵器を持つ国がこんな状況であること自体
実はかなり大きな問題があるのではないだろうか?
イランや北朝鮮がアメリカに締め付けられたのは核兵器の問題だった。
このパキスタンと国境を接するインドやアフガニスタンの人々を思うと
胸が締め付けられる思いだ。
そして何よりもパキスタンに住む穏当な人々のことを思う。
人はなぜ違う思想や宗教を持っていたら
共存できないのだろうか?
なぜ他人をコントロールしたがるのだろうか?
このパキスタンの問題はパキスタン問題だけではない。
私たちの身近に起きていることと
実は大差はないことを知らねばならない気がする。
この事件をシンボルに
よりよき方向へ進んでいくことを期待する。

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ハンドボールのフォーメーションは人生に通ず

ハンドボールの本を読みながら、20数年前に貯めた知識を思い出す。

フォーメーション。
よく似ていても、最後の詰めの部分で異なるものもある。
今日は約20種類のフォーメーションを思いだした。
今の生徒たちが引退したら、これを公表しても良いかもしれない。
というのも、国内ではインターネットでこのフォーメーションを
公表しているものが見つからないからである。
秘密もあるのだろうが、そんなことで破られるフォーメーションならば
あまり意味がない気がする。
なんとなく分かっていても、引っかかってしまうのが
フォーメーションの面白さだ。

最近の国際試合ではこのフォーメーションが当たり前になっており
それをどうやって普通にこなしていくのかが大切になっているようだ。
このハンドボールのあり方は、実に多くのことに通じるのではないか?

守・破・創

まずはフォーメーションの型をきっちりと何度も何度も練習し
意識しなくとも自然に動けるようになるまで繰り返す。
次に意識的に、ディフェンスのあり方によって詰めの部分を変更していく。
すると自分たちにとって最高のパターンが見つかっていく。

これは何もハンドボールだけに通じるのではない。
このことを寺子屋の生徒たちにも伝えていければと思う。

人生の縮図はどこにでもあるものだと
改めて実感する。

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Google Newsの元になる言語別URL数

Google News のURL件数を調べてみた。
というのも昨日、Google News を若干褒めて書いたが
実際のところ自身がどこまで知っているのかと疑問に思い
私で簡単にできることを考えた。
そこで言語別のURL数を調べるのが良いと思い
チェックしてみた。
全部about(約)という概数である。

4,500 英語       
1,000 中国語(北京)
 700 スペイン語
 700 ドイツ語
 650 日本語
 530 韓国語
  500  フランス語
 400  ベルギー語
 400 ロシア語
 350  中国語(広東)
 200  ポルトガル語
 150  アラビア語
 100  ヘブライ語
 100  ギリシア語
などとなっている。
そのほかにもあるが煩瑣を恐れて、上記のみ調べた。

アラビアが語少ないのは仕方がないにしても
フランス語が意外に少ないのには驚いた。
ドイツ語は日本語よりも多い。
スイスやオーストリアにもまたがっているせいもあろう。
日本語が多いか否かは
広東語や韓国語と比較しても良い気がする。
これほどの国でありながら、やはりジャーナリズムは発展途上なのだろうか?

尚、インドはデーヴァナーガリー文字もあるが
基本的には英語でカウントされるようだ。

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2007年12月27日 (木)

ハンドボールの本が届く

先ほどハンドボールの本が届く。
タイトルは内緒(笑)。
ISBN記載のない本であるので
amazonや一般書店では手に入らない。
内容はものすごく濃いもので使えるものばかり。
さすが!!
明日の寺子屋で早速生徒たちに伝えるために
今日は少し勉強してみようと思う。
久しぶりにフォーメーションも練習法も考えられそうだ。
そういえば学生時代には
授業中もこのフォーメーション作りに励んだっけ・・・・。

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検索:このブログの検索ワードベストスリー

最近、ブログの読者がじわりじわりと増えている。
ほぼ毎日更新し、できる限り外部リンクを貼り付けてることが
検索にかかりやすくなっている原因らしい。
この検索があるおかげで
ブログを書けば書くほど、
このブログが知識の集積所になって
読者も検索活用してくるものらしい。
私のブログは思いつくまま、気の向くままに書かれた
日記に過ぎないが
それでも、検索によって訪れてくる人は半分近く居る。
ちなみに過去一ヶ月に私のブログで検索された言葉のベストスリーは

3位  高野山
さすがに祖山。人気は高いようだ。
ちなみにうちのお寺は高野山真言宗。
私も月に一度は高野山へ勉強会に出かけている。
検索に引っかかっても当たり前かもしれない。

2位  眼帯
めずらしく目を患い眼科に通った。
集中的にその件を書いたからかもしれない。

1位  岐阜刑務所
かつて検察審査会で訪れたこともあり
また思うことがあって数度書かせていただいた。
検索ページを見ると、過去の内容を読んでいる方も少なくない。

検索は、ゲーム以上に面白いもののように最近感じる。

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Google Newsは面白い

Google Newsがトップになっている私のIE。
日本語版は610以上のサイトからニュースを集めている。
英語版はなんと4,500以上のサイトからニュースを集めているとのこと。
今日もチェックをしていたら、気になる記事が
英語版と日本語版であった。

「ビクター、"世界初"となる木の振動板採用の密閉型インナーイヤーヘッドホン」
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/12/26/004/
「マイコミジャーナル」というニュースでのこと。
記事内容も面白かったのだが
このマイコミジャ-ナルという一般世間ではあまりメジャーではない。
こうしたマイナーなマスコミのNEWSが
Google Newsを使うと、面白い記事を運んできてくれる。
ロングテイル つまり長い尾っぽ。
本を例に出せば
Googleやamazonなどの検索を用いると、
専門的で読者が限られているが
その道の専門家には必要な本が
専門書店に行かなくても探し出すことができるようになった。
ニュースも同じで
一般読者層にはあまり馴染みのない世界でも
その道の専門家にとっては重要なニュースはあるものだ。
そのニュースを専門家以外も検索によって
見る機会が増えたということだ。
つまり知る機会が増えたということ。
これはなんとなく今では普通のように思えるが
10年前には全く考えられなかったように思う。
この情報革命にはとんでもないほどのポテンシャルが
秘められているように思う。
メジャーに牛耳られていた世界が
一度にマイナーにもオープンになるということだ。
だからこそ、民主党の園田康博衆議院議員が訴えている
「知る権利」
の憲法への明記が重要になってくるのではないだろうか?

ちなみに英語版のGoogle Newsの今日で私が気になったのは
The NewYorkTimesの
"Google Thinks It Knows Your Friends" だった。
http://bits.blogs.nytimes.com/2007/12/26/google-thinks-it-knows-your-friends/?ref=technology
最大手新聞もGoogleを扱う日が続出している。
大きく時代はうねっているように感じるのは
私だけだろうか?

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各務原でも猪騒動

昨日、今年最後の床屋へ行く。関の友人のお宅。もう十年以上通っている。その行き帰りに、ゴルフ場の傍を通る。そのゴルフ場でも猪(いのしし) が出没している模様。各務原では最近になり農地やゴルフ場も荒らしているという。環境保全の立場では、自然のまま保護すべき。農家の立場に建てば、対策を立てなければ甚大に被害に及ぶ可能性あり。動物愛護か、農業経済優先か?それとも第三の道か?真剣に考えなければならないのだが・・・・。

ちなみに高家寺の門前にアライグマを見た経験がある。しかし、昔裏山を駆け巡っていたというウサギは見ない。この猪騒動。単に猪だけではなく、他にも目を向ける必要があるのではないだろうか?

岐阜新聞のwebに記事が掲載されている。 http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20071226/200712260849_3677.shtml

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2007年12月26日 (水)

YouTubeでの仏教関連めぐりはしばらくはここまで

YouTubeでいろいろ般若心経を検索できた。
是非、 http://jp.youtube.com/ で検索してみて欲しい。
これからもどんどんアップされていくであろう。
それにしても、やりすぎの感も少なくない。

なんでもそうだが、
「過ぎたるはなおおよばざるが如し」 
と感じるのだが。

ただ一方では、
「出る釘は打たれるが出過ぎる釘は打たれない」 
という人も少なくない。

さて、YouTubeは新たね、そして非常に役立つメディア。
私も今後はいろいろ使っていこうと思っている。
新たな時代に新たな道具を使うことに臆病にはなりたくないのだが
やはり節度も必要なのではないか。
しかし、この半分以上おちゃらけた内容のものが
逆に新たな展開を生むのなら
これはこれ、それはそれで容認すべきものなのかもしれない。
私自身がいろいろ利用しながら
今後の展開をしっかりと見守っていきたい。

ちなみに理趣経のものはなかった。
ある意味ホッとする。
時間的に収まらないこともあるのかもしれない。
阿弥陀経はなかったが、阿弥陀如来根本陀羅尼は掲載されていた。
観音経は偈文があるのみ。
他にもいろいろあるんだろうなぁと思うが
YouTubeの仏教めぐりは今しばらくここまでとしたい。

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初音みく の般若心経?

初音みく って知っていますか?私は今まで全く知らなかった。
Wikipediaを参考 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF  で、何で 初音みく なのかというと以下を聞いていただければ分かると思う。遂にここまできているのかぁ・・・・と結構ショックを覚えるが、これも時代の趨勢かもしれないと感じもしている。これをヒントにいろいろ実験してみるのも面白いかもしれない。そういえば、学生時代にロックで般若心経を唱えて、大学を停学になった者が居たようなぁ記憶があるが、記憶違いだろうか?

下記で見れない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=pmJlGPFsMmU へ移動してみてください。

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炭素繊維と水の浄化

テレビ番組で炭素繊維が水を浄化すると放映されていた。これは凄い!すぐに調べなくては!と思い早速Googleで検索。すると・・・

炭素繊維は水を浄化しない  http://spokon.net/eelnews/2005/05/0516t.htm  がいきなりヒット。頭を殴られた思い!ただ、炭素繊維を用いても何にもならないのではなく、炭素繊維が水を浄化しているのではないのであって、水が浄化されないわけではないことも分かった。何か言葉のマジックみたいだが、正確には「炭素繊維が水を浄化するのではない」「炭素繊維を用いると水が浄化される」であった。

この原理を利用して、群馬高等専門学校の小島昭特任教授は有名になった。 http://www.chem.gunma-ct.ac.jp/inorg/kojima/index.html これを世間に広めた効用は大きいと思う。炭素繊維を汚れた川に投げ入れておくと、そこにゴミが吸着され、川は徐々に浄化されていくというもの。テレビ朝日の「素敵な宇宙船地球号」でも放映されたらしい。 http://www.tv-asahi.co.jp/earth/midokoro/2005/20050515/index.html 実際に私も実験したくなった。来年にでも寺子屋の授業の一環として、これを実験してみようと思う。そしてその中で、言葉の使い方についても考えられればと思う。「炭素繊維が浄化するのではない」「炭素繊維を用いると川が浄化される」と同じようなことはあちこちに素材が転がっているように思える。

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もう一つの西洋風 般若心経サンスクリット真言

もう一つ西洋風の般若心経サンスクリット真言を見付ける。ここまでくると、なにか違うものを感じるが声明(しょうみょう)もこんな風に出来上がった可能性も否定できないので、これはこれでOKなのだろう。楽器も面白い。変わった意味でのニューエイジかも?

下記のYouTubeが見れない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=5Xh7Yrj1yNU をクリックしてみてください。

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中近東?インド?般若心経のサンスクリット

インドなのか中近東なのかよく分からないが、サンスクリットの般若心経をYouTubeで見付ける。手許にあるものとは少し違う気がするが、これもありなのだろう。中国ヴァージョンよりはなぜか馴染むのは私だけか?

下記で繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=v6ilTZAId90 をクリックしてYouTubeに移ってみてください。

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西洋風般若心経サンスクリット真言

般若心経の真言をサンスクリットで唱える集団をYouTubeに見付ける。これはかなり西洋的なもの。なんか元々のものからかなり逸脱しているようにも思えるが、所変われば品変わる。これもまた一つのあり方かもしれない。

下記で繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=Elw9GVk1pw0 をクリックしてみてください。

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もう一つ中国っぽい般若心経サンスクリットを見付ける

もうひとつ中国っぽい般若心経のサンスクリットをYouTubeで見つけた。写真としてダライラマ14世が掲載されている。
現代中国語の般若心経は、日本で読まれる呉音の般若心経よりも真言の部分の発音がサンスクリット音より離れてしまっている。だからこそ逆にサンスクリット音を大切にし始めたのだろうか?それにしても、こうした試みは面白い。

下記でYouTubeに繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=-c9-XaA2f00 へ移ってください。

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中国っぽい般若心経サンスクリット

中国っぽい、サンスクリットの般若心経をYouTubeで見つけました。いろいろあるものですね。

下記で繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=P2D8epuXla8 をクリックしてみてください。

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2007年12月25日 (火)

葬儀の問題点を語り合う

ティアという葬儀を行う会社の取締役さんが来られた。岐阜地区を担当されている。信者のTさんの紹介。いろいろと話し合いをする。

今の葬儀はやはりどこかおかしい。喪主がいつのまにか影に潜んでしまい、義理で来た人たちが主人公になりがち。何も知らない人がその場を取り仕切ったり、考えられないことが横行している現場。その問題点を洗い出した。こうしたことに真正面から取り組まれる姿勢は評価できると思う。葬儀に関わる方々が、こうした問題意識を持って、より良い葬儀を提供して行ってくれる事を深く望む。 http://www.tear.co.jp/

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寺子屋でクリスマス会

寺子屋でクリスマス会。ケーキを食べ、プレゼント交換。ケーキは 各務原市にある http://www.voir.in/ で手に入れる。ここのオーナーシェフには感謝感謝。15種類のケーキを購入した。それをジャンケンで好きなものから生徒に選んでもらった。これも皆が同じものを食べるのではなく、それぞれがそれぞれにあったものを選択することこそ本当の意味での平等ということを伝えたくて毎年行っていること。プレゼントも決められた範囲の中でお金で購入して、ビンゴで交換していくというもの。ここから何かを得てもらえるように工夫はしてあるつもりだ。

ただ今日はお話ができなかった。わたしの準備不足。ヨブ記を話すつもりだったのだが・・・・。その代わり、先日見たハンドボールの試合を、出場した二人の選手と語り合った。

次は木曜日に三年生が来る。しっかりと最後は締めくくるつもりだ。

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摩訶般若波羅蜜多心経をゴスペル調に?

親友のW氏よりメールが届く。面白いものを紹介してもらった。YouTube。つのだひろが歌う(唱える?)、ゴスペル調の、作曲ベートーベン 作詞? 訳詞玄奘三蔵の摩訶般若波羅蜜多心経。これは面白い!これをアレンジして、うちのお寺でも何とかしてみたいと思う。
そういえば、東京の披露宴のときに、カミさんの髪の毛や着付けをしてくださったのが、つのだひろ のお姉さんだった。こんなところにも縁を見る。

繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=gCF4Bg9R__o  をクリックしてみてください。

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クリスマスでは坊主が語るキリスト教を

坊さんがクリスマス?とよく言われる。というのも、毎年寺子屋でクリスマス会を開いているからである。内容は単純にケーキを食べて、紅茶を飲んで、プレゼント交換をビンゴでして、といったありきたりのこと。ただし、最後に坊さんらしくお説教も欠かさない(笑)。お題は坊主が語るキリスト教。

聖書の中のお話を持ち出して生徒に語るもの。今年はヨブ記を密教の視点で見ると、どんな風に読み込めるのかを挑戦しようと思っている。神と悪魔が語り合い、深い親交を持つヨブをどん底にまで落とす。しかし、ヨブは一時の迷いはありながらも、信仰を手放すことはなく、最後には悪魔があきらめ、信仰が勝つというもの。ここには人生の縮図みたいなものがあり、結構仏教にも通じるものがある。ヨブ記は基本的にはキリスト教というよりはユダヤ教に属するものである。わたしはイエスは(旧約の)聖書の内容を全うする人生を送ったと解釈しているし、イエス自身はユダヤ教徒であったので、イエスを語る際には新約よりもむしろ旧約のほうを大切にしている。またヨブ記は我が心の師匠のカール・ヒルティが大好きな書でもある。どんなことになるのか分からないが、そのときの自分の感性で話を進められればと思っている。

尚、今日の予定としては、午前中は私的な用事を済ませ、午後からは本堂の掃除・先日のハンドボールの試合の女子編を編集しYouTubeへ、そして寺子屋の準備。そしてクリスマス会。思い切り今日も一日を楽しもうと思う。

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2007年12月24日 (月)

クリスマスイブ

Feliler ある知人がいる。この方ご夫婦とはあることにより知り合ったのだが、たった一日で、というよりも数時間で旧来の同士かの如く仲良くなった方々。その知人よりFELIERのハンドタオルをいただく。ハンドタオルはとてもよく使うのでとてもありがたい。肌触りもとても手に馴染むものだった。FIELER独特の感覚だ。シェニール織だったと思い、検索を掛けるとFEILERが出てこない。あれれ?? でもシェニール織は別にある??? じゃぁ、と FIELERで検索を掛けてみた。するとオンラインショップ検索で出てきた。 http://www.montrive.co.jp/feiler/ そうそう、これだ。まさにこれ。でもシェニール織じゃないの?と疑問に思い、あちこちを探してみると、FIELERについてというページ http://www.montrive.co.jp/feiler/feiler/index.html でシュニール織という言葉でしっかりと解説されていた。シュニール織については、このFIELERの説明を見ていただいたほうが、わたしが下手に解説するよりは良いだろう。

この知人のセンスはとても大好きだ。いわゆる、グッチとかヴィトンとかいうようなブランド物ではなく、製品そのものがしっかりしておりセンスもあって、いわゆる玄人好みに近いものを選ばれる傾向がある。ご主人の洋服もブルックスであったり、器もマイセンのものからとても上品なセンスのものばかりを集められている。今回いただいたFILERなどは、まさにその思いが込められたプレゼントだった。素晴らしい。深く感謝している。

Christmas そこに同封されていたクリスマスカード。キリスト・キリストしているのではなく、三人の賢者が砂漠で星に導かれていく、新約聖書のあの情景を描いた絵。これも心が行き届いた絵。わたしもこうしたモチーフが大好きであり、いただいた瞬間に思わず微笑んでしまった。

そっかぁ、今夜は世間ではクリスマスイヴなんだぁ・・・・。仏教者であるわたしだが、実は毎年クリスマスイヴになると読んでいる本がある。スクルージーのような頑固者ではないと自分では思っているので『クリスマスキャロル』ではない。『聖書』でもない。
トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』この本をクリスマスイブには必ず読むようにしている。実はわたしはクリスマスは基本的に冬至の祭りであり、大騒ぎして街に繰り出すよりも、キリストを思い、家の中でキリストを思うことの方が大切だと考える仏教者である。よきキリスト者は仏教者であるというのがわたしの持論。逆もまた真かどうかは分からないが、よきキリスト者の手本とすべき書物である『キリストにならいて』を読むことで、キリスト教の本来のあり方に接しられるように感じているからである。今夜も今から読書タイムだ。

ちなみに食事はカミさんが作った焼き飯のようだ。クリスマスイヴ。今年はまた思い出深い一夜になりそうだ。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その7

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。延長


繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=7VZLZexm-yc をクリックしてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その6

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。後半3


繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=okVwJQcjQ9Q に繋いで移動してみてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その5

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。後半2

繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=v93JBFluS90 へ移動してみてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その4

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。後半1

繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=B8nBdAZxYBc をクリックしてYouTubeに移動してみてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その3

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。前半3


繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=q4r0RxoMRa0 をクリックしてみてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その2

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。前半2


繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=rUZl_MzjNZ8 をクリックしてみてください。

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ハンドボール2007/12/23観戦ビデオ その1

中学ハンドボール 尾北カップ男子準決勝 2007年12月23日 江南市立古知野中学校体育館 のYouTubeを登録しました。前半1

前半1

 

繋がらない場合は http://jp.youtube.com/watch?v=29WE1zhJto0 をクリックしてみてください。

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決断するということ

決断。これは何かを捨てなくてはならないこと。手にもてるものを手放なさなければ次なるものを得ることができない。

ある方が言った。「誰かと付き合っていながら、次の人を探しても、良い人は居ないもの。」これは、説得力のある言葉。

しがらみの中、生きていくことは大変だが、まず「自分を好きになる」ことが大切だと改めて知る。自分を好きになるためには、自分がもっともしたいことをしていることだ。自分がしたいことをしているとは、心の奥底でもっとも気持ちの良いことをすること。そうなると、もし1から10まですることがあるとすると、3から10までは切り捨てて、1,2のみをすることに専心することに他ならない。専心するとは、決断すること。この決断をうながすものは何か。それは意志の力。まさにその意志を動かすものは「大好き」という思い。意志は荒々しい感情をコントロールするが、微細な感情にコントロールされるもの。

昨日は決断ということにより大きなことを学ばせていただいた。そのきっかけを与えてくださった方々に深く深く感謝する。

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2007年12月23日 (日)

昨日に引き続きハンドボールの試合を観た

昨日に引き続き、ハンドボールの試合を観に行く。一試合目、同点後延長になった。生徒のチーム桜丘中学は延長後、急に冷静さを得て、5分間で大差を開いて勝つ。これで決勝戦進出決定。

お昼を摂りにカミさんと、愛知県江南市後飛保町薬師80にある「ボワードBOIRED」 TEL 0587-57-0415 へ行く。このお店、親友のW氏に教えてもらった。それから数回利用していたのだが、カミさんを連れて行ったことがなかった。わたしはこのお店の野菜サンドのファン。ホワイトアスパラガスが入り、ドレッシングが美味く、パンも焼いてあり、絶妙な味。いつもだと、一切れわたしにくれるカミさんが、一切れもくれずに全部食べてしまったことからも、味の良さが分かる。コーヒーも美味しい。ケーキもなかなかのもの。近くに寄ったらお勧めのお店。次はランチを食べてみたいものだ。

そして再び古知野中学へ。今日はわたしがビデオ撮影もしていたので、桜丘女子の試合も撮影する。男子と違い力強さはないが、逆に力がない場合のあり方について学ぶことができる。力に頼ると分からないものが、力に頼らなければ現出してくることを改めて知る。面白いものだ。

近日中にこのビデオ撮影したものをYOU TUBEに上げるつもりだが、帰宅するとラインが見つからず、すぐにアップできなかった。ラインが見つかったらすぐにアップするつもりだ。

決勝戦。残念ながら、応援していた桜丘中学は緊張の糸が切れたかのようにダブルスコアで負けてしまった。

午前と午後の試合を見て強く実感することがあった。桜丘のセンターは右45度に向いている。右45度はポストに向いている。ポストは、ステップシュートを見たがその内容からセンターができることが分かった。更にサイソ攻撃があまりにも少なく、センターと左45度の二人の個人能力に頼っていることも知る。これだけ単調では、少し強いチームには勝てないのは当然。逆に、少し触るだけでかなり強くなるチームであることを実感する。明後日、二人の選手がうちに来るので、そのときにビデオを観ながら話をしてみようと思う。ただ監督の意向もあるだろうから、あくまでも一個人の意見として述べようと思う。光明を見出したのは事実だから。

今回の試合からはいろいろ学ばされた。私自身も決勝のときのように緊張の糸が切れた経験が何度もある。その一つが中学時代の試合だった。県でも指折りのチームであったにもかかわらず、結果的には市大会で負けてしまった。それは今回の桜丘に似ている。あのときに起きたことが、実は今の生活にもないだろうかと感じる。それは今年前半にあった。そして運よくそれを乗り越えることができた。このハンドボールの試合で、一つの現象は見方によっては万事の現象に通じるものがあることを改めて知る。

こんな形でいろいろ思いをめぐらせていただけることに感謝。

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2007年12月22日 (土)

ハンドボールの試合を観に行く 寺子屋の生徒編

20071222_1853 午後から愛知県江南市の古知野中学へ行く。古知野は、私にとっても縁のある場所。わたしの曾祖母の出身地であり、わたしの親友の在所でもある。その場所へ、寺子屋の生徒が出場するハンドボールの試合を観に行った。私自身も中学高校とハンドボールをしていたこともあり、多少なりとも知識がある。おかげで楽しかった。いろいろ感じたこともある。離れていたおかげもあるのだろうか、外から眺めていることもあるのか、一人ひとりの選手がどのポジションを取ればよいのかを一試合目に感じ取った。そして二試合目を見て、わたしの見方が間違っていないことを強く実感。それにしても、寺子屋に通っている二人の生徒の実力は予想を上回っていた。「この二人を思い切り育てたい!」改めて、そう思わさせてくれるものだった。今回はおそらく本人たちとしては納得できない内容だっただろう。それでも随所に、どこをどうすればよくなるかというヒントが鏤められている試合だった。

明日は午前中に準決勝。これも是非観に行きたい。午前中の用事が済んだら駆けつけようと思う。

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地元の代議士と共に地域密着型総合施設 COM. DO2(コムドゥードゥー)を訪ねた

朝10時、地元の代議士園田康博衆議院議員夫妻と共に、地元の特定医療法人フェニックス グループ http://www.phoenix-g.jp/index.html の地域密着型総合施設 COM. DO2(コムドゥードゥー)を訪ねた。実は、私の父親が介護認定が下りることになり、今日からお世話になることもあったし、先日訪れたときにその素晴らしさに驚き、代議士夫妻をお誘いした。園田康博代議士は、「知る権利」を憲法に明記することを目指している国会議員だが、一方では一貫して厚生労働委員会に所属し、福祉関係に携わっている。そのために地元の優れた施設を是非訪ねていただきたいと思い、お誘いした。わざわざ長縄専務理事に案内していただき、それと同時に今までの実績と、それを実現してきた思いとをお話しいただいた。

20071222_1113 少し施設内の案内をさせていただくと、ノルウェーから取り寄せた空気圧式の運動器具が七種。これは、筋肉に一度に負担がかからないような設計になっているという。園田代議士にバイク式の運動をしていただいた。どれぐらいのカロリー消費かを絵で表すものらしいが、園田代議士はキャンディーを超えて、カフェオレのレベルまで約10分弱運動していただいた。実際に介護認定で来られる方々は、これらの七つの機械のうち、五種類を自分で選んで運動をされるとのこと。20071222_11131

また卓球もできるようになっており、元の非常にレベルの高い選手だった方が指導をされていた。今までで、打ち合いの最高は96回を記録したそうだ。またこのフェニックスグループ全体での選手権もあるそうだ。この卓球が、リハビリに実に有効であるという。そういえば、一昔前までは温泉に卓球はつき物だった。卓球の効用をなんとなく分かっていたのかもしれない。私は卓球は苦手だが、少し経験する必要を感じる。それにしても凄いのは、プロ用のピンポン玉、ラケット、卓球用のピッチングマシーンを使っていること。更に玉拾いもリハビリの一環として行っているという。帰宅して知ったが、父は今日はこの玉拾いをしてきたらしい(微笑)

特別養護老人ホームメゾンペイネも併設。ペイネの名前の由来は、画家のペイネの絵があり、その愛情表現が大好きで、名前にしたという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%8D その温かさを感じる。どの部屋にも庭が併設されていたり、最新式の介護用のお風呂や、最後を迎える場合の家族のためのお部屋など、細かいところにまで目が届いているところが注目された。

20071222_1115 一通り見学した後に、食堂でコーヒータイム。ここで専務理事さんと長くお話しをする。その思いの熱さに、いろいろ学ばされた。こうして熱伝導のように思いを伝えていくことと、その実行力で20年を掛けてここまでにされたのかと感銘する。また園田代議士へ、今の介護保険の問題や、現場からの指摘をしてくださったことも少なからず良かったのではないかと思う。隣でも皆がテーブルを囲んでコーヒーを飲んでいた。その中で父が笑顔で参加していた姿を見て、少し涙ぐんでしまう自分が居た。

この施設は時代を先取りして進んでいっている施設。何か問題が起きたり、指摘を受けるとすぐに改善していく勇気と実行力がある。小さなことだが、実はホームページの写真がうまく出なかったらしいがそれを私が軽くアドヴァイスしたら、すぐに担当者に連絡してくださり、今では改善され全く問題なくなっている。こうした動きの軽快さは、わたしも多く学ばされた。

今日は、長縄専務理事さん、園田代議士夫妻、施設の職員や参加されている方々、皆に深く感謝したい。

本当は、長縄専務理事さんの言葉をもっと載せたかったし、彼女から指摘を受けた大きな社会問題もあるのだが、私がまだ咀嚼しきれていないので、またの機会に掲載しようと思う。

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2007年12月21日 (金)

寺子屋の生徒の絵

寺子屋の生徒が絵を描いた。20071121 これをどう表現して良いのか・・・・他の生徒には大うけだった。どうも皆にはこれが誰なのか分かったようだ。
二人の生徒が「私じゃないからね!」と念を押しているところを見ると、その二人は自分に心当たりがあるようだ。私には二人の生徒の合体のようにも感じる。

この絵を描いた生徒には確実にある表現力を感じる。しかも細かいところを見るとCO2の問題など、面白い着想をしている。日本の漫画の影響を多大に受けているが、日本の漫画もまた今は世界的な文化。こうした力を引き出し伸ばしていくのも寺子屋の使命と感じている。この絵を描いた生徒には、時折こうした絵を描かせ、その隠れた表現力を最大限に引き伸ばせていければと思う。

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法話で般若心経のサンスクリット音を聞いていただく

今日の月例弘法大師。祈りを捧げている最中に、般若心経秘鍵大師を見つめて、一つ思いが浮ぶ。Hikendaishi005 皆に、般若心経のサンスクリット音を聞かせたい。思いつくとすぐに行動。カミさんにPCを持ってきてもらう。そして祈りが終わり、法話の初めに皆にサンスクリット音の般若心経を聞いてもらう。終了と同時に「すごい!」「いい音ですね」「中近東の香りがする」などの声が聞こえ、信者の方々は感動してくださった。そして、法話をし、最後に私自身が「ガテーガテーパーラガテーパーラサンガテーボーディースワーハ」を音程をつけて唱えてみると、拍手を頂いてしまった。思わず微笑む。

法要終了後、信者さんより「住職さんがこのサンスクリットの音で般若心経を唱えて、それを私たちに頒布していただけないでしょうか?」と問い合わせを受ける。これはいい企画だ。8年インドに居た親友にも声を掛けてみようと思う。それとインド音楽でサントゥールの演奏家のJさんにも連絡してみようと思う。バックミュージックありとバックミュージック無しのサンスクリットの般若心経、面白いかもしれない。来年の目玉の一つになるかも・・・・練習をせねば・・・・。

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今日は仕舞い弘法

今日は仕舞い弘法。その準備に今までかかってしまった。というのも、今年初めにPCのハードディスクが壊れ、12月1月2月のデータが消えており、そのことをすっかり忘れて、昨年のものを当てにしていたからだ。

PCソフトを起動してビックリ。ない!ない!ない!データがない!忘れていた・・・。

おかげで見直しができたから良かった。まぁ見直しをしろというメッセージと思い、気を取り直して準備開始。途中、お風呂に入ったが、あまりにも気持ちよく、ゆっくりしすぎて一時間半も入ってしまった。そしてまた準備再開。ふと気付くともうこんな時間になっていた。

今日の法話は何にするのかをいろいろ考えてみた。やはり The Secret または サンスクリットの般若心経。高家寺には般若心経秘鍵大師も祀られていることでもあるので、やはりサンスクリットの般若心経を聞いてもらうのも一手かもしれない。となると、明日の朝は起きたらCDを聞きながらサンスクリットの真言の練習をしなければ・・・。

先月からこの一ヶ月、いろいろなことがあった。毎日がどんどん早くなっていっている気がする。この加速度はどこまで進むのか?年齢によるものもあろうが、社会の動きも同じようだ。 せめて真言は丁寧に読んでみたいと思う。今月の法話は、今夜または明日にでも高家寺ブログに記す予定。

今から寝ます。おやすみなさい・・・でもほとんどの人がこれを読むのは明日の朝以降だろう。

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2007年12月20日 (木)

高家寺ブログを更新。守護尊メッセージ12月分を掲載。

高家寺ブログ http://mantra.way-nifty.com/kokeji/ を更新。守護尊メッセージ12月分を掲載。今月は不空成就如来・金剛拳菩薩・金剛鈴菩薩・毘沙門天・地天・妙見菩薩。

この守護尊メッセージのカードは、毎月21日10時からの月例弘法大師でおみくじを引いていただき、授与している。不思議なほどその人にとって大切なメッセージが渡っていく。おそらくこれも意味のある偶然の一致(共時性・シンクロニシティ)が働いているのであろう。

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お節介をやく 手段と目的を明確にする必要を感じる

昨夜、28歳のある女性YTさんとお話しをした。信者のTさんの長女。YTさんの適正を感じ取り、ある進路を勧めるものだった。プライベートなことも関わるので詳しくは書けないが、彼女が大きく羽ばたくヒントになればと思い、お節介をやいてみた。実際に話をして、改めて確認。人の話をしっかり聞く姿勢、物事の本質を掴み取る能力、情はあるものの情に流されず知にも傾かないバランス能力、事務能力も相当ある模様。私の目に狂いはないと改めて確認する。相手方の理想とする条件とは大違い。相手方は、30代後半で男性で経験者を望んでいた。しかし、逆転の視点で目を向けると、相手方が何を求めているのか、ここが大切であった。条件が目的ではない。条件はあくまでも手段に過ぎない。この手段に目を奪われると目的を見失ってしまう。目的とは何かを考えた場合、彼女は最高の人材であることには間違いない。あさって、相手方に私は会う。そひて明々後日直接面談をしていただく。彼女が最高に輝くように応援できれば、僧侶冥利につきる。

そして今回のことを通して私は学んでいる。手段と目的を入れ替えてはならないこと。僧侶の役目の一つの人と人のつなぎ目であり、何もないときのおしゃべり相手、何かあったときの相談相手、これも改めて認識。

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毎日していること

顔を洗いながらふと毎日していることってなんだろうと思う。最近の毎日の日課を思い出してみると、必ずしていることがある。着替え、洗顔、歯間ブラシや歯磨き、入浴、睡眠、仏様に祈ることなどは別として、パソコンを毎朝起動させている。まずはOUTLOOKを開いてメールの確認。迷惑メールは自動に振り分けられているが、一応は差出人のみチェックしている。その後、IEを起動。初期画面はgoogle newsの日本版。一通りチェックして、google newsの英語版を確認。このグーグルのニュースは人の手が入っておらず、コンピュータの自動配信。610以上のサイトからのニュースが組み込まれており、主だった新聞はもちろん網羅されていて便利。ニュースを確認してからは、ブログの書き込みやアクセス解析。そしてmixiを一通り見て、しばらくネットサーフィンをしてPC関連終了。気付くと、このリアルな世界と、もう一つ別のネットのヴァーチャルな世界を楽しんでいる自分が居た。最初はヴァーチャルな世界に対しては否定的な面を感じても居た。一方でniftyserveの時代より20年以上にこの世界を活用しても来た。気付くと、一度もリアルに会ったことがないにもかかわらず、お互いのことをよく知る仲になっていたりもする。ヴァーチャルな世界は、単なるリアルの延長ではなく、全く別な面も有していることを改めて感じている。これはこれで面白い。逆にこのヴァーチャルな世界はボーダレスワールド。国境なんてない世界。子供の頃、学校で「あなたにとって、いらないものは何ですか?」と訊かれたときに私は「国境!」と答えた。今思えば変わった子であったが、この国境を越えた世界が現出したのも事実。ならばこのヴァーチャルな世界も大切にしなければと感じている。「来年の抱負は?」と訊かれ、思わず答えてしまったのが、「英語でブログを書くこと。しかも日記ではなく、密教を語ってみたい。」あまりにも大きく出てしまったが、これは本音。既にgoogleに英語版のブログの準備はできた。あとはどんなことを書いていくのか、そこが大切。世界に向けた発信。それと仏教用語をどのように英語に翻訳していくのか、いろいろ課題はある。とりあえずは、守護尊カードの72体の内容を英訳して行こうと思っている。ちょうど、「The Secret」という「密」に関わる本が流行しているので、ちょうど良いかもしれない。あ、そうそう、私は英語が得意ではないので、きれいな英語にはならないと思うが、書き続けていき、英語を母国語にする友人たちにチェックしていただき、徐々に訂正していく予定。これこそ最前線の英語の勉強になるから一石二鳥かも(笑)。おそらく来年の今頃毎日していることは、英語の勉強と言うかもしれない。

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霊感商法対策

霊感商法に警察の幹部候補が関わっていたという事件があったらしい。 http://www.asahi.com/national/update/1220/TKY200712190422.html

・霊感的な問題にぶつかったら、霊的なことを言われたら、まずは信頼できる人に相談することが大切だと思う。そのためには普段から信頼できる人との普段からの交流が大切。また普段からの信仰心が重要になってくる。
・高額な法外な金額を請求された場合は、疑問を持つ必要があろう。
・伝統宗教だからといって安心はできないが、比較的伝統宗教は逸脱することは少ない。
・お守りなどおは基本的に値段がないもの。それにいくらを支払うかは本人次第の部分が少なくない。もし取られたという気持ちになるのならば、止めるがベスト。
・お布施の基準は、葬儀は年収の1割以内、ご祈祷は月収の1割以内とい決めておくと、法外な世界には入り込まないで済む。この1割とは、西洋で実施されていた教会の1割税に相当する。このレベルなら、生活に支障をきたすことはない。もちろん、1%でも良い。お布施は、取られたという気持ちにならず、しかもお財布にチョット痛いかなと思う程度が良いようだ。
・むやみに「霊が見える」と言って、人集めをしている人は注意が必要。その多くは霊が見えるのではなく、念を感じるといった方が正しい場合も少なくないからだ。


霊的な話をされ、そこにお金や労働をつぎ込むと、おかしいとは思っていても、それを信じたくなってしまうのが人の情。それは自分を護る好意であることを知る必要がある。ところが、そうした妄信が、実は最も自分を傷つけていく。宗教が麻薬とされるのはこうした面があるからだ。信心はとても大切である。しかし、妄信は無信仰と同じであると知らねばならない。それは、自分が信じるのではなく、他人に自分を任せてしまうことになるからだ。目の前にいる生きた人を妄信してはならない。その人が人格的に優れていて信じることは悪くないが、妄信は問題がある。たとえ、その人に裏切られても構わないというレベルなら別だが。信心は、無でもなく、行き過ぎでもないところに本物があることを知っていれば、霊感商法に引っかかることはないと思う。

もし霊感商法に引っかかっているかもしれないと思う人が居れば、信頼できる人にすぐに相談すること。またはその霊感商法と全くかかわりのない伝統宗教の僧侶に相談するのも一手であろう。騙す人間はもちろん論外であるが、騙されても決して恥ずかしいことではない。それに気付いたらすぐに手を打たねばならない。騙されたことを黙っていると被害が拡大し、余計にその霊感商法のぬかるみにはまってしまう。繰り返して言うが、決して人を信じすぎてはならない。自分自身が責任を持っていられる範囲での信心が重要だ。

釈尊は実にうまいことを言われた。自分を寄り島にし、法を寄り島にせよ。霊感商法に対応するには、まさにその通りだと思う。

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2007年12月19日 (水)

真言の音をピアノで サンスクリットヴァージョン

普段、手法のときに用いる真言の音程は抑揚をつけずに一定音で行っている。ところが、昨日のブログでも述べたように、サンスクリットの音程に私も随分と感化されてしまった。そこで、昨日から今日に掛けて、少し音程をつけて唱えている。例を出せば、文殊菩薩の ア ラ パ チ ャ ナ。アラパチャまでをG♭(F#)で唱え、ナをA♭(G#)で唱えると、私の場合は実に心地よい。人によって声の違いがあるので、その人にあわせて気持ちの良いところでお唱えするのが良いのかもしれない。ただし、これはあくまでも真言宗の伝統的なものではなく、私個人の体験によるもの。

ちなみに、昨日から聴いているサンスクリットの般若心経の真言部分を音にすると
ガ  F   テー A    ガ  F    テー F
パー F   ラ  F    ガ  F    テー G
パー F   ラ  F    サン F    ガ  F     テー G
ボー F   ディ F    (一拍置く)
スワ G  ハー G

ピアノなどで弾いてみると分かりやすい。ちなみに私は、「ペンちゃんの不思議なけんばん3.17」http://www.vector.co.jp/soft/winnt/art/se160485.html?site=n を使っている。Macではなく、Windows対応のもの。このソフト、結構便利。

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iTunes Cardを手に入れ、古今亭志ん生のニ演目を購入

コンビニサークルKでiTunesCardというものを見つけた。
AppleのiTune用のカードだ。とりあえず3,000円分を購入。
帰宅して、早速iTunesを起動して、アカウントを入力し、iTunes Storeへ。
そこで右横にあるコードを使うをクリック。そこでコードを入力。
ところがカードのどこにコードがあるのか分からない。
よくみると、iTunesという文字が何個も書かれた銀色の部分が裏にある。
???と思い、削ってみると、案の定、そこにコードが記されてあった。
アハハハハ。
こんな単純なことに気付かない自分の馬鹿さ加減に大笑い。
あらためてコードを入力。
すると3,000円分が入金された。
ほぉぉ。

ためしに何を購入しようと考えてみた。
音楽ではつまらないし、オーディオブックは少し高い。
うーむ。
あ、そういえば、昨日の帰宅の車の中で落語の話しが出ていた。
そうだ、ビートたけし等が私淑した古今亭志ん生が好い!
iTunesで検索を掛けてみると、21種類あった。
有名な「火炎太鼓」と、まったく毛色の違う「淀五郎」を入手。
先ほどから聴いている。
うーむ、あんまりその良さがいまひとつ分からない。
語り口調というか間のとり方はは確かに勉強になるが、その良さとは何なのか?
とりあえず、数日間は聞いてみようと思う。

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ペイフォワードを実践しようとする銀行

アメリカの銀行が面白いことを始めた。CNNニュース http://www.cnn.co.jp/business/CNN200712180037.html で詳しくをごらん頂きたい。
映画『ペイ・フォワード』原題:Pay it forward をヒントに、世のため人のために自分の受けた恩恵を他者に回すということを実行し始めたそうだ。
 DVDは   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000XG9PA2/prpmenade-22
 文庫本は http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4042905013/prpmenade-22
 で手に入る。

人から受けた恩恵を三人の人に伝えていくというやり方。これは実に単純な方法だ。ある意味チェーンメールの善良版ともいえる。これを実際に実施していくと、いろいろなことが出てくる。そしてそこから学ぶことも少なくない。映画もいろいろなことを伝えてくれた。なかなか面白い映画であったし、今回の銀行も面白い試みをすると思う。成功する失敗するは別として、本音の部分も別として、こうした試みをすること自体、前向きであると感じる。宗教で言うお布施や寄付の本質が見えてくる気もする。温かく見守りたい。

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ミネハハさんとM(ジミー)さん

カミさんが、ミネハハさんのディナーショーに行き、大いに楽しんだらしい。言葉に尽きせぬ位の内容だったという。我が兄貴分の友人M(ジミー)さんとミネハハさんはいつの間にか大いなる糸のつながりをお互いに実感したらしい。071218_190210CMソングの女王と呼ばれCMソングを3000曲歌ってきたミネハハさん。最近は高レベルの魂の曲を歌い続けている。Mさんはサントゥールというインドの楽器の演奏者。今ではインド内でも有数の演奏家と聞く。数年前までは、我がお寺でも何度もコンサートを開いていただいた。この二人が大いなる繋がりを持つのは自明の理。その話しを聞いた私も大いに微笑んだ。

そしてカミさんがMさんを連れて帰ってきた。Mさんのお宅は関市の山奥にあり、猫が二十匹くらいウロウロしている。元々は鹿児島出身で、若い頃は山野を駆け巡り、野生生物と親しんできたために猫も大好きとのこと。場所は出水市。鶴の飛来で有名な場所とのこと。

鶴の話しを聞き、テレビの下に保管してあった我が故祖父のアルバムを出す。我が祖父片山與四郎は、昭和40年代前半に、鶴がえさがなくなり絶滅の危機に瀕しているということを知り、当時濃尾平野に豊富にいた泥鰌を北海道に送っていた。そうして丹頂鶴の保護につとめていた。泥鰌も少なくなり、鶴も各地域で自立できる状態となり、昭和40年代後半にはそのことからは身を引いていた。それを思い出してアルバムを出した。そしてアルバムを開くと、そこから出水市の鶴の冊子が出てきた。さらにアルバムには出水市にも1トン近く泥鰌を送ったという新聞の切抜きが貼ってあった。妻とMさんと私の三人は唖然。思わず母を呼びそのことを報告。Mさんとの縁の深さを改めて実感。こうした意味のある偶然の一致がまたはっきりした形で目の前に飛び出してきた。

そこから話しが盛り上がり、約6時間。10分の約束が十分(じゅうぶん)に話をできたと思う。

ミネハハさんのおかげで、そしてそれを企画したHMさんのおかげで、Mさんを連れて行ったKさんのおかげで、そして直感的にMさんを我が家に連れてきたカミさんのおかげで、今日の盛り上がりを楽しめたようだ。

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2007年12月18日 (火)

777

高野山へ行く途中、早朝まだ未明。目の前を走っていたトラックのナンバー777。オオオォ。滅多にナンバーは気にしないが、ラッキーな気がした。思わず感謝。そして先ほど、ガソリンを入れにセルフスタンドに。ガソリンを入れ終わり出てくると、目の前に走っていたミニバンのナンバー777。オオオォ!

今日、気にした二台の車がたまたま777。一日の最初と最後にこのナンバーに出会うとは、ラッキーと勝手に思い込んでいる私であった。

今日は高野山へ行った。弘法大師の数字は21。7×3=21。こじつけすぎだろうか?(笑)

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般若心経のサンスクリット 節回し付き を高野山の帰り道に聴く

高野山の帰り道、何を堂間違ったのか、河内長野で仲間を下ろした後、道に迷ってしまった。おかげで時間が予想以上にかかったが、ここで思わぬ拾い物をした。『般若心経の世界』学研 に付属していたCD「般若心経の来た道」が車の中に入っており、それを聴いてみたのだ。サンスクリットの読みと音階のある読み、中国語台湾佛光寺の読みと音階のある読み、韓国語の読みと音階のある読み、永平寺の般若心経と加藤剛氏による中村元訳のものが入っている。いちばんしっくり来たのは、もちろん永平寺のものだが、繰り返すと、サンスクリットの音階のあるものが一番耳についた。特に真言 ガテー ガテー パーラーガテー パーラサンガテー ボーディー スワーハ。これは耳に染み付いた。途中から、このサンスクリットのものばかり聴いていた。スワーハは最後に付け足している。なにか、真言を唱えた後に、「ありがと!」と微笑んで軽く言っているような雰囲気がある。この節回しは役に立ちそうだ。

このサンスクリットを聴いて感じた。私たち僧侶はできるだけ抑揚をつけずに読むように指導されている。ところが一般の方々はそれぞれの独自の節回しで読まれることが、ままある。この節回しが、なんとなくこのサンスクリットの音階のものと似ている気がしたのだ。ひょっとすると、私たち僧侶が唱えているものよりも、一般の方々が唱えている節回しの方が本来のものに近いかもしれない。ここは信仰が織り成すもの。理屈よりも、そうした感性のほうが真実に近いと言えない事もない。とすると、他の仏様の真言も抑揚があるのだろうか。ちなみに文殊菩薩の a ra pa ca na を、般若心経の真言に近いふしまわしで唱えてみた。「これは好い!」。伝統とは外れるので、誰かに伝えることはできないが、自分自身の修法の際に実際に用いていこうと思う。

この本は既に絶版。古本は以下で手に入る。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4054022278/prpmenade-22
お持ちでない方はCDだけでも手許に置いておいても損はないと思う。

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2007最後の高野山へ(1)

200712180735000 高野山へ行ってきた。朝の三時に出発。途中で何度も休憩しながら行く。今回も名阪国道の工事。そこで針インターから下りて、桜井を抜けて大和高田方面へ。予定より早かったので、まず天野へ行く。何台も車に抜かされながら、ゆっくり走る。途中、空は曇り。薄明かりの中だった。ところが日の出と共に、その瞬間だけ太陽を垣間見た。感謝感謝で思わず車を止め、携帯で写真を撮る。そして合掌。実際に見た光景はもっともっと神々しいものだった。写真では雰囲気があまり出ていない。私の写真の腕でも関係するのか???

200712180742000200712180746000天野に到着。お掃除をされている女性が一人居たが、他は誰も居ず。まず入り口の鳥居で合掌。そして写真を撮る。そして本殿へ。ここのお参りはとても気持ちが良い。ニ礼二拍一礼。ただただ「ありがとうございます 」を繰り返してお唱えしてきた。帰り道は太鼓橋を渡る。その頂上から本殿を写真で撮った。この雰囲気がたまらなく素晴らしかった。丹生都比売(にゅうつひめ)神社:別名天野大社はお伊勢様の妹君とされる。古代の力を感じるのは私だけか。 今年はこれで何回目だろうか。天野神社に守られている感覚がある。やはり深く感謝。

P1000028200712180855000 朝の壇上伽藍。ほとんど人は居ない。まず全体を撮影。そして御影堂で祈る。三鈷の松を入れて、大塔と御影道の写真を撮影。准提堂へ。数珠がない。あれ?そのまま孔雀堂、西塔、四社明神へと祈りを捧げる。心経と立義文と御宝号を唱える。やはり数珠がない。そこで引き返すもどこにも落ちていない。車に戻るもやはりない。本当は、明神様をお祈りしたら戻るつもりだったが、伽藍の詰め所に届出に行く。するとそこに数珠が置いてあった。ホッとする。そこで後輩F君を訪ねるも、彼は愛染堂でお護摩の最中だとか。ここで戻ることを思い直して、金堂、大会堂、不動堂、西行堂、東塔、勧学院などに祈りを捧げ、愛染堂に。後輩はちょうど仏様を迎えて、六種供養をしている最中だった。私は勝手に自分が迎えていただいたと解釈して、添護摩木に感謝と記してお祈りを捧げた。 そして外に出た。あそこで数珠を落としたのもある意味何かの導きだったと感じている。おかげで後輩のお護摩に立ち会えた。こうしたいみのある偶然の一致、今日も数多く体験できたようだ。深く感謝。

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食糧戦略会議は戦略ではなく予想会議なのではないか?

農林水産省が開いた食料戦略会議があったという。 http://mainichi.jp/select/today/news/20071218k0000m020124000c.html 三つのシナリオが記され、どれも悲観的なものばかりだったらしい。

さて、これを政府はどう見ているのか?結局は経済産業省のお金の論理に負けるのではないだろうか?

反論を覚悟で敢えて質問をしてみたい。

・少子化というが、人口が減れば経済は縮小する一方、一人当たりの国内生産の食料の量は増加するのではないだろうか?

・農家という既得権保守ではなく、兼業農家と農業をしたい人たちとの垣根をはずすことは難しいのであろうか?(農業したい人に一定の条件で農家に順ずる地位を与え土地購入・借用を可能にする)

・農業の会社経営の本格化はなぜ難しいのか?

・既存の農家が大切なのか、日本の農業が大切なのか?既得権益の中でヌクヌクしている農家が大切なのか、真面目に農業を営む人が大切なのか?

・工作されていない荒地を、一定の条件で地方自治体が没収し、それを新たに一定の条件で貸し出したり、売り渡したりする方法はできないのか?ある意味、戦後の農地解放のひずみを是正するための、農地管理は無理なのか?

・クラインガルテンの普及は不可能なのか? http://homepage3.nifty.com/tng/ecology/german/gercleingarden.htm 

戦略会議であるのならば、私のような素人でも思いつくこと以上の結果を出さねば単なる税金食いになりかねないのではないか?戦略会議ならば、抜本的な対策をせねばならない。悲観シナリオならばそれは戦略ではなく、単なる予想屋に過ぎないと感じる。無理だと思われることを敢えて提言してこそ戦略会議であり、その無理と思われることを実現してこそ、政治世界での改革なのではないか?

農政ばかりでなく、環境問題も経済問題までもおかしくなっている。税金面もそうだろう。課税をあげることは子供でもできる政策だ。それを上げなくても国民が上手に生きていく方法を見つけてこそ国政なのではないか?国を思う心より私服を肥やしたり自分の地位や組織を保守したりすることに力を注いでいる人たちが権力の座に住している限り、この国の未来は悲観的なものになってしまう。そのためには、一人ひとりの国民が、選挙の際にしっかりとした人を選ばねばならない。最終的には、こんなことしか行えない国を作っているのは私たち自身であることを知らねばなるまい。かくいう私にも大いに責任がある。それゆえに、私は政治家と付き合い、政治家たちに提言し、次世代の若い人たちを育てていたいと感じている。

かのニュースを読んで少し方に力が入ってしまったようだ。今から高野山へ出発する。すこしストレッチをしてから行こう。

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「秘密を解く鍵」「解く秘密の鍵」を学ぶ

これから高野山へ向かう。高祖弘法大師空海の著作の輪読会。今は『般若心経秘鍵』という小部の作品。般若心経を密教独自の視点で読み込む著述。注釈書というよりも、般若心経をいかに身に就けるとかということを視点に記された著作。

そんな経典をさらに身に就くお経として捉えたのが般若心経秘鍵。この勉強会を行うようになって知ったのだが、「般若心経の秘密を解く鍵」と「般若心経を解く”秘密の鍵”」という考え方の二種類があるようだ。前者は一般的な捉えかたで、般若心経に秘密があり、それを解きほぐすというもの。後者は、その深奥の意味を解きほぐす秘密の鍵とは何かという意味。真言を秘密の鍵ととらえれば、むしろ後者が方が、真言を中心に考えばスッキリする。私たちは常日頃から「秘鍵」とい単純に読んでいる。ここにも大きな意味があるような気がする。

ただ、私は秘密に、衆生の秘密と如来の秘密があるように、この秘密の鍵と、秘密を解く鍵の両者の意味を含んでいるととらえたほうが弘法大師らしいのではないかと思う。ひょっとすると『般若心経秘鍵』は、単なる『般若心経』の秘密ではなく、また『般若心経』を解く秘密の鍵ではなく、ありとあらゆるものの秘密を解く鍵であり、ありとあらゆるものを解きほぐす秘密の鍵なのかもしれない。もっと過言するならば、密教を解く鍵ともいえるし、真言はあらゆるものを解きほぐす秘密の鍵なのかもしれない。

Hikendaishi005 真言宗では、右手に五鈷杵を持つ弘法大師像が普通だが、智剣(利剣)を持つ弘法大師像もある。名づけて「秘鍵大師」。智剣は別名般若波羅蜜剣ともいう。この秘剣大師は古来より、ご祈祷をする際には必ず置いておかねばならないものとする口伝があるそうだ(四国のY師より教えていただいた)。ここに素晴らしさを感じる。この秘鍵大師こそ、秘鍵の大師というより、「あらゆる秘密を解く鍵である弘法大師」という意味があるのだろう。さいわい、高家寺には、「秘鍵大師」が祀られている。これも不思議な縁で、岐阜県の西濃地区に住まれている電話があった。お寺からずいぶん離れている方なのだが、「弘法大師像を預かって欲しい」という依頼であった。お寺から一時間弱、車で出かけ、お堂を開いた。そこにおわしたのが、今では高家寺の大師堂に祀られている秘密鍵大師だ。坐像が多い中、高家寺のものは立像。これは座禅にこもるのではなく」自由自在に動き回ることを意味していると、私は解釈している。

これらの密教でいう「秘密」こそ、最近このブログでも紹介してきた「The Secret」の意味をはるかに掘り下げた内容。確か密教の素養がなければ理解しづらいものもあるが、「秘鍵」には人生の深奥へ到達する深みがある。この「秘鍵」は読むたびに発見のある面白い著。こうして学生時代をはるかに超えながらも、師匠の下で秘密を解いていくことは楽しい。

師匠の著述は以下でも手に入る。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393172795/prpmenade-22 

さて、今日はどんなSecretを紐解くのであろうか?

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2007年12月17日 (月)

明日は高野山へ3時に出発

明日は高野山の師匠のお宅で勉強会。今回は午前中に始まるために、朝3時に出発する予定。ということで、寺子屋が18時半に終了し、その後食事し、入浴し、すぐに寝る予定。21時前には寝れそうだ。本を読むのは少しになりそうだが、その分、考える時間を上手に作ろうと思う。また、どんな夢を見るのかは分からないが、その夢もまた楽しみ。テンピュールに赤ひげ堂でいただいた枕カバーをつけて、それを抱き枕にして、夢を見る予定。高野山へ行く前はいつも不思議な夢を見るから楽しみだ。

そういえば、私たち一家の身体のメンテナンスのメイン鍼灸院の東京代々木の「赤ひげ堂」のURLが変更されたそうだ。 http://www.akahigedo.com/index.html になったので、今後はそちらへ。

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地域密着型総合福祉施設 COM. DO2 (コムドゥードゥー)

20071217_1645 午後から父を地域密着型総合福祉施設 COM. DO2 (コムドゥードゥー) 
http://www.phoenix-g.jp/17takinou/index.html
へ信者のTさんと共に連れて行った。Tさんは福祉関連に深い知識を持つ方で、今回も彼女の推薦によるものだった。来週早々に介護認定が下りてくると思うが、父は要介護1または要支援2に値するとのこと。そこでリハビリの施設を探していたところTさんより推薦していただいた。

訪れて、まずビックリは、対応をしてくださった副主任の方の手際よさと、その心温まる対応。これほどレベルの高い方は初めてみる。二十代の女性でこれほどの方は早々お目にかかるものではない。その直後に、専務理事さんとお会いする。この方は、マドンナの西邨まゆみさんのお食事会のときにお寺に来ていただいた方。こんなところでもご縁があった。その後施設内を案内していただく。

20071217_1647 施設内は外からガラス張りになっている。そのために外からどんなことをしているのか一目瞭然。密室の介護ではないところが評価されうる。採光も素晴らしい。食事施設も基本的には自分が二種類から選ぶ体制。しかも自分で机まで持っていくもの。運動器具も七種類。それと、ここの特筆すべき点は、ユーメ制度。これは、最初に20ユーメの紙を支給してもらう。そして所内に規定のある運動や行動を行うと数ユーメ支払うことになる。さらに、それをしっかり終了させると40ユーメや80ユーメなど、内容に合わせて多くのユーメ用紙をもらえるシステム。そのユーメがたまれば、喫茶部でも自由にお茶が飲めるし、テレビも自由に見れていく可能性が増える。自分自身が行動をしていくことでより所内を快適に過ごせるようにしているようだ。ここでは語りつくせぬ面白さが、まだいくつもある。

今週末、議員をお連れして、モデルケースとしてこの施設を見学してもらおうと思っている。

ちなみに、帰り道、ケーキ屋さんによる。名前は「ボワール」 http://www.voir.in/top.html 実はこのお店の敷地は私がご祈祷したもの。味は保障付きの美味しさ。喫茶部もあり、お勧め。私は二つも食べてしまった。

帰り道、車の中で政治に関わる人の話しをする。「これは!」という人が見つかった。さて、この人がどうなっていくのか、今後が楽しみだ。

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2007年12月16日 (日)

手段と目的が逆転:「虹を翔るお坊さん 2007東京ボーズコレクション」

CNNニュース http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200712160014.html で、東京築地本願寺で僧侶のファッションショーがあったという。この方向性は決して悪くないと思う。新たな時代を切り開く試みとして評価されよう。

ただし、仏教という時代を超越したベースの中でファッションショーはやはり疑問符だ。一つの法要を、いろいろな衣体(衣帯)で行うのは良いだろう。それを見て美しいと感じるのも問題ではない。しかし、見せること自体を目的とした行為はどうであろうか?どこか商業ベースのにおいがする。目的と手段が入れ替わっているのではないだろうか?この内容が仏教の中で永続性があるものだろうか?この内容にどんな仏教的な意味づけがなされているのだろうか?

今の寺院が一般から乖離しかけているのは、こうした手段と目的の逆転があるように思えてならない。
たとえばお布施。お布施は僧侶の時間を拘束し、信者さんがそれによって心の安定を得られたお礼として出されることが多い。ところが、最近はそのお布施を頂くために僧侶活動をしている僧侶が多すぎる。お布施を否定しているのではない。現実に私のお寺も、そのお布施によって成り立っている。しかし、頂くことが目的であり、お寺が存続することが目的であってはならないと思う。お寺の存続もあくまでも手段。お寺は人々の心の安寧を得る場所であり、その安寧を得るための手段に過ぎない。そしてそれを存続させるためにお布施を頂くのではなく、人々に安寧を提供するからこそ、その方々が布施をし、そして結果としてお寺が存続していく。そういうものなのではないだろうか。それに合わなければお寺も統廃合が必要だろう。

高家寺もかなり前衛的で、大道芸を取り入れたり、音楽会を開いたりもしてきた。あくまでも、それは仏の供養の延長でしか行っていない。しかし、坊主のファッションショーには、仏教の意味づけを見出せない。またここまでは手を出す気はない。いや出してはならないと思っている。

ただこうしたニュースを見させていただいたおかげで、やはりお寺の基準と言うものが必要だと言うことを感じさせられた。右でもなく左でもない中道こそ仏教。それを教えてもらえたことには深く感謝したい。

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食に感謝

昨夜は、寺子屋の生徒の一人と我がカミさんと三人でカジュアルイタリアンレストランに出かけた。この地域では「マリノ」と呼ばれている。正式名称は「ピッツェリア マリノ 各務原店」 http://www.marino-net.co.jp/shop/marino/kagamihara.html ここで、トマト系のパスタ。クリーム系のきのこピッツァ。トマト系のドリアを三人で頂いた。個人的にはこのお店はトマト系のパスタが好きだ。昨日のパスタも美味しかった。ただアレルギーがあるために私は乾麺以外食べられないし、このお店の売りの一つであるゴルゴンゾーラが食べられない。ここは残念だが、味見はしていない。イタリアンレストランということで考えると決して高級レストランの味ではないが、対費用効果で見つめるとかなりレベルは高いように思っている。特にピッツァは石釜で焼いているのは事実であるし、カミさんはここのピッツァが大好きだ。生徒たちもこの「マリノ」はお気に入りの一つだ。それと最近、店員の質が向上しているように思う。昨日も二回ほどお願いをしたが、実に快く対応してくれた。それにも深く感謝している。

寺子屋終了後、ある食材を友人が持ってきてくれた。三つの家で分けた。それはかなりの量で、冷凍なので冷蔵庫に収まりきらないほどだった。一昨日も桑名の大叔母に食料をたくさん頂いた。これでしばらくは充足される。29日に寺子屋の合宿があるので、そのときに使用する予定。こうしたことに気を使ってくれる友人たちに深く感謝。

食に深く感謝。そういえば、今月の守護尊に大黒天が居た。大黒様は食の神様。昨日は大黒様が降臨していたのかもしれない。(笑)

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2007年12月15日 (土)

クラークスのワラビーを手に入れる

友人の靴屋さんに黒の普段履きの靴を頼んでおいた。そして彼が選んだ靴はクラークスのワラビー。黒。それが今日届いた。

クラークスのワラビーは砂漠を履く靴として重宝されていたという。普通の靴と異なり、足を下から包むようなつくりになっている。若干、他の靴とは異なる履き心地。友人曰く「靴を履く人なら、この靴は一度はとおっておいたほうがよい靴」ということだ。合う合わないはあるだろうが、靴下のような履き心地であることは事実。靴底はやわらかいが、踵はしっかりしている。足の裏は靴下を履いている感覚に近い。履き心地は、面白いと言う表現がピッタリだ。

尚、この靴には注意が必要。普段わたしが履く靴は26cmが多い。それに対応するのは8インチが多いのだが、この靴は 7 1/2 を手に入れた。これでピッタリ。実にフィットする。日本のサイズと異なっているので、履き心地は実際には居てから確かめたほうがよいと思う。ネットで購入する人は靴のサイズや木型には細心の注意が必要だと思う。決して安い買い物ではないので、心得ておくことと感じる。ちなみに友人は私の足を見て、サイズを決めてくれた。こうした友人のアドヴァイスはとても貴重なものだ。

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The Secret 読了  次は英語版を楽しむ予定

『The Secret』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047915572/prpmenade-22

 を読んでいる。普段は、本一冊程度なら遅くとも二日で読んでしまう。この本はなかなか進まない。一つ一つの言葉に力強さを感じているせいもあるが、どうも翻訳がしっくり来ない。この言葉の原義は何であろうかと、思ってしまうからだ。この本の中で繰り返し使われるるのが「引き寄せの法則」。言語の英語では"The Law of Attraction"。このattractionとは、魅力・引き付ける力・引力・誘惑・吸引・牽引などの意味がある。この言語の意味を分かっていないと、「引き寄せの法則」の大切な部分が見えてこない。自らが鉤を用いて集めてくるという意味ではない。自分自身が引力を持ち、そこに自然に引き寄せられてくると言う意味がある。この違いは大きい。

他にもいろいろあって、なかなか前に進まずにいた。ようやく読み終わったが、まだ身についた感が少ない。この感覚を持っていること自体、実はThe Secretが身についていない証拠だ。しかし、この感覚は逆に私を進化させてくれる力であることを感じても居る。先ほど英語の本を注文した。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/1582701733/prpmenade-22 この本は、おそらく私をある世界へ導いてくれることは実感している。その言語に触れることで微妙なニュアンスさえも、その源底の響きさえも伝えてくれるはずだ。だからこそすぐには読めなかったし、英語の本まで手に入れようと言う気になったのだろう。

先ほど仏教版The Secretを私自身が書くことになると確信した。密教にはそのThe Secretが溢れているからだ。それに気付いている真言僧も少なくないと思う。

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建設的な夜! カミさんの元の同僚と夕食を共に

カミさんの元の同僚が四日市に居る。現在、衆議院議員の公設第二秘書。この人物、カミさんのお気に入り。私も彼を見込んでいる傑物。西村まゆみさんの師匠の久司先生との縁も結んでくれたのは彼。彼がいなければここまで進んで来れたかどうかさえわからないほどのキーパーソン。

桑名に出かけたついでに、彼と会う約束をした。四日市の街を一人で歩くのは初めてなので、約束の一時間前に到着し、ウロウロする。本を二冊購入。喫茶でエスプレッソを飲みながら、読書して、彼を待つ。時間五分前に到着。さすがに彼は時間に正確だ。

200712150136000 そして彼のお気に入りのお店に行く。おでんなどの家庭的な小料理を出してくれるお店。絶品の食事だった。ただ一見さんお断りなので、ここでは詳しくは紹介できない。ただ私もとても気に入った。そして、彼との会話はとても建設的で、おそらく二人とも大きく前進できるきっかけになったと感じる。素晴らしい一夜だった。内容を記したいが、これももうしばらく後に記すことにする。というのも私自身が消化したい内容がいくつもあるからだ。

そのお店で三時間。素晴らしい食事に、素晴らしい場所、素晴らしい会話の内容だった。

帰宅したのは12時少し過ぎ。日付が翌日になっていた。

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海南病院(愛知県弥富) 桑名の大叔母の検査に同行

昨日、朝の四時半に起き、五時半に出発。ガソリンがワンメーター分しかなく、セルフスタンドで給油。そんなに寒くなかったので助かった。これも温暖化の影響?ガソリン代はレギュラーリッター150円。そして各務原インターから高速へ。途中、名古屋高速一宮線が延長されていることを知る。どこまで続いているのかは分からない。私は東名阪へ。そして桑名東で下り、桑名の大叔母の元へ。私の第二の母ともいうべき人。

この夏に大叔母は頭痛のためにMRIで精密検査をした。半年後に検査が必要と言うことで、昨日向かった。大叔母は子供が居ないので、本屋の長女である我が母の長男、つまり本屋の初孫の私が就いていく。向かった病院は、海南病院。この病院は脳神経外科は東海地区では指折りであると聞いている。MRIも3D(立体)的に見ることが可能。到着時刻は7時15分。大叔母を玄関に下ろし、私は南の駐車場へ車を置きにいく。受付後、診察室前に。やたらと暖房が効いており、ひとっこ一人居ないのに、かなり厚い。血圧測定の機械が置いてあり、そこで測定。どうも上の値が20ほど高いようだ。ためしに私もしたら上が125もあった。ビックリ。8時半になり、受付で呼ばれ、MRIの検査室に向かう。こちらは外来棟とは異なり、入院病棟。かなりきれいな建物だ。受付を済ませ、MRI室へ。前回も行ったので、慣れたもの。ところが今回は人数が多い。前回は検査技師と話をすることができたが、今回は全くその余裕なし。約二十分間の検査。私はその間、読書時間。検査が終わり、トイレに。この入院病棟のトイレは非常にきれいだった。そして入院病棟のホールでしばらく休憩。ここはとても心地よい温度。少し寒めなところがよく、心身ともにリフレッシュ。時間になり、外来棟へ向かう。途中で、待ち合わせをしていた母の妹(叔母)に会う。三人で診察所へ。かなり込んでいたが座ることは可能であった。一時間近く待つ。私はもちろん読書。そして診察室へ。

結果は、前回と変わりなく、今後は一年に一回の検査でよいとのこと。ホッとする。

その後、三人でイオンショッピングモール弥富に行き、次に食事へ。叔母を下ろした後は市役所へ。ややこしい保険制度に対して、病院でも確認できない文書があった。そこで市役所に直接問い合わせにいく。そして訂正するように求めておいた。

海南病院のURLは http://www.jaaikosei.or.jp/kainan/
評判の一部は http://www.qlife.jp/hospital_detail_7755 に掲載されている。

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2007年12月14日 (金)

いのち輝かせ  寺子屋のモットー

教え子の一人が道に迷っている。昨日もその子が訪ねてきた。長く通っていた子ではないので、道に迷った際にどうすればよいのかを十分に伝え切れておらず、その点が今も心に残っている。その子が自分の命を最大限に輝けるように私もできる限りの補助をしたい。

寺子屋は中学卒業時に卒業制度を取っていたが、高校卒業後も続けられるようにシステム変更をした。

いのちを輝かせ・・・・これを寺子屋磨鉱塾のモットーとしていこうと改めて思う。

どんなことがあっても、私はあきらめない。一人ひとりの生徒が思い切り輝くように、最大限の応援をしていくつもりだ。

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飽きない飽きない

ある人に言われた。「飽きない商いが好い(あきないあきないがいい)」。うまいことを言う。座布団二枚!

そういえば飽きるとは元々古語では満足すると言う意味。満足した時点で、物事は止まってしまう。何事にも満足せずに常に磨きを掛けていくことが練熟していくことになる。商売も同じ。お金に満足するのではなく、その商売が人の役に立ち、世の役に立つために、より洗練していくこと。ここに商売の真髄があるような気もする。

日本の商人が、飽きない商いをすることを祈りたい。

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2007年12月13日 (木)

裏切りをどう見るか?

信じていた人に裏切られた。このように思うことが時折ある。私も今年に入って切実にそう思うことがあった。悲しくやるせなく、怒りに震えた。今は少し異なっている。その裏切りを裏切りと裏切りと捉えなくなってきた。

裏切りにあった直後は、その裏切りをした人に対して自分に都合の良いように、本当はそうでなかったんだろうけど、たまたま間が抜けただけに違いないと自分を慰めた。そうやって相手の悪口ではなく、良いところを見つめることで、自分の傷を無視しようとしたのだ。これは明らかに自分に対する逃げの口実であった。

またあるときは、その裏切り行為が許せなく、私自身が破壊的な思い出いっぱいになっていくことも経験した。しかしそれは、相手に責任を押し付けることにより、自分の犯した過失に背を向けているだけのことであった。

本当は、その裏切りをした人は、最初からそうした要因を持っていただけであり、裏切りでもなんでもなく、最初からそういう方向で動いていただけのことであった。ただそれだけのこと。元々は違うとか、ひどい裏切りという視点そのものが、実は私の色眼鏡であり、脚色であったのだと最近気付いてきた。

まだ裏切りと言う言葉を使っている自分が居るので、完全に許したわけでもないし、怒りがなくなったわけでもない。ただあの頃のような熱を持った怒りは収まった。その行為により新たな犯罪が生まれないことを望むだけである。

昨日、ある話で「裏切り」の問題が持ち上がったときに話しをした内容が上記。裏切られたと感じた場合、よく見ることもひどく見ることも、その両極端が実は色眼鏡であることを私たちは知っておく必要があるだろう。その色眼鏡をはずし、真実を見た場合、その裏切られた出来事そのものが、実は自分を成長させていく大きな出来事であることが多々ある。その出来事を忘れ去るのではなく、自分の参考書として活かしていけば、怒りも静かなものとなりうる。私の場合は裏切り行為は既に風化し、その相手のことも幻のように影の薄い存在となっている。逆に言えば、思い切り冗談の相手として活用させていただいている。あと半年もすれば、もっと広い視野でその出来事を見直せるだろう。

今、ふと気付く。出来事にあった場合は、その渦の只中かほんの近くに居るわけだから、その出来事の全体像が見えにくい。こうしたときこそ、少し外れたところで見ていてくれた友人の助言は大切なものだ。そして時を経て、その出来事から遠ざかっていくと、自らその出来事の全体像が見えてくる。このことはいろいろなところで応用できる視点。今も毎日のように勉強させていただいているのかもしれない。

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地球温暖化 危機は危険であるが機会(チャンス)でもある

気象庁発表のデータ。
陸地では観測史上過去最高ということです。確実に地球は温暖化に向かっていることを表しています。しかも理屈であると言うことは、人間の問題。更に言えば、北半球の中高緯度の温暖化が激しいようで、これはこの分明の問題を伝えているように思います。

http://www.jma.go.jp/jma/press/0712/13a/world2007.html 

先日、ノーベル平和賞授賞式前会見で、元アメリカ副大統領のゴア氏が、この文明の存続を訴えていた。「われわれの文明の存続にかかわる問題だ」と言ったのだ。 http://www.cnn.co.jp/world/CNN200712100016.html ここに落とし穴があると思う。この文明こそが温暖化の元凶。この文明がなくならない限り、地球温暖化は防げない。新たな文明を築き上げるか、われわれがこの文明と共に滅んでいくのか、どちらかしかないのではないだろうか。ゴア氏の『不都合な真実』はとても大切な映画だと思っている。だからこそ、もっと正確なものを知っておく必要もあると思う。あの映画の中にいくつもの問題があったとしても、それでもあの映画の成果は失せることはない。だからこそあの映画を寄り完全なものに近づけていくためには、今後より正確なことをゴア氏には伝えてもらいたい。彼が無理なら、環境問題に携わるものがそれを伝えなければならないように思う。

一方、ゴア氏はcrisisを漢字で紹介し「危機」すなわち、危険の「危」であり、機会の「機」であるともした。 http://www.asahi.com/international/update/1211/TKY200712100283.html ここはさすがに政治家で、なかなか良い言い回しではないかと思う。私もピンチは人を育てるチャンスだと思っている。そのことを彼は上手な言い回しをしてくれた。今後は私もこの言い回しを、ゴア氏の言葉として私なりに咀嚼し使わせてもらおうと思う。

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『The Secret』 を購入

昨夜は名古屋に出かけた。一時間ほど早く駅に着いたので三省堂書店へ。そこでウロウロしていたらある本が目に入ってきた。『The Secret』 ロンダ・バーン (著), 山川 紘矢 ・ 山川 亜希子 ・ 佐野 美代子 (翻訳) 角川書店 。すぐに「これは!」と直感し購入。

その後、スタバに寄り、豆乳カプチーノViente510円を手に入れ、高島屋二階まで下り、椅子に座って待ち合わせの時間まで購入した本を読む。面白い。ふと感じた。この本を信じるも否も、その人次第。ここで区分けをする。

A)内容が事実である場合 内容を信じる
B)内容が事実である場合 内容を信じない
C)内容が事実出ない場合 内容を信じる
D)内容が事実出ない場合 内容を信じない

およそ上記の四つに分類できると思う。どれを選ぶかはその人の自由。どれでも良いと思う。ただ私たち夫婦はこの本についてはA)を選択した。それを愚かしいと言う人も居るだろうが、賢者のみが素晴らしいのではなく、時には愚者のほうがことをなすことがある。それは行動を伴うからである。事実か否かは、今の自然科学の範囲でしか理解できない。しかし将来の自然科学の範囲では、その事実か否かは大きく異なっていく可能性もある。とするとどれを選択すればよいのか、おのずと見えてくる気がする。

帰宅して続きを読もうとしたが、その前に「最近話していた内容のことが本であったよ」とカミさんにこの本を見せた。すると本を取り上げられ、今ベッドの中でカミさんは読みふけっているようだ。

Googleで検索を掛けると http://jimaku.in/w/_b1GKGWJbE8/ae1POlJjQMK で映像を20分だけ見ることができた。先ほど知ったのだがこの本は全世界で850万部も売れた超ベストセラーだと言う。

内容についてはカミさんから取り戻し、本を読み直してから、改めてここに感想を述べるつもりだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047915572/prpmenade-22 でも手に入るので、本の内容はご自分で確かめていただければと思う。

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若い友人と夕食

午後から一件、ご祈祷に行く。土地の浄化と言うことだった。五大明王と四天王を使った作法をさせていただいた。

その後に、友人と話。ここでもいろいろと考えさせられた。

夜は若い友人たちと食事会。なかなか良い居酒屋だった。http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000650458.html 金魚。幹事役のM君には感謝したい。そこで一人の友人にお説教をしてしまった。いやお説教と言うよりも、少しだけ長く生きてきたものからの助言と言ったほうが正確かもしれない。彼に話しかけながら実は自分に言い聞かせている部分も少なくなかった。実は私は決断がなかなかできない人物である。だからこそ物が捨てられない。ある意味、我が家はカミさんのほうが決断力はある。その自分に言い聞かせるように、彼に話しをした。彼の素晴らしさを感じつつ、彼がもう一段高いところに飛べるように弾みをつけさせたかった。そのためのショック療法。実はM君はそのことを予感していたようで、逆にM君が居たからこそ今回のお話ができたように思う。内容は個人的なことなのでここでは省略する。今後の彼の変化について、彼のホームページを参照にしていただければと思う。彼の心意気に賛同される方は、彼を応援して欲しい。彼のホームページは http://www3.ocn.ne.jp/~teku708/12.html ブログは http://naonao0510.seesaa.net/ 

今日は友人との話と若い友人たちとの食事で、何よりものプレゼントを私自身が頂く。人を育てる・・・・ここに私の最大の強みがありそうだ。社会と心の探検家であり、人を育てる応援者。それが遊歩(玄米和尚)であるようだ。こうしたことを教えていただいたことに深く感謝したい。

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2007年12月12日 (水)

ご祈祷・食事に今から出発

今日は今からご祈祷に出かけ、その後友人といろいろな打ち合わせをし、夜は若い友人たちと名古屋で食事をする予定。今夜はカミさんは我が両親と留守番。もちろん私は飲む打つ買うはまったくしないから、そのあたりはカミさんも安心してくれてるようだ。今年の忘年会は基本的に出席していないが、これが忘年会になるのか・・・?

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高千穂と養老

昨日は吉良町に出かけた。その往路で面白いことがあった。

カミさんは「高千穂」という言葉を何度も目にし。カミさんに「高千穂」。なにか半分ジョークじゃないかと思うほどだが、実際に何かあるようだ。ちなみに私は四分の一が今話題の東国原知事の日向の血が流れている。母方の祖母が宮崎の出だからだ。そこに高千穂。面白い。

一方、私は「養老」という言葉に何度も出会った。最近父がめっきり弱ってきたのだが、そんなこととも関係するのだろうか?この養老とはいったい何を示す言葉なのか?何が私に告げられているのだろうか?ここはいま少し見つめる必要があるかもしれない。あ、そういえば、最近さまざまなお年寄りと関わっていることに今気付く。ここがポイントなのだろうか。それとも、吉良上野介を祀る華蔵寺の枯山水に鶴亀があり、それもこの養老と関係しているのだろうか?

それにしても、私は「高千穂」を一度しか観ておらず、カミサンは「養老」に鶴亀以外に出会っていない。一緒に居たのに、面白いものだ。

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マスコミの方へ 「知る権利」を憲法に明記することをアピールしていただけないだろうか?

マスコミ関係の方がもしこのブログを読まれたら、是非全てのマスコミを通じて考えていただきたいことがある。「知る権利」が日本国憲法によって日本人には保障されていないと言う事実を知っていただきたい。これは、日本に報道の自由の根幹がないと言うことと同じではないだろうか?だからこそ、官僚はすぐに隠すし、企業も同じ。政治家もまた叱り。

日本には古来より秘伝と言うものがある。おそらく元々は純粋な形が崩れることを恐れての伝承方法だと思うのだが、いつのまにか主客が逆転して、秘密を守る事が主になってしまったように思う。真言密教にも同じことが言える。高祖弘法大師空海は教義を出し惜しみすることを最大の破戒であるとまで言っている。しかし、誰でもかんでも作法を伝えると、そこに曲解が生まれ、内容を全く別のものに変えてしまう恐れがあるために秘密を用いた面がある。また薬も調合の仕方で毒になるように、教えもまた毒になりかねないものには伏せておいた面もある。しかし、後代のものはいつのまにか高祖の思いよりも、秘密そのものを護ることに比重を置き、高祖の思いを忘れ去ってきた面も少なくない。本当はどんな教えでも公開が原則である。まさに「知る権利」を誰もが有しているということが大原則にあるのではないだろうか。

私は、園田康博代議士(民主党)から、この「知る権利」が日本国憲法に欠如していることを知らされた。私なりに読んでみたが、やはり園田代議士がおっしゃるとおりに欠如している。

これはある意味マスコミの責任ではないかと、今の私は感じる。テレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」(原題The West Wing)を観ていると、アメリカの民主主義はまさにこの「知る権利」によって裏打ちされていることが分かる。だからこそマスコミが国家権力に対して力を持てるのではないだろうか?日本のマスコミの質が低いのではない。この「知る権利」が明記されていないことにより、「知る権利」の価値を日本人が感じていないことに問題があり、そうした初等教育を全くもって受けられないことに問題があると思う。今こそマスコミが先頭に立って、「知る権利」を憲法の修正条項として明記すべきときではないだろうか?憲法九条の問題のように、答えが真っ二つに割れるような議論をする前に、まず今の憲法の補足すべきところは補足すべきであると言う方向へ持っていくことが肝要な気がする。元来、日本人には白黒の世界は丁半のサイコロ世界ぐらいであったように思う。全面護憲でも全面改憲でもなく、改善すべき点はしっかりと改善していくと言う、日本の工業製品と同じような方法論を憲法もしなければならない気がする。その突破口こそ、マスコミがもっとも大切にしなければならない「知る権利」であるように思う。「知る権利」が明記されれば、現在日本で起きているさまざまなことが改善されていくだろう。ここはもっとマスコミに研究していただきたい。この「知る権利」を修正条項として載せることには、護憲派も改憲派も、反対はしないはずである。

公開を原則としているWEB2.0の世界に突入しつつある現代であるからこそ、その根幹にある「知る権利」を明確にしておく必要性を感じる。どうかマスコミの方々、この「知る権利」を真剣に考察し、社会にマスコミからアピールしていっていただきたい。

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2007年12月11日 (火)

憲法によって「知る権利」を持たない日本人:岐阜刑務所事件から思う

岐阜刑務所で残念な事件が起きていた。詳しくはasahi.comの以下のニュースを見ていただきたい。 http://www.asahi.com/national/update/1211/TKY200712110334.html

かつて私はこのブログで、岐阜刑務所内の問題を提起した。 http://mantra.way-nifty.com/osho/2006/04/post_8ca8.html  そしてその後に起きた事件も取り上げた。 http://mantra.way-nifty.com/osho/2006/10/post_7bfc.html 。そしてまたこの問題だ。正直言って、この時期にしか分からなかったことが悔しい。刑務間の実態調査が今こそ必要なのではないだろうか?

???初任官の者をLB級に???
だいたいLB級の刑務所に初任官の刑務官を送り込み、そこで受刑者を担当させることは狂気じみている。本来ならば、数年の経験者もしくはベテランがあたるべきLB級なのに。今回の事件が発覚したとはいえ、おそらく事態は大きくは改善されないだろう。まずは、刑務官の初任官者の赴任先を改めないとならないと思う。

???ほとんど行われない研修???
研修もまともに行われていないと聞く。LB級に赴くものならば、警察学校があるように、一年近くはみっちりと研修すべきなのではないだろうか。LB級や府中は特殊な場であるのは疑いない。研修もまもともに行わないで任官させるなど論外ではないか?

???離職率はどうなっているのか???
A級・B級・LB級の刑務官の年間の離職率と離職数を公表すべきだと思う。このあたりをはっきりと公表しないでおいては、今までのような事件の再発に繋がるように思う。離職者数が分かれば、世間ももっと考えるはずである。今の体制は、古くから居るベテランがのさばり、辛いことはすべて初任官者へといってしまいかねない。

今回の事件を見て、改めて感じた。Rights To Know 知るための権利 これが日本には欠如していることを。私たち日本人は、「知る権利」を憲法で保障されていないのだ。

岐阜三区で比例代表東海で当選している園田康博代議士が居る。彼は主に厚生労働を担当しているが、本来は憲法を主体に行うつもりで国会議員になった人である。彼はまさにこの「知る権利」が日本国憲法に記載されていないので、これを明記するために国会議員になった人である。彼の視点は本当に貴重である。

彼に憲法の仕事をさせないで放置している民主党もはっきり言って人材を無駄にしていると言ってもよいのではないだろうか。何が大切なのかをもっとしっかりと見極めて欲しい。憲法は全文を変えなくとも、まずは修正をしていけばよいのではないだろうか。アメリカから押し付けられたものであっても、それを少しずつ日本色に染めていき、日本独自なものへと変化させていくのが日本ではないのか。憲法さえも、工業と同じようにアメリカ人によって作られたものをより良いものに変えていけばよいだけのような気がする。「知る権利」を明記することを、護憲派も反対はすまい。

園田康博という貴重な存在を民主党の方々には知っていただきたい。彼がしようとしている「知る権利」を憲法に明記することが、今回のような犯罪を激減させる元になるだろうし、官僚による秘密主義を崩壊させる元にもなるはずである。今、日本を変えるにはこうした思想を持った政治家が必要だと強く感じる。

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これなんだ? ぼけ防止のマスコット

あるお寺で良いものを見させていただいた。その写真がこれ。200712112149000

何か分かる?

実はボケの実に帽子をかぶせたもの。つまり「ボケに帽子」で「ぼけぼうし」「ぼけ防止」。これには参りました・・・・アハハハハ

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吉良町で意味のある偶然の一致

今日も起きた意味のある偶然の一致。もちろん毎日起きているが、今日のは強烈な一撃だった。

200712112151000カミさんの元のボス、佐藤謙一郎氏に誘われてカミさんと共に車で吉良町に出かけた。東岡崎で佐藤先生をピックアップ。出かけた先は、華蔵寺。吉良上野介の菩提所。佐藤先生もかつての支援者の方に誘われてのことで、お寺であるということで、お寺関係の私を誘っていただいたものだった。

実はこの四月に私は、吉良町の社会福祉協議会からの依頼で、環境問題と仏教の講演会をさせていただいた。その帰りに華蔵寺を訪れお墓をお参りしていた。こうした偶然もあるんだなぁと、思いながら今日も出かけた。

実は吉良家とはちょっとした因縁があるのかもしれない。 http://mantra.way-nifty.com/osho/2007/03/index.html の三月四日にも記したが、私の出身地が愛知県一宮市で浅野家と深い因縁がある場所。出身小学校は浅野小学校。また高家筆頭(肝煎)であった吉良家、うちの寺の名前は高家寺などなど

ご住職からいろいろお話を伺い感慨深く華蔵寺を後にした。というのも高家寺は元々岐阜市加納にあったお寺。華蔵寺の開山は加納出身ということであり、その方が加納を出てしばらくして大名が入れ替わり、高家寺建立。地縁もここにあった。

そして、裏にある花岳寺。ここは吉良上野介の先祖のお寺で、姉君が多額の寄付をした寺でもある。ここの鈴木御住職よりお話を伺い、新たなことをいろいろ知る。

・浅野匠頭の菩提所の泉岳寺は、吉良家出身の方が開いたお寺。
・浅野匠頭の赤穂での菩提寺もまた花岳寺という名前。
・大石内蔵助の妻のりくの出身地の豊岡で大洪水が起きたとき、吉良町の役人が援助に行った。

などなど、浅野家と吉良家は相当な縁があるようだった。お話は尽きなかったが、もっともっといろいろ学ばせていただきたい内容だった。帰り際に、この鈴木ご住職に、私が僧侶になった大恩人である養老の大悲閣の故玄興和尚のことをお話したら、ビックリされた。なんと、鈴木ご住職は玄興和尚の弟弟子であったのだ。私も驚いてしまった。玄興和尚が子供の頃の私を可愛がってくれたおかげで、私の僧侶の理想像がある程度出来上がっていた。私たち家族にとっての大恩人。その兄弟弟子の方と、期せずしてこうして出会った。

相手は臨済宗。私は真言宗。よくよく聞くと、往古は、その花岳寺は真言宗のお寺であったことも分かった。

帰る寸前であったので別れを惜しみつつ、再会をお約束した。車に乗り、思わず合掌。ふと気付くと涙が一筋流れ出していた。嬉しかった。

この偶然の一致は、意味のある偶然の一致として私を包んでくれた。高祖弘法大師と玄興和尚に導かれたような気がする。鈴木御住職とは、また来春に訪れてゆっくりお話しをしようと思う。

今日の一日をプレゼントしていただいた佐藤先生に縁を繋いでくれたカミさんに、吉良家浅野家の方々、鈴木ご住職、玄興和尚、高祖に深く深く感謝する。

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2007年12月10日 (月)

また別の箇所に「ものもらい」

ようやく麦粒腫(ものもらい)が治りかけたと思ったら、昨夜には左目の外側の下に麦粒腫ができ始めていた。たまたま眼科でもらった塗り薬を縫っていたせいもあってか、すぐに膿が出て、今は改善の方向に。今回は眼帯は不要だった。寝不足や気候の変わり目などでできやすいとか。うーん、確かに最近寝不足だったし、気候変動が激しい時期。今日も昼間は暖かく、朝は寒かった。それとPCの画面で、目が疲れて、こすっていた記憶もある。昨夜は久しぶりに九時代に床に就いた。こんなことは何年ぶりだろうか?そういえば、昨年九月は高野山で九時代に床に就いたこともあったので、一年少し振りか・・・・。またお寺の境内にあるお店で販売している強酸性水 http://www.kiriku.co.jp で、昨夜から手を洗い、うがいもし始める。ちょうど風邪の季節。この「ものもらい」のおかげで、風邪予防になりそうだ。感謝!感謝!

googleで「ものもらい」に関する以下のようなサイトを見つけた。

J-medical http://www.j-medical.net/etc018.html 

ものもらい治療法ガイド http://monomorai.phrontis.net/

All About http://allabout.co.jp/health/eye/closeup/CU20060206A/

ロート製薬ものもらいMAP http://www.rohto.co.jp/mono/

All Aboutによると「霰粒腫さんりゅうしゅ」というまったく別の原因のものもあるので注意が必要かも知れない。やはり素人判断ではなく医者に行った方が改善も早いし原因も特定できる。全ての医者が信用できるわけではないが、その道のプロは素人は違う。改めて、プロの大切さを感じる。西洋医学も大切だということも身に沁みた。

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'kaizen' 改善

節分の準備をしている。ようやくホームページにも節分用のものを載せることができた。と言っても、昨年のものを改善しただけなので手間はそんなにかからなかった。 http://www.kokeji.com/setsubun2008.html

さて、この「改善」という言葉、日本がバブルで最高に経済好調のとき、アメリカで一時期ブームになったそうだ。そういえば、Anthony Robbins の ”AWAKEN THE GIANT WITHIN” という本のp.96に'kaizen'について述べられている。英語にはこれを性格に表す一語が無いそうである。徐々にではあるが確実に向上していく言葉は、日本的なのかもしれないが、非常に注目されていたらしい。今はバブルではないので、この'kaizen'も'mottainai'などに比べれば注目度は低い、それでも良いものは良いと私は感じる。せっかくジャパニメーションブームなのだから、こうした良い言葉をどんどんそれらを利用して世界に広げられればと感じるのは私だけだろうか?これもグローバル化?おそらく高家寺のホームページも毎年の改善によって、十年後には全く異なったものへと変化しているであろう。たぶん・・・・

他にもいろいろ改善されていっているが、もう少し改善すべき点を、このチャンスに見直したい。これも改善??

そういえば、先日読んだ本田健訳の『一瞬で「自分の夢」を実現する法』は、前掲書の翻訳であったことを忘れていた。あまりにも邦訳と原作が違うので、最初は目を疑ったくらいだ。おそらく原著のまま邦訳したならば、売れない書物になったかもしれない。というのも例文が多く、ペーパーバックスにも関わらず分厚さも二倍以上ある。さらに本田健氏の独特の見出しも、邦訳では面白い色を出している。この邦訳は、トニーの文というよりも、本田氏との共著と言っても良いほどの内容にコンパクトにまとめられている。原文を正確に読みたい人は原著をあたっていただくのが良いだろう。逆に大意をしっかりとつかみたい方は本田氏の邦訳をお勧めする。

ちなみに私の持っている原著は2001年に発行された8.99ポンドのイギリス向けの本だった。確か2002年に購入した覚えがある。原著は1991年著。今から16,7年も前のものであるが、いくつかの例文を除けば、今でも十分に通じる内容である。本田氏は今の時代に即したように内容をカットし、見出しをつけたものと想像される。 邦訳は以下からも購入できる。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/483795684X/prpmenade-22

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副作用と中道

父を医者へ連れて行く。便秘気味なので少し疲れている様子。結果は、先日いただいた風薬が原因だった。ある意味ホッとした。

副作用と言うことは、常に想定しておく必要がある。時には、治療する病よりも副作用のほうが強いこともある。時には副作用が致命傷を負わせる場合もある。どんな場合でも、やはり副作用を想定する必要があろう。

これは病だけではない。人体に無毒無臭無色のFHCフロンも、オゾン層という地球の表面の保護膜には害があった。原子力発電も放射能という副作用がある。現在研究が遅々とはしているが進められている核融合もなんらかの副作用があろう。太陽光発電も、地球外のエネルギーを持ってくるわけだから副作用はあるはずである。

もちろん治療そのものを否定しているわけではない。放射線治療によって救われた人も大勢居る。私の回りにも何人もそういう方がいらっしゃる。フロンも多くの喘息患者の命を救ってきた。私もそのうちの一人だ。ここがバランスの問題だと思う。万能薬など存在しないと言う前提に立てば、さまざまな対処品を生み出す場合でも過剰生産はなくなるはずだ。核施設もしかり。やはり乱立させすぎなのではないだろうか。本来ならば各施設は世界中の英才が寄り集まって管理すべきものであるが、今は各国の思惑の中、政治の道具になってしまっている。教え子の一人がこの原子力に関する研究職についている。彼のような人材が政治に左右されるのは悲しい限りである。原子力は一部の人類だけのものではないはずだ。

このバランス感覚を失わせている最大の問題は私たち宗教人にも責任の一端がある。私たちがもっとしっかりしてさえ居れば、科学偏重、政治偏重、宗教偏重といったバランスを失った考え方を是正できたはずである。中道を説く東洋思想。これをもっと普遍的に全人類に知っていただく方法を考案する必要があろう。私は真言密教者であるが、もっと聖書やコーランも学んで、その中にこの中道を見つける必要があるかもしれない。

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2007年12月 9日 (日)

プロ野球雑雑考

スポーツ新聞を久しぶりに読んだ。そこで頭に浮かんだこと。プロ野球の話。

私の西宮の学習塾時代の教え子のK君。彼の父親はH球団で一軍のピッチャーだった。K君も小学校の頃からピッチャー。体格も素晴らしく、小学校からスカウトが目をつけていたほど、野球エリートだった。彼の試合を何試合か見たが、小学校とは思えぬ投球だった覚えがある。彼を応援し続けた。高校に入学。ところが、彼を上回る投手が同級生に居た。全国でも屈指の投手でドラフトでも話題になった。他の学校だったら間違いなくレギュラーだったろうが、その年に限って彼は控えになってしまった。甲子園には出た。数回の投球だったが、K君も甲子園のマウンドを踏んだ。父親と同じマウンドを踏んだ彼は心から嬉しかったろう。その彼が大学に進み、そのまま野球を続けたが結果的にはドラフトにかからなかった。あれほどの選手がプロにはなれないとは、プロ野球の世界は本当にごく少数のエリート集団だ。そのK君が選んだ道は、やはりプロ野球だった。バット作りやグローブ作りではない。実業団や高校の監督でもない。彼の選んだ道はプロ野球の審判だった。「その手があったか!」思わず彼から連絡を受けたときは叫んでしまった。心から嬉しかった。彼はこれで一生涯をプロ野球の世界で生きていける。選手たちよりも長くプロの球場で試合ができる。私も本当に嬉しかった。彼が一軍で試合を裁くのも遠くないだろう。そのときは是非出掛けたいと思っている。

プロ野球といえば、そういえば中日福留選手がFA宣言をした。私としては日本以外ならOKという気持ちだった。地元の名選手が、他球団に行くのは複雑な思いだったからだ。そして今日のニュースを見ると、彼は巨人を断ることにしたと言う。阪神は当の昔に獲得を撤退しているので、つまり大リーグに行くことがほぼ決定したようだ。これは応援できる。おそらく中日のほかの選手も彼を応援できるのではないだろうか。今年の福留選手は怪我の為に、日本一を味わうことができなかった。その悔しさはいかばかりか。だからこそ、日本と言う舞台ではなくもっと大きな世界で活躍して欲しい。最初は難しいかもしれないが、イチロー選手や両松井選手を同等のいやそれさえ超える選手として活躍して欲しい。おそらく私と同じ思いを抱いている中日ファンは大勢居るような気がする。さて、どこの球団になるのか楽しみだ。

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ハンドボール 寺子屋の新入生

寺子屋に新しい生徒が入ってきた。部活でハンドボールをしているらしい。左45度。エースポジション。中学高校と私もハンドボールをしてきたので、彼の成長する姿が楽しみになってきた。単なる学校の勉強だけでなく。ハンドボールのほうも観ていきたいと思う。近日中に彼らの試合を観に行くつもりだ。

ちなみに私はキーパーだった。ペナルティスローやマンツーマンは結構得意なほうだった。目が悪かったのでロングが少し苦手だったかもしれない。ただ高校時代は小学校時代の交通事故の後遺症が出て、試合に出ることは少なくほとんどコーチばかりしていた。

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2007年12月 8日 (土)

眼科

何年ぶりだろう。眼科に行った。最近左目が腫れ上がっていたので眼帯をしていたが、やはり気になって眼科へ行く。上向いて横向いて下向いて、いろいろ動かし、まぶたの上を捲り上げられる。ちょっと痛かったが・・・・。案の定、ものもらいと結膜炎だった。ホッとした。いただいた薬をつけて数時間、腫れ上がっていたまぶたの腫れも引いた。出かけた眼科は村田眼科。地図は以下のURL。 http://maps.google.co.jp/maps?num=20&hl=ja&q=%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%9C%BC%E7%A7%91%E3%80%80%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E5%B8%82&lr=&oe=UTF-8&ie=UTF8&ll=35.425777,136.861582&spn=0.061198,0.069094&z=14&om=1 紹介していただいた浅野議員、深く感謝です。

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カミさんと叔母の小旅行・・・・私はお留守番

一昨日昨日と、カミさんが彼女の母親代わりの叔母と福井へ出かけた。あわら温泉だったそうだ。そこの女将さんが気の利いた方で、足の悪い叔母を丁寧に扱ってくださったそうだ。旅館の名前はつるや。 http://www.awara-turuya.jp/ なんでも今朝早く、叔母がラジオを聴いていたら、その女将さんが登場してビックリしたらしい。二人ともまた出かけたいと言っていた良い場所だったようだ。

そう、この旅行にはもう一つの偶然の一致があった。実は出かける前日、普段見ないテレビをカミさんと私で観ていた。叶姉妹が福井のある町の魚屋さんで焼き魚を食べると言う企画。六十年近くも魚を焼き続けていた女性がいる。その浜坂鮮魚店。 http://www.392akinai.com/html/hmsk.html 場所は 福井県坂井郡三国町宿1-12-25 今回の温泉旅行のすぐ近くであると知ったカミサンは、浜坂鮮魚店に出かけた。そのテレビ番組は叔母も観ていたらしい。午前中に出かける。普段は昼の一部の時間しか焼き魚を出していないそうだが、その出かけた瞬間は別件で魚を焼いていたために、カミさんと叔母は運よく焼き立てを食べることができた。サバとカレイ。抜群に美味しかったらしい。お土産に焼きサバを持ってきてくれた。さめていても抜群の美味しさ。これは焼き立てを食べたい!オーブンで軽く焼きなおしていただいたが、これでも十分に美味しかった。焼きたてはどんな味だったのか・・・・。そういえば、叶姉妹が座った小さな椅子に座って二人も食べたらしい。思ったら即行動のカミさんらしいが、それにしてもここまで偶然の一致が重なるとは・・・・。やはりうちのカミさんが直感に従って動いたときは素晴らしいことが起きることを改めて思い知らされる。今後も直感でカミさんが言ったことは素直に聞かねば・・・・。071207_104506 071207_112540_2

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2007年12月 7日 (金)

ものもらい

ものもらいが目にできた。既に口内炎のような状態になっているが、明日の朝、眼科に行こうと思う。最近、PCのやりすぎなのかもしれない。節分の準備などで、画面とにらめっこする日が続いていた。昨日、眼帯を買ってきた。眼帯をつけると片目しか見えない。正確には麦粒腫というらしい。方言としては、私たちの地域では「めんぼ」といい、関西では「めばちこ」と言った。そのほかwikepediaによると、めぼ、めいぼ、めこじきなどがあるらしい。

久しぶりに片目の生活。ただ全く見えないわけではなく、左目は眼帯を認識しているので、ときどき訳の分からないものが見える。驚いたのはトイレに行ったとき。便器に柄が見えて自分の目を疑った。結果的には眼帯も白、便器も白だったために、頭の中で混乱が起きたらしい。どうせ眼帯が必要なのだから、この際、この状態でいろいろ見つめてみようと感じている。

まず人間の目による認識などかなりいい加減であることを改め知る。眼帯をかけ、目の前が白いガーゼで覆われると、眼球の血液の流れが見えたり、ガーゼの生地を見たり、まったく見えていなかったり、右目と重ねてありもしないものを認識したりと、いろいろあることが分かった。ということは普段の生活の中でも、自分の思い込みで勝手に画像を創作してありもしていないものを見ている可能性は低くない。このことは今後も気をつけねばならないと感じる。

次に、平衡感覚と距離感がいい加減になる。近くのものは普段からの感覚で、何とかなるものだが、少し遠くなると完全に狂ってしまっている。ここでも、人間の感覚のうち視覚はかなりのウェイトを占めていることを知る。

片目で居ると、ボーッと見ることが難しいし、逆に集中してみることも難しい。なんともいえない感覚。ボーッとしようとすると集中してしまうし、集中するとばやけてしまうといった状態だ。

柳生十兵衛三厳や伊達政宗が、隻眼であったことは有名だが、実際は隻眼と言うよりものを見る視点が異なっていたのではないかと言う説もあるくらいだ。この片目の状態でもうしばらく世界を見つめてみたい。

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2007年12月 6日 (木)

父の介護認定申請

昭和11年生まれの父が脳梗塞を軽く患って以来、右足の歩行が困難になっていた。最近では下りのエスカレーターに乗ることさえ無理な状況。すると、その自分を責めるようになり、歩行そのものがつたなくなり、アルツハイマーまで出始めた。夜の徘徊も時折起こしつつある。ショックだった。

私たち兄弟にとって子供の頃の父は憧れの存在だった。学校こそ自力で岐阜県立商業(野球で有名)の夜間高校卒業だが、逆に自分の力で学校を出て生きてきたのだから、それも凄いことだと思っていた。帝人の子会社に入っていて、本社より要請がありタイ帝人に工場長兼務の工場長をしていた。最近そのころの同窓会のようなものが日本であって、父のかつての活躍聞かされる。

一人で何でもこなしてきた父が今、恍惚の人の道を歩んでいるその姿に正直悲しみを覚えた。実際に介護が必要な状態になってきた。そこで先日一宮市の老人福祉課に行き、介護認定の申請を行ってきた。そして今日、市役所から父の調査に調査員が訪ねてきた。

しかし、そこは私のこと。これを逆利用してみようと思った。この父の介護の問題を真剣に捉えて、国会議員や市会議員をこの介護の現場に連れて行くということを思いついた。これは信者のTさんのアイデアでもある。今まで福祉関係には距離を置いてきた私であるが、ここはしばらく真剣に取り組んでみようと思う。ある意味、こうした現場に連れて行ってくれた父に感謝だ。父の回復を祈りつつ、覚悟を決めた。日本の介護の現場に切り込むことを。

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アニメ漫画特撮モノが今の私の基盤?

昨日、アニメ・漫画の日記を書いた。そういえば、このことで思い出したことがある。親友が、以下のようなことを言っていた。

僕は世界平和とか人類のためにとかいう奴をあんまり信用していない。ボランティアをやってる連中のほとんどが、やってやってるんだという気持ちで居るのを見ると気持ち悪くなる。ボランティアをやってるから食事や寝所は提供されて当たり前みたいな雰囲気がある。みんな、実際は自分のためにやっているって気付いているのかどうか、わかりゃしない。でも和尚(実際は愛称で呼ばれてる)はちょっと違ってる。初めはそんなの本物かと思ってたが、本気で地球のことを考えている。で、最近になって分かった。和尚は、漫画・アニメによって正義のヒーローの刷り込みがあったに違いない。カラオケでアニメソングを歌う姿を見て、それを実感した。

思わず笑ってしまう内容ですが、案外そうかもしれない。子供のころ、ワイズミュラー演じるスーパーマンの真似をして高いところから飛び降り、ガラスを割って突き抜けた。今でもそのときの傷跡が足首に残っているが、正義モノが好きだった。4歳の時に買った黄金バットのガムのことを今でも鮮明に覚えている。母から教えてもらった「のらくろ」も二等兵から連隊長クラスになるまで読んだ覚えがある。ウルトラマン世代(? 実際はウルトラセブンが最も好き)だし、仮面ライダーやキカイダー、マジンガーZの世代でもある。宇宙少年ソランや、最も好きだったのは流星少年パピーやワンダースリー、高速エスパー、怪獣王子、魔人バンダー、ジャイアントロボ、鉄人28号、マイティジャック、キャプテンウルトラ、ワイルドセブンなどであった。そういえば小学校の五年生のときに結成した野球チームはジュニアゴリラーズだったが、ゴリラとはゴリラセブンがら取った名前だった。また、かつて購入したアニメ・特撮ソングのCDを聞いて気付いたが、もっとも私の心の奥に歌としみこんでいるのは電人ザボーガーや鉄人タイガーセブンや怪傑ライオン丸。そうそう、マガジンに連載していたデビルマンもかなり強烈な印象として私の心に刻み込まれている。まだまだ思い出せばきりがないが、同世代の中でももっともこうしたヒーロー物のテレビを見ていて洗脳された一人だと思う。この洗脳がある意味、私を僧侶に導いてくれたのかもしれない。自分の幸福よりも世界の平和などという思いをかなり深いレベルで染み込まされている。案外私も洗脳されやすく、また非常に表層的な人間なのかもしれない。それでも今の自分が好きだし、この道をそのまま歩んでいたいと感じているので、特撮モノやアニメのクリエイターたちには心から感謝している。

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2007年12月 5日 (水)

マンガやアニメ世代が世界中に広まりつつある!?

先ほどasahi.comで面白いニュースにであった。 http://www.asahi.com/culture/update/1205/TKY200712050217.html フランス人の日本訪問数が、この十年で二倍になったというものだ。その担い手は若い世代。80年代から日本の漫画は世界を席巻しつつある。90年代初頭には、日本でも超人気のドラゴンボールが世界で公開。ドラゴンボールは世界共通の英雄伝説をモチーフにしてあるので、世界中の人がとても親しみやすい作品。それらの日本の漫画を観て育った年代が、社会の担い手になりつつあり、フランス人の日本訪問が増えているようだ。日本の学校では今でも漫画を馬鹿にする風潮があるが、ジャパニメーションは世界最先端であることの造語。この漫画・アニメ文化はまさに世界に誇れるものだと思う。

私自身も子供の頃から漫画は読み続けている。読む雑誌は、小学校時代はチャンピオン・マガジン・キング中学にはジャンプ、高校時代はヤングジャンプ、そしてモーニングなどと変化しているが、とても漫画文化を大切にしている一人だと思う。またアニメも、周りの人間からオタクに近いといわれるほど観てきたようだ。私本人はオタクの凄さを知っているので、準マニア領域でとまっていると思っているのだが・・・・。たぶんカラオケで歌う「宇宙戦艦ヤマト」をはじめとする佐々木いさおの歌が周囲の人間をビックリさせてきたからかもしれない。佐々木いさおのアニメソングを歌って、カラオケで90点未満を取ったことがないのも、一因かもしれないと勝手に思っている。

そういえば、DMMという動画配信でバンダイとアニメというカテゴリーに分けられているが、一話だけの無料配信の作品がいくつもある。バンダイは http://www.dmm.com/digital/bandai/  で見られ、 アニメは http://www.dmm.com/digital/anime/  で見られる。どちらも左のカテゴリーの一話無料から繋ぐことができる。ここで最近懐かしの作品をいくつも見させてもらった。具体的な作品名は避けるが、時折内容も変わるので要チェックかもしれない。

私も漫画アニメ世代。ひょっとすると世界共通語の一つとして、アニメや漫画があるのかもしれない。

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刷り込み 太陽エネルギー・大化の改新から考える

般若心経講座。今年最後のもの。常連さんが年末で忙しく、今日は参加者はお二人のみだったが、逆に親しくお話させていただけた。

最初に、般若心経を一巻お唱え。次に、般若心経のもっとも大切な部分を伝えた。内容は、参加者のお楽しみなので、ここでは記さない。そして次に、地球システムについてのお話。松井孝典博士の本を中心に、私なりの見解を伝えた。特にソーラーエネルギーが、第二のフロンになりかねないということについては考えていただけたように思う。太陽エネルギーは地球に優しいという刷り込みがどこかにあるのではないかという話しだった。

そして、最後に大化の改新のお話し。私達の耳に届いている大化の改新は実は疑問符だらけということをお伝えした。このことについてもう少し詳しく書きに記そうと思う。

歴史を見るとき、ある地点にポイントを置き、そこから輪を広げていくことが多い。歴史理解にはこれはとても有効な方法だ。しかし、そのポイントを置く段階で、自分に刷り込まれてしまっている知識があるかどうかを検証することは重要である。大化の改新を調べるなら、聖徳太子vs蘇我氏となりやすい。しかし、本当に聖徳太子と蘇我氏の対立はあったのだろうか?そこで、この歴史を書いた人物に焦点を当ててみる。その人物は天武天皇?こじきや日本書紀の編纂を命じた人だ。ここで楽観視するのではなく、もう少し見つめてみると、実は古事記も日本書紀も天武天皇が存命中には完成されていない。完成されたのは、天武天皇妃の持統天皇のとき。ということは、時の権力者は持統天皇であり、藤原不比等。この持統天皇に関しては里中満知子さんの天上の虹という漫画がある。二十巻出ているがまだ未完だそうだ。彼女のライフワークでもあるらしい。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062606828/prpmenade-22 この持統天皇の父親は天智天皇。藤原不比等の父親は藤原鎌足。すなわち大化の改新を起こした二人の中心人物。ということは単純に考えて、大化の改新は良い行いとして歴史に残されるように持統天皇も藤原不比等も画策するはずである。そうなると、蘇我氏が悪人であったかどうかが実に疑わしくなる。というのも、天武天皇は天智天皇が死去した後に吉野に下り、結果的には尾張から美濃に掛けての勢力を結集して、天智天皇の息子の大友皇子に壬申の乱で勝利する。この尾張には入鹿池という蘇我入鹿が作った人工の湖がある。美濃には蘇原という蘇我氏の領土があった。これらから美濃から尾張に掛けては蘇我の勢力範囲であり、その蘇我の力を使って大海人皇子すなわち天武天皇は大友皇子を滅ぼしたことになる。つまり、構図的には蘇我氏vs反蘇我氏が、壬申の乱でも成立していたといえるのではないだろうか。すなわち、大化の改新とは蘇我入鹿や蝦夷という蘇我の宗家が殺されたのは間違いないが、あくまでも個人レベルの暗殺劇であって、決して革命というほどの大きな影響力を持った出来事ではなかったのではないかと推察される。現実に大化の改新後も天智天皇はなかなか即位できなかったし、鎌足も表舞台にはそえからほとんど出てこない。さらに天智天皇の事跡を非難する文章も散見され、本当は天智天皇は決して英雄ではなかった可能性も残されている。ということは、蘇我氏と聖徳太子が対立していたということ自体が疑問に持たれる。現実的に聖徳太子は蘇我氏を外戚に持つし、彼の残した文献は蘇我蝦夷宅にあり、それが大化の改新で燃えてしまったというのはあまりにもできすぎといえないだろうか?ひょっとすると、大化の改新の後も聖徳太子の編纂した歴史書はあったが、持統天皇や藤原不比等らによってあらたな歴史書である古事記や日本書紀が編纂されたことによって、消滅させられたのではないかとも推察される。

あまり突っ込むと、言いたいことが消えてしまうのでこのあたりにしておくが、私たちが当たり前と思っていることも、実は多くは思い込みやすり込みがあるのではないかということを言いたかっただけのこと。それを大化の改新をモデルケースにお話しをさせていただいた。当たり前と思っていることにもう一度光を当て、本当に刷り込みは無いかどうかを検証する必要がある。私も、できる限りそれを実証していきたいと感じている。

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今の時代には手にすることができない魅力

普段、私はノートパソコンを使用している。ThinkPad T42p。右下にはIBMのロゴの入ったIBM最後のノートパソコン。このパソコン、かつてはかなりのスペックであった。今のCPUのようにデュアル構造ではないので、そこは時折ストレスを感じないでもないが、全体としては良くできているノートパソコンだ。ただ最初から少し不満があったのは、スピーカー。モノラルで音もそれほど良くない。そこで、USBのスピーカーを外部で接続していた。二年ほど前、ある日突然スピーカーが動かなくなった。全く音を出さない。残念ながら、その日からノートパソコンに対して音を期待しなくなった。iTuneでダウンロードしても、あまり音に対して考えなくなっていた。そのため、スピーカーを放っておいた。ただなぜか捨てる気にならず、そのままにしておいた。昨晩、寺子屋の卒業生が遊びに来た。彼女たちと話しをするうちに、なぜかスピーカーのことが気になり、話を別の生徒に任せてスピーカーを久しぶりにノートパソコンにつけてみた。するとどうであろう。急に音が出始めた。ビックリしてしまった。そこで、かつての付属CDを再度インストールしなおし、音の調整を試みた。小さな小さなスピーカーだが、付属ソフトが面白く、さまざまな音を奏でてくれる。Jazz使用。クラシック使用。ロック使用。ソフトロック使用。メタル使用・・・・そのほかさまざまな音を出してくれる。そこで、「エヴァンゲリオン」の残酷な天使のテーゼとFLY ME TO THE MOONを聞いてみた。前者はLiveモード。後者はもちろんJazzモード。もちろん大きなスピーカーとは比べようも無いし、カミサンが使っているBOSEのノートパソコン用のスピーカーとは比較にならないが、それらと比べなければそれなりにいい音色を奏でてくれた。そういえば、最近親友のKさんからスピーカーのことを若干聞かされていた。また先日訪れた喫茶店ではALTECのスピーカーの良さに聞き惚れた。もう一代の緊急時のサブマシンはデスクトップでありALTECのスピーカーとサブウーファーがついているが、最近そちらで音の関係を再生することが増えていた。そんなところからスピーカーに対して意識が傾いていたのかもしれない。そんな過程のことは共時性で面白いのだが、それを別にして、スピーカーが復活してくれたことが嬉しくて仕方が無かった。電源要らずのUSBだけの使い勝手の良いスピーカー。複雑な機能も何も無い点が私にはとても良い。

ふと思い出す。最近、なんとなく車のホームページを見ることが増えていた。基本的には私は車は動けば良い派。拘りはほとんどなかったのだが、なんとなくいろいろホームページを眺めていた。そのうちに知識が増えてきた。すると前日にホームページを見た車が、次の日には何台も何台も見ることが増えてきていた。意識をすると、その車が目に入ることが徐々に分かり始めた。結果的には、新車を購入する気にはなっていない。妹夫婦より数年前に無料で譲ってもらったが今はお寺の境内に放置してある200,000km以上走行のボルボを動かしたいという気持ちになってきた。レストアするほどの経済的な余裕は今は無いが、来春までにあの車を再び公道で走るように私なりに修理し、最終的には車検を通して、しかもレストアをプロにしていただきたいと思うようになった。今も時折運転席に座り、別の車からバッテリーを繋いでは、エンジンを掛けている。今の時代には無い重厚感がそこにある。

頂いたものも大切にしていく、これが僧侶としてのあり方なのだろう。放置したままにしていた自分の弱さを実感するも、レストアの大切さや、意識を傾けていくことの大切さなどいろいろ教えてもらえたので、ボルボには深く感謝している。車にせよ、スピーカーにせよ、古きもので使えるものは時代遅れであっても大切にしていきたいものだ。そこには今の時代には手にすることができない魅力もある。

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2007年12月 4日 (火)

アンソニー・ロビンズの『一瞬で「自分の夢」を実現する法』

『一瞬で「自分の夢」を実現する法』(原題:Wake Up and Take Control of Your Life!)アンソニー・ロビンズ(Anthony Robbins)著 本田健訳・解説をカミサンに購入した。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/483795684X/prpmenade-22 ところが、彼女から私へ「住職が読んだほうが良い」とこちらに回ってきた。

アンソニー・ロビンズはアメリカではトニーの愛称で親しまれているカリスマ的なコーチングのリーダー。彼はアメリカでは広く知れ渡っている。高家寺で毎年行っている火渡りがあるが、これと同じようなことを彼はアメリカで行っているらしい。火渡りは、自分の勇気を試す行事でもあり、彼はこれを上手に自分のプログラムに入れ込んだようだ。このトニーは一時期は、ニートに近かったらしい。太っており、いつも悲観的な思いをし、金銭的にも困窮していたという。その彼が一念発起し、そして今では全米でも有数の実業家になった。私は彼がどうなったということよりも、この著作の中で書かれている内容の面白さに惹かれる。深みのある文章とはいえない。どちらかというと表層的かもしれない。それでも、この内容を実践するか否かで人生は確かに大きく異なってくる。何度も繰り返してこの本を読み、この本の内容をマスターしたとき、大きくその人の人生は変わっていくだろう。前向きに、まっすぐ歩みたい人にはとても良い本ではないかと思う。

ちなみに幸せな小金持ちを提唱して、一部に熱狂的な支持を得ている本田健氏が訳して解説をしている。

カミサンが私に回してきたのは、この本の内容よりも、もっと別のメッセージがあるような気がするが、ここではあえて取り上げないでおこう(^^)。

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カルコスへ手帳を買いに行く

来年の手帳を購入しに行く。濃紺のバーバリーのシステム手帳のミニサイズを使用しているので、中身だけの購入。バーバリーと言っても、日本のゼブラなどが作っているものなので、逆に安心して使っている。ブランド名より使いやすさで手に入れたら、たまたまバーバリーだった。購入した場所は、国道21号線沿線のカルコス各務原店という本屋さん。このお店は、日本で最初期に本を読めるスペースを作ったことで有名になったお店。今では、スペースの半分近くが文具になっている変り種の本屋。手帳関係も豊富に揃っている。先ほど帰宅して気になったのでホームページを調べてみると、新たな方向へ進みだしていた。  http://www.culcos.com/ を見ていただければ分かるように、本屋というイメージはほとんどない。なかなか先進的なあり方だ。 http://www.kdm.bz/ には文具専門のホームページもある。一般的な文具や本屋では売っていない文具も多種用意されている。岐阜にもこうしたお店があるのは嬉しい。

そういえばカミサンはなぜが濃紺の画用紙を買っていた。何に使うのか気になるのだが・・・。

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2007年12月 3日 (月)

一宮市役所の対応の拙さを残念に思う

母の用事で一宮市の市役所6階納税かに出かけた。窓口は二つのみ開けられ、一組の待ち人が居た。私の後に数名がやってきて、後ろに並んだ。するとある老婆がその順番を無視して前に割り込もうとした。あまりにもずうずうしい態度に少々飽きれてしまったのだが、別の方が間違えて前に割り込みそれの非を認めてくれたおかげで、その老婆は後ろに下がった。私はこの老婆を責めるつもりは無い。ただ一宮の市役所員に問題を感じた。

並ぶ市民に、「こちらに並んでください」という一言も無かった。「お待ちください」の一言も無かった。割り込んだ老婆を導くことも無かった。その応答があまりにも悲しかった。窓口で対応をしてくださった方はとても親切丁寧だったが、それでもこの一連の対応には悲しみを感じたのは否めない。窓口の方にはそれとなく伝えたのだが伝わっていただろうか?

公務員が一般紙企業に比べて劣っているとは思いたくないが、今日の一宮市役所の対応はあまりにもお粗末だった。

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2007年12月 2日 (日)

心地よい音のお店を発見・・・・

美味しいお店を発見。といっても親友のNさんにお食事中に教えてもらったのだが・・・。

Cafe Kante Manfila http://g.lets-gifu.com/shop/index-2600.html 黄色い壁が目立つお店。場所は、http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%B2%90%E9%98%9C%E5%B8%82%E5%B2%A9%E5%9C%B0%E7%94%BA3%E4%B8%81%E7%9B%AE1-1&ie=UTF8&z=16&iwloc=addr&om=1 ちょうど岐阜市水街道3の交差点。essoの斜向かい。食事後に行ったので、お食事はできなかったが、私はブラッドリーオレンジを飲み、アイスクリームにエスプレッソコーヒーを掛けて食べた。これがかなり美味しかった。秘密は・・・・ラズベリー。ラズベリーとコーヒーってとても合うことを知る。こうした初体験は嬉しい。BOSEのAcoustic Wave® Music System II http://www.bose.co.jp/jp_jp?url=/consumer_audio/personal_audio/wave_systems/acoustic_wave_music_system/awms_ii.jsp があり、良い響きを聞かせてくれている。JBLのスピーカーとデンマーク製のレコードプレーヤーとアンプの音もなかなかのもの。面白いお店だった。次回はお食事に出かけてみようと思う。営業時間は11:00~13:00とのことだが、夜は結構な時間まで営業するらしい。お酒も置いてある。ただし私は下戸なのでお酒には全くの興味なし。マスターともお話ししたが、そのこだわりが結構好きだ。

残念ながら今日は年配のご婦人方が10名ほど居られ、強烈な五月蝿さを感じた。途中耐えられなく、私は退場。あの騒音さえなければ、とても心地よい空間だったように思う。近日中にランチを食べに行く予定なので、また感想を述べたいと思う。

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2007年12月 1日 (土)

太陽エネルギーは地球に優しいわけではない 第二のフロンになりかねない

昼少し前から、あるお寺の法要のお手伝いに行く。そういえば、十年ほど前、このお寺の法要に参加したことがある、すると晴れていたはずの空が、法要が終わる頃には大雪となり、普段ならば40分ほどの距離で帰れるところが、四時間かかってしまった覚えがある。あれも十二月一日だった。今日は快晴。少し底冷えはするが、やはり十二月にしては暖かい。この暖かさを感じながら、地球温暖化という環境問題を感じずに入られなかった。

松井孝典東大大学院教授の著作を何度も読み直している。そこで私なりに理解したのは、地球内のエネルギーを使っているうちは、地球内の出来事として、地球が自らのシステムで修正するというもの。人類という存在はそのために居なくなるかもしれないが、閉ざされた空間である地球は、エネルギーをそのうちの中だけで変換しているので、エネルギー保存の法則のように、地球そのものが崩れてしまうことはない。人間が石油などを使って崩してしまった環境も、何千年、何万年、何億年と掛けて、より素晴らしい環境へと変えていくであろう。その際に、先ほども述べたように、人類は存在しないと思う。

ところが、最近のエネルギー事情に危惧を感じる。NHKでも太陽エネルギーの効率アップこそ人類のエネルギー事情の解決に繋がるというようなドイツの番組を放映していた。本当にそうだろうか?

風力発電は地球の内部だけでまかなうもの。地熱発電も同じ。また石油資源も、地球の内部のもの。ところが太陽エネルギーは、地球の外のエネルギーを使用するというもの。ここに大きな落とし穴があることが見えてきた。

太陽エネルギーの効率化は人類の危機を生む可能性がある。ひょっとすると、この太陽エネルギーの利用こそが、第二のフロン問題であり、第二の化石燃料問題になりかねない。今までは地球のシステムがうまく働き、太陽エネルギーを地球が吸収しても、それが変換されたエネルギーは地球の外部に放出されていた。そのコントロールをする役目が、二酸化炭素であった。太陽エネルギーを地球が得すぎる場合は二酸化炭素の量を減らすというのだ。ところが、最近では二酸化炭素の量が人為的に増えてしまい、太陽エネルギーを地球外に放出することができなくなってきている。地球温暖化とは化石燃料の熱が問題なのではなく、太陽から降り注ぐエネルギーが根っ子にある。そのことを忘れて、化石燃料から安易に太陽エネルギー利用へと移行すると、より一層地球内にそのエネルギーが蓄積される。この蓄積されたエネルギーが思わぬ事態を生みかねない。

太陽エネルギーの利用は、決して地球に優しいエネルギーとはいえない。むしろ化石燃料よりも地球に悪影響を及ぼす可能性を秘めたものだ。太陽エネルギーを利用した場合、エネルギー保存の法則のように考えると、その得ることができたエネルギーと同量の放熱を地球外に行わなければ、より一層温暖化を促進してしまう可能性がある。

これからのエネルギー事情は、どこから得たものなのか?地球の内部?地球の表面エネルギー?地球の外部?また、それによる副産物は何なのか?その副産物が生成する影響とは何なのか?こうしたことをしっかりと見つめた上で、エネルギー移行をしないとオゾン層破壊と同じように、太陽エネルギーが第二のフロンになりかねない。

太陽エネルギーはとても大切なもの。だからこそ、自然の範囲内での利用が望まれる。決して自然科学による人為的な効率アップを図ってはならないものなのではないだろうか?そういえばフロンも医療のみに用いておれば、オゾン層破壊など起きなかった。地球には自己治癒能力がある。フロンも喘息治療薬の範囲ならば、とても有用なとても安全なものであったはずだ。太陽エネルギーも同じ。太陽があるからこそ、動植物は育つ。また小さなローテクの範囲内ならば、これほど素晴らしいエネルギーはない。しかしハイテクが入ることにより、太陽エネルギーは大変身してしまう可能性がある。

どんなエネルギーも同じといえよう。ローテクのレベルで、また使いすぎないレベルで利用していれば地球はその自己治癒能力で回復する。それは化石燃料もそうであるし、フロンもそうである。しかし、使用量を間違えると大いなる毒となってしまう。毒は微量に、しかも適量に用いれば薬になりうるが、節操なく薬も大量に用いれば毒になってしまう。このことを環境問題では忘れてはならないと思う。

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