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2007年4月30日 (月)

信者さんの死

平成七年九月より、お寺のお茶の会をずっとお世話していただいている信者さんが突然死を迎えた。さきほど、その枕経より戻ってきたところだ。ショックだった。あまりにも突然の死だった。私は何もしてあげることができなかった。悔いを深く深く残している。懺悔せざるを得ない。悲しく悔しい。

彼女とは不思議な縁があった。私が西宮に居たとき、武庫川女子大学はちょうど私の受け持っていた塾のエリアだった。縁ある土地である。平成7年、彼女と知り合い、彼女がその武庫川女子出身であることを知った。

まだ私がお寺に入って間もないころ。月例弘法大師に訪れる人は、時には一人というときもあった。それでもお茶の会を続けてこれたのは、彼女の力も大きい。前住職もずいぶんと彼女の世話になった。この十二年の間の動きをまさに彼女は目の当たりにしてきていたのである。身近な存在であった。ほんとに身近なそんざいだっただけに、とても悔しい思いでいっぱいだ。

彼女は私に葬儀をして欲しいと、以前より語っていた。ただ彼女の家は門徒であるためにそれは不可能だが、遺族の意思により法名は私がつけさせていただいた。神戸出身で高家寺と深い縁を持った彼女に高神院という院号をつけさせていただいた。そして、法名は、お茶名をそのまま使わせていただいた。

彼女の菩提を深く篤く祈る。

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2007年4月29日 (日)

十年先を考えるものは木を植える。百年先を考えるものは人を植える

昨日の夕方、家内と映画を観にいった。「北斗の拳」と「ラブソングができるまで」。

後者はラブコメ。先日、イギリスで記者にパイを投げ逮捕されてしまったヒュー・グラントが主演。彼は駄目男を演じさせると天下一品。非常に単純な話で、ストーリー的に深みをあまり感じない話だったが、勇気を与えてくれる話でなかなか面白かった。心がホッとさせられる一品であると思う。今の私たち夫婦には大切な映画であった。

北斗の拳。ラオウの後半生が語られるもの。そういえば、先日わたしが高野山に師匠の勉強会に出かけている日に、品川の高野山真言宗東京別院でマンガのサブキャラであるラオウの告別式があった。あしたのジョーの力石以来の出来事だ。この中でケンシロウのすばらしい言葉があった。「十年先を考えるものは木を植える。百年先を考えるものは人を植える。」。熱い思いを感じる言葉であった。私自身も人を植える僧侶でありたいと改めて感じる。

隣では北斗の拳が嫌いのはずであった家内が涙をあふれさせていた。「私もユリアでありたい」と思わぬ言葉を聴かされた。「ほんとに?」と問いかけた私の言葉を彼女はどれだけ受け止めているだろうか?

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2007年4月28日 (土)

遅れていることを早く済ませろ

月例不動尊。今日の護摩の火は一揆に燃えていった。あまりにも早い火。そこで感じたことがある。これは遅れていることや、後回しにしていることを早く済ませろということも意味していると感じたのだ。昨日も、遅れていることを速やかにせよというメッセージが届いていた。そしてこのことを法話の中で伝えた。

その後、二十代の若い人たち5人と二時間ほどお話をさせていただいた。気づくとお腹がなった。昼の一時を過ぎていた。

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2007年4月27日 (金)

自と他

宗教倫理学会でお世話になっている同志社大学の落合先生より論文が届いた。宗教の数学的な解析がテーマ。実に刺激的な内容であった。

色々考えさせられた。絶対者は、他なのか自なのか。この違いは相矛盾するようだが、合一することはありえるのだろうか。このテーマに果敢に臨み、数学的な証明をされたこの論文は実に面白いものだった。

この論文から考えさせられた。よくよく考えると、私たちが祈りに入るときは、絶対者をまず祈りの対象として、自らの外に置く。そして祈りが深まってくると、絶対者と自身は区分できなくなり、自身は絶対者と合一する。そしてその祈りより出てくると、絶対者は再び自身の外に置かれる。しかし、その場合、自身は絶対者の中で活かされていることを深く自覚し、社会の中で生き続けていく。

神仏は他なのか自そのものなのか。自と他を深く考えさせられた。

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2007年4月26日 (木)

友は異なる宗教でも信仰心のある方が良い

アメリカ人の親友のレスリーさんより連絡があった。彼女はこの九月から二年間、日本のアメリカンスクールで働くという。彼女とは高野山で出会った。もう二十年を超える付き合いだ。その間にお互い色々な出来事があった。まさかこんな長いお付き合いをさせていただくとは思わなかった。彼女の信仰心に深く打たれるものを感じたためだろう。

違う宗教を信じていたとしても、信仰心のある方のほうが一緒に居て楽である。そういえば、宗教倫理学会に来られる先生方も、信仰心のある方は、一見かたくなであっても深く尊敬できる。そして一緒に居ても気持ちが良い。

レスリーさんには信仰心のあり方を、会うたびに学ばされている。その方が日本に居てくださることは嬉しい限りだ。六月に、わがお寺に遊びに来られる。まtらそれも楽しみだ。

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2007年4月25日 (水)

師匠の晋山式

師の松長有慶大僧正の高野山金剛峯寺座主晋山式が挙行された。朝六時から執行されえ、夕方には大阪でお祝いの会。540人の方々が参加。そこで師匠が言われた言葉は印象的だった。「こうして座主をさせていただくことは、まだまだ学ばねばならないことがあるというお大師様からのお言葉だと思っている」この謙虚なそして学者らしい言葉は深く私の中に刻み付けられた。この方の弟子で本当に良かったと思う。

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2007年4月24日 (火)

学門は種を植えること

師匠宅で行われる輪読会。来月、私が一部担当することが決定。このような発表は18年ぶりだ。昨年は国際密教学術会議で学会発表を行わせていただく機会をいただいた。今年は、ゼミの発表のような学集会。学問はそれ自身は社会的な役には立たない。しかし、この学問は種であり、この種を育てることにより芽を出し花が咲き実がつく。普段の生活をしていると学門から遠ざかってしまうが、こうした種を植える作業をさせていただけることに深く感謝したい。

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2007年4月23日 (月)

大叔母の病となばなの里

第二の母ともいえる大叔母が、最近体調不良ということで病院の検査に付き合った。膵臓異常があるかもしれないということで覚悟を決めて出かけた。結果、内臓は全くの異常なし。ホッとした。嬉しかった。

その後、なばなの里に出かけるhttp://www.nagashima-onsen.co.jp/nabana/index.html/。 なかなか面白い花の公園だった。最後に父の居場所が不明になったのは愛嬌だったのかもしれない。

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2007年4月22日 (日)

必要な人に渡る守護尊カード

20日の夜、21日に配る守護尊カードの最終チェックを行っていた。そこで、今回の菩薩部に当たる月光菩薩、天部の弁天の二つを持ったときに、二人の方の姿が浮かんだ。そこで、たまたま二階から降りてきたかみさんに伝えた。「月光菩薩はTさんに、弁天さんはHさんに行くよ、きっと」。そして昨日、それが案の定、二人に渡った。仏部・菩薩部・供養部・守護部・天部2と六種類あるので、それが当たる確率は非常に低い。しかし、二人とも当たった。

そのほか、あるお店のスタッフ三人に全く同じものが渡った。この確立も非常に低い。しかし、その三人には降三世明王が手渡った。そして、そのお店のオーナーが前日に、メッセージに書かれた内容を、そのスタッフたちうにはなしたばかりだったという。

このカードは必要な人に着実に渡る。自分で作っているのだが、実際は大きな命が私という道具を使って自己表現しているわけだから、当たって当然と思うようになってきた。

ちなみに、今月のカードは薬師如来・月光菩薩・金剛嬉(戯)菩薩・降三世明王・梵天・弁天の六体であった。

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2007年4月21日 (土)

父と植木祭りに

昨日、父と国府宮へ行く。今月の29日まで、国府宮の参道で植木祭りをしているからだ。父とこうして二人で歩くのも、そんなにあることではない。年老いてきた父を見ながら、生老病死を改めて見つめさせられた。

国府宮でお祈りをささげ、結果的にはなにも購入せず、どんな植木があるかだけを見て、帰路につく。一宮の旬亭という中学時代の後輩がオーナーのお店でランチを食べ、帰宅した。

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2007年4月20日 (金)

相矛盾を内に抱える

「空と慈悲のこの相矛盾するものをどのように受け止めたらいいんですか?」一昨日の学集会で、参加者の一人から率直な疑問が呈された。

ここで色々な話し合いが行われた。そこで出たのが、そもそもあい矛盾することを二律背反として、他者を排斥する考え方そのものがおかしいのではないだろうか。般若(智慧)とは、対立するものを超えること。そして師がおっしゃった。「空と慈悲を簡単に納得してしまわないほうがいい。その相矛盾した部分をうちに抱えて生きていくことこそが僧侶として大切なのではないか」。この言葉が大きくのしかかった。

相矛盾したことはいろいろある。それを内に抱えて生きていくことの大切さを改めて感じる。小ざかしい頭で、論理的に整合性を求めることも大切だが、それだけでなく相矛盾したものを内に抱えて生きていくことの大切さもヨリ大切であることを改めて認識した。

この会は面白い!

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2007年4月19日 (木)

大きな誓願と小さな戒律

弟子と師匠が河の前に立った。河は荒れている。しかし、男の二人にとっては渡れないものではなかった。そこに女性が現れて河を渡れないことを嘆いた。すると師匠のほうが、その女性を抱いて、河をさっさと渡ってしまった。そして渡りきると、その女性をおろし、また弟子と歩いていった。しばらくすると、弟子が師匠に尋ねた。「師匠は女性を抱いたのは戒律に触れませんか」。その言葉を聞いて、その師匠は大笑いして弟子を叱責した。「おまえはいつまで女性を抱いているんだ」

このたとえ話は有名なものであるが、昨日は師匠のお宅で学集会でこの話が出された。故田中順照師が好んで出されたお話だそうだ。学生に田中信者が生まれるほど、情熱的で学生のこころを打つ話が多かったそうだ。

今回の、学集会でこの話を師匠が出されたのも大きな意味を感じる。

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2007年4月18日 (水)

慈尊院・天野・高野山へ

高野山に来た。今、高野山の中の橋駐車場にいる。車中でノートパソコンをネットに繋いでいる。

今朝は、まず麓の慈尊院へ詣でた。未来仏弥勒如来を祀る寺であり、高野山のかつての政所でもあり、高野山へ上る町石道の出発点でもある。23年前の5月3日未明、高野山を下山し、この寺に来た。そして徒歩で単独で高野山へ登った。今日は自動車だが、あのときの熱き思いが再び蘇ってきた。あれほどまでに迸るエネルギー。まだ私の中には眠っていることを知る。嬉しい。懺悔し、祈りをささげ、感謝をした。

次に天野の丹生都媛神社へ。23年前もここに途中で立ち寄った。偶然だった。山道で尿意をもよおしたが、さすがに聖地では立ちはできなかった。そこで途中で、横道にそれた。するとそこに神社があり、そのトイレをお借りした。そして、そのときに知った。ここが天野。高野山にとってとても大切な神社。四社明神を祀る場所。尿意によって、ここに導かれた。その後、学道のたびにここに来ているし、時折寄らせていただいている。実は今日も途中で尿意をもよおした。この尿意が、あのときの思いを蘇らせてくれてた。尿意もまた仏からのメッセージなのだろうか。

そして、先ほど奥の院へ。途中、団体が多く、混雑していた。駐車場も車が多く、人の出入りも激しかった。ところが御廟の前にはほとんど人が居なかった。そしてまた懺悔と経文と感謝をささげさせていただいた。こうしておまいりできるだけでもありがたい。23年前の九月から百八日の奥の院日参の誓願をたてて実行したことを思い出す。そのおかげで九十数日目で師匠を得た。得がたき師匠を得た。もちろん百八日を通すことができた。お正月も高野山で初めて迎えたのを今も覚えている。

御廟の後に地下の法場へ行く。すると全く人が居なかった。そこで、傘と手提げを下に置き、三礼を丁寧にさせていただいた。まさに懺悔と感謝の礼拝だった。嬉しかった。まさかこの場所で三礼を丁寧にさせていただけるとは思っても居なかったからだ。

今から、壇上伽藍へ祈りに行くつもりだ。そしてその後に師匠のお宅で勉強会。それについては、帰宅後に記すつもりでいる。

写真は天野の丹生都媛神社の入り口

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2007年4月17日 (火)

二つの拳銃の事件

今日はびっくりするようなニュースが二つ入ってきた。

アメリカの大学では韓国籍の若い学生が銃の乱射により三十人を超える人が犠牲になったという。容疑者はすでに自殺してしまっているので、その詳しい事実は解明されないままになることはなんともいえない。

また長崎市長が発砲され重態(現在心肺停止)。被疑者は暴力団員。六代目山口組若中の組の会長代行。現在の山口組の親分は刑務所に居るが、一般人を巻き込むことは硬く硬く禁じているという。それなのに、直系の組の会長代行が一般人の政治家を拳銃で殺してしまうとは、親分はどう感じているのだろうか。暴力団を擁護する気はないが、東京でトラブルがあり、六代目が住吉会とのトラブルで渇を入れたこの時期に、一般人を犠牲にするこんな事件が起きるとは、どうも別の流れが顔を覗かせているような気もする。穿った見方だろうか。

拳銃による二つの事件の情報が今日は日本中を駆け巡った。

個人的なことだが、明日は高野山の師匠の下で勉強会。月に一度のこの私的な勉強会は実に勉強になる。そしてまた祖山に上ることは、心の故郷に帰るようなものだ。今の私にはとても大切な帰山。毎月こうした機会を与えてくださっていることに深く感謝。

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2007年4月16日 (月)

忙殺を弟子に助けられる

昨日は、妙に忙しかった。一宮の自宅のお隣が亡くなったために、母はそちらに出かけた。そのために、母の店の店番もせねばならなかった。かみさんは所要で名古屋に出かけ、夕方からはお寺のほうの相談も入っていた。午前中は法事。

弟子の一人がそれを陰になって助けてくれた。深く感謝している。この弟子、実に心優しい。このお寺に出入りするまでは、人をあまり信じられなかったようだが、全く別人の顔になり、本当に良く動いている。世間的には恵まれない部分もあるが、彼が今積んでいる陰徳は必ず報いられると感じている。いや、すでにこうして私たちと共に歩んでいるのは、仏の大慈悲なのかもしれない。

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2007年4月15日 (日)

観音菩薩:七七日

今日の午前中に七七日(四十九日)の法事。毎週一回通って法話をお話してきたが、今日までで、次回は百ケ日。百か日の仏は観音菩薩。

今日の法話は、観音菩薩。観音菩薩は自由自在に物事を観る仏であり、他の苦しみを自分のことのように思い、慈悲を与える菩薩。私は若くして海に溺れてなくなった友人のことを思うようにしている。その苦しみはいかなるものなのか。私も喘息で声も出ない時があるが、窒息の苦しさは大変なものだったと思う。その苦しみを自分のことのように感じる、ここに大悲の第一歩がある。できる限り、具体的な苦しさを観じ、それを自分自身に置き換えていただくように伝えた。他者の苦しみが分かったとき、傍に居る事の大切さを理解できるものだからだ。

故人の苦しみを、自分に振り返っていただいている遺族たちを前に、それゆえにこそ行動に出られることの大切さを感じた。

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2007年4月14日 (土)

四国から弟子の電話

今、弟子の一人が四国を回っている。その弟子から、昨夜電話があった。大通智勝如来の真言を教えて欲しいというものであった。これは法華経化城喩品に記された仏。それゆえに真言はないと思っていたが、一応調べてみた。やはりなかった。四国遍路のお寺で法華経の仏が祀られているのは面白いものを感じる。

弟子一行の無魔成満(ブマジョウマン)を祈念している。

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2007年4月13日 (金)

髪の毛を切る

髪の毛を切った。あまりにも伸びていた。一ヵ月半切らなかった。こんなに伸ばしたのは久しぶりだ。

それにしても不思議なことがある。私が髪の毛を切ると、なぜか天気が崩れる。とても寒くなったり、雨になったり。

髪の毛を切ったおかげで、こころもさっぱりした。やはり私は坊主頭が似合うようだ。

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2007年4月12日 (木)

iPod Nano

先月の28日、護摩が終了した直後に宅配便が届いた。私宛の宅配。中を空けてみた。するとそこにあったのはiPod nan。購入した覚えは全くない。???よく読んでみるとStar Trekのクレジットカードを持っている人の中から全国で400名に当選。びっくりしてしまった。そして皆で大笑い。最近、小さなくじによく当たるが、これもその一つだった。

そして、今日、このiPodの設定を行った。ぜんぜん分からなかった。設定ができずに色々調べてみたが、どうしてもリンクできない。そこで、思い切ってスキャンをかけてみた。すると何のことはない。すぐに回復し、とても簡単に設定できた。こんなに簡単とは・・・。あまりにも簡単だったために逆に拍子抜けしてしまった。世の中もこんなものかもしれない。一人で爆笑した。

入れた曲は・・・MADONNA,The Rolling Stones,The Westside Story,the Sound of Music,新八犬伝、などなど。多義に渡る。今も、それを聞きながらキーを打っている。しかし、世の中の進化には驚嘆する。こんなに小さなものの中にCDで何十枚分も入るなんて・・・。しかも音質はクリア。昔のLPレコードがなんとなく懐かしくなった。

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2007年4月11日 (水)

礼拝行は懺悔の行

懺悔の行。二十一座の礼拝行。これがこれほど効果を出すとはびっくりしている。ただ普段の行法(私の場合、文殊法)の際、五悔(ごかい)と呼ばれる文句があるが、その五悔を読む直前に礼盤(らいはん)を降りて二十一回の礼拝を行うようにした。びっくりするくらいの効果が出ている。実生活の中で驚くべき流れを作り出しているのだ。「懺悔を数えて望を施す」まさに実感だ。

懺悔とは言うが、仏教の場合は礼拝行があることを改めて体感している。

一般の信者の方々向けに、この礼拝行を今考案している。どのような流れが良いのか色々考えてみて、師匠に相談した上で、この礼拝懺悔の行を活用していきたい。

ふと感じる。毎日三回行っただけで年間1000回の礼拝。これはとても大きなことだ。礼拝懺悔、もっと宣揚していきたい。

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2007年4月10日 (火)

お願いするのではなく約束する人であれ

ある漫画を読んでいた。そこに記された言葉に自分を恥じ入った。

 お願いする人ではなく、約束できる人であれ。

仏は、菩薩時代に誓願を立てている。阿弥陀さんの四十九の誓願は仏教界では有名だ。高祖もまた誓願を立てている。ふと我を振り返った。私も若き日に誓願を立てた。その誓願を実行していない自分に最近気がついた。ショックだった。それを個人的には深く心の痛む出来事で気づかされた。そして、その漫画もまた私の心を揺さぶった。自らの誓願、もう一度見つめなおして、その誓願そのものが自分であることを実覚したい。

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2007年4月 9日 (月)

弥勒から薬師へ:六七日

昨日の午後から六七日のお参りに行く。そのときの法話を以下に。

六七日は弥勒菩薩が本尊。弥勒菩薩は慈しみの仏であり、可愛い赤ん坊を見つめるその眼差しが慈しむの眼差し。それをまずは身の回りの人に振り向けられるように、というのが残された遺族へのメッセージ。そして亡くなった方には弥勒の兜率天(とそつてん)で、弘法大師と共に弥勒菩薩の元に。

弥勒菩薩の次は薬師如来。薬師は東方瑠璃光浄土の教主。十二神将や日光月光の寮菩薩が有名。天の世界から仏の世界に向かう。それが七七日。すなわち四十九日。薬師如来には上中下の三つの薬があるという。下薬はいわゆるお薬。病気になったときに対応する対処薬。中薬は毎日摂るもの。すなわち食事。この食事のコントロールは普通の薬に勝るとも劣らないもの。、まさに医食同源。そして上薬は、常時行っているもの。すなわち呼吸。この呼吸のコントロールが最も重要。この三つの薬を上手に扱えば、身体だけでなく、心もコントロールしやすくなる。この一週間は、お食事と呼吸に意識を傾ける一週間。

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2007年4月 8日 (日)

懺悔の行 礼拝行

昨日の朝から、新たに行を始めた。礼拝二十一辺。礼拝は懺悔の行としてとても大切なものであり、高野山真言宗の僧侶専門の行でも最初に課せられている行である。その行をここのところほとんどしていなかった。ところが何を感じたのか、この口から法話の際に礼拝行の大切さが出てきた。まさに御仏の言葉だったのだろうか。

礼拝は懺悔の行。その礼拝を一日三度行えば年間で1000回の礼拝を行ったことになる。ならば21回の礼拝ならば年間8,000回近い礼拝。これはしている者としていない者との差は歴然としている。

 懺悔を数えて望を施す

と不動明王の誓願はある。まさに懺悔は大切なもの・その懺悔の方法が礼拝行。これをもっと真剣に取り組んでいけるよう、まずは私自身が始めてみた。

ただ笑えるのは、たった二十一回なのに今日は足が痛い。いかに運動不足かを実感した。

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2007年4月 7日 (土)

役員会

先ほど帰宅。昨日の夕方から付知に出向いた。高野山真言宗の岐阜宗務支所役員会があったためだ。途中、ちょっとしたトラブルを高速道路で起こしてしまったが、警察官のおかげで無事に事なきを得た。深く深く感謝したい。

その後の会議は報告会に近いものだった。あまりにっこり笑える話ばかりではなかったのが残念だ。途中で感じてしまった。確かに会議だから仕方がないのだが、話し合われる内容が教義についてはまったく触れられず経営や経済的なことばかりであった。なぜ宗教が衰退していくのか、ここにもその現象が一つ表れているような気がした。

ちなみに帰りはトラブルもなく無事に帰宅した。

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2007年4月 6日 (金)

午後からボランティアの法話など

昨日は昼から、ボランタリーハウス尾崎で久しぶりのお話を一時間。裏山の尾崎団地の老人たちの集まりの中でのお話。軍艦マーチ・エルトゥールル号・葬儀のお話など色々させていただいた。そのなかで、老人たちのファッションショーを提案したら、みなまんざらでもなかったようだ。ぜひ実現して欲しい。

その後、一宮市のお店(ご祈祷をしたり看板の一部に梵字を書いたので)の開店祝いに駆けつけ、夕方からは寺子屋。本来寺子屋は今日なのだが、今日は夕方から高野山真言宗岐阜支所の役員会があるので急遽、日付を変更したためだ。

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2007年4月 5日 (木)

剣:文殊菩薩

昨日は般若心経講座。文殊菩薩の剣の話を中心に行った。

 文殊の利剣は諸戯を絶つ

から始まる、弘法大師の「般若心経秘鍵」。そこの一部をとって話題を盛り上げた。できる限り現代に沿って。私的な話もあったので、公開は避けるが、久しぶりに参加していただいた方もいて、とても有意義な一時間半であった。

感謝。

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2007年4月 4日 (水)

寺子屋で新学期

寺子屋で新学期が始まった。募集はまったくかけていないが、中学二年生に新入生が一人入った。考えること、ブロイラーにならないこと、奴隷にならないことなどの話をして昨日は最後を締めくくった。

ふと気がつくともう四月。なにか時がものすごい勢いで進んでいる気がするのは私だけだろうか?

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2007年4月 3日 (火)

お医者様とお話

日曜日、お医者さんが相談に来られた。その相談事は別として、そのお医者さんに薬師の三薬のお話をさせていただいた。いわゆるお薬は下薬。医食同源・食事が中薬。そして常に行っている呼吸が上薬。仏教2500年の知恵が現代社会に役立てれば嬉しい限りだ。

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2007年4月 2日 (月)

地蔵から弥勒へ:五七日

五七日で語った内容。

五七日は地蔵菩薩が本尊。これまでの一週間は、二つの側面があります。亡くなった方にとっては、この世からあの世へ移る中間(ちゅうげん)にあたり、そこをお地蔵様に導いていただくこと。地蔵菩薩は中間の菩薩(仏)と呼ばれています。一方、残されたものにとっては、地蔵様の本願である笑いが大切な一週間でした。お地蔵様は、大地が実りで満たされ、それに満足して大笑いをする仏。自分自身を満たし、大いに笑うことが地蔵様の願い事。笑う門には福来る。

そしてこれからの一週間は、弥勒菩薩を本尊とします。亡くなった方にとっては兜率天(とそつてん)という、神さまの世界に行きます。この世界に弘法大師も居ると言われています。五十六億七千万年後に、弥勒菩薩は下生され、この世で成道されるといわれています。ですから、亡くなった方にとっては、弥勒の浄土に行くのがこの一週間です。一方、残されたものにとっては、弥勒菩薩の意味である慈しむ心が重要になってきます。弥勒とは慈しむという意味。目の前に可愛い赤ん坊がいるとイメージし、その赤ん坊を見つめるそのまなざしが慈しむ心です。この慈しみの心を、すべての方々に振り向けていくことが大切なこと。少なくとも縁のある周りの方々に、この慈しみの心を振り向けることをこれからの一週間は意識していただければと思います。

上記が、五七日の昨日の法話。

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2007年4月 1日 (日)

軍艦マーチ

昨夜、カラオケに行く。そこで軍歌『軍艦行進曲』を歌う。歌の内容は実に格調高いものであった。軍艦そのものは、やはり兵器でありあまり気持ちの良いものではない。軍艦マーチもそれに沿ったもの言う意味では、少し疑念の残る歌だ、しかし、この軍艦を自分にたとえ、「仇(あだ)なす敵」を自分の中に潜む煩悩に喩えると、これもまた面白い歌だと思う。

日本は剣という武器を殺人剣から活人剣へと昇華してきた。日本の武道は皆この傾向にある。そしてこのバックボーンになってきたのが仏教である。さらに言えば、真言密教は武具を法具へと昇華してきている。この視点で見ると、軍艦マーチもまた良いものだ。ここもまた面白い。単に軍隊がだめだという視点よりも、こうした昇華していくことこそ重要なのではないだろうか。改めて感じる。日本の自衛隊が武道のように道を追求する一面も備えてくれればと感じるのは私だけだろうか?

これから、檀家の三十五日に行き、その後に相談に来られる方がいる。そして夕方には妹夫婦がやってくる。

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