節分のチラシを折り込む
今日、新聞に節分のチラシを新聞に折り込んだ。今年はイベントが別にあったため、私の事務作業が遅れに遅れ、この節分もかなり遅れた。どう出るかは当日の流れ次第だ。明日の夜からは雪だというが、節分当日は良い天気らしい。 今年の節分も楽しみだ。
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今日、新聞に節分のチラシを新聞に折り込んだ。今年はイベントが別にあったため、私の事務作業が遅れに遅れ、この節分もかなり遅れた。どう出るかは当日の流れ次第だ。明日の夜からは雪だというが、節分当日は良い天気らしい。 今年の節分も楽しみだ。
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カミサンが突然上京することに。西邨まゆみさんと、ある芸能人夫婦と引き合わせるためだ。明日、会うそうだ。なにかカミサンには大きなうねりがあることを感じる。それを阻害しているのは自分ではないかと感じたりもする。彼女が大きく自分を生かす道を歩んでくれることを願っている。そうすることで夫婦のあり方を世間に示せる気もする。お寺の奥さんという硬い枠の中にはめられがちだが、所詮は明治以降のもの。彼女が新たな道を切り開いていくことを、私も応援したい。
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ある高校生が居る。先週、相談にやってきた。気力がわかず、前に進めない。確かにその顔には精気がなかった。そこでいろいろ話をした。理屈で云々考える前に、まず行動して見ないさいと。そして、伝えたこと譬え話。
一つの船がある。港を出た。もし行き先の港を決めなければ、海を漂流してしまう可能性がある。しかし、まず何でもいいから港を決めれば少なくともその港には行き着く。もしその港が自分に合っていない港であっても、次の港を探せば良い。漂流するよりは確実だからだ。まず自分の目指す港を探しなさい。
その高校生が夕方に今日やってきた。顔は精気に溢れ、自信を回復していた。大丈夫だと思った。話をした。そして私も確信した。彼は再び船を自らのオールでこぎ始め、一つの港を目指し出航した。嬉しかった。再び彼は停滞するかもしれない。それでも、次の彼は自分の力でまた進んでいくだろう。
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月例不動の今日、その前に名古屋へ。CBC放送センターのラジオDスタジオ。今年二回目のラジオ出演。岐阜発信ラジオガイア。はあさんこと河原龍夫さん、小倉理恵さんの二人のパーソナリティとの対談。ただ時間調整に私がミスって、あまりいろいろお話ができなかった。本来はもっとマクロビオティックについてや節分に関してのお話を深めなければならなかったのに・・・ちょっと残念。ただこうしたチャンスを与えてくださった森さんには深く感謝している。二人のパーソナリティもまた良い方々だった。また機会をいただければ、いろいろお話したい。
月例不動護摩を一時間遅れにしたことを寛容に受けとめてくださった信者の方々にも深く感謝する。
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お昼前に地鎮祭に向かった。庭を手入れされる方のお宅の地鎮祭。少し早めについた瞬間にCBCラジオより出演の依頼。明日とのこと。ビックリ。じつは前回、西邨まゆみさんに出演していただいたラジオ番組。しかも岐阜県のもの。ただ明日は月例の護摩法要があるので、一瞬ためらった。しかし、こうしたメディアに出演する機会は大切にしたい。そこでカミサンに連絡し、信者さんたちに電話連絡し、法要の時間を一時間遅らせていただいた。そこで、ラジオ出演決定。明日の朝9時半にCBCラジオに出演する。さて、今年に入って二回目の出演だが、どうなるだろうか楽しみだ。
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今日は男の弟子二人に講義をした。内容は密教の概要。六大・四曼・三密という基本概念を伝えた。この深みに弟子たちは感動をしていた。伝えるためには、伝える内容の十倍を私自身も学ばねばならない。そしてその上でポイントとなる部分をしっかりと伝えねばならない。伝えるということは、自らが学び得るものであることを改めて感じた。マドンナが好んで使っている、「欲しければそれ以上のものを与えること」ここにお布施の意義を改めて見出させていただいた想いだ。こうした機会を得たことに深く感謝。
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昨夜、名古屋大学の大学院生が尋ねてきた。自分自身を見つめ、探し、悶々としながら歩んでいる姿を見て、いろいろ感じさせられた。夜中までいろいろ話をした。そして今朝、彼は学校へ向かった。こうした学生たちがまだまだたくさん居ると思う。彼らが大きく飛び立つように、何か手助けができればと感じさせられた。
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今日、かみさんは東京へ。西邨まゆみさんの講演会の御礼に回っている。私は身体を休ませてもらった。誰にも会わず、ゆったりとさせてもらった。人に全く合わない日もほんとに貴重だ。ホッとしている。元来、私は独りで居たい性質。しかし一方で人と接し、人と共に生きたいと願っているのも事実。この相矛盾した気持ちの中で生きている。今日のような独りでいる日をもっと大切にしたい。
今から食事に出かける。弟子二人と父とだ。男同士で食事するのもたまにはいい。
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昨日は初弘法。一昨日のマドンナの専属シェフ西邨まゆみさんの講演会とお食事会で疲れていたためか、守護尊カードを配れなかった。するとその際に引く御神籤に対して信者さんより注文がついた。お参りの後に御神籤を引くと、通路がふさがり、しかもガシャガシャうるさいので、できれば別にして欲しいと。そこで弟子たちと相談をした。来月からは、守護尊カードを最初に引いてもらうことになった。今月の守護尊カードが出来上がらなかった最大の理由はここにあったのかもしれない。これを指摘してくださったその信者さんに感謝、新たな知恵を授けてくれた弟子たちに感謝、そしてそこへ導いてくださった大きな命に感謝。
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昨夜、マドンナのプライベートシェフの西邨まゆみさんとアシスタントの福山陽子さんを知多の師崎まで弟子と共に送った。彼女の想いに触れ実に楽しい車中だった。ここでは書けないエピソードも沢山聞けた。それにしても彼女たちのパワーには驚かされた。ただただ驚くばかりだった。
今日は今から月例弘法大師。いつもの守護尊カードが間に合わなかったのは実に残念だ。これをどうカバーするのか、知恵が必要だ。今から本堂に向かう。
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西邨まゆみ講演会当日。講演会そのものは大成功だった。しかし、私の事務作業の能力をはるかに超える作業だったために、多くの方々に不快な思いをさせ、スタッフを混乱させてしまった。これはまsに私のミスだ。自分の事務能力の限界を感じた。私はやはり事務作業に向かない人間であること実感。
ビックリしたのは、お昼過ぎに作業が溜まっているにも関わらず、まゆみさんたちと岐阜城に登ったこと。岐阜城の天守閣に登り、濃尾平野を一望した瞬間、何でこんなところに居るのだろうか???自分の限界を超えると人は思わぬ行動をとる。私は事務作業という義務から逃亡してしまったのだ。
ただただこの私のミスをカバーして下さったスタッフの方々には深く感謝したい。心から感謝している。
それにしてもまゆみさんのパワーはすごい。今も明日の仕込をされている。明日はお食事会。楽しみだ。
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西邨まゆみin東京の講演会お食事会は大成功。いよいよ明日は地元の各務原。事務作業がまだ追いつかない。弟子たちには負担を強いている。その点は大いなる反省だ。とにかく最後までやれるだけやろう。まゆみさんたちは間もなく岐阜に到着する。
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今日は西邨まゆみ講演会。私のミスが目立ち、随分と迷惑をかけたが、とてもよい講演会だったと思う。みなに深くお詫びし、感謝申しあげたい。講演会の後に赤ひげ堂で、楽しくお食事懇談。本当に深く感謝したい。まず一つ終了!!
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西邨まゆみ講演会が明日開かれる。今日はその最後の事務。なかなか事務処理が追いつかない。少しばて気味かな・・・。
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http://blog.excite.co.jp/lovearth/ CBCラジオLOVEARTHに出演した。お寺(高家寺)のこと、僧侶(本来のあり方)のこと、食事(マクロビオティック)のこと、西邨まゆみさん(マドンナと講演会のこと)のことなどをお話させていただいた。
なかなか面白い番組だと思う。若いスタッフが意欲的な番組を作っている。ブログもすぐに立ち上がってビックリ。上記のアドレスをクリックしていただければ・・・。まゆみさんにも電話で出演していただいたが、テンションが上がっていき、いい感じになったと思う。
また縁があれば遊びに行きたい。誘ってね・・・スタッフの方々・・・・
スタッフの方々に深く謝意を表したい。
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マドンナのプライベートシェフ西邨まゆみさんの講演会とお食事会の事務作業がピークを迎えている。パソコンに向かいすぎているせいか、目が以上に腫れあがってしまった。肩も凝っている。少し無理をしすぎているようだ。睡眠不足も重なっている。ただこれほど苦労したものだから、やはり成功させたい。
今は、各務原も東京もお食事会の人数が予定数をオーバーしており、それをどうするのか、大分悩んでいる。すこしでも多くの方に知っていただきたい。ただただそれを願うのみである。
明日はこのためのラジオ出演がある。CBCラジオ 午後6時過ぎから聞いていただきたい。
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明後日、1月14日日曜日 夕方6時過ぎから約30分、CBCラジオに出演する予定。食のことについて話をする予定。マドンナの専属シェフの西邨まゆみさんも特別出演。さて、どうなるのか乞うご期待・・・。
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今年最初の葬儀。弟子が初めて参加した。韻頭、野辺送りの鳴り物、松明作法を緊張しつつも上手にこなしたと思う。また導師の着る着物も上手に捌けたのではないかと感じる。この弟子が、今回の葬儀に感動して涙をこぼした。特に、諷誦文で涙し、その後に夫と実子の三人が故人に述べた言葉が印象深かったようだ。
私は現代の葬儀に疑問を抱いている。葬儀の主役は誰なのか、今一度考える必要があるのではないだろうか?そこで、私が実施しているのは、僧侶は最少人数。諷誦では必ず故人の経歴を述べ、雛形だけを読むような手抜きをしない。戒名は真剣に考え、その意味を諷誦に入れる。諷誦文の後は近親者による故人への別れの言葉を述べてもらう。これらを実施している。
昨日は目の回る忙しさだったが、今日の葬儀と骨上げで少し時間が取れるようになった。ホッとしている。
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今日はお通夜。弟子の一人が初めての参加。上手に韻頭をしてくれたと思う。
さて、今、導師焼香の後に読み上げる諷誦文を書いている。その下書きを以下に掲載する。あくまでも下書きなので、明日の朝までには手直しする予定だ。
諷誦
夫れ惟んみるに舞い降りたる雨雪は姿を変え水となる。爛漫たる花も青々き若葉も彩りし後に風に舞い土に還る。命満ちたる日の光も無常の雲に隠るることあり、夕刻には西の空に必ず沈む。皓々たる月も満ち欠け、朔日にはその姿は消ゆ。木曾・長良の両川共に、その流れは常ならず。大聖釈尊は沙羅双樹の下に化を示し、高祖弘法大師は高野の岩陰にその定身を留め給う。世に常なるものはなく、凡そ生まれたる者は必ず滅し、顕るるものもまた定んで隠るる。
新圓・・・・信女、俗名・・實・。昭和・年・月・・日、旧暦・月・日日曜日長崎県島原にて、高木家の五人兄弟姉妹の次女として生まれたり。原子爆弾の落ちたる長崎県にて小学生として太平洋戦争の終戦を迎え、戦後地元の中学を出でて、・・の地に就職。再び長崎に戻り、・・鉱業に働く。職場内の・・・・と出会い、昭和・・年に結婚、三人の男子授かる。鉱山の閉山に伴い夫とともに・・、・・と移り住み、各務原に落ち着く。二十年ほど前に・・を患い、十年程前には・・に罹るも安穏と暮らす。一昨年に再度癌を患い、何度も入退院を繰り返すも、余命宣言の日付を超えて生を全うしたり。平成十九年一月九日、午前・時・・三分、岐阜県・・病院にて、皆の見守る中、安然とこの世の生を終える。此岸におわすこと二万六千五百六十八日、享年七十四才。その苦しみより解放され、冥土へと旅立てり。
故人は夫の語るところ、その資、実直にして、几帳面であったという。長男・・は。話好きで自分を出さず欲なく叱ることのない母だったという。次男・・の思いでは、あるとき完熟トマトを求めて、夜遅くになるまで捜し求めて買い物に出かけたことであるという。三男・・病臥に伏した後に付き添いをし、普段食べることのなかったものを食べに連れて行った思い出を有する。子息三人の共通する思いは、明るく、朗らかな母であった。家族の中に、その想いでは深く刻まれ、その見える命はなくなれど、見えない命として連綿と今も続いている。
その徳にかんがみ、俗名實・より實・と道号を授け、浄き心を見つめて智浄と戒名を与う。
ああ尊いかな。吾 今悲しみの涙をぬぐい、大日覚王の三昧に住して三密瑜伽の印明を諷誦して即身成仏の妙旨を開く。
精霊諦らかに聴け。汝、既にこの世のの命尽き終わんぬ。阿字の白き光を観て速やかに菩提心を発して如来法性の浄土に帰入せん。因って今授くる所の真言にいわく。
ア アー アン アク アーク アビラウンケン バザラダトバン 平成十九年今月今日 各務原高家寺 宥智 敬白
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昨年の晩夏に余命宣告をされた方が、命の灯火を消した。昼から枕経に行った。明日はお通夜、あさっては葬儀。今年最初の葬儀が決まった・・・。
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本堂の片隅に炬燵が置いてある。最近の私の居場所だ。ある意味書斎に近くなってきている。弟子たちが設定してくれた場所だ。私にはいわゆる庫裏の書斎よりも、この本堂の方が似合うらしい。そして、今は炬燵猫?をしている。今もその炬燵からPCを打っている。弘法大師像を右に置きこうしていると、仏さんたちと対話しながら遊んでいる感じがしてなかなか楽しいものだ。ときどき、ラップ現象?と思える現象もあるが、ま、それも愛嬌だと思っている。時々、背もたれに寄りかかっていると眠ってしまうこともあるが、本堂で居眠りとは贅沢の極みかもしれない。こんなことをさせていただいていることに感謝感謝。
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忘れていた。明日は成人式だった。世間では休日だ。少しショックだった。これで予定を変更しなければならない。アハハハハ。
さて、今日は予報どおり雪だった。朝、車に積もった雪をどけ、かみさんを初釜に送った。いつもなら、この調子で大雪になるのだろうが、今日は午後から雨。雪も氷に近くなった。ここにも温暖化が忍び寄っているのか・・・。
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明日から雪が降るらしい。今年は暖冬で、雪がほとんど降っていない。そういえば、ある老女からこんな言葉を聞いた。「雷の多い年のお米は美味しいし、雪が降った翌年のお米も美味しい」と。雷はその光がよいのかエネルギーがよいのか、音がよいのかはわからない。今の私の知識では解明できないが、雪は何となく分かる。雪が降れば、土中の虫が死に、その分だけ土の栄養分が蓄積されていく。その栄養が私たちに入ってくるのだろう。こうした視点でみると、宇宙の中の生死は、悲喜ではなく、大いなる命の流れそのもののような気がする。何が悲で何が喜なのか、やはりその時々で変わっていくのだろう。四無量心という心のあり方を仏教は説く。それは慈悲喜捨と記されるが、悲と喜も、本当は一つの流れなのかもしれない。そんな思いを、天気予報を見て感じた。
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神奈川の親友から電話があった。最近、ブログを更新していなかったので心配してくれたのだ。実は昨日、弟子の兄弟に彼の話をしたところだった。彼とは不思議な縁で出会っている。高野山で会った二十年以上も前。何となく友になった。そしてお互いに実家を聞くと、なんと車で五分のところにお互いが住んでいた。ビックリ。その後、友人関係を続けている。途中私は僧侶ではなく塾の講師をした。彼は8年間インドに居た。お互い全く連絡が出来なかったこともある。それでも、やはりとても好いともであり続けている。節分にはお手伝いに来ていただいている。今では彼無しでは成立しないほどだ。人と人の縁とは面白い。彼と連絡を取り合うたびにそれを感じる。
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母方の祖父の妹。私にとって第二の母とも言える方。本当にいろいろ助けていただいている。この大叔母が桑名からお寺におまいり。嬉しかった。この大叔母は一族を護るためにいろいろ苦労を重ねてこられた。生きる手本のような方。自分で出来ることをとにかく提供されてきた方だ。私にとっても掛買いのない大叔母。訪れてくれたことに大きく感謝している。
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弟子の兄弟とカミサンと食事に行く。そこで五種類の漬物が出た。
かつて勤めていた株式会社アップという学習塾がある。今では東証二部に上場している会社だ。ここの社長が、常々言っていた言葉の一つに、「嫁さんを探すのなら五種類以上に漬物を出す嫁さんを見つけろ。」があった。この言葉は今も耳に残っている。確かに、五種類以上の漬物を常々用意しておく嫁さんならばいろいろなことに気を使う女性であるには違いない。とても深い意味を持った言葉であると今も信じている。
この言葉を思い出して、かつて結婚したばかりの教え子に五種類の漬物を送ったことがある。ところが、この生徒は、そのアップの社員と結婚した。そのために、逆に厭味と誤解されてしまった。悔しかった。もっともヒゾッコであった生徒なのに理解してもらえなかったことが悔しかった。私はそのとき、真剣にその社長のメッセージを伝えようとしたのだが、理解してもらうには難しかったようだ。今も、この出来事は私にとって深い傷になっている。
五種類の漬物。これは私にとって痛い経験をさせられ、そして逆にいろいろな方々に伝える話の一つになっている。
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檀家の法事があった。一昨年はそういえば、一件の葬儀から始まった。檀家の弟さんだった。急死だった。もう三回忌。早いものだ。
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今、つらいことがある。弟子の一人が問題を一人で抱ええこみ、引きこもりに近い状況になっているのだ。彼の大きな命が、悲しそうに見つめている。何とかしてあげたいが、私は既に手を差し伸べた。これ以上手を出すと彼の気づきを邪魔してしまう恐れがあり、今は黙ってみている。本当は一人で抱えこんで欲しくない。かっと胸を開けば楽になるのに・・・。この波を感じてしまうと、私も辛くなる。今は私は祈るしかない。そして私の大きな命が、彼の大きな命を包み込んでいただけるように、ただただ祈るばかりだ。
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やっとユックリ休むことが出来た。ホッとしている。ここのところ働きどうし。なかなか休めなかった。本当はもっとしなくてはいけないのだろうが、からだが少し悲鳴を上げ始めている。
昼は家族で近所の寿司屋へ行った。お年始を兼ねていた。父が嬉しそうに食事をしている姿を見て、わたしもちょっと嬉しかった。
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十二月三十一日 午後11時45分。本堂に続々と人が集まる。鐘を打ち始めた。108回。10秒前からカウントダウン。そして、あけましてオメデトウございます。般若心経一巻。洒水加持。法話は、今年のテーマは「準備」と「観」。
弟子の母親が挨拶に来た。この母にしてこの子あり。久しぶりに見た凄腕のおかぁさんだった。よき縁に恵まれたと思う。
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