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2007年11月30日 (金)

青い子供の自分を知る

弘法大師の著述を読めば読むほど感じることがある。それは宗派意識のないことだ。高木(言+申)元高野山大学名誉教授も、最近はこのことを盛んにお話されている。弘法大師が真言宗と述べる場合は、密教経典を学び修行をするものという意味であって、決して集団とか所属ということを意識したものではない。ところが、今はどうだろう。真言宗も十八本山と呼ばれるほど分派し、どこもが自分が中心といわんばかりに宗派意識が強くなっている。

かくいう私もどうだろうか。確かに、宗教倫理学会のおかげでいろいろな宗教の方々とお話をしているし、聖書も文語訳や英語版も含め五冊持っているし、コーランももちろん持っている。神社はしょっちゅうお参りに行く。そういう意味ではあまり宗派意識はないほうだが、やはり他宗の僧侶の方々とお話しするとつよくその宗派意識を感じてしまうということは、私自身にどこか壁があるのだろうかと感じてしまう。

少し前までは、いろいろな宗教を学びそれを尊重することが脱宗派と考えていた。ところが、最近は少し異なる。宗教倫理学会のせいもあるだろうが、自分の尊崇する教えを深く掘り下げ、自分自身がその教えを体現することこそ脱宗派なのではないかと感じるようになって来た。かつて、西田哲学から共産主義に転向したことで有名な柳田謙十郎氏が高野山を訪れた折に、金山穆紹猊下にお会いになられ、「この人の信じるものだったら信じても良い」と言わしめたと我が師より聞いている。このような生き方こそ、実は脱宗派であると最近になってようやく気付き始めた。まだまだひよっこな自分が恥ずかしい。

実は今日は一宮をいろいろ回る用事があった。そのためもあるのか、生まれ故郷を回ることで、そして五歳まで育った場所の前を通ることで、自分自身を振り返るチャンスを得た。この場所を訪れたということは、ひょっとすると宗教レベルではやっと五歳を過ぎて新たな場所へ引っ越す段階になったのかもしれない。最近良著に恵まれている。真言の教えをより自分自身に体現するためのものと思い、真言という牙で噛み砕き吸収していきたいものだ。

ただこんなことを書いている自分がまだまだ青い子供に思えてしまうのは気のせいだろうか???ハハハハハ。

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2007年11月29日 (木)

『羅生門』を久しぶりに読む

寺子屋の卒業生(高校生)が勉強に来ている。今日は漢字の勉強をしていた。内容は芥川龍之介の『羅生門』。ところが、その生徒は教科書を持ってくるのを忘れたらしく、少し困ってしまった。そこでweb検索。googleの登場だ。wikepediaや映画についての一覧が出る。すると、www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html  に全文が掲載されていた。なかなか面白い漢字が豊富に乗っている。さすがに芥川。その生徒のおかげで、久しぶりに『羅生門』を読ませてもらえた。かつて読んだときとはずいぶんと印象が異なる。学生時代は時代背景の面白さに惹かれた。数年前は人物のやり取りの中で、人間の面白さに惹かれた。今回は、微妙な表現に見え隠れする芥川の声に惹かれた。その時々の感想が今の私を形成しているので、過去の私を否定するつもりはない。今でも、初めてこの作品に出会っていたのならば、時代背景に惹かれたように思う。京の都の九条通り。東寺の近辺で荒れ果てた羅生門。羅城門とも呼ばれる。やはり時代背景は今読んでも面白いと感じる。

ふと気付いた。過去に体験して感じたことは、今だからこそ今の視点でいろいろ解釈するが、やはりその初めての体験の瞬間瞬間が今の私を形成していることには間違いない。自分にとって厭なことも、それは否定するべきものではなく、今の私を攻勢するのにとても大切なことであったはず。そこは過去の道しるべであり、これからの参考書となりうる。これは個人のことばかりでなく、歴史もまた同じことが言える。歴史は参考書。未来を紡いでいくための大きな道しるべ。それらを否定するのではなく、未来に活かすことをもっと真剣に取り組んでいきたいと感じた。

非常に短絡的な考え方だが、この小さな思いを起こさせてくれた『羅生門』に深く感謝する。

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『空海のことばの世界』村上保壽 久しぶりに接する

昨晩、カミサンが机の上を整理してくれた。そのおかげで、目の前の机上に数冊の本が並べられている。そこに『空海のことばの世界』村上保壽著 東方出版 が置いてある。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488591860X/prpmenade-22 

講演を聴いたり本を読んだりして、自分がどのように捉えるのか?否定的に見るのか、肯定的に見るのか?全面賛同するのか、部分賛同するのか、全面否定するのか?人それぞれなのだが・・・。

著者は私の兄弟弟子、村上保壽博士。現在は高野山真言宗の教学部長。今年の春までは高野山大学の教授であった。直接、教えを受けたことはないが、講演を聴いたり、本を読んだり、個人的にお話をさせていただいたり、さまざまな面で村上先生の考えに触れてきた。10年近く前だっただろうか、静岡で行われた教師研修会で村上先生の講義があった。その前にも、僧正参篭だったと思うが、そこでも村上先生の講義があった。「今のような弘法大師一辺倒の大師教になると阿弥陀一向宗と何の代わりもない!弘法大師の教えはそんなものではない。」この言葉を両方で聞かされた。普段私の中にあった思いと一致。さすが我が兄弟弟子!と心の中で拍手をし、我らの師である松長御前(当時大学教授)にもその嬉しさを報告したものだ。ところが、その後、村上先生より聞かされたのは「あれでmけっこう批判があったんだ」。驚いた。レベル的には少し上級者向けであったが、僧侶であるのならば、ましてや僧正を名乗るのであればあれくらいのレベルは確保しておかねばならないものだったからだ。それからも何度も村上先生のお話を聞いたが、元々は倫理学を専攻されていた方だけあって実に面白い。専門馬鹿ではない良さを感じる。師の松長御前も実に広い分野の方々と接しておられるために見識は深く広い。その影響もあると思うが、村上先生の話しは面白い。時代的に、宗教の中での倫理学が求められているからかもしれない。

ところで、この『空海のことばの世界』は弘法大師空海の著作の中の言葉に注目し、同じ言葉を使っても弘法大師は新たな視点に立って言葉を使っていることを解明した画期的な著述だ。そして、空海が何を思っていたのかを「ことば」を通して伝えようとした意欲的な著書である。真言宗は「言葉は瓦礫」であると考える一面と、「ことば」を通してしか伝えられないものがあるという両極端な考えを同時に共有しているという思想体系を有している。二律背反を内に有することが大きなエネルギーとなっていくからだと思う。この二律背反を内に有するためには「行」が必須となってくる。この直接体験である「行」を通してしか理解できないものがあるからだ。しかし、一般に生きる人にとってその「行」は普段の生活の中ではなかなかできるものではない。そこで村上先生は本書を照会するに当たり以下のはしがきを書かれた。少し長いが引用する。

p.1>>それでも、空海を理解し評価したいのであれば、空海の「行」を共有するしかないであろう。その境地に入り住するならば、才能の人空海ではなく、偉大な思想家であり宗教者である空海が見えてくることであろう。しかし、私は、すべての人が空海と「行」的境地を共有する必要がないと思っている。また、すべての人がそのようなことができるとも思っていない。空海の「ことば」を身と心で聞き、感じ、イメージ化して受け止めるならば、十分に空海の思想と個性を理解し、自分の言葉で空海を表現することができると思うからである。(中略)
本書は、空海と「行」的境地を共有する機会を持たない人たちに、空海の「ことば」の理解を通してその思想と個性を伝えようというねらいから書かれている。そしてまた、本書には平成の真言教学の探求とでもいうべきねらいがある。(後述略)<<

村上先生の熱き思い、改めてこの本から感じることができた。村上保壽という西洋倫理学の専門家を空海の道に導いた師松長有慶御前の誘導、著述や後代の弟子たちを通して突き動かした弘法大師空海のエネルギーに深く敬意を表したい。もちろん、久しぶりにこの本に接する機会を与えてくれたカミサンにも感謝したい。

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2007年11月28日 (水)

『地球システムの崩壊』松井孝典 宇宙の歴史の視点から今を見る好著

『地球システムの崩壊』新選選書

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410603588X/prpmenade-22

帯には、「毎日出版文化賞受賞 このままでは人類に100年後はない!宇宙的スケールで論じる、知的刺激に満ちた分明論。」とされている。

東京大学大学院教授の松井孝典博士。NHKの「地球大紀行」の制作企画段階から参加していたという変り種の自然科学者。専門は地球物理学・・・最近ではチキュウ学を目指しているという。当てはまる漢字は、地球であり、智求であり、智球であるという。

宇宙というスケールで、まずは現代とは何か?宇宙とは何か?地球とは何か?を自然科学者の視点で一般にも分かるように、しかも学問水準をできる限り落とさないように記された好著。

環境問題を扱うものは是非この視点を読んで欲しい。ゴア氏の「不都合な真実」も入門としては大切なものであるが、どちらかというと現象にばかり眼が行き過ぎて、文明という根本原因とは何かまでは眼が行き届いていない。それに対して、松井博士は、地球圏という新たなカテゴリーを提唱し、根本的な部分にまで取り組んでいる。もう百年しかないと予測される人類とは何なのか?この本を何度も読み直し、深く現象を見つめて、本を閉じ自分なりに考えていただければと思う。

ちなみに「不都合な真実」の映画は

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MQCT24/prpmenade-22

「不都合な真実」書籍はかなり難しいが。逆に読み応えがあった。また映画を確認するのには本は必携。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/427000181X/prpmenade-22

また初心者や、他者に語りかけることを大切にしているひとには「不都合な真実 ECO入門編」もとても役立つ。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4270002263/prpmenade-22

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「コトの本質」 自然科学者が書いた哲学書

「コトの本質」。地球物理学者の著者に同級生がインタビューをして成立した本。普段は分かりやすい口調で定評がある著者だが、その普段着の世界を垣間見た気がする。やはり只者ではない。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062136643/prpmenade-22

以下、前半からの引用

p.18  人間は、自分の求めているものを見るために生きているのだ。そう私は思います。

p.22 自分という存在を外から見て、全体の中での客観的位置づけができるかどうかが、重要なのかもしれません。

p.26 生きるとは何なのか?そう問われれば内部モデルを作ることですよ、と私は答えています。

これらの言葉を見ていただけば分かるように、著者は自然科学者であると同時に哲学者でもあることが分かる。だからこそ、MITやNASAが彼を囲いたがったのではないかと感じる。還暦間近の著者。現在は東大の大学院の教授だが、この地球のためにもWEB上で彼をモット活かしていただければと感じる。定年制も大事だが、一般をはるかに超える業績のあるものには、客観的な方法を用いて定年制の例外にするようなものもあってもよいように思える。

後半の面白さも秀逸。考えることを大切にする人や、知的なことに興味のある方はぜひ読んでいただきたい。宗教者としても大切にしたい内容が鏤められた逸品。

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2007年11月27日 (火)

不動護摩の準備で強く反省

明日は10時から月例不動護摩。寺子屋が終了後、百八支・二十一支を作り、油に塗れた仏具を磨いた。ピカリと光った仏具に真新しい胡麻油。とても気持ちの良いものだ。明日の朝、樒・お水・お洗米・五穀・菓子などを備えれば準備完了。気付くといつの間にか不動慈救咒を唱えていた。ノウマークサーマンダーバーザラダンセンダーマーカロシャーダーソハタヤウンタラーターカンマン。高野山南院の先代住職であり我が師匠の師でもあり我が修行の師でもあった故内海有昭前官様より、この カン マン に思いを込めよと教えられて依頼、特にこの部分になると意識が集中される。ここは不動明王の種子(しゅじ:象徴する文字)でもある。こうした前準備からやはり不動護摩に入っているのだと改めて実感。最近、弟子たちに準備をさせ過ぎていたことを強く反省。

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カミサンの風邪

夜中にカミサンが喉の不調子を訴えた。喉によいとされるハーブティーを飲ませるとしばらくして嘔吐。母を起こして、看病をした。最終的には喉飴を舐めさせて寝付かせる。そして今朝、元気動き回っている。あれは何だったのか?と思わせるほどだ。まさに喉元過ぎれば・・・ハハハハハ。これで我が家で風邪を引いていないのは私だけになってしまった。今日も酸性水でうがいをしよう! http://www.healthecol.com

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2007年11月26日 (月)

一宮市 青龍園

一宮のあるお寺に行くために、お供え用のお饅頭を購入した。購入した場所は、真清田神社の西入り口にある青龍園。昭和五十年生まれの若さんは非常に頭の低い心地よい方。商売が上手には思えないが、一所懸命に頑張っている姿を見て、ついつい応援したくなった。実は、私の母がこの近所出身なので、話しをしてみると、昔の地名の禰宜町(ねぎちょう)という言葉が出てきてとても嬉しくなった。昔の町名にはいわれがある。この旧町名は今は消えてしまったが、いつまでも大切にして欲しいものだ。

赤福餅のような 土用餅 を頂いたが、とても美味しかった。赤福を食べられない今、ここで同じようなものが食べられますよ。他のお菓子もなかなか逸品揃い。安くて美味しいお店。お勧めのお店。P1000007 愛知県一宮市真清田1丁目2-23 TEL 0586-72-7536

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午後から一宮へ

午後から一宮市へ赴く。父の介護に関して一宮市役所に相談に行った。いままで知らなかった手続きなどを教えられる。ただあの介護認定の分類は分かりにくい。お役人的な発想のように感じたのは私だけだろうか。受給者の立場に立って作られたものではなく、サービスを提供する側でもなく、それの認可をするものの立場で作られたものに思える。もっと分かりやすいほうが受給者としては嬉しいと思うのだが。あのような状態だと、実際に必要な人が受けられない例も少なからずあるように思う。ただし、一宮市の担当の方は実に丁寧に教えてくださった。このことには深く感謝したい。

その後、両親を一宮の両親のかかりつけの町医者に連れて行く。二人とも風邪を引いたらしい。最初の我が家の一人は、どうもカミサンらしい。私は喘息持ちで風邪を引くことができないので、今は要注意だ。強酸性水で今晩から、朝晩とうがいをするつもりだ。 http://www.kiriku.co.jp

帰途イオン各務原店に寄る。イオン各務原店の中で美味しいものNo.1だと私は感じている。値段700円の山菜釜飯をいただく。「旅籠屋」。ここの釜飯は逸品だ。おすし屋さんが経営者だけあり味は素晴らしい。台所用の買い物を済ませ、スタバで豆乳のカプチーノを購入。

帰宅後、寺子屋の生徒が勉強に来ていた。今晩の彼は冴えていた。なかなか素晴らしい意見が飛び出した。合同とは、相似の特殊形。彼自身が見出した。当然のことなのだが、そのことに気付くこと、その行為はとても重要なものだ。学習の内容をマスターするよりも、こうしたことに自身が気付くことは尊い。かれはおそらく、これから伸びていくのだろう。

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2007年11月25日 (日)

ラジオ出演 今年は6回出演させていただいた

今朝、ラジオに出演した。実は先週も出ていた。ローカル局の東海ラジオだ。僧侶として、環境カウンセラーとして、寺子屋の主宰としてお話をさせていただいた。合計で15分くらいだったのだが・・・。今年はこれで6回ラジオに出演したことになる。

自分の声には違和感があるが、このラジオを聴いた寺子屋の生徒に言われたのは、「先生の授業と同じ」という感想だった。内容は後日アップする予定・・・。

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2007年11月24日 (土)

SNSとブログ・・・雑記

最近ときおりmixiを覗いている。mixiなどのSNSを覗くと、感じることがある。これってniftyの延長?パソコン通信とどこが違うの?確かにシステム的には向上しているようには思うが、囲い込みの仕方など、niftyのかつてのフォーラムとそんなに違わないように感じる。むしろ最盛期のniftyserveのあの良さを感じる。niftyはフォーラムを潰してしまった。それはケアができないこととフォーラムマネージャーとの契約問題などがあったためだと思う。しかし、mixiよりもコンテンツをより多く持っていたはずなのに、結果的にはmixiにさらわれ、niftyは泣かず飛ばずになってしまった。ここが大きくなりすぎた結果かもしれない。

敢えて言えば、ブログは成功しているかもしれない。多くの有名人も取り込んでいるし、面白いブログが多い。私もブログを知ったのは数年前にカミサンの国会での同僚から教えてもらったことだ。まだ誕生して一年も経っていなかったように思う。そして、今はこうして日記を書いている。日記といっても、つれづれ思うことを書くのみで、決してその日に何が起きたかという類のものではない。ただブログを書いて思うのはSNSとはことなり、オープンであり、検索に引っかかるということだ。ここは大きい。SNSはweb1.0の延長に過ぎないが、ブログは限りなく2.0的だ。本当はniftyには思い入れがあるので、もう少し2.0に力を入れてもらいたいのだが・・・・。

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2007年11月23日 (金)

『われわれはどこへ行くのか?』地球学を語る好著

今日読んでいる本は

『われわれはどこへ行くのか?』松井孝典著 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480687548/prpmenade-22

帯には「宇宙の始まりから 人類の運命まで」と記されている。著者は東大の大学院の教授。NASAやMITにも在籍したことのある学者。NHKの「地球大紀行」の政策にも企画段階から参加したという。

この自然科学者である著者が見つめる先は、政治の世界をも包括した新たな地球学とも言うべき世界観。この本は文体が語り口調になってるので、さらっと読めてしまうが、内容はかなりディープなことを述べている。この地球に生きる限り、読者の琴線に触れるものが、この著者が語る内容のどこかにはあると感じる。

日本の最高学府である東大の教授にこのような方が居るということは、とても嬉しい。近い将来、GOOGLEまたは他の会社かもしれないが、こうした技術者集団によって、この著者のように優れた学者たちの授業がweb上で聞くことができるようになるかもしれない。リアルな大学や放送大学を超える学問の場がwebに誕生するのはいつだろうか?そう遠い先ではないように思うのは私だけだろうか?

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2007年11月22日 (木)

国道25号の三重県内で強烈な渋滞に

師匠の下へ勉強会に高野山へ行く。先ほどお寺に戻ったばかり。まずは、このブログ日記を書いている。

朝五時半に出発。桑名の大叔母の元に訪ね、椿の木を頂く。その木を載せて高野山へ向かう。途中三重県内で強烈な渋滞。11月30日まで、工事をしていて片側一車線のために、かなりの渋滞になった。土日や休日は工事をしないとのこと。普段は20分くらいで行く場所が2時間以上もかかってしまい、遅刻になるかと冷や冷やした。この工事区間、ビックリしたことがあった。あまりにもゴミが捨ててあることだ。渋滞で、漫画や雑誌を読んだり、飲食物を手にしたのだろうか、雑誌や漫画類は数十冊は落ちていた。少なくとも私の数えた数字が30を超えていたから、もっと落ちていたはずだ。一人二人の所業ではなく、数十人の所業と考えると、ドライバーのマナーの悪さを感じざるを得ない。こうした公共の場所に対してゴミを放ることについてもっと罰則を強化したほうが良いのではと感じてしまった。おそらくこういう人は自分の車はキレイにしていて、自分さえ良ければそれでよいという人も少なくないのではないだろうか。

なんだかんだで、無事に昼の1時に到着。ホッとした。手土産は、今日は青柳ウイロウ。季節限定ヴァージョン。これならば賞味期限は大丈夫と信じて持参する。

最初に、師の新聞記事を見せていただく。愛媛新聞の見開き一面で出たそうだ。カラー写真でなかなかのものだ。ここで知ったのだが、愛媛県内の高野山真言宗の数が非常に少ないこと。真言宗はあるのだが、他派らしい。また、雑誌『寺門興隆』の記事に私が載ったことも師が皆に披露をしてくださった。

般若心経秘鍵の今日のUさんの発表も、なかなか面白かった。二乗を学ぶことは少ないので、こうした機会は大変役に立つ。この二乗の道を歩み始めた者にも真言の道があるということもはっきりした。これは布教に使えるネタであると感じる。

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2007年11月21日 (水)

野田少尉(南京大虐殺関係とは別人)の自殺にまつわる実話

お寺の信者さんTさんより、教えていただいた実話です。Tさんより掲載の許可をいただきました。Tさんの文字をそのまま使わせていただきます。Tさんのお母さんは、従軍看護婦でしたが、その後は看護婦を辞め、人を信用しない世界へと飛び込んで行ったそうです。

以下、Tさんのメールより>>

母が、以前話してくれたことがあります、陸軍病院でのこと。野田少尉のことが忘れられん、と涙をこぼしたことがありました。よく聞くと、野田少尉は戦争で両足をなくし、病院に入っていたそう。あるとき、野田少尉が「ひげをそりたいから、洗面器とカミソリを持ってきて欲しい」と母に頼んだそうです。母は言われるまま、その2つを持っていったら、手首を洗面器の中で切って死んだ、とか。上司が「誰が持っていったんだ!」と随分怒ったけど、言えなかったんや・・私はまだ17歳だった・・」と涙ぐんでいました。

<<上記、引用終わり

戦争がもたらした悲惨な事件の一つです。この話しはここで掲載されなかったら、暗闇に葬られていくと思い掲載しました。もし、あのとき上司の方が、「辛かったんだろうな。これで彼も救われたかもしれん。カミソリを持ち運んだ者、後で私の部屋に来なさい。あなたが苦しんではならない。一緒に彼の冥福を祈ろう。」とやさしく声を掛けていたのならば、Tさんのお母さんの苦しみもずいぶんと和らいだのではないかと思います。辛い思いをした人の側でやさしい声を掛けることの大切さ、そして事情を聞かずただただ怒鳴りつけることの愚かさも感じさせられる内容でした。

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2007年11月20日 (火)

高家寺ブログの再開 まずは守護尊カード11月分から

守護尊カードというものを毎月発行している。その裏面に記したメッセージの内容を、最近あまり記すことのなかった高家寺のオフィシャルブログに掲載した。 http://mantra.way-nifty.com/kokeji/ 今回は11月のものだけだが、今後も継続的に掲載していく予定だ。いくつもミスがあったり、問題点はあると思う。それを敢えてここに掲載して、多くの方々からご意見をいただき、少しでも良いものにしていければと思っている。

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出会いに感謝 改めて実感

この二日間、とても大切な方々と数時間を過ごさせていただいた。出会って間もないのだが、既に十年以上の付き合いがあるかのごとき思いをしている。人と人との出会いは面白いものだ。偶然の一致(共時性)がこんなに起きるものかと思うほど、起きている。プライベートに関わることなので、ここには記せないのだが、こんなにいろいろ偶然が重なると何か大きないのちによって仕組まれているのかと思うほどだ。新たな胎動なのかもしれない。

人と人の出会いに感謝。こうした機会を与えてくださった大いなるいのちに深く感謝。

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2007年11月19日 (月)

総表現社会の層

『ウェブ時代をゆく』梅田望夫著 を読んでいる。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480063870/prpmenade-22

まだ読みかけなのだが、その中で彼の二年前の著書『ウェブ進化論』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062858/prpmenade-22  からの抜粋部分が気になり、再び『ウェブ進化論』で確認した。

>>p.148 「エリート対大衆」という二重構造ではなく、三層からなる構造で、この総表現社会を見つめてみる必要がある。(中略)私は、この二つの層の間に、総表現社会という層をイメージするべきだろうと考える。一万でもなく一億人でもない、たとえば一〇〇〇万人(ここは五〇〇万人でも二〇〇万人でもいい)の層。「一万人に一人」ほど希少ではないけれど「一〇人に一人」(または「五人に一人」「二〇人に一人」でもいい)くらいの人たちの層。これがブログを序章とする総表現社会の到来によって浮き上がってくる新しい層である。   「不特定多数無限大の参加は衆愚を招く」と根強く考える人たちに、「百歩譲って一億人なら衆愚かもしれないけれど、一〇〇〇万人だったらどうでしょう」と、私は問いかけてみたいのである。<<引用終わり

これだ!と直感した。私自身、師匠のように、何万人に一人というスーパーエリートではない。かといって、学問を全くせず、お金を得るためにあくせくしているような大衆層でもない。ここで表現された総表現社会という層に属することを強く認識した。この層の中で力強く生きていく。あえて、高速道路を通るのではなく、道なき道を作りつつ試行錯誤しながら進んでいく存在。「僕の前に道はない 僕の後に道は残る」まさにこの道を歩んでいるときが最も充実して楽しいとき。それは子供の頃からであった。誰よりも最初に物事に気付き進み始める。ところが、ゴールを前にすると、さらに次なる道を探し始める。結果的には私より後に歩んだものが結果を得ることになるが、私自身は結果を得ることよりも、道を作り始めることが好きであった。もちろん最後までやり遂げねばならないという意見も少なからずある。しかし、私は私の後進が出てきた段階で、その人たちに道を譲り、新たな道を探すことのほうが好きだった。いつの間にか、その自分の性格を覆い隠すように生き始めていることに気付かされたのが、この梅田望夫氏の一連の著書だ。

今、WEB2.0に対して思うことがいくつもある。それを、WEBだけではなく、実社会にも役立てるように私は尽力をしようと思う。総表現社会の層に属するものとして、道なき道を歩もうと改めて決意する。

少し気恥ずかしいが、こんな青臭い自分が大好きであることも、改めて知る。

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2007年11月18日 (日)

WEB2.0 に時代を思う

時代の大きなうねりを最近強く感じる。私が子供の頃は、高度成長時代であった。未来は科学分明によって明るく開かれていると信じて生きていた。しかし、この科学至上主義の右肩上がり考え方に疑問が呈されるようになった。高度成長の副産物である公害・温暖化などを始めとする環境問題。勝ち組と負け組が峻別される格差の問題。生きがいよりもまずお金。そのほか、数え切れないくらいの問題が露呈し、いつの間にか高度成長は否定されるようになってきた。環境問題に取り組んだこともあり、私も最近までは高度成長をある意味、否定的に捕らえていた。しかし、最近になりその考え方を軌道修正するようになった。今の倫理観でその時代を否定することは、未来の倫理観で今の自分を否定することになると気付いたからである。時代には時代の倫理観がある。そのことを忘却し、無批判に現代の価値観で過去を否定することはいかがであろうか?この思いが強く湧いてきた。

実は、私がこのところ取り組んでいたのは明治維新の再考であった。明治維新はどちらかというと肯定的に捕らえられているが、その問題点も実は無視できないほど大きな物がある。神仏分離令などの問題は仏教者としてはもちろん否定的だ。また環境問題カウアンセラーとしても、西欧からの来訪者が是ほど美しい国はないと評していた国を、ここまで醜くしてしまったことに悲しみを覚える。この批判はしっかりと持っていなければならないと感じていた。今もその思いに変更はないが、それよりも時代を動かしたあの若きエネルギーの凄さはやはりとても大切であったように思う。多くの既成権力者たちはその動きが見えなかった。また、その若きエネルギーをつぶそうとした。しかしつぶされてもつぶされても何度も何度も復活してきて、ついには明治維新へと結びついた。ここはその時代に生きた若きかたがたに敬意を表すべきだと私は感じる。問題を起こしたのはむしろその若き力ではなく、力を維持しようとした新たな権力者たちの暴挙であったからだ。

そして今、また新たな動きが始まった。それは、日本にとどまるものではなく、世界中を席巻している大革命だ。政治革命という小さな個々の国のレベルのものではない。産業革命をはるかに超える動き。中には言葉の発明と同じほど強烈な革命だという人さえ居る。それがWEBつまりネットだ。ここにも問題は生じると思う。しかし、大きな変革には必ずひずみが生じるものだ。そのひずみがどこから来たものなのか見つめると、そっれは変革がもたらしたものではなく、新たな権力者たちが構築する構造からくるものが多いだろう。そこをしっかりと見つめていさえすれば、このWEBの流れは非常に面白いものである。

私宗教によって生かされている一宗教家というよりも、宗教に生きる独りの人間として、このWEBの動きに参画したいと強く感じる。新たな世界の創造、そこには高度成長の頃のあのワクワク感をはるかに超えるワクワク感がある。この流れをしっかりと見極め、その流れを作る一翼を担いたいものだ。

パソコン通信の時代から、このネットの時代を見てきたという自負があったが、いまはそんなものさえ吹き飛んでしまった。WEB2.0ここには、もっともっと大きな可能性が秘められている。

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2007年11月17日 (土)

『フューチャリスト宣言』

『フューチャリスト宣言』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480063617/prpmenade-22 を読む。梅田望夫と茂木健一郎の対談集。年代的に、私よりほんの少し上の二人。2007年の五月に初版が出ている。インターネットが社会を大きく変えている事実と、その先に見える明るい未来を感じさせてくれた。そして何よりも、未来とは予想するものではなく創造するものであるということ。二人の熱き思いに触れられた。宗教も今のあり方から脱し、まさにweb2.0を意識していく時期なのではないかと感じる。ある友人から、シリコンバレーに乗り込む必要性を熱く語られているが、本気でその狂気を発するときなのかもしれない。

梅田望夫 www.mochioumeda.com/

茂木健一郎  kenmogi.cocolog-nifty.com/

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2007年11月16日 (金)

倉庫の探索

ある亡くし物があった。サムソナイトのボストンバッグと、MCMのサイドバッグが忽然と消えていた。この数ヶ月全く見ていない。室内をくまなく探したが見当たらず。そこで倉庫を探した。探し物は見当たらず。ところがおかげで、ずいぶん前から探し続けていたものが10点ほど出てきた。これも大いなるいのちからのプレゼントかもしれない。おもわず感謝の合掌をしてしまった。

それにしても、あれほど大きなバッグ、いったいどこへ消えてしまったのか?

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2007年11月15日 (木)

子供たちに熱く語る

ある代議士の秘書が訪ねてくる。そこで彼に彼らしく生きるように課題を与えた。どう生きるかは彼自身の問題だ。

そしてその延長で、寺子屋の中学三年生の三人に、ものの考え方を伝えた。

仕事。強制的にやる仕事と、自発的に行う仕事。どちらが良いのか?すると生徒たちは「自発的」と答える。では「みなのご両親の仕事は?」と尋ねると、お金を稼ぐためのものであり、自発的ではないとのこと。では、「私は?」と尋ねると、「自発的!」と生徒たちには見えているという。本当にそうなのか?

そこで図示して見せた。集合論の図。

世の中の多くは強制的に行われている仕事が多い。昔は王が家臣に命じたり、主人が奴隷に命じたりしていた。今は会社という組織が社員をお金で強制労働させている。

また一方では、芸術家は他者がなんと思おうと自分の思ったものを作る。これはかなり自発的。

しかし、他者からの要望もあり、また自発的なものでもある仕事はあるのではないだろうか?

そんな問いを投げかけた。生徒たちは真剣にその言葉を聴いてくれた。域外を持つ仕事とは何か。そもそも自分が生きているという実感と社会の役に立っているという実感とは一致しないものなのだろうか?来年から高校生になる彼らに、高校生の間中、そんなことを伝え、彼ら自身で考えてもらおうと思っている。

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2007年11月13日 (火)

誕生日 (リブート・reboot・再起動)

誕生日。44回目。夜は寺子屋があるため、昼食をカミサンととろうと出かけよとした。そこで些細な口喧嘩。私は書斎に戻り、カミサンは独りで出かける。ここで私は本を読む。 『日本人の精神と資本主義の倫理』波頭亮・茂木健一郎の共著・対談集。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344980573/prpmenade-22 一気に読破した。最近、自分の中でなんとなく雲にかかってはいるが、進むべき山を見つけていた。しかし、その雲のせいで前に進めずに居た。この著は、日本を愛するがゆえに日本にかなり厳しく、さらに今後自分がどのように生きていくかを宣言しているものでもあった。この宣言、professによって、私の中の雲が晴れ渡った。この道を行く!今は迷いはない。この日にこの良著を読めたことに深く感謝している。

本を読了後、イオンに出かける。両親には「この世に生を与えてくれて深く感謝します」の意味をこめて美濃焼きの茶碗と湯飲みのセットを購入。カミサンには、『レミーの美味しいレストラン』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000W494A6/prpmenade-22 のDVDを購入。結婚記念月でもあるので、可愛いお花も手に入れ帰宅。すると机の上には、カミサンから緑色のウサギの形をした鉢植えがプレゼントされていた。ま、夫婦の軽い口喧嘩はお互いを整理するためには時には良いかもしれないなぁと勝手に思う。

夜は寺子屋。中学三年生はテスト明けなので、本を読んだ後の私の思いを素直に彼らに語った。この思いを伝えていると、不思議とエネルギーが湧いてきた。

ノートパソコンも帰ってきたし、いろいろな意味でリブート(再起動)されたようだ。

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2007年11月12日 (月)

免許の更新

関市に免許の更新に行ってきた。今まで岐阜市の三田洞に行っていたのだが、友人の喫茶店に近い場所が良いと思い、カミサンに車に乗せてもらって出かけた。受付は二番目。

服装は、ブルックスの青のネクタイと、黒のベスト。実はこの青のネクタイをつけたのには意味がある。レジメンタルストライプ。イギリスをはじめとするヨーロッパの権威主義に対する抵抗を意味しているそうだ。ヨーロッパのレジメンタルストライプは軍隊使用のもので、、ブルックスのそれとは斜めの方向が逆になっている。権威や権力が苦手な私は、小さな意思表示としてブルックスがお気に入りだからだ。まぁ、体系的にアメリカンクラシックが好きだというのも事実だけれども。

そして出来上がった免許を見てビックリ。普通免許と思いきや、限定付の中型免許になっていた。法律が変わり中型ができたために、今まで普通免許を持って居た人は限定の中型になるそうだ。道路交通法もいろいろ変わっていた。免許の更新、やはり大切なものだなぁと実感する。

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2007年11月11日 (日)

今こそ必要な書籍、『プロフェッショナル原論』 波頭 亮 著

経済優先社会の現在、学校までもがこの荒波に飲み込まれている。私が所属する宗教界もまたしかり。経済的に力を持ったものが宗教政治というなの下に、権力を弄ぶ例は、いとまない。これは一集団に限ったことではない。この経済優先社会に敢然と挑み、力強く生きて、社会をリードしていく存在こそ、プロフェッショナル。このプロフェッショナルを、テクニカルな面ではなく、その根本に根ざして書き下ろされた良著がある。

『プロフェッショナル原論』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480063331/prpmenade-22 ここには、生き様の原則が示されている。「ヒポクラテスの誓い」 ( http://www.kanazawa-med.ac.jp/mic/rinri/hippocrates.html  に金沢医科大学の英訳と日本語訳がある。) ここにプロフェッショナルの源流を見つける筆者。大いに参考になるので、読んでもらえればと思う。

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2007年11月10日 (土)

点滴がうまくいかず

昨晩は寺子屋があったのだが、生徒たちには自習にしてもらい、喘息の発作で病院へ行く。久しぶりに点滴。一発で入る。採血も行う。血液は若干濃い目。そのまま点滴へ移行。ところが血管が収縮してしまって点滴が止まってしまう。腕になんと五箇所も針を刺した。最初はしっかり血管に入るのだが止まってしまう。ついにはドクター自らが乗り出したが、やはり数分で止まってしまう。首から入れるか?と脅されるが、さすがにそれは拒否。結局足から入れることに。足の血管はかなり太いので全く問題なし。自分でもこの始末にびっくりした。点滴直後は、なかなか戻らないが徐々に楽になっていく。車の往復をしてくれて、快方をしてくれたカミサンに深く感謝。

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2007年11月 8日 (木)

喘息発作

喘息の発作で最近寝こみがち、少し辛いものを感じている。この辛さを見つめると、チェ・ゲバラを思い出す。彼はl郷土の喘息発作を有しながら革命に走り回り、最後は喘息の発作のため動けなくなったところを狙われた。だからこそ、かれは喘息患者には勇気を与えてくれているものと私は感じている。

また先日映画で見た秋山康氏の『象の背中』。肺がん患者の話だが、息ができにくくなるのは喘息も同じ。今は、マラソンを走る続けているような息遣いと心臓の鼓動がある。

この喘息も大いなる命からの私へのプレゼントなのだろう。喘息を起こすと普段の数倍の水を必要とする。水分をしっかりととらねば・・・。

明日もゆっくりと休ませていただくつもりだ。

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2007年11月 6日 (火)

小沢代表の慮りはいかほどに

小沢民主党代表の狙いは、公明党と自民党の分離だったのではないか?そして、民主党内の引き締めも同時に行う。

今回の首相からの民主党への連立打診によって、公明党は自民党に対する不信感を一気に高めたに違いない。次回総選挙で、果たして真剣に自民党を応援することfができるだろうか?みしろ自分たちを死守すべく、全く異なる動きになる可能性も出てきたと思う。囲碁の上手な小沢代表の布石は、民主党に対するダメージよりも、公明党の自民党に対する不信感ということがもっとも大きな狙いだったように思えるのは私だけだろうか?実はこの一手により最大のダメージを受けたのは、公明党ひいては創価学会により応援を受けてきた自民党員なのではないだろうか。これで創価学会や公明党の方々は気付いたと思う。必要なくなったら、自民党に切って捨てられるのは、公明党や創価学会であるということを。

そして民主党内も、基本的に小沢代表続投を望む声が圧倒的。「役員による不信任」と述べることにより、当選回数別に全議員から信任を党内から得ることになる。小沢体制はまさに磐石になっていく。

彼の一手は厳しい。多くの国民が彼の行動を読めずに居る。国会議員のほとんども同じだろう。彼の慮りは、私たちの思惟を遥かに超えている。囲碁が彼を鍛えたのか?

表面だけの物事にとらわれてはならない。もっと本質的に、将来に何を引き起こすのか、もっとしっかり見つめる必要がある。それを彼から知らされた思いだ。

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2007年11月 5日 (月)

映画『象の背中』

自動車の免許の更新に出かけた。ところが私の情報確認不足で、今日は更新できず。そこで映画を観にいくことにした。

『象の背中』ある会社員の男性(部長職)が肺がんに罹り、余命を半年と宣言される。連絡を取ることをできずにいた人たちと会い、またないがしろにしていた人とも会う。癌の治療を選ばずに、最後は会社を辞め、ホスピスを受け、そして家族の元で死んでいくというストーリー。作詞家の秋山康が産経新聞に連載し、話題を呼んだ小説の映画化。なかなかすばらしい映画だった。主役の役所さんは、さすがにハリウッド俳優だけのことはある迫真の演技。実際に激痩せして役作りに励んだという。奥様役の今井美樹も感じるところがあった。同い年という親近感もあったからだと思うが。そして何よりも岸辺一徳の兄役が、一番心に残った。

この映画をカミサンと観たのだが、その後は実にヘビーな気持ちになった。しかし、嫌な気持ちではなく、誰もがいつかは死ぬという人生で最大のテーマを正面に扱ったものとしてとても感じるところがあった。もちろん、経済的に恵まれているとか、男のエゴなどという批判はあろう。それでも、一人の人間の生き様を見せ付けられたように思う。この映画は夫婦で観て欲しい。そして自分の人生を振り返りつつ、未来を観て、今を生きてもらえればと思う。そう、この映画は、死を見つめることで、今を生きることを教えてくれていると感じた。

映画館のあちこちで、涙で鼻をすする音が聞こえた。もちろん上さんも涙で、顔が大いにぬれていた。かくいう私も、涙が出そうだったが、カミサンの様子を見て、やせ我慢をしていた。

すばらしい映画だとおもう。ぜひ観て欲しい。

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2007年11月 4日 (日)

小沢民主代表の辞意

民主党の小沢代表が突然の辞意。安部前首相とは全く理由は異なるのだが、果たして国民はその理由をどこまで感じているだろうか?寺子屋の生徒の一人がいみじくも言った・「どうして、そんなに簡単にトップの人が辞めてしまうの?」。この感覚こそが、一般的なものではないだろうか?ここをもう少し理解して欲しい。

ただ、今回の辞意問題は、私は民主党のピンチだとは思っていない。最大のチャンスがやってきたと感じている。民主党を支持する多くの人が、小沢代表の下で衆議院を勝つことにかなりの抵抗を感じている。小沢グループと呼ばれる旧自由党系の方々は秘書にいたるまで軍団的に党内派閥を形成していると聞く。一方、民主党を応援する人や、次代を担う中堅の議員や秘書たちは、こうした派閥的なものが性に合っていないことが多い。この矛盾を解決するために、そして民主党が真に政権政党になるためにはここが試金石のような気がする。私は個人的に、党議拘束を一切なくし、アメリカ型の政党に移行することを望んでいる。そこで初めて、真の意味での民主主義になるのではないだろうか。自民党と同じような生き方をしていては、ある程度までは支援者を得ることができるが、最終的には国民の理解を得られないように思う。やはり民主党は自民党の亜流ではなく、民主党そのものである必要を感じるのだ。

さて、宗教者である私がなぜここまで政治をするのか。実はこの政治の問題は、私たちの一人ひとりの心に深く関わっているように感じている。この小沢辞任問題を単なる民主党内の政治の問題と受け取るのか、自分自身の心と密接に関わっていると受け取るのかで大きく異なっていく。私たちにも小沢代表のような行動をとる心は潜んでいる。自民党のような老獪な心もあるだろうし、小沢代表を酷評した民主党内外の者、またマスコミの記者たちのような者の行動パターンをわたしたちも取りかねない。また、彼を政党の代表として選んできたのも私たち一人ひとりである。そこは有機的に関連しており、決して切り離されるものではない。ある意味、今回の一連の流れは私たちの心の顕れそのものなのではないだろうか。だからこそ今回の動きを見て、私たち個人のことを振り返り、より自分らしく生きていくことを感じる必要があるのではないだろうか?

今回の辞意は、意外な結末を生むような気がしてならない。さてどうなるのか、お楽しみだ。繰り返すが、民主党にとって最大のチャンスがやってきているし、私たち国民も自分を振り返るチャンスが訪れているように感じるのは私だけだろうか?

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2007年11月 2日 (金)

2007-11-02の日記

古いタイプのPCで打っているため、少し時間が余分にかかる。ただ数年前はこれで納得していたのだから、と気持ちを取り直してキーを打つ。

今日は午前中に友人のお母さんが経営している床屋に行き、その後はカミサンと買い物へ行く。マイバッグならぬマイカゴ(?)を二つ持参して行った。するとレジ打ちのお姉さんが気軽に話しかけてくれた。実は昨日の中日の日本シリーズ優勝もあって、「燃えよ!ドラゴンズ」が繰り返し場内放送されており、さすがのファンも少し聞き飽きているようだった。そんな話でレジで盛り上がる。このレジも昔は数字キーを打っていたが今はスキャンのみ。だからこんな会話もできるのだが・・・。レジを後にし、場内にあるスタバに行ってカプチーノのヴェンティの豆乳を注文。この飲料は私たち夫婦の大好物。普段清涼飲料水を嫌うカミサンも、これだけはOK!

午後からは、仏壇とお墓の精抜きに行く。老夫婦だけになり、今後のことに困っている方々は少なくないことを改めて知る。このあたりの受け皿もしっかりせねばなるまい。

帰宅後、夕方からは寺子屋。卒業生が遊びにやってきた。

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2007年11月 1日 (木)

中日 日本シリーズ優勝!

中日が日本シリーズで優勝した。この第五戦は圧巻だった。日本ハムの絶対的エースのダルビッシュに押さえ込まれていたが、わずかなチャンスに一点を。そして、なんといっても山井投手が八回までパーフェクトピッチ。完全勝利の権利もあったが、最終回は守護神岩瀬を落合監督は送る。ここに落合監督の計算と情を垣間見る。山井は完全状態で終了し勝利投手になり、年間を通して大車輪の活躍をしてきたが、セーブ王をとりそこねた岩瀬に最後の場を任せるあたりなど、まさに上をも計算しつくしていた。頭が下がる思いだ。

情とは、ずるずるひきづることではない。切るところは切って、任せるところは任せる。ここに将としての采配の絶妙を見る。名選手でありながら名将となった落合監督。苦労人でもあるが、その分今年は報われただろう。来年はシリーズ優勝も狙うに違いない。

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メインPCの故障

30日の夕がたにこのばでふ方、メインのPCが動かなくなった。FAN ERRORまったく動かない。運よく、24日にメールのバックアップはとってあったので、最低限の保護はできているが・・・。しばらく動かしていなかった補助のPCを今動かしている。おかげで仕事が少々遅れてしまった。迷惑をおかけしている方や、連絡がつかない方々に深く陳謝したい。やはり常日頃のバックアップは、何に対しても必要とぴうことなのだろう。

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