« 『フューチャリスト宣言』 | トップページ | 総表現社会の層 »

2007年11月18日 (日)

WEB2.0 に時代を思う

時代の大きなうねりを最近強く感じる。私が子供の頃は、高度成長時代であった。未来は科学分明によって明るく開かれていると信じて生きていた。しかし、この科学至上主義の右肩上がり考え方に疑問が呈されるようになった。高度成長の副産物である公害・温暖化などを始めとする環境問題。勝ち組と負け組が峻別される格差の問題。生きがいよりもまずお金。そのほか、数え切れないくらいの問題が露呈し、いつの間にか高度成長は否定されるようになってきた。環境問題に取り組んだこともあり、私も最近までは高度成長をある意味、否定的に捕らえていた。しかし、最近になりその考え方を軌道修正するようになった。今の倫理観でその時代を否定することは、未来の倫理観で今の自分を否定することになると気付いたからである。時代には時代の倫理観がある。そのことを忘却し、無批判に現代の価値観で過去を否定することはいかがであろうか?この思いが強く湧いてきた。

実は、私がこのところ取り組んでいたのは明治維新の再考であった。明治維新はどちらかというと肯定的に捕らえられているが、その問題点も実は無視できないほど大きな物がある。神仏分離令などの問題は仏教者としてはもちろん否定的だ。また環境問題カウアンセラーとしても、西欧からの来訪者が是ほど美しい国はないと評していた国を、ここまで醜くしてしまったことに悲しみを覚える。この批判はしっかりと持っていなければならないと感じていた。今もその思いに変更はないが、それよりも時代を動かしたあの若きエネルギーの凄さはやはりとても大切であったように思う。多くの既成権力者たちはその動きが見えなかった。また、その若きエネルギーをつぶそうとした。しかしつぶされてもつぶされても何度も何度も復活してきて、ついには明治維新へと結びついた。ここはその時代に生きた若きかたがたに敬意を表すべきだと私は感じる。問題を起こしたのはむしろその若き力ではなく、力を維持しようとした新たな権力者たちの暴挙であったからだ。

そして今、また新たな動きが始まった。それは、日本にとどまるものではなく、世界中を席巻している大革命だ。政治革命という小さな個々の国のレベルのものではない。産業革命をはるかに超える動き。中には言葉の発明と同じほど強烈な革命だという人さえ居る。それがWEBつまりネットだ。ここにも問題は生じると思う。しかし、大きな変革には必ずひずみが生じるものだ。そのひずみがどこから来たものなのか見つめると、そっれは変革がもたらしたものではなく、新たな権力者たちが構築する構造からくるものが多いだろう。そこをしっかりと見つめていさえすれば、このWEBの流れは非常に面白いものである。

私宗教によって生かされている一宗教家というよりも、宗教に生きる独りの人間として、このWEBの動きに参画したいと強く感じる。新たな世界の創造、そこには高度成長の頃のあのワクワク感をはるかに超えるワクワク感がある。この流れをしっかりと見極め、その流れを作る一翼を担いたいものだ。

パソコン通信の時代から、このネットの時代を見てきたという自負があったが、いまはそんなものさえ吹き飛んでしまった。WEB2.0ここには、もっともっと大きな可能性が秘められている。

|

« 『フューチャリスト宣言』 | トップページ | 総表現社会の層 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/65354/17116426

この記事へのトラックバック一覧です: WEB2.0 に時代を思う:

« 『フューチャリスト宣言』 | トップページ | 総表現社会の層 »