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2007年10月31日 (水)

政治家を志すものに必携の書

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4894512807/prpmenade-22

神様に選ばれるただひとつの法則~人生を勝利に導くコミュニケーション術「プロパガンダ」~

という本が出版された。早速手にとって読んでみると、これが実に面白い。タイトルは少々オーバーだが、中身はかなりのもの。一読の価値あり。独りよがりになりがちな自分に対して警鐘を鳴らしてくれたようだ。

特に経済や政治や宗教を志すものには大きな価値が隠されている。特に政治家には必携の書だと感じる。もちろん危険もある。プロパガンダは、剣と同じで使い方によっては薬にもなるし毒にもなる。ここは知のモラルが問われるところだと思う。

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ウサギ

昨日、郵便物が届いた。ピーターラビットの封筒。差し出し人は人目で分かった。その方のご家庭もウサギで満ち溢れている。私もウサギが好きで、自分のことを動物でたとえるとウサギであると感じている。ウサギ年でもある・・・。ウサギは臆病者だけれども多産の象徴。エネルギーの象徴でもある。近い将来に、ピーターラビットの作者のミスポターが大切にした湖水地方に行ってみたいと思っている。

実は、先日出張から帰宅するとトイレのスリッパが変わっていた。そこにはウサギの絵があった。思わず笑ってしまった。

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2007年10月29日 (月)

知の技法

荒瀬克己 京都市立堀川高校校長 この先生の本は教育者に対する挑戦と警鐘だ。国公立一桁の数から三桁に載せた実績で注目されがちだが、それを支える哲学がすばらしい。そしてそれを実践しえたその熱き思い。感銘した。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022731257/prpmenade-22

彼の本から知った東大の文系学生が学ぶテキストとして『知の技法』。この本もとても面白い。私は最初に『新・知の技法』を読んでいるが、読破した後にほかの四冊にも望んでみたいと思っている。私が行いたい教育の方向性が見え始めた。

新・知の技法  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130033123/prpmenade-22

知の技法  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130033050/prpmenade-22

知の論理 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130033050/prpmenade-22

知のモラル http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130033077/prpmenade-22

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2007年10月28日 (日)

月例護摩供養

10月の月例護摩供養。私の意識が少し飛んでいたせいもあり、最初になかなか火がつかない。じつはいつもより火がつきやすいように工夫をしていたのだが・・・。そこでいつものように天下をし直し。すると素直に火がついた。ここで感じる。作為的なものではなく、いつもの自分を磨くことのほうがよっぽど大切なことであると。新しい信者さんも数名来られていた。法話の内容に信者さんの一人が私にぴったりの内容だったと喜んでくれた。そうおした反応はとてもうれしい。やはり作為的なものより自然なものがいいようだ。もう少し私自身も素直で居なければと感じる。

午後、両親を羽島まで送りに行く。途中、道路渋滞が何度も。おかげで早めに出た時間がちょうどになっていた。帰り道、あまりにも眠くて、寄り道せずに帰宅。二階に上がることもできず、書斎のソファーで眠ってしまった。

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2007年10月22日 (月)

2007年10月月例弘法大師

21日。10月の月例弘法大師。法話は高野山の団体参拝のお話をした。守護尊カードは、佛眼佛母、勢至菩薩、金剛歌菩薩、馬頭観音、那羅延天、吉祥天。今回はこのお話をするだけで十分にみなが納得してくれた。

このごろ感じることがある。人の話を聞いて単純にそれを受けるのではなく、自分自身の耳で自分自身の眼で確かめることの大切さを。ある信者さんが、他者の言葉を真に受けて一時期来られなかった。しかし、ここで受けたお話などによって救われたのは事実であり、自分の心に素直になって再度訪れられた。そこで知ったのは、その方にお話した人が虚言を弄していたということだった。私はその信者さんに語った。「その方を恨む前に、こうして自分の目と耳で確かめることの大切さを、こうした出来事で教えてくださった大きな命に感謝しませんか?」と。

守護尊カードはあくまでもヒントである。このヒントで自分の心の中を少しでも改善していただければ幸いである。

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2007年10月20日 (土)

大般若会と土砂加持

10月20日 羽島の開白寺さんのお手伝い。午前は大般若会。午後は土砂加持。久しぶりの助法で足腰が痛くなってしまった。

ただこの法要、ともに勉強になった。行事は基本的に行うものがしっかりと組み立てなければならない。妥協する面と妥協してはならない面とを改めて確認させられた。ここのご住職には随分と世話になっているが、今回もいろいろ学ばされた。深く感謝している。

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2007年10月19日 (金)

法話の会

19日 朝、先輩を迎えに行く。このホテル、実は私と家内が12年前に出会った場所で思い出深いところ。そして昼間は先輩たちと昨日行けなかった白川村に行く。白川村も新婚旅行先だった。この偶然の一致に思いを馳せる。途中、ミホロダムのほとりを通った。わが寺の銀杏大師はかつてこの地に霊木として祭られていたものと聞く。

白川村は雨だったが、それになりに楽しんだ。雨もまた乙なもの。

200711262326000P1000004ここで面白かったのが、八幡神社。その横に仏像が祀られていたのだ。神仏混交。神社の中に仏像がある。面白い場所だ。

そしてその夜は、法話をしていただいた。岡山県古都南方の慈眼院ご住職長井秀誠師。言葉ではなく相手を察する思いの大切さを「愛と慈悲」というタイトルでお話いただいた。その後、信者とのやりとりでまたひとつ深まったと思う。

その後、高山の堀川ひろこさんのミャンマー報告。これもとても面白かった。この企画はまた別して行いたい。

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2007年10月17日 (水)

高山へ

10月18日 飛騨高山へ大学院の先輩を迎えに行く。19日にお寺で法話をしていただくためだ。国分寺と千光寺に赴く。千光寺では法福寺のご住職と出会う。各務原に高野山真言宗のお寺は二件しかないが、そのお寺の住職同士が高山のお寺で偶然に出会うとは意義深かった。白川村へ同行を誘われたが所用があって行けなかったのは残念だ。このご住職には若いころには随分と世話になった。学識や教養には惹かれたものだ。今も尊敬をしている方の一人だ。故あり、縁は遠のいているが、面白い出来事だったと思う。

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2007年10月 7日 (日)

異宗教の共存

宗教倫理学会。最近この学会が大好きで参加することが増えている。異宗教間対話が違和感なく行える貴重な場。

十月一日、大和(奈良県)の橿原神宮の権宮司さんから奈良県内の宗教者会議が開かれた旨を聞かされた。そして熱くかかってくださった。

昨日、白光真宏会よりDVDが届いた。五月に開かれた平和の祈りの模様。世界中から宗教者が集まった。

こうした動きが私の周りで加速している。自分の宗教を主張するだけの時代はすでに終えている。また、比較してその差異や共通性を語り述べる時代も終わりを迎えている気がする。今、私を含めて宗教者に求められているのは、他者をそのまま認めること。そして、それぞれがそれぞれの立場で教えを伝え、個人レベルでも社会レベルでも平和・寂静を祈り、大いなるいのちに感謝を捧げること。

一昨日、若いF君に伝えたメッセージは、1から10までやりたいことがあれば、3から8は我慢して、1,2に集中すること。人は、1から8を我慢して、9、10を選びがち。そんな人生は、個人レベルでも自分を賤しめるし、大きな視点からも大いなるいのちが自分を分化してこの世に生かしてくれているいのちを活かしていないことになると伝えた。じつは、それは私自身にも言えること。今、私の周りで起きていることを素直に認め、この道を歩んで生きたい。それこそが真言密教を生きることになると私は信じている。

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2007年10月 6日 (土)

F君 まっすぐに自分の道を

昨夜、ある若者F君と語り合う。いろいろあって、彼を叱りつけたるもした。しかし、本当は彼の奥底に眠る彼の沈んだ心に火をつけたかったのだ。その後、半分眠りながらも語り続ける。かれの進路はこれでかなり固まったと信じたい。しっかりとこの道を歩んでほしい。

今日は午前中は買い物。途中、映画館に立ち寄るも、お得な日に見ようということで、素直に帰った。午後からは、事務作業。そして中三生の寺子屋。その後は寺報つくり。寺報『星の声』を2時間半で書き上げた。自分でも驚く早さ。まさに明神様のお力かもしれない。

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2007年10月 3日 (水)

最高の高野山団体参拝二日目2

10月2日火曜日、9時半頃、いよいよ一行は金堂の中での結縁灌頂(けちえんかんじょう)へと進んだ。P1060451 私は、所用があり本山の宗務所へ。

10時45分過ぎに、金堂の前に戻っていくと、そこには涙を流した跡のある妻と妻の叔母の姿があった。結縁灌頂については、何度言葉で言っても「何の意味があるの」と、あまりピンと来ていなかった妻も、感動に感動を重ねたようだった。灌頂を終えた人たち全員が「すばらしい」「感動」「最高です」の言葉の連続だった。私が言葉で100を尽くすより、一回の灌頂のほうが人々を密教へと誘ってくれることの意味を全員が理解してくれた。バスの中で説明をしたのは、「これで終わりではありません。灌頂を受けることで、自分が曼荼羅の中心の大日如来と一体であることを悟り、多くの仏様に囲まれて生きていることを気づいていただけたと思います。これは終わりではなく、これからの新たな人生の始まりです。」と伝えると、皆がいっせいに頷いてくれた。この灌頂は言葉に尽くせぬものであったことを皆は感じ取ってくれたようだ。

ここで本山の皆さんにお礼が言いたい。妻の叔母は足が不自由だが、その叔母を車椅子で運びながら、心尽くしてくださった。これはどんなにお礼を言っても言い足りないくらいである。足の悪い方でも参加できるシステムは本当に嬉しい。

灌頂の後、中の橋でお食事。私は奥の院へ行き、Yさんという知人に会いに行く。ここでも本当にお世話になった。そして、帰路へ。

P1060456 最後は大神神社。大和一宮。初日に行けなかったので、帰りに寄った。ここで皆が大きなエネルギーをためてくれたことを実感。寄ってよかった。

今回の団体参拝はまさに神仏の力みなぎるものであったことを皆が実感。帰路もみなの感想があり、ビデオもカラオケもなく、楽しく帰れたと思う。そして明日から、皆が力強く生きていってくださることを確信。本当に素晴らしい団体参拝であった。

お一人お一人の名前を出して感謝したいが、個人情報もあり、ここでは名前を出さないが、今回一緒に行ってくださったかたがた、運転手、出会えた方々、皆に深く深く感謝したい。

最後に、皆が口を揃えて、「また高野山に一緒に行きたい」と行ってくださったことは、大きな感動であった。P1060457

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最高の高野山団体参拝二日目1

10月2日火曜日 高野山別格本山南院本堂で六時半より朝の勤行。上綱(じょうごう)様にお護摩を焚いていただいた。その炎の姿は見事というしかない。二十年前、当時まだ院家(いんげ)様と呼ばれた頃は勢いのある火勢であった。僭越ではあるが、今の私の護摩の火に似ていた。しかし、今の上綱様の護摩の炎は、故前官様の火とそっくりになってきたような気がする。さすがに、浪切不動尊の別当寺院のご住職だけはある。目に見えない道統をここに感じる。上綱さんの法話もいつになく長いものであり、そこでも四社明神の話しが出た。実は昨晩、高野山大学の学生が訪ねてきて卒論の相談をしてきた。テーマは四社明神。今回は、明神様を代表にまさに神様づくめのたびのようだ。

途中、結縁灌頂の順番を得てもらうように、弟子二人を伽藍へ。研修生伽藍のFさんには大変お世話になった。おかげでまさに絶妙のタイミングで受けられることとなった。

朝食後、信者のTさんが、別の寺院へ赴く。Tさんは最近お母様をなくされたばかり。Tさんは次女であったが養子を得てT家の跡をとる。そこでTさんは先祖のことを調べ始めると、戒名の分からない先祖が何人もいることが分かった。そこから調べるとどうも高野山のR院に過去帳の一部があるらしいことが判明。朝食後、R院へTさんは向かう。

P1060378 出発まで時間がしばらくあったので、私は銀行へ。ところが高野山上はキャッシュディスペンサーも9時からしかあかない。喘息の身体を引き釣りながら無理して行ったのだが、無駄足だった。まぁ歩かせていただいたことに感謝。南院に戻り、Tさんを除き皆で記念撮影。バスが出発しかけたそこへTさんが戻ってきた。その顔は満面の微笑み。「住職、みんな戒名が分かりました!」その出来事にTさんは、驚きと共に感謝していた。「ご先祖様が私を動かしてくれた」と彼女はつぶやいた。

P1060390P1060426P1060430  そして壇上伽藍へ。御影堂から順番に案内をしながら感謝を捧げていく。四社明神の前では専修学院の学生たちと共に拝むことができた。その稀有さに一向は笑顔満面。ここでも四社明神との縁を皆が感じてくれたようだ。

P1060432 大塔の中でもゆっくりと感謝の祈りを捧げた。結縁灌頂へ一行は向かった。

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2007年10月 2日 (火)

最高の高野山団体参拝初日2

10月1日月曜日夕方。天野から高野山へ向かう。到着予定時刻が大幅に遅れた。天野での滞在時間が一時間以上オーバーしたからだ。しかし、宮司さんの丁寧さには深く感謝。

高野山別格本山南院に到着したのは4時45分。すぐに妻と共に師匠のお宅補陀洛院を訪ねる。挨拶だけと思い訪ねさせていただいたら、応接に通していただきしばら師と奥様と四人で歓談。南部せんべいの話題で花が咲く。http://iwateya.co.jp この地に師匠は自らの墨蹟を残し、その石碑が建立され、その式典に行かれたとのこと。話が弾みすぎて時間を忘れてしまった。南院より奥様自ら呼びに来ていただいた。あっ、五時半からの食事だった・・。妻リツがその南院の奥様の行為に感動。五分前に呼びに来てくださるとは、その心遣いがとても嬉しかったようだ。

P1060343P1060349 南院でお食事。二の膳まで出た。なぜか私は一人だけ上座へ。法事みたいで、すこしかけ離れて寂しい感覚もあったが、信者さんを連れてきたゆえに、これは仕方がなかった。驚いたことに、皆が皆、完食。信者のOさんは最近までほとんど食を食べられなかったのに完食して感動していた。歓談をしながらの食事は実に楽しい。ここで妻リツはツアーコンダクターのように動いていた。

P1060360 食事終了後、6時20分に南院発。中の橋駐車場へ。奥の院で行われる師の管長様お導師の萬燈萬華会。御供所を出てくる行列を待つ。ここで整列して、行列の進んでいく姿を見送り、お練りの後ろを就いていく。奥の院の燈籠堂は満員。そこで、まず御廟の前に高家寺関係者を導く。すると、高家寺関係者のみがそこで御廟の前でお祈りができた。これほど奥の院に人が居るのに、御廟の前は全く人の気配がなく、これは奇跡に近かった。そして地下法場へ。ここにも誰も居ない。上は満員の人だったが、地下は誰も居ない状況だった。ここの説明をすると、信者一行は皆背筋を伸ばし、そして涙する人まで居た。そして上に上り、燈籠堂で法要を見ながら祈りを捧げる。人が徐々に減っていったおかげで、ここでも信者さんたちは師のお導師姿に合掌した。

そして一の橋に向け歩いていく。いろいろ説明をしながら夜の奥の院の産道を皆で歩んだ。

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最高の高野山団体参拝初日1

10月1日月曜日 朝六時半に集合。私を含め25人。岐阜バス。運転手のKさんは抜群の腕に、とても心暖かい人であった。バスの中ではまず自己紹介。お一人お一人にお話していただき、私が紹介の一言コメント。おかげでビデオを観ることもなく、カラオケなど皆無であった。

P1060319_2 最初に、大神神社へ向かう。一日ということがあり、バスが全く近づけない。そこで急遽方向を変え橿原神宮へ。初代天皇の神武天皇をお祀りするお宮。初めての人が多く、とても心地よい感覚。感謝の祈りを捧げる。帰りの産道で、禰宜さんらしきひとに合掌して礼をすると、話しかけてくださった。権宮司の松中さん。奈良県の宗教者の集まりの話をしてくださり、武士道を絡め異宗教の対話と現代における宗教性のお話をしてくださった。

途中、五条で食事。レストランよしの川(tel 0120-367-105)へ行く。ここが素晴らしい景色。量的には多くはなかったが、柿の葉寿司の定食はお勧め。今後も使いたいと思ったお食事どころ。思わず旅行業者に電話して感謝感謝。

P1060324 信者のSさんのお勧めで、九度山の慈尊院へ。弘法大師のお母さんのお寺。高野山町石道の出発点。私も昭和59年の五月三日に、ここから歩いて高野山に上った経験がある。この慈尊院で弥勒如来に祈りを捧げる。国宝の弥勒如来。普通は弥勒菩薩なのだが、ここは成道した後の弥勒如来の仏像がある。慈しみ深かった弘法大師のお母さんの写し姿とも言われている。高野山を案内する犬のゴンにも再会。ただし、ビデオで。御本体はすでに逝去。現在は二代目とのこと。

P1060326_2 続いて天野へ、丹生都比売神社へ。最初はただの参拝のつもりが、宮司さんが出てこられて、お祓いをしていただき、解説までいただいた。これに信者の皆が感激し、志納金が集まった。お札までいただいた。本来は5分程度にするつもりが、一時間あまり滞在。さすがに高野山の氏神さま。ここで強調されていたのが、熊野古道のこと。ここは古い参詣道が評価されたのではなく、神仏混交の形態がとてもユニークで、それが現在も生きていることが評価されているということ。今回の私たちの旅もまさに神仏混交の旅であった。ここで、大きな大きな力をいただいた。

そして高野山へ。

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