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2007年8月22日 (水)

感動の葬儀

信者さんの葬儀告別式。実はこんなことがあった。信者さんが、私に導師を頼んでこられた。しかし、元々そこには臨済宗のお寺との付き合いもあることを知っていたので、その方に導師をしていただき、私は弔辞を読むことにした。ところが、何を勘違いしたのか、その臨済宗のZ寺の方は、そのかたが退席した後に私に行動をするように求めてきた。驚いてしまった。悲しかった。私の作法を後に持ってくると、そのZ寺の方が恥をかくことがわかっていたからである。しかし、そのZ寺さんは臨済宗の葬儀のあり方にこだわり、真言宗の私の弔辞を受け入れてくれなかった。

施主と話し合い、私は臨済宗の告別式が終了し、焼香が終わり、導師が退席した後に弔辞を述べ諷誦を捧げた。まず、弔辞。導師の臨済宗の僧侶に感謝した。次に、永遠不変常住のものはないことをたとえを用いて述べ、次に故人の略歴を披露。旧暦、生まれた年数、そのほか歴史的な出来事や、遺族の故人への思い出などを述べる。そして戒名の説明。一文字一文字を説明した。そこまでは、遺族や弔問客用の内容。そして最後に故人に向かい、大いなる光に包まれ向かうように驚覚発心の言葉を捧げ、真言を授けた。その瞬間にその場の空気が大きく変化した。

次に遺族の言葉。跡を継いだ次女が代表で故人に向かい気持ちを述べる。この内容がとてもすばらしかった。私も大いに感動した。そしてその言葉が終わるや否や、故人がこの世に未練を残すことなく去って行った感覚を多くの人が感じたようだった。

最後の部分で心から送り出す葬儀ができたと思う。

葬儀会場だったティア長良の司会者もすばらしかった。彼女の司会、手作りのすばらしさを強く感じさせられた。http://www.tear.co.jp/hall/nagara.php  

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