忙殺を弟子に助けられる
昨日は、妙に忙しかった。一宮の自宅のお隣が亡くなったために、母はそちらに出かけた。そのために、母の店の店番もせねばならなかった。かみさんは所要で名古屋に出かけ、夕方からはお寺のほうの相談も入っていた。午前中は法事。
弟子の一人がそれを陰になって助けてくれた。深く感謝している。この弟子、実に心優しい。このお寺に出入りするまでは、人をあまり信じられなかったようだが、全く別人の顔になり、本当に良く動いている。世間的には恵まれない部分もあるが、彼が今積んでいる陰徳は必ず報いられると感じている。いや、すでにこうして私たちと共に歩んでいるのは、仏の大慈悲なのかもしれない。
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