弟子もまた大宇宙からの預かりもの
今日は弟子たちに手伝ってもらい、節分の案内の発送を行った。何とかぎりぎり間に合った。こういうときに限り、カミサンも居ない。両親も居ない。また私には他の用事が次々と入る。愚痴ばかりこぼしてしまった。しかし本音では弟子たちに感謝している。彼ら彼女たちが居てくれたおかげで何とか切り抜けることが出来た。
今年の節分の案内は、今までとは少し形式を変えた。マイナーチェンジだが、私の思いを軽くぶつけてみた。反応がどう出るかは分からないが、最近感じることがある。私がリーダーシップを発揮しなければ物事が進んでいかないことを。そのリーダシップをどうして行くのか?生まれつきのものもあろうが、後天的な部分だけはなんとかカバーしたい。
ふと思いだす。そういえば数年前に、リーダーシップの本を読み漁ったことがある。それがこの時期に来てようやく芽が出てきた。本も読んだ直後に行動を取らねば、ただの知識で終わってしまう。読んだ直後に噛み締めるように出来る限り実践して、自らのものにしてこそ、本が本としての役割を果たせるのではないかと感じる。本も生き物。そう思うと、この世の中に活かさねばと思う。
最近、弟子たちの何気ない一言で、ハッとさせられる。そのときに、本に書いてあったことの大切さに気づくことが少なくない。弟子たちも私にとっては大宇宙から与えられた書物なのだということを強く感じる。そして大宇宙からの預かりもの。彼ら彼女たちが自分自身の指先であると思うと、まだまだ未熟な自分を思い知らされると同時に、こうしたチャンスに恵まれたことに感謝したくなる。深く深く感謝したい。
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