« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006年12月31日 (日)

大晦日

今年もいろいろなことがあった。今眼の前で、格闘技の試合を見ながらこのPCを打っている。複雑な思いがいっぱいだ。

西邨まゆみさんに出会った。ストーンズやマドンナのコンサートを見た。美輪明宏さんのエディットピアフ物語も見た。劇団四季のオペラ座の怪人も観た。ロスにも行った。横浜の家を手放した。高野山には一ヶ月間居た。師匠が管長に就任。思い出せば実に加速した年であった。明日から丁亥年。どんな年になるのか、楽しみだ。

今年お世話になった方々に深く感謝する。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月30日 (土)

もちつき

今年も恒例の餅つき。玄米餅を八臼。白餅を七臼。この玄米餅がうちのお寺の面白いところ。おそらく他ではあまりされていないと思う。まぁ玄米和尚を名乗っているのだからこれくらいはしなくては・・・。

お寺の檀家信者。弟子たち。寺子屋の生徒たち。そのほかいろいろ。

弟子の実兄がお手伝いをしてくれた。普段土木関連のお仕事をされていることもあり見事な餅つき。

ここで感じる。日本の土木関連者が、餅つきをするとこんなにうまくいくのなら、土木業者をお祭業者とひとつにすればもっと面白いものが出来るのでは・・・。

来年は、その会社のスタッフにも来て頂けるようにお願いをした。どんな餅つきになるか楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月29日 (金)

年末でバタバタ

寺子屋の生徒たちが合宿。中学三年生が中心。弟子の一人が手伝ってくれた。子供たちの発想は実に面白い。この合宿で何かを感じ取ってくれれば・・・

弟子の一人と長電話。いろいろ感じ取ってくれたものと思う。これを機会にステップアップしてくれれば嬉しい。

一方、知人が悲しいことになっている。彼自身がこの悪業を刈り取る必要がある。これも見守って行きたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月28日 (木)

マドンナ家の食卓

Img_0473_11_1Img_0366_13_1Img_02081c   先ほどテレビで、マドンナ家の食卓が放映されていた。この世界のスーパーセレブのマドンナの食卓を任されるプライベートシェフ。日本人女性の西邨まゆみさん。マクロビオティック料理を駆使して、マドンナとその家族の毎日の食を作り続けて、健康管理を行っている。最近、マドンナが「そういえば風邪ひかないわね」ということを言ったとか。その瞬間に、まゆみさんは、ニコッ。そうだ。まゆみさんこそがマドンナのあの美貌と健康を保ち続けている一人。

そのまゆみさんの講演会とお食事会がいよいよ開かれる。http://www.shingyo.net/mayumi 講演会:1月16日(火)津田ホール 1月19日(金)各務原市民会館  お食事会:1月17日(水)代官山の某所  1月20日(土)各務原高家寺

今、私のかみさんが駆け回っている。この講演会とお食事会に興味のある方は、上記のホームページより、お問い合わせいただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月27日 (水)

オーラの泉・・・よい言葉がちりばめられている

今、「オーラの泉」を見ている。今日の江原さんはちょっと体調が悪いようだ。ただ、美輪明宏さんと二人が言う言葉は、珠玉の言葉。

お金や物は盗まれるが、自らが得た徳や経験などは盗まれることはない。

欲しがるから与えられない。与えるから得られる。

本当にその通りだと思う。仏教が言おうとしている言葉を現代に通じるように語る彼らには頭が下がる。大乗仏教の第一修行の第一位が布施。それはお寺に施すだけでなく、ありとあらゆるところに施しをする事を意味する。自分が持てるものを他者に与えることが布施。この布施の本来の意味こそが、与えること。ここにもまtら菩薩が居ると感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月26日 (火)

弟子もまた大宇宙からの預かりもの

今日は弟子たちに手伝ってもらい、節分の案内の発送を行った。何とかぎりぎり間に合った。こういうときに限り、カミサンも居ない。両親も居ない。また私には他の用事が次々と入る。愚痴ばかりこぼしてしまった。しかし本音では弟子たちに感謝している。彼ら彼女たちが居てくれたおかげで何とか切り抜けることが出来た。

今年の節分の案内は、今までとは少し形式を変えた。マイナーチェンジだが、私の思いを軽くぶつけてみた。反応がどう出るかは分からないが、最近感じることがある。私がリーダーシップを発揮しなければ物事が進んでいかないことを。そのリーダシップをどうして行くのか?生まれつきのものもあろうが、後天的な部分だけはなんとかカバーしたい。

ふと思いだす。そういえば数年前に、リーダーシップの本を読み漁ったことがある。それがこの時期に来てようやく芽が出てきた。本も読んだ直後に行動を取らねば、ただの知識で終わってしまう。読んだ直後に噛み締めるように出来る限り実践して、自らのものにしてこそ、本が本としての役割を果たせるのではないかと感じる。本も生き物。そう思うと、この世の中に活かさねばと思う。

最近、弟子たちの何気ない一言で、ハッとさせられる。そのときに、本に書いてあったことの大切さに気づくことが少なくない。弟子たちも私にとっては大宇宙から与えられた書物なのだということを強く感じる。そして大宇宙からの預かりもの。彼ら彼女たちが自分自身の指先であると思うと、まだまだ未熟な自分を思い知らされると同時に、こうしたチャンスに恵まれたことに感謝したくなる。深く深く感謝したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月25日 (月)

JAG

JAG(日本タイトルは犯罪捜査官ネイビーファイル)第一シリーズのDVDを観る。JAGとはアメリカ海軍の法務局。ここの法務官たちの活躍ドラマだ。私の大好きなドラマの一つだ。軍隊礼賛をする気は全くない。しかし、非日常の世界だからこそ逆に私たちにいろいろなことを教えてくれる。平和ボケをしてしまっている日本人が、アメリカという国がどういうバックボーンで成り立っているのかを知るよい道具だと思う。

私もこのドラマのおかげで、海軍Navyと海兵隊Marinesの違いを知り、特殊部隊シールスの存在を知るなど、さまざまなことを教えてもらった。また人間ドラマとしても、考えさせられることがいろいろある。アメリカという国の奥深さを学ぶのに大いに役立つドラマといえる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月24日 (日)

イブの日のプレゼント

弟子の一人が書斎の積年のゴミを捨てにきてくれた。2トントラックにいっぱい。強烈な量だった。二人の女性の弟子たちが中心になって整理をしてくれたおかげで、かなりものは減った。しかし、まだ完成形には程遠い。今、隣でカミサンが「まだまだだよ」と言っているくらいだ。アハハハハ。これも仕方があるまい。

チャヤマクロビオティックよりケーキが二種類届いていた。それを試食。玉子・牛乳・砂糖・精製した小麦粉を一切使っていないもの。これがビックリするくらい美味しかった。感動!明日は弟子たちが来るので、皆で食そう!

今夜はクリスマスイブ。大きなプレゼントをいただけた思いだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月23日 (土)

節分の案内の原稿作り

節分の案内の原稿をいろいろ手直しする。なかなかうまく出来ない。そんなときにある書棚から本を見つけた。「これは使える!」思わず叫んでしまった。なかなか面白い。案内を出すからには反応の高いものにしなければならない。しかし、そうしたマーケティング関連の勉強をあまりしてこなかった私には、この広告作りの分野に関しては知識が薄かった。驚いてしまった。今まで、何をしてきたのか・・・かなり反省させられた。大きく内容は変わったと思う。第一回目に作ったものに比べれば反応の高いものにはなったと思う。ただまだ納得のできるものではない。今回は今の段階で印刷を掛けるが、第三回目に関してはよりよいものを目指そうと思う。このことに気づかせていただいただけ、深く感謝したい。これも一日早い、クリスマスプレゼント?・・・そうだ、私は真言僧だからクリスマスプレゼントではなく、仏様からの年末のお歳暮と思おう・・・ワハハハハ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月22日 (金)

体調不良

体調不良が続いている。今日は昼まで寝込んでしまった。しかし、電話をはじめ、中学生の寺子屋など、いろいろなことに応対せねばならず、結構忙しい日だった。

身体が悲鳴を上げているということは、精神的に何か厭なことが続いているのだろうか?それとも単に身体が悲鳴を上げているだけなのか?おそらく周りに居る人間の方がそれをよく見ているような気がする。

自分の目は自分自身の顔を見れない。このことには深い意味があることを改めて感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月21日 (木)

部屋の片付けに感謝

今、弟子たちが私の書斎を片付けていてくれる。十年近くかけてぐちゃぐちゃになったところをかなり使いやすくしてくれている。心より感謝したい。この出来上がりが本当に楽しみだ。この書斎が、彼ら彼女たちの憩いの場になると嬉しい。そうなるように彼ら彼女たちも意識していてくれるとありがたい。

今日は月例の弘法大師だった。今回の守護尊カードは、不空成就如来・金剛拳菩薩・金剛鈴菩薩・毘沙門天・地天・妙見菩薩だった。不思議なことに地天は誰にも出なかった。このカードの不思議さはほんとうにその人に必要なメッセージをTPOに合わせて与えてくれるところだと思う。実は、昨日、本堂の中で拝みながら、一度出来上がったカードを訂正した。そのときにちゃんとしたメッセージが降りてくるのも面白いものだ。このカードには表面的なメッセージと、深い意味のメッセージの両者がある。それぞれが自分のレベルに合わせて解釈してくれることを深く望む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月20日 (水)

教育委員会へ

かみさんと教育委員会へ行く。西邨まゆみさんの講演会とお食事会に関してお願いをしにいくためだった。さてこれがどこまで進んでいくのか。私は共に歩んで行きたいと考えている。しかし人間は今の自分が変化することを極端に恐れる。管理栄養士の方々はそれを恐れる可能性がある。しかし、時代は動いている。このうねりを無視すると後で必ず後悔する。管理栄養士の方々が、そのうねりの波にしっかりと乗っていただくことに、心から願いを持っている。

課長や係長のお二人は、しっかりとお話を聞いてくださった。貴重な時間を裂いてくださったりもした。深く感謝している。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月19日 (火)

僧侶の会で

坊さんの役員会があった。夕方から夜まで、結局、二つの議案のうち、役員人事は最後まで決まらなかった。来年の節分後の二月以降に再開することになった。

夜は自治布教団の幹事会。ここで良い話を聞けた。普段、あまり評価をされていないT君。彼が何を考えどうしようとしているのかということが嬉しかった。逆に、宗教政治に漬かっている人たちよりもしっかりした考えを持っていたのが嬉しかったのだ。

人はそれぞれのテリトリーで生きている。その殻を破り大きく成長していく。そんな姿を見るのがとても楽しいことを改めて知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月18日 (月)

本の紹介:Unlimited Power『一瞬で自分を変える法』(

『一瞬で自分を変える法』(アンソニー・ロビンズ著)が新たな訳で出版された。本田健訳・解説。この本は全世界で1000万部売れた名著である。原題はUnlimited Power無限の力だ。役に立つ内容があちこちにちりばめられている。

情熱・信念・戦略・明確な価値観・高エネルギー・対人関係力・コミュニケーション力

この七つに秘密がある。分類方法は違うが、ある意味、金剛界曼荼羅の内容に共通するものだ。これについてはどこかで語りたいと思う。

著者が最後に語った。「あなたは「キケロ」になるか、「デモステネス」になるか?」ここにこの本の読み方の究極がある。共に聴衆を魅了した政治家。前者はローマの政治家で、彼が演説すると聴衆は必ず総立ちになって拍手喝采したという。一方、後者はギリシアの政治家。彼が演説すると、聴衆は行進し始めたという。まさにどちらを選ぶかは、読み手次第だ。

お勧めの逸品。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

待つことの大切さ・駆け抜けることの大切さ

インクジェットプリンターのインクを買いに行く。あちこちにインクの売り場が・・・そういえば年賀状の季節だなぁとおもいつつも、まだ何も手を付けていない自分に焦りを覚える・・・アハハ。インクを購入しようといくつか手にしたら、なんとレジの前にはパック製品が打っていて・・・まぁこんな日もあると思いつつ、単品の製品を戻しに行く。

そこでふと自分のことを思う。一歩待つことの大切さが、どうも自分には欠けていることに気づく。一休・・・いい名前だ。まさにそう。何をやるにしても一歩待つことは大切。一方で動き始めたら一気に駆け抜けることもまた大切。まっているのではなく一気に駆け抜ける。

また気づく。そういえば、やっていないことがあまりにも多い。思い立ったらやり抜かねば・・・自分に言い聞かせることの出来た買い物だった。買い物でもいろいろなことが学べる。改めてそのことを感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月17日 (日)

体調を崩す・・・久しぶり

今日は一日、イライラしてしまった。まだまだ精神修養も足りないようだ。こんなイライラする自身も私自身なんだと今は言い聞かせている。体調を大きく崩していることが大きな要因だ。ここまで崩しているのは久しぶりだ。原因は・・・やはりストレスかもしれない。最初は眼に来た。めがねが合わないのかと思い、めがねを治した、多少、回復。しかし疲れやすい。するとついには喘息の発作。アララララ。過度なストレスがかかったようだ。

ストレスがないことも問題であるが、やはり過度なストレスは精神ばかりか身体をも蝕んでしまう。私の場合は最初に眼にきて、次に肺に来る。今回は、気圧の大きな変化と、掃除による埃と、ストレスと、食事の不養生が重なり、大きく崩したようだ。

今一度、自分の生き様を見直さねば。文殊さんの笑い顔が、チラッと浮かんだ。アハハ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月16日 (土)

「食べること生きること」本の紹介

『食べること生きること  -世界の宗教が語る食の話-』奥田和子著(編集工房ノア) を読んでいる。各宗教における食の話。こうした本はあまり出ていない。なかなか面白い。

そういえば、「人は断食のために生きるのではない。生きるために断食するのである。」という言葉を最近知った。この肉体を構成しているのは、呼吸による空気と食から摂ったものが殆どである。呼吸に関する宗教関連の本は少なくないが、意外と食に関わるものは少ない。美食が進んでいるからといわれるが、本当に美食なのだろうかと疑ってしまう。本当の美食とは何か・・・。

そういえば先日テレビを見ていたら、料理対決という内容の番組で、殆どの人を唸らせていたのが、ぶっ掛けご飯であった。それを見ていて思わず苦笑してしまった。実は私もその料理が一番だと感じたからだ。

食について、私ももっと研鑽して行きたいと思っている。その上で、この本はいろいろなことを感じさせられる本だった。お勧めの逸品。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月15日 (金)

タイトルをマイナーチェンジ:玄米和尚(遊歩)の「つるぎ日記」

玄米和尚に呼び名を改名した。

Markminori 玄米とは「籾殻もみがらを除いただけで、精白してない米。くろごめ。」【岩波書店 広辞苑第五版】。この米を水につけておくと、発芽することが多い。すなわち生きたお米。一方、精白米は発芽することはない。つまり死んだお米。そういえば、漢字では、米が白いと書いて粕(かす)。米に健康の康と書いて糠。昔の人は賢い。玄米とは、次なる命に栄養を与え大いに養い、また自らも大いに成長していくもの。栄養価満点な食べ物。正しよく噛んだり調理法に工夫が必要。さらに、うちのお寺は修学院であり、臥龍山。つまり、学び舎であり、力を蓄える場。こうしたところからも、玄米和尚とはとても好い名前だと気に入った。

遊歩は『即身成仏義』の「大空位を遊歩す」と「プロムナード遊歩道」をかけて付けた意味深い名前だが、どうも遊び人として軽く受け止められ深義を理解していただけず勘違いされやすい名前だった。そこで、この名前を捨てるのではなく玄米遊歩和尚として名乗ろうと思っている。  ※もちろん本名は戒名であるのでとても大切にはしているし、縁があっていただいた由緒ある名前なので全く改名する気はない。

Namikiri_1Fudouson21Hikendaishi005   「つるぎ」とは剣。私が生まれた尾張の地は剣と縁が深い。熱田神宮は剣の宮。浪切不動尊もその剣を奉納したという。またわが寺に祀られている尊に、導師文殊師利菩薩、守護尊浪切不動明王、般若心経秘鍵大師、鎮守摩利子天と剣を持った尊が多く縁がある。また90歳を超える老夫婦が祀っていた弘法大師尊像を譲り受けた。そしてそこから鶴亀弘法と呼ぶようになった。つる・かめ・・・鶴亀・・・つるぎ・・・である。様々なものを切り開く剣であり、鶴亀のように縁起がよく、永遠性を保つという意味で「つるぎ日記」とした。そこで、タイトルにも剣と鶴亀を入れ、写真には般若心経秘鍵弘法大師を入れてみた。

上記の理由で、このブログのタイトルも若干変更した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月14日 (木)

三人の弟子の得度式 仏教で生きるのではなく 仏法に生き仏法を生きる

061214_143901 午前中は体調を休めるためにゆっくりと寝た。

今日は午後から得度式。証明師二名、教授一名、受者三名。なかなか良い儀式になったと思う。

三礼(声明)、弟子への心構え、教授による父母・国王・氏神に対する感謝と別離と各三礼。洒水加持。剃髪。授与戒名。授与袈裟。本尊を初め十方諸仏に三礼。授与十善戒。法施(心経・諸真言・御宝号など)。

証明師の一人が儀式前にいみじくも語ってくれた。「仏教で生きるのではなく、仏法に生き仏法を生きる」。まさにその通りだと思う。昨今の寺院では仏教にぶら下がって生きているのが現実だ。そうした得度式をはじめとする儀式が多すぎるような気がする。しかし、この高家寺では、仏教にぶら下がるのではなく、仏教に生き、仏教を生きるお寺でありたい。その言葉を、まるまる新発意・・・すなわち受者三名に伝えた。

純さん、蓮さん、眞さんの三人が、それぞれに良き道をしっかり歩んでもらえることを心より願う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月13日 (水)

早く寝よう・・・

喘息の発作。昨日、ちょっと無理をして掃除をした。それが引き金になって発作が起きたらしい。カミサンのいうことを聞き、薬を服用した。出来る限り動かず、ゆっくりと対応できるようにした。

メガネが出来上がり取りに行く。視界が急に開けた。目が大切なことをあらためて確認する。

夕方からカミさんは高山へ行った。

Docho私は明日の得度式に備え、準備に努めた。 度牒を記す。旧国名の産地。現在の俗名の氏名。授ける戒名。日付。道場。そして戒和上の名前。一つ一つ私自身の手で書いた。高家寺の戒名は私が一方的に授けるのではなく受者と話し合って、その人に合っている戒名を授けるようにしている。それゆえに、度牒と呼ばれる認可状も私自身が手書きにしている。もちろん、左・右・首羅髪を入れる用紙も奉書を私自身が折っている。こうすることで、弟子たちに伝えていこうという自分自身の気構えもしっかりするためだ。弟子に伝えることは弟子のためだけではなく自分自身のためにもなるということを改めて感じる。

体調が少し辛い。今日は早く寝よう・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月12日 (火)

メガネ

眼鏡屋に行った。今まで使っていた丸メガネのレンズがあまりにも傷が入り、見えにくくなっていた。検眼もした。老眼はまだ大丈夫らしい(^^ レンズだけ取り替えることにした。フレームの痛みも大分きているが、まだまだ使えるので取りあえずはレンズだけにした。

ちなみに左目の視力が上がっていた。前回0.04だったのが0.07になっていた。実は私は効き目が右目。本来、右目の方が良い視力のはずなのに、今は左目の方が圧倒的に良い。そのためにバランスが崩れがち。こんなところにも大切なバランスがあるとは・・・。

とにかく、まだ見えるし、めがねもレンズfだけで済んでいる。深く感謝せねばなるまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月11日 (月)

正夢

非常に厳しい状態に陥っていた。眼は腫れあがり、精神的にもきつい状態だった。朝、夢を見た。それらが解決される夢だった。そして今日の午後。信じられないことが起きた。夢が正夢になった。深く仏に感謝する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月10日 (日)

道具を使う猿

道具を使う猿。今日のNHK『ダーウィンが来た』で、フサオマキザルの特集をしていた。http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program034.html 彼らは、やしの実を石を使って実に上手に割る。しかもボス猿はその名手。若い者たちはボスざるを見よう見真似で学んでいく。そしてそれぞれがいろいろな工夫をしているのだ。この姿を見て、実に感動した。私たちの先祖もまた同じ道をたどっていたに違いない。一匹が何気なく始めたことが全種族に及ぼす影響、これは計り知れない。遠い未来、フサオマキザルの子孫たちが、私たち人類に取って代わっていく可能性も十分にある。そえが進化の過程なのだろう。

目の前に起きている出来事は、私たちの心そのもの。今回のこのテレビ、私たちに何を語りかけているのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 9日 (土)

父と大阪へ

父と大阪へ行った。20年ぶりに、同僚たち(タイ・バンコクでの仕事)と会うという。父は足が芳しくないので、母も仕事で忙しかったこともあり、私が着いていくことになった。大阪堺筋本町。

28年前、父は帝人の下請け会社に勤めていた。帝人からの要請もあり、タイ帝人本社に出向。役職的には結構好い地位に居た。あのころ、私にとっても妹にとっても自慢の父だった。単身赴任で海外に行くことなど、あまりない時代に颯爽としていた。四年間、バンコクに単身赴任であった。その後、元の会社に戻り海外担当として、レバノンに行ったり、南アフリカに行ったり、ニューヨークに行ったり、あちこちを飛び回っていた。そして大阪の本町にある事務所で数年居た。

父にとって大阪は20年以上ぶりの場所だった。懐かしそうにしている姿を見て、年老いた父に今まで何もしてあげられなかった自分がちょっと恥かしかった。それと共に、深く感謝した。

父たち20人が宴会をしている間、私は堺筋本町のマクドナルドでコーヒーを飲んだ。約二時間。ただここはYBBもあり、電源もあり、ノートPCを持っていっていた私うにとっては、うってつけの仕事場だった。

時間が過ぎ、迎えに行ったが、その場で45分待たされた。二十年ぶりでもあったせいか、二時間の予定が三時間の宴会になったそうだ。

改めて思った。この父が居て、今の自分が居る。諏訪さまや三輪さまを代々祀ってきた霊性の系統の一族の本家の末っ子であった父。この父を選んだのは自分であると、いまさらながらに感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 8日 (金)

本堂内の変化

本堂が徐々に変化してきている。先々月は不動堂を変身させた。今回は大師堂だ。見た目はあまり変わらないのだが実は大きな変化をもたらした。また外陣も手を入れた。実に使いやすくなったと思う。これを導いて実行してくれたシンチャン・レンチャンコンビに感謝したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 7日 (木)

夢の中で・・・草を食べる牛

面白い夢を見た。週刊コミックバンチに連載されているプルコギという漫画の影響だと思うのだが・・・。

ある焼肉やさんで、畳に正座した老人が語る。見たことのない小さく痩せた、しかしどことなく品のある人だった。・・・そういえば親友のMKさんに似ている気もするが・・・。その老人の語る言葉は、およそ以下の通りだった。

牛は本来、草を食べる動物。その草を食べる動物が穀物を食べるようになった。穀物を食べるということは、エネルギー効率が悪い。牛そのものを育てるには効率が好い様に見える。しかしな、牛には四つの胃袋があって、それは草を食べるためにあるもんじゃ。草を四つの胃袋で消化し、小腸で吸収し、あの大きな身体へとなっていく。あのお肉のほとんどが、草を消化して作り上げていく素晴らしい効率の身体なのじゃが、最近では穀物ばかり食べさせる。そうなると、あの胃袋が役に立たなくなり、内臓が変化していってしまうんじゃ。最近美味しい白肉が少なくなったのは、こういう理由もある。そしてな、人間はあの草を食べる牛のお肉をいただいて、草野成分を身体に入れることが出来る。本当に感謝して食べにゃならん。しかしじゃ、穀物を食べ大量生産される牛の肉を感謝もせずに食べている人間は、いつか報復を受ける気がするんじゃ。穀物の成分はお肉を通してではなく直接取るべきもの。草の成分は牛を通さないと得られん。そのことを分かっておれば、お肉を食べてはならないんじゃない、お肉は本気で感謝するものだということを忘れちゃならんのじゃ。

異様にリアルな夢だった。私個人は今ではお肉を食べないが、この夢の中の老人のいうことには深く賛意を抱いた。本当にそういうものだと思う。草を食べる牛、これが本来のあり方。ここを忘れてしまった人間は草と牛の逆襲を受けるような気がしてならない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月 6日 (水)

東海地区の役員さんの集まり

今日は東海地区の役員さんが集まり、羽島で会合。その丁々発止のやりとりに、少し哀しみを覚えた。僧侶ってこんなものなのだろうか・・・。政治の世界を垣間見たことのある私にとって、こうしたミニ政治の世界は本当に疑問だ。宗教が政治と切り離されなくてはならないのは、こんな部分なのではないだろうか。

改めて感じる。私は長の就くことは全て辞そう。やりたいものがやればいい。もちろん協力はするがあくまでも協力であって、権力闘争からは一歩身を引きたい、それを改めて強く感じる。

最近、弟子になりたいという方々が急激に増えている。これは私に対する仏の声。私は自分の弟子たちに、私を通して仏が表現されようとしていることを伝えて生きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 5日 (火)

玄米和尚

弟子になろうとしている二人の若者たちの戒名を考えていた。二人には宥眞・宥蓮という好い名が最終的には決まった。ただその過程でいろいろな名前が出てきて、そこで思わぬことが起きた。

玄米

この名前を今後私が通称で用いることになった。ちょうど、今、玄米菜食の活動をしている。まさにこの玄米は今の私を伝えるのに最高の名前だと感じる。

遊歩も別名で用いるが、今後は玄米和尚として名乗る予定である。

今日からタイトルにも玄米和尚と入れなおした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 4日 (月)

師匠のお祝いの会が大阪で

Dvc00004_m 師匠の管長・座主の就任祝いのパーティ。これで四回目。大阪のスイスホテル南海で。実はこのパーティをころっと忘れていた。というか一週間まちがって記憶していた。やばいところだった。

今回は支所長や団長などお偉い方々ばかり。ちょっと場違いを感じた・・・。

面白いもので、この日のお金がちょっと厳しかった。ところがかんと日曜日に法事があり、それによってまかなうことが出来た。仏は必要なときに必要なものを与えてくれる。これを改めて実感した。

パーティでは大学の学部長と話をさせていただいた。本当に久しぶりだった。環境問題で今後大学のお手伝いが出来るかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月 3日 (日)

護摩のお手伝い

12月3日 岐阜師のお寺の護摩の手伝いに行く。私の役は添護摩師。結構火が熱かった。もう少し私自身が工夫をしなければ・・・。

来年は私が手渡す役ではなくご本人に火舎に添護摩木を置いていただくことと、そのばしょに畳かじゅうたんを敷くことを反省点としてあがった。

さて、この日に知ったのだが、明日は師匠のお祝いの会が大阪である。一週間勘違いしていた・・・おおおおお・・・・やばかった・・・・明日は朝から大阪へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 2日 (土)

命は風の前の灯火のごときも

知人の子供が不慮の事故にあった。一命は取り留めたが、いまだに集中治療室。アンリにも悲しく突然の出来事だった。彼とは半年以上会っていなかった。その自分が許せなくなった。なぜあのときに声をかけなかったのかという後悔の念が私の中を駆け巡った。

彼が復帰するのがいつなのかは分からない。ただ今度はちゃんと声を掛けたいと思う。命は風の前の灯火のごときものということを改めて感じた。

僧侶としても、一人の人間としても、そのことを見つめていたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 1日 (金)

明確で具体的な目的を持った練習

今日は西邨まゆみ講演会の事務作業で一日が追われた。今日からチケットを正式に発送したためだ。眼がチカチカする。また携帯電話での対応も完成。携帯のメールへ、http://www.shingyo.net/mobile/mayumi を送れば、そこから携帯サイトに繋がる。ここからチケット購入も可能だ。

夕方からは寺子屋。終了後に男の子たちを残してお話、剣道をするもテニスをするにしても素振りは基本となる。ただ毎日、単純に素振りをすることも大切だが、ある程度の段階を超えたら素振りにも目的が必要だと思う。今日は、徹底してバックハンドを練習しようとか、バックの左サイドからの攻撃からをバックハンドで返す素振りとか、籠手の素振りとか、下がりつつ打つ面の素振りとか、何か明確な具体的なシーンを想定して、目的をもって素振りをするだけで、断然レベルの上がり方が異なることを伝えた。これは剣道やテニスなどのスポーツだけではない。様々なことに共通する。昨日の語った準備にも言えることのような気がする。明確な目的を持ち、それを徹底的に準備することの大切さを彼らに伝えつつ、自分にも言いきかせた。

これを伝えさせていただいた大いなる命に深く感謝する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »