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2006年10月 7日 (土)

理趣経加行の解説書

今日は弟子のための理趣経加行の解説書を書いた。理趣経加行は高野山真言宗の僧侶になるための一番最初に行う基本的な行だ。明日からは護身法加行の解説書を書く予定だ。その後は十八道等の解説書も執筆予定。その総タイトルを『加行作法私秘抄』と名づけた。単なる作法の解説書ではなく、できる限り所作の意味も解説していくつもりだ。理趣経加行に関しては、中院流と小嶋流にしかないうようだが、懺悔・滅罪という意味ではとても大切な行である。そこを中心に解説したつもりだ。やはり日本の行の中心は滅罪だった。生まれ死に生まれ死に生まれ死に、何度もの輪廻の中で悪業を背負っていく。その悪業の清算をすることこそ、この理趣経加行の眼目だ。理趣経を授ける前にこの行をさせるということにも大いなる意味を感じる。理趣経は穢れた心で読むと穢れたものになりがちなお経。しかし、即事而真の妙を実感し、心身を清浄にしたものには、まさに清浄であり真理の味わい深きお経となる。それゆえに、最初に理趣経加行を必要とするのであろう。中院流や小嶋流の先師の方々の深き思いを感じる。

方法としては礼拝行。百八回の礼拝を一日に三回行うもの。この礼拝こそ、とてもとても大切なもの。懺悔・滅罪をし、重荷を下ろしてこそ、生善となる。入れ物の中の古く腐ったものを取り除き、清浄にしてからでなければ、新たなものを入れることはできない。その作法こそ礼拝行であり、そこに理趣経加行がある。この行の後にしか理趣経を授けないというのも、先師の方々の深い思い入れがあると思う。先師の方々の思いを得ていくことは、何十年物のタレを受け継いでいくことと同じようなものだ。古き良き物には新たなものを付け足して、そして誰も真似のできない独特な物へとしていくことだ。

古き腐ったものは清浄にしなければならない。古き良きものは受け継いで、より味わい深いものへと継承していかねばならない。この二つの道筋を違える事無く歩んで生きたいものだ。昨今では、この二つの道筋を逆にすることが多い。古き腐ったものをありがたがり、古きよき物を捨て去っているケースが少なくない。それらのものを見つめることによっても、また次の時代に継承していく過程においても、古きものへの対応は心していきたいものだ。

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