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2006年10月 7日 (土)

マドンナの養子問題

マドンナの養子問題が浮上している。なぜ彼女の思いをそっと見守ってあげないのだろうか。彼女の行為を売名行為だというものも居るが、それこそ売名行為なのではないのか?彼女の思いをそっと見守ることこそ大切なのに。彼女は二人の子供に既に言聞かせているようだ。しかしあのような報道をされては、うまくいくものがうまくいかなくなってしまう。悲しい限りだ。

エイズで亡くなった人々の子供を預かる施設を現地に作る。これはなかなかできることではない。マドンナは心からそれを実行している。

つまらない、やっかみで彼女の足を引っ張るのではなく、彼女の思いを感じ取り自分なりの行動に進んでいくことこそ、私たちのあり方ではないかと思う。

マドンナはユダヤ教の密教ともいえるカバラの現代的な教えに身を投じた。私は仏教のカバラとも言える密教に身を投じた。その奥底に流れている源流のようなもので繋がっていることを強く感じる。おそらく、同じように、食という領域で、マクロビオティックや合気道を通じてその源流に繋がっている、マドンナのプライベートシェフ西邨まゆみさんも同じものを感じていると思う。だからこそ彼女と話していると、家族のような気になってくるのではなかいと勝手に感じている。カバラにしても密教にしても、現象を大切にする。現象に真理を見るからだ。現象も真理の現われと見るからだ。だからこそ、現象の世界でできる限りのことをしたいと強く感じ、動かざるを得なくなってくる。このようなことを改めて感じさせてくれた、西邨まゆみさんと、彼女のボスであるマドンナに感謝している。

マドンナの熱き思い、深き思いを一人でも多くの人が感じてくれることを切に願う。

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