Noといえる人生
午前中は水子供養。午後からはマナーズで食事し、マナーズでマーティンさんに言われてしまった。「Noということも大切だよ。」と。忙しすぎる、抱え込みすぎる、余裕がない、そして健康を害す。果たしてこれで僧侶としての活動ができていくのかということを突きつけられた思いだった。
そして食事もゆっくりできず、お寺に戻り寺子屋の授業。今日は英語をかなり吸収してくれたようだからまだ良かったが、確かに何もかも詰め込みすぎているし、やりすぎている。間もなく年末。やはりNoということを真剣に考えなくてはならないのかもしれない。
今年は高野山へ行く機会が実に多い。ここには僧侶としての原点がある。しかし大伽藍をお参りできなかったり奥の院へいけなかったりする日も少なくない。また高野へ出かけるときはなぜか前日までの仕事が忙しく、眠れない日が多いのも事実だ。そしてそうなると忙しい自分を恨めしく思うこともある。こうして高野に戻ることが多いのも、ひょっとしたら今の自分のあり方に対する警告なのかもしれない。
先ほど本堂内陣で、本尊様の前で座ってきた。その後外陣で横になり天井を見つめながら、ふとため息をついた。やはり忙しすぎる。もっと余裕の日々を送らねばなるまい。Noと言える人生をもっともっと大切にしたい。
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