昼少し前から、あるお寺の法要のお手伝いに行く。そういえば、十年ほど前、このお寺の法要に参加したことがある、すると晴れていたはずの空が、法要が終わる頃には大雪となり、普段ならば40分ほどの距離で帰れるところが、四時間かかってしまった覚えがある。あれも十二月一日だった。今日は快晴。少し底冷えはするが、やはり十二月にしては暖かい。この暖かさを感じながら、地球温暖化という環境問題を感じずに入られなかった。
松井孝典東大大学院教授の著作を何度も読み直している。そこで私なりに理解したのは、地球内のエネルギーを使っているうちは、地球内の出来事として、地球が自らのシステムで修正するというもの。人類という存在はそのために居なくなるかもしれないが、閉ざされた空間である地球は、エネルギーをそのうちの中だけで変換しているので、エネルギー保存の法則のように、地球そのものが崩れてしまうことはない。人間が石油などを使って崩してしまった環境も、何千年、何万年、何億年と掛けて、より素晴らしい環境へと変えていくであろう。その際に、先ほども述べたように、人類は存在しないと思う。
ところが、最近のエネルギー事情に危惧を感じる。NHKでも太陽エネルギーの効率アップこそ人類のエネルギー事情の解決に繋がるというようなドイツの番組を放映していた。本当にそうだろうか?
風力発電は地球の内部だけでまかなうもの。地熱発電も同じ。また石油資源も、地球の内部のもの。ところが太陽エネルギーは、地球の外のエネルギーを使用するというもの。ここに大きな落とし穴があることが見えてきた。
太陽エネルギーの効率化は人類の危機を生む可能性がある。ひょっとすると、この太陽エネルギーの利用こそが、第二のフロン問題であり、第二の化石燃料問題になりかねない。今までは地球のシステムがうまく働き、太陽エネルギーを地球が吸収しても、それが変換されたエネルギーは地球の外部に放出されていた。そのコントロールをする役目が、二酸化炭素であった。太陽エネルギーを地球が得すぎる場合は二酸化炭素の量を減らすというのだ。ところが、最近では二酸化炭素の量が人為的に増えてしまい、太陽エネルギーを地球外に放出することができなくなってきている。地球温暖化とは化石燃料の熱が問題なのではなく、太陽から降り注ぐエネルギーが根っ子にある。そのことを忘れて、化石燃料から安易に太陽エネルギー利用へと移行すると、より一層地球内にそのエネルギーが蓄積される。この蓄積されたエネルギーが思わぬ事態を生みかねない。
太陽エネルギーの利用は、決して地球に優しいエネルギーとはいえない。むしろ化石燃料よりも地球に悪影響を及ぼす可能性を秘めたものだ。太陽エネルギーを利用した場合、エネルギー保存の法則のように考えると、その得ることができたエネルギーと同量の放熱を地球外に行わなければ、より一層温暖化を促進してしまう可能性がある。
これからのエネルギー事情は、どこから得たものなのか?地球の内部?地球の表面エネルギー?地球の外部?また、それによる副産物は何なのか?その副産物が生成する影響とは何なのか?こうしたことをしっかりと見つめた上で、エネルギー移行をしないとオゾン層破壊と同じように、太陽エネルギーが第二のフロンになりかねない。
太陽エネルギーはとても大切なもの。だからこそ、自然の範囲内での利用が望まれる。決して自然科学による人為的な効率アップを図ってはならないものなのではないだろうか?そういえばフロンも医療のみに用いておれば、オゾン層破壊など起きなかった。地球には自己治癒能力がある。フロンも喘息治療薬の範囲ならば、とても有用なとても安全なものであったはずだ。太陽エネルギーも同じ。太陽があるからこそ、動植物は育つ。また小さなローテクの範囲内ならば、これほど素晴らしいエネルギーはない。しかしハイテクが入ることにより、太陽エネルギーは大変身してしまう可能性がある。
どんなエネルギーも同じといえよう。ローテクのレベルで、また使いすぎないレベルで利用していれば地球はその自己治癒能力で回復する。それは化石燃料もそうであるし、フロンもそうである。しかし、使用量を間違えると大いなる毒となってしまう。毒は微量に、しかも適量に用いれば薬になりうるが、節操なく薬も大量に用いれば毒になってしまう。このことを環境問題では忘れてはならないと思う。
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