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2006年10月31日 (火)

横山産婦人科

横山産婦人科へ行った。先日のお祭の駐車場を借りた御礼のためだ。院長とは初めての対面だった。中々の勉強熱心な方だ。ブロイラーとして生きることよりも、地鶏として生きることを望んでいる。週居いうに大しても政治に対しても自分なりの見識をしっかり持っておられた。会社から帰り、枝豆を食べ、ビールを飲みながら野球を観て、そして眠り、会社に行くような生活はしたくないとおっしゃられていた。嬉しかった。こんなに近所に、自分という生き方を追及されている方がいらっしゃることが。命に対しての話もさせていただいた。せっかく生かせていただいている命、無駄にしたくない、そんな思いで命のお話ができたことに感謝している。

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2006年10月30日 (月)

自転車

自転車であちこちを回る。久しぶりの自転車だったためか、最初はなかなかうまく乗れなかった。坂道は結構きつかった。ところが次第に慣れてきて、最後はスイスイ。やはり慣れは大切だ。最近自動車ばかりで、人力で動かすことの大切さを随分と忘れていたような気がする。そういえば高野山では基本的に歩いていたので健康だった。これをチャンスに、ちょっと自転車を多用しようと心に決めた。

それにしても夜の自転車は危ない。九時頃の自転車は、自動車の死角になるらしい。自動車を乗るときにも気をつけねば・・・。

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2006年10月29日 (日)

西邨まゆみさん講演会の東京を開催を決定

西邨まゆみさん(マドンナのプライベートシェフ)の東京講演が一時期宙に浮いていた。会場と人と時間が合わなかったことと、こちらのお祭の準備やなんやで、なかなか決まらなかった。しかし、今回、改めて開催することにした。規模は400~600人規模。前売り5000円程度。日付は1月15日(月)の予定。これでなんとかなりそうだ。ただ私の休みがこれでほぼなくなった。マナーズのマーティンさんにしっかり寝るように忠告を受けている。上手に身体を休めて、最大限のことをしたい。

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2006年10月28日 (土)

収穫祭 みのりの市 大盛況

初めての試み。みのりの市。オーガニックでベジタブルな市を開かれ、月例不動護摩供を行った。カミサンの発案だ。100名を超える盛況。これも恒例の冬を迎える秋のお祭。これで夏の感謝祭(お施餓鬼:観音菩薩)、秋の収穫祭(護摩供:不動明王)、冬の火祭り(節分:星曼荼羅・不動尊・弘法大師)が決まり、四季のお祭も残すところ春のみとなった。

今回のみのりの市では、お砂糖は使わず、乳製品もなく、もちろんお魚もお肉も卵もなく、マクロビオティック・ビーガンなものだった。これを支えてくれた方々に大いに感謝したい。特にわらべ村さんには陰になり日向になり助けていただいた。心から感謝している。

今回の法話は、最初にいつものように、辛いときこそ感謝しようというものだった。辛く悲しい出来事は過去の悪業の結果として生まれたことだからこそ、それが浄化されたと感謝しようというもの。それをより進めていくには懺悔が最も効果的。そこで護摩木の裏に一懺悔、表に一願と感謝を書いていただくようにした。その流れのお話。

そしてもう一つが穀物の力。特にお米に絞ってお話をした。米の一粒方に撒かれると、大いなるみのりとなる。しかし精白したお米は、決して実りを導かない。米に白いと書いて粕(カス)。つまり白米は命のないもの。一方、米に健康の康と書いて糠(ぬか)。まさにお米は白米の部分ではなく糠の部分にこそ大いなる命の秘密が隠されているというお話。お米を全体でいただく玄米こそ最良の食品。お米だけでなく、小麦も同じ。かつて「おしん」というNHKのドラマで、主人公が脚気になるお話があった。そこで主人公は知る。白米という贅沢をしたからこそ病気になったのだと。そしてそこから改めて自分を最大限に生かす生き方に切り替わっていった。穀物は全粒でいただくのがもっとも大切。そうしたお話をした。

初回のお祭だったので未熟な点がいくつもあった。改良の余地はいくつもある。次回にそれを大いに生かして行きたいと思う。

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2006年10月27日 (金)

カミサンを緊急病院に

カミさんが夜中に怪我をした。外傷はなかったが、打撲の部分が見る見るうちに腫れてしまって、病院を探した。近辺の病院の外科部門がほとんどしまっていた。近くて車で40分。思わず絶句してしまった。これがこの国の病院の状態なのか・・・・。そこで、再度連絡をし、専門医が居なくても応急措置ということで最も近い病院に出かけた。すると、ちょうどそのタイミングで外科の先生が戻ってきた。ラッキー!レントゲン撮影をし、骨折をしていないことが分かり安堵。そのレントゲン写真を見て、カミサンがそのレントゲンの写真を撮りたいと言い始めた。その際にマドンナのコンサートでレントゲン写真が使われたことを話をし、彼女のプライベートシェフの西邨まゆみさんの話題になり、担当の先生も大変興味を持ってくれた。結果的にカミさんの怪我は、病院関係にこの話を持っていくためのものになってしまった。大いなる命の御業なのか、まさに導かれているようだった。こういうときは言い仕事が出来る!

さて28日は月例護摩供。ただ明日は特別だ。「みのりの市」「収穫祭」。その準備に追われた。護摩堂の掃除とお札つくりとお守りつくり。やるだけやってみた。そのおかげで気に入る形になったのは嬉しい。こういう機会がなければ、変革をしなかった。このお祭にその意味で感謝する。お祭の報告は、明日の夜にでもしようと思う。

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2006年10月26日 (木)

中日が優勝を逃す

全ては第二戦だったように思う。取れる試合を落とした。既にツキが逃げていた。山本もシーズン後半を別にして、六回が彼の役割だった。それを七回まで引っ張った。そこに落とし穴があった。それが全シリーズに影響をした。小さな出来事だが一つの出来事が全体に影響を及ぼすという例だったように思う。

落合ドラゴンズはまた来年に課題を残した。そして彼らの戦いで、また多くのことを学ばされた。

新庄の生き様にも多くの人が感動した。記録よりも記憶に残る人物のように思う。ここにも落ち合い野球との差を感じた。どちらが良いとはいえないが、新庄に感動する人が多数のように思う。ここにも人生を垣間見た。

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2006年10月25日 (水)

奥山から追い出された熊

奥山から熊が出没。岐阜市でもこんなニュースが流れてきた。そして、人の行動はこの熊を撃ち殺すこと。この熊がなぜ出てきたのかという根本原因を考えず、餌がどうだとか、個体数がどうだとかいう、目先の問題しか語られない。奥山に熊が住めなくなっている。その熊の出没は現象に過ぎない。奥山に何が起きているのか、ここを見つめなくては、本質が見えてこないのではないのか。熊は私たちに奥山が狂い始めていることを語ってくれている。その奥山を狂わせてしまったのはいったい何なのか、検証しなくてはならない。大自然に耳を傾け、目を凝らし、皮膚感覚で知らねばならない。この問題は奥山だけでなく、あちこちに起きている。南極上空のオゾン層もその一つだろう。今年のオゾンホールは、史上最大のものだった。大きさはロシア・中国・モンゴル・北朝鮮・韓国・日本の総面積よりも広いものだった。ヒマラヤも雪が解けてあちこちに湖が出来てしまっているという。砂漠も荒れ始めているし、アマゾンの森もかなりの痛手を受けている。気候も世界中で狂いが生じ、予想が難しくなってきている。奥山から出てきた熊は、まさにこの世界的な現象の一シンボル。ここを知れば、田畑を荒らされ、命まで失った方々には気の毒なことだが、全てを熊の責任にし、むやみに熊を撃ち殺すことに目が行かなくなると思うのだが・・・。田畑を荒らさせ、命を奪わさせたのは、人間そのものであるということを私たちは知らねばならない。私たち自身が、熊に田畑を荒らさせ人を殺させてしまっているといえるのではないだろうか。

熊は奥山(おくやま)にすむからクマという。この熊を奥山から人里に引き寄せているのは、他でもない私たち自身であることをもっともっと自覚する必要を感じる。この痛みは人事ではない。

北海道の森に住むオジジとオババのお話会が本堂であった。これに対する報告は明日にでもしようと思う。

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2006年10月24日 (火)

結果から原因を見る

昨日、テレビを観ていたら、イチローについての話が出ていた。彼は試合のために練習をし、練習のために自主トレやストレッチを行い、またそのために朝の起きる時間や食事を考えるという。松井も同じようだ。これは野球選手だけではなく世の中で成功している人たちのほとんどに通じることだ。結果から物事を見る目、ここに重要さがある。

そして今日、不動尊を拝んでいる最中に気がついた。私がこのお寺を去るときはどのようにして去りたいのかということを明確にしていない自分が居ることに。そしてじっくりと瞑想してみた。そこで決意したことがある。それは・・・ヒミツ・・・

それから28日の行事のシュミレーションをイメージの中で行い、それを逆転させてみた。すると何が必要なのかが見えてきた。そして護摩堂の掃除。不動尊の位置も移動させた。

結果から原因を見る。まさに密教の真髄だ。改めてこの方法論を実行していくつもりだ。

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2006年10月23日 (月)

イメージを実現させていくこと

ある信者さんが訪ねてこられた。いろいろお話をしている最中に、「今の自分はこのままでよいのか?」ということになった。そこでふと感じた。守護尊カード。「ひょっとして那羅延天が出るのでは・・・」。那羅延天は「生物の根本であるインドの三大神のビシュヌ神。力無双であり、世界を維持する神。カルラ(ガルーダ)に乗る.」。またそのカードのメッセージは「維持することは、変化しないことではない。時と共に変化することこそ本当に維持すること。形式ではなく根本をしっかりと維持する時。 」だ。

本堂へ行った。渡り廊下を歩んでいる途中で、なぜか確信がより強くなっていく。本堂に着き、御神籤を引いてもらった。やはり、那羅延天だった。その方に伝えた。「変化を恐れないこと」そして、無意識のうちに出てきた言葉は「商売を始めうにしても、自分がその商売を終える瞬間をイメージして商売を始めてみてはいかがですか?」。自分でもびっくりした。その信者さんに伝えているのではなく、まるで自分が自分に言い聞かせているような言葉だった。

何かを始めるにしても、自分はこの世から必ず去っていく。つまりその始めたことをどのようにして終わらせるのかをイメージすることが大切だということだ。これは大きなことばかりでなく小さなことでも言える。夜、眠るときにどんな状態で居るのか、それを毎朝イメージし、そこから逆算して今日一日何をしなければならないのかを感じ取ってみる。これを居週間単位、一ヶ月単位、一年単位、五年単位、十年単位でイメージしてみると、このようはそのイメージした世界を追って実現させていくことであることを理解できていく。芸術家が最初にイメージを持ち、そのイメージをこの世に出現させていくと言うが、人生も同じものなのかもしれない。自分の一生をイメージし、そのイメージした一生をこの世の中で実現させていくこともまた大切な生き方なのかもしれない。

今日も、その信者さんを通して、大いなる命のメッセージに気づかせていただいたことに深く感謝する。

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2006年10月22日 (日)

Noといえる人生

午前中は水子供養。午後からはマナーズで食事し、マナーズでマーティンさんに言われてしまった。「Noということも大切だよ。」と。忙しすぎる、抱え込みすぎる、余裕がない、そして健康を害す。果たしてこれで僧侶としての活動ができていくのかということを突きつけられた思いだった。

そして食事もゆっくりできず、お寺に戻り寺子屋の授業。今日は英語をかなり吸収してくれたようだからまだ良かったが、確かに何もかも詰め込みすぎているし、やりすぎている。間もなく年末。やはりNoということを真剣に考えなくてはならないのかもしれない。

今年は高野山へ行く機会が実に多い。ここには僧侶としての原点がある。しかし大伽藍をお参りできなかったり奥の院へいけなかったりする日も少なくない。また高野へ出かけるときはなぜか前日までの仕事が忙しく、眠れない日が多いのも事実だ。そしてそうなると忙しい自分を恨めしく思うこともある。こうして高野に戻ることが多いのも、ひょっとしたら今の自分のあり方に対する警告なのかもしれない。

先ほど本堂内陣で、本尊様の前で座ってきた。その後外陣で横になり天井を見つめながら、ふとため息をついた。やはり忙しすぎる。もっと余裕の日々を送らねばなるまい。Noと言える人生をもっともっと大切にしたい。

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2006年10月21日 (土)

10月の守護尊カード

毎月二十一日に発行し、月例弘法大師で御神籤を引いていただき、授与している守護尊カード。http://www.kokeji.com/shugoson.html 今月の分が先ほどやっと完成した。このカードは私が瞑想に入った常態から出てくる言葉で作られているので、言葉が出てこないとなかなか作られない。なぜか分からないが、一日前になると急に集中することができて、言葉が出てくる。普段からそうした状態になれば身体も楽なのだが、きっとここに今の私が学ぶべき何かがあるのだろうと半ば諦めている。むしろ、こうした自分に感謝している。これもこうした小さな苦によって、過去の悪業が一つ結実して消えていくのだと思うと、心が楽になるからだ。深く感謝。

ちなみに今月の佛部は佛眼佛母。菩薩部は大勢至菩薩。供養部は金剛歌菩薩。守護部は馬頭観音。天部は那羅延天(ヴィシュヌ)と吉祥天(ラクシュミー)。これらのカードによって、お一人お一人に抜苦与楽を成ぜしめ、妙なる智慧と生きる力が引き出されることを心から願っている。

もう4時だ。寝る時間がほとんどなくなってしまった。今から仮眠を取ろうと思う。

今宵?今朝?はここまで。

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2006年10月20日 (金)

講演会作りの打ち合わせ

西邨まゆみさん(マドンナのプライベートシェフ)の講演会のホームページを作って公開した。この一週間でかなりの反応。びっくりした。実は何の宣伝もせず、ただたんに私が管理するURLに掲載しただけなのだが・・・。素人の作ったものなのであり、格好の良いものではなく、むしろ各務原と言う田舎をイメージして作った。http://www.shingyo.net/mayumi

岐阜の講演会は1月19日に決定。東京の講演会については近日発表予定。食事会もある。岐阜は給食に関わる方々を中心に行う予定だ。そして、それと共にMANNAZや私達の周りに居る者たちがまゆみさんよりレシピを学び、それを何度かに分けて勉強会やお食事会をしていく体制を整えようと思っている。マクロビオティックとするのではなく、マクロビオティックを基本に、それをそれぞれの環境でアレンジしていけるものになれば嬉しい。

そして昨日の夜と、今日の夕方からまたその会議を開いた。いろいろな意見が飛び交い、プロデューサであるカミサンが少し揺れ始めてしまった。そこで私が総監督というか総合ディレクターとして動くことにした。明日の夕方からも事務方の一部で打ち合わせをして、方向を決めていく。この講演を企画することで、私自身も大いに学ばされている。逆にいうとこの講演を開くことで、素人がどうやって講演を主催し、大きなムーブメントへつなげて行けるかと言うこともまとまる可能性が出てきている。とにかく、大いにこの講演会作りを楽しみたい。

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2006年10月19日 (木)

高野山で第4回素典輪読会

高野山の師匠のお宅で祖典輪読会。『般若心経秘』

朝5時半にお寺を出た。一昨日昨日と睡眠があまり取れていなかったので、電車でと思い、近鉄電車で名古屋から難波へ2時間。睡眠は1時間半ほど取れて随分と楽になった。難波から高野山へも特急を使い、途中30分以上は寝れたと思う。おかげで購読中は睡魔に襲われなかった。

今回も米田君が実に見事な発表。なるほどと呻らされる部分が少なくなかった。帰りは特急にせず、米田君と電車の中で話をしていく機会を得た。彼の思い、とても熱いものを感じた。こうした人材が埋もれていくことはあまりにも惜しい。何とかせねばと改めて感じた。

また講読をしながら、先師たちの学問に対する熱き思い、また高祖の言葉遣いに触れることで、高祖の想いが何であったのかを肌感覚で感じることも、この講読の面白さである。やはり、こうした祖典講読は貴重なものだ。特に私達前線で働くものにとって、なかなか勉強する機会がないが、こうして機会を与えられていることはとても意義深い。

師匠には深く感謝する。高野山真言宗管長・金剛峯寺座主に来月15日に就任される。依止師となられる方がこうした貴重な講読会を開いてくださるとは、本当にありがたいことだ。またこうして月に一度は高野山に上らせていただけることも私にとっては大きい。高野山真言宗では弘法大師空海が定に入っておられる山ということで、高野山を祖山という。先日も御影堂の過去帳記名の際に、多くの先師方の名前を拝見させていただいて涙が溢れてきたが、そうした祖山に、私のような地方寺院の田舎坊主が月に一度山に登る機会をいただいていることは嬉しく有難いと感じている。何の縁もなかった私をここまで導いてくださった師に深く厚く感謝している。師弟関係は親の七倍の縁と言われるが、まさにそれを強く感じる今日この頃である。

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2006年10月18日 (水)

静岡で講演をした

静岡で講演をした。テーマは環境と教育。これらに共通した内容を、苛め問題・オゾン層破壊・フロン・教育・発想・成功などなど多角的に様々な方向から見つめてみた。一見内容はバラバラのように感じる講演であったと思うが、実はここにこそ仕掛けがしてあった。バラバラだからこそ、自分が感じるテーマが一つや二つはあったと思う。そこを感じ取っていただければそれで良い。そしてそこに流れる源流は全て一つ。全て「衆生の秘密」。実はこれをテーマにいろいろお話をした。最近の私のスタンスは、感動してその場で終わってしまうような講演はしたくないと思っている。支離滅裂のように感じても、そこから感じる熱き想いに触れていただき、何か小さなことでも実行していただけるような、そんな講演にしたいと思っている。今回はそれを特に強く意識した。そしてそれができたように思う。

上手に話をする講演よりも、感動をする講演よりも、何か実行に移せるもの、今はそれをテーマにお話をしている。

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2006年10月17日 (火)

苛め問題は遠からず

いじめ問題。遠い世界ではなく、近いところにも存在している。

各務原市の某中学校でもかなり深刻な問題になっているようだ。複数者によるいじめ。かなり陰湿化。学校側の対応も、いじめているものに対して個別対応せず、集団で謝らせたりして、彼らの感情を逆なでする方向で動いている様子。ひょっとすると、こうした措置しかできない先生たち自身も、職場で虐めをしていたのではないかとさえ感じる。傍観者ではいられないので、私なりには手を打ったが・・・。

数年前、僧侶の間で、私も苛められた。「坊主の社会はやくざの社会と同じだ」とさえ言われた。ショックだった。真理を求めるはずの僧侶が、俗以上に俗に堕していた。しかも、そうした虐めをしているのはいわゆる正義派と自分たちが思い込んでいる人達ばかりであった。今思えば、彼らは自分は虐めをしていたという意識は全くなかったと思う。正義の旗の元に制裁を加えているという意識だったのではないだろうか?しかし、正義という言葉は、自分達の都合の良い正義であり。決して真理に基づく正義ではないことが多い。私はその虐めを通して多くを学んだ。今思えば、これも大きな導きだったのかもしれない。おかげで私は得がたき人材との繋がりを得た。

会社でも苛めにあった。非常に厳しかった。「達磨に泳げと言うようなもんだ」と反論した際に、「それも面白いじゃないか。達磨もプールに落とせば泳ぐかもしれん」という返事が返ってきたこともあった。それでも何とか踏ん張ってきたが、途中で糸が切れてしまった。数ヶ月間休み無しの生活。劇痩せし、肺炎を起こし、精神的にもまいってしまった。しかし、今は思う。苛めていた人たちは苛めていたのではなく、私を叱咤激励しているつもりであったと思う。打てば打つほど伸びる人材だと思われていたのだろう。

同じ会社で部下を叱り付けた事があった。そして彼が突然会社を辞めた。そのときの責任は私にあったと今は思う。私は彼の引き起こした問題を叱りつけ、その後は事後処理をし、カバーをしたのだが、結果的には彼にとってはそれは苛めのように思えたのかもしれない。

ふと思い出した。小学校の時に虐めをしたことがあった。集団での虐めではなかったし、それなりの言い訳はあった。しかしそれも自分にとって都合の良い正義の仮面をかぶっていたように思う。私も加害者であったことがあったのだ。

虐めとは何か?苛めている本人が苛めていることを自覚していないことの方が多いのではないか?また、皆が他人事のように思いすぎては居ないだろうか?果たして、今までに一度も誰をも苛めたことがない人がどれほど居るのだろうか?

走馬灯のように、苛めに関わる経験が頭を過ぎった。自分が関わらなかったが、傍観者で居た苛めもあった。ひょっとしたら今もなにか傍観者で居ることがあるかもしれない。自分もまた、決して第三者ではないことを改めて感じた。

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2006年10月16日 (月)

世界食糧デー&ボスの日だったそうだ

今日は何の日か?

世界食糧デー(World Food Day)
国連食糧農業機関(FAO)が1981(昭和56)年に制定した国際デーの一つ。
1945(昭和20)年、FAOが設立された。
開発途上国等での栄養失調や飢餓について考える日。

ところが主要の日本の新聞のホームページを見たら、ほとんど記事は皆無。
 うーむ。やはりこうしたことに日本は疎いのだろう。
 北朝鮮もあの核開発の裏には国内の飢餓問題が見え隠れしている。権力者の搾取によって飢え苦しむのは権力者ではなく一般人民。悲しいことだ。
 マドンナの養子問題で揺れているマラウィも世界最貧国の一つ。彼女の発想は、単純にお金を落とすのではなく、マラウィの次世代を担う子供たちの教育を手助けすることで、マラウィの飢餓貧困を解決していこうというもの。彼女が養子を育てるのもある意味、そのリーダーの一人を育てていこうというものなのではないかと感じる。この時期に養子問題を取り扱ったマドンナは、この世界食糧デーの意義を把握している一人なのではないだろうか?
 日本も実は栄養失調になっていないだろうか?ダイエットや肥満の問題など、栄養過多ではなく、ある意味栄養失調といえる。また心の栄養失調も見逃せない。この世界食糧デーを自分自身に振り向けてみると、私もある意味栄養失調であることを知る。身語心共にお互いがお互いを補いつつ支えあいつつバランスの取れた一人格であらねばと感じる。それをまた地域社会、そして日本全体に広められればと感じる。

 今年はあまりできなかったが、来年はこの問題をもっと大きく取り扱える一日にしたい。何かお寺でも来年はイベントを組んでみようと思う。今年気づけなかった自分に反省しつつ・・・。

ボスの日
1958年にアメリカのパトリシア・ベイ・ハロキスさんが、会社を経営していた父の為に提唱したという。経営者と部下の関係を円滑にするための日だそうだ。アメリカではボスを昼食に招待したりプレゼントを贈ったりしている。日本では1988(昭和63)年からデパート業界が実施している。
 ということは、私はカミサンに何か贈り物をしなくてはならないのだろうか???(微笑)彼女は上京中なので、電話で彼女の活動を支援する、これが私の贈り物?・・・恥かしく

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2006年10月15日 (日)

スタートレック エンタープライズ第4シリーズDVDを観る

スタートレック エンタープライズの第4シーズンのDVDを観る。打ち切りになってしまった最終シーズン。

宇宙連邦の創設に繋がる話、TOSでなぜクリンゴンの頭に突起がないかという辻褄あわせ、時間管理戦争、人間のエゴの超越、政治的な人と実効的な人などなど様々な人間模様やストーリーは、なかなか興味深いものだった。特にナチス物を扱うという試みも、成功とはいえないまでも意欲的な作品だったように思う。平行宇宙で全く異なる人格の自分が存在し、奇妙なことだが全く異なる世界ながらもこの世界と裏表の世界が存在するというDS9との整合性。異星人間同士の遺伝子組み換えで産まれた子供や、タッカー少佐が亡くなること、そしてTNGでのらいカー復調のエピソードを持ち込み最後を締めくくるところなど、話題は事欠かない。TNGでアンドロイドのデータを作ったスン博士の先祖が遺伝子組み換えにとりくみ人間を超える人間を作ろうとしていたことなど、エンタープライズと他のシリーズの流れを最後の凝縮させたようだった。

内容的には面白いし、私のようなトレッキーには面白いのだが、やはり一般受けはしにくいかなぁと私でさえ感じる。作り手が最後に一気にやりたいことをやったという感覚だが、本当はもっとゆっくり作りたかったのだろうなということが随所に感じられた。残念だがスタートレックもこれでしばらくはお休みだろう。

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2006年10月14日 (土)

今日はオノロケ

今日はゆっくり静養。

カミサンは東京へ。大きな動きがあったようで、エネルギッシュに動いている。テレビ局との交渉もあるようだ・・・。そのほかにも動きをどんどん加速させている。

今日訪ねてきた私の親友が、「りっちゃんには枠がない」とふと漏らした。そう、うちのカミサンには制限する枠組みがないので、とんでもないことを考え、それを実行してしまう。一方、わたしを含め多くの人は自分に制限を設けてしまう。だからこそ彼女は私にとって最大のパートナーなのだろう。

彼女の行動を見て、あらためて彼女を尊敬した。彼女と共に歩めている自分が幸せであることも改めて実感

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2006年10月13日 (金)

体調は戻らないのに休めない・・・

体調がまだ戻らない。日本密教学会への参加は見送った。今日は一日休養するつもりだったが、カミサンからの上意(?)があり、西邨まゆみ講演会の趣意書を作成することになった。PCの前でWORDを打ちながら作成。何とか形らしきものが完成。すると、もう一つとんでもない事態が・・・。自分の講演会用に作っていた資料があったのだが主催者側から内容変更の打診。高野山に一ヶ月篭っている間に情報の交錯があり、講演テーマが全く違っていたのだ。仏教関連の心の問題から、環境・教育といった全く違う分野の講演会資料を急いで作成・・・何とか間に合った。

結果的に身体を休めるどころか、PC前で格闘する羽目になってしまった。ハハハッハハ。明日の宗教倫理学会への参加は見送ることにしよう・・・。

明日こそはゆっくり休むと決意している。電話そのほか一切でないつもりだ。

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2006年10月12日 (木)

マドンナの養子問題

マドンナの養子問題が浮上している。私も一ヶ月前にこのことを教えてもらった。マドンナは真剣にエイズ問題と向き合っていく決意だ。だからこそまずは自分でできる範囲のことをし始めている。今回西邨まゆみさんの講演をするのだができればエイズ問題も絡めていこうと思っている。マドンナの学校づくりに協力して行ければと感じる。

彼女には女の子と男の子の実子が二人居るが、既に彼女たちにも言い聞かせていると聞いているので外野がとやかく言う問題ではないと思う。彼女の報道官たちが否定せざるを得ないのは、あまりにも過激な行動で、実子たちにも養子にも大きな影響を及ぼすからだ。、まだ一才で、やっと離乳食にたどり着いているその子供の成長を温かく見守ることが大切なのではないだろうか。マスコミの取材は仕方ないにしても過激なことだけは避けて温かく見守って欲しい。そうすればマドンナも取材にちゃんと応えてくれるに違いない。

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2006年10月11日 (水)

高山へ

午前中、某市会議員と打ち合わせ。彼の若きエネルギーにはいつも頭が下がる。体調管理だけはしっかりしていただきたい旨を申し出た。そのお手伝いができるかも・・・。

その後、マナーズでMaMaの会(西邨まゆみ講演会準備委員会)。ただ体調不良のままだったので、少しいらいらモードから抜け出なかった。

そして高山のナチュラルクリニックへ。院長の久保先生と話、西邨さんの講演会に奥様を出していただけると約束。これで病院の給食も変わっていくきっかけが作れたと思う。ちなみに今回の体調不良は単なる風邪ではなく、マイコプラズマによる感染症のようだ。薬をいただいて、食後に服用した。最近どうも流行っているようだ。

その後は谷口鍼灸院へ。院長は中国出張だったが、弟さんにマッサージを受けた。身体ががちがちになっていた。

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2006年10月10日 (火)

中日優勝と師匠のお祝い

今日は師匠の管長御推戴のお祝いの席が大阪で。何よりも嬉しかったのが、兄弟弟子たちと話がいろいろできたことだ。兄弟弟子は我が宝である。

その後帰宅してみると、38度の熱。そういえば宴会の最中も頭がふらふらしていた。判断力がかなり鈍っていた。こんなにしんどいものとは様相外だった。麻生君に手伝ってもらったが彼に深く感謝している。彼が居なかったらと思うとぞっとする・・・。

帰宅すると父がテレビの前にかじりついていた。今日は中日の優勝がかかった試合。私もしんどい身体そっちのけでBS放送の前に釘付け。手に汗握る試合。ウッズのホームラン後、巨人の三発で同点。そして延長。11回に福留・ウッズが出たにもかかわらず、その後の三者凡退。森野の盤とは疑問だった。それにしてもいつもなら変えてくるウッズを変えなかった落合監督の力眼もすごい。最後に福留・ウッズの打つべき人が打ち、言わせという守るべき人が守った試合で、ついに優勝。ホッとした。明日の阪神がちょっとかわいそうな気もするが・・・。あの落合監督が涙した姿にはこっちもほだされてしまった。それほど苦しかったのだろう。しかし耐え忍ぶからこそ花が咲いたときの嬉しさはひとしおだ。密教では花を六波羅蜜の忍辱波羅蜜に相当させる。これはまさに素晴らしい発想であると改めて思う。

取りあえずは中日の選手監督関係者にお目でとうを言いたい。そして実は中日ファンである我が師匠と心の中で喜びを分かち合いたい。この日の師匠のお祝いの会をしたのも大きな意義を感じるのは私だけではないようだ。中日が優勝した年に、中日ファンの我が師匠松長有慶前官様が高野山真言宗の管長・金剛峯寺座主に就任されるのも何かの縁を感じるのは私だけではないようだ。

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2006年10月 9日 (月)

風邪が悪化???

風邪が少し酷くなった。やはり休むときなのだろうか?今日は一日休もうとカミサンと話した。カミサンはマナーズに行き、昼食と夜食を手に入れてきた。

ところが・・・・今日は一件仏壇の開眼があった。時間に出かけた。今後檀家さんになるという。ゆったりとお話をし、その後に帰宅。

夕方には寺子屋が始まった。しかし身体がいうことをきかない。今日は子供たちに自習に近い勉強をさせてしまった。深く反省している。

ただこの風邪にたいしても感謝している。いろいろなことを教えてもらえた。この風邪により、過去の罪業のいくつが滅したようだし、風邪があったからこそ休息の大切さを知った。また無理はやはり無理であるということも改めて知らされた。

明日は師匠の管長就任のお祝いが大阪である。正式の就任は来月15日だが、とりあえず前もってお祝いをする形だ。少し体調は辛いが、無理ないように出かけるつもりだ。

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2006年10月 8日 (日)

身体の悲鳴も自分へのメッセージ

風邪をひいてしまった。

朝、鏡を覗いたら顔が腫れていた。歯を磨き、髭を剃り、冷水で顔を洗ったのだがやはり腫れている。寝起きだからかもしれないと思いながら、本堂へ行き、文殊法を修した。ところが驚いた。背中が横にS字に曲がっているという感覚がした。呼吸が整わず、瞑想も深くできない。五相成身のときの月輪観の発菩提心も、いつものようにありありとしなかった。それでも正念誦をいつもより丁寧に、三百回ほどこなし、一座を終えた。洗面所で鏡を見る。やはり顔は腫れたままだった。今日は法事があった。声がつらい。そして法話が終わり食事にご一緒したのだが、やはり身体の節々が痛く、眠気が異様に襲っていた。帰り道、マナーズにより、マーティンさんに整体をしてもらった。骨ではなく筋肉がおかしい。身体も熱っぽいことが分かった。整体で多少楽になったのだが、帰宅して熱を測ると微熱があった。どうもカミサンに風邪をうつされたらしい。マーティンさんからも、一週間に一度は完全休養の火を作るべきだというアドヴァイスをもらった直後だった。どうも私を守る大きな命がメッセージを出しているようだ。週に一日は完全休養の日にし、修法に明け暮れろということなのかもしれない。そして決意した。今週より、修法の日を作り、その日は人に会わず、雑事もせず、電話も取らず、ただただ仏との対話の日にしようと。身体の悲鳴も自分へのメッセージ。それを感じた一日だった。

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ハッスルの低俗さに哀しみを覚える

プロレスのハッスルで十字架が出たそうだ。おそらくマドンナを意識してのことだろうが、あまりにも低俗で悲しくなってきた。マドンナの場合は、深いメッセージがあった。イエスが本当に言いたいことは何なのか?今の状況に問題はないのか?など等。深く深遠な悲しみに裏づけされた慈悲の心に満ち溢れた内容だった。しかし、今回のハッスルは何なのか?あれは完全にキリスト教を冒涜しているものだ。この同じ日本人の安易さに吐き気さえ感じた。あのようなことは二度として欲しくない。できれば謝罪をしていただきたいくらいだ。宗教者として、プロレスファンの一人としてキリスト教の方々に対して申し訳ないと思う。

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2006年10月 7日 (土)

マドンナの養子問題

マドンナの養子問題が浮上している。なぜ彼女の思いをそっと見守ってあげないのだろうか。彼女の行為を売名行為だというものも居るが、それこそ売名行為なのではないのか?彼女の思いをそっと見守ることこそ大切なのに。彼女は二人の子供に既に言聞かせているようだ。しかしあのような報道をされては、うまくいくものがうまくいかなくなってしまう。悲しい限りだ。

エイズで亡くなった人々の子供を預かる施設を現地に作る。これはなかなかできることではない。マドンナは心からそれを実行している。

つまらない、やっかみで彼女の足を引っ張るのではなく、彼女の思いを感じ取り自分なりの行動に進んでいくことこそ、私たちのあり方ではないかと思う。

マドンナはユダヤ教の密教ともいえるカバラの現代的な教えに身を投じた。私は仏教のカバラとも言える密教に身を投じた。その奥底に流れている源流のようなもので繋がっていることを強く感じる。おそらく、同じように、食という領域で、マクロビオティックや合気道を通じてその源流に繋がっている、マドンナのプライベートシェフ西邨まゆみさんも同じものを感じていると思う。だからこそ彼女と話していると、家族のような気になってくるのではなかいと勝手に感じている。カバラにしても密教にしても、現象を大切にする。現象に真理を見るからだ。現象も真理の現われと見るからだ。だからこそ、現象の世界でできる限りのことをしたいと強く感じ、動かざるを得なくなってくる。このようなことを改めて感じさせてくれた、西邨まゆみさんと、彼女のボスであるマドンナに感謝している。

マドンナの熱き思い、深き思いを一人でも多くの人が感じてくれることを切に願う。

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理趣経加行の解説書

今日は弟子のための理趣経加行の解説書を書いた。理趣経加行は高野山真言宗の僧侶になるための一番最初に行う基本的な行だ。明日からは護身法加行の解説書を書く予定だ。その後は十八道等の解説書も執筆予定。その総タイトルを『加行作法私秘抄』と名づけた。単なる作法の解説書ではなく、できる限り所作の意味も解説していくつもりだ。理趣経加行に関しては、中院流と小嶋流にしかないうようだが、懺悔・滅罪という意味ではとても大切な行である。そこを中心に解説したつもりだ。やはり日本の行の中心は滅罪だった。生まれ死に生まれ死に生まれ死に、何度もの輪廻の中で悪業を背負っていく。その悪業の清算をすることこそ、この理趣経加行の眼目だ。理趣経を授ける前にこの行をさせるということにも大いなる意味を感じる。理趣経は穢れた心で読むと穢れたものになりがちなお経。しかし、即事而真の妙を実感し、心身を清浄にしたものには、まさに清浄であり真理の味わい深きお経となる。それゆえに、最初に理趣経加行を必要とするのであろう。中院流や小嶋流の先師の方々の深き思いを感じる。

方法としては礼拝行。百八回の礼拝を一日に三回行うもの。この礼拝こそ、とてもとても大切なもの。懺悔・滅罪をし、重荷を下ろしてこそ、生善となる。入れ物の中の古く腐ったものを取り除き、清浄にしてからでなければ、新たなものを入れることはできない。その作法こそ礼拝行であり、そこに理趣経加行がある。この行の後にしか理趣経を授けないというのも、先師の方々の深い思い入れがあると思う。先師の方々の思いを得ていくことは、何十年物のタレを受け継いでいくことと同じようなものだ。古き良き物には新たなものを付け足して、そして誰も真似のできない独特な物へとしていくことだ。

古き腐ったものは清浄にしなければならない。古き良きものは受け継いで、より味わい深いものへと継承していかねばならない。この二つの道筋を違える事無く歩んで生きたいものだ。昨今では、この二つの道筋を逆にすることが多い。古き腐ったものをありがたがり、古きよき物を捨て去っているケースが少なくない。それらのものを見つめることによっても、また次の時代に継承していく過程においても、古きものへの対応は心していきたいものだ。

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2006年10月 6日 (金)

西邨まゆみさんの講演会のホームページ

西邨まゆみさんの講演会のホームページの仮のものを立ち上げた。まだ工事中だが、これから本格化させていく予定だ。するとどこで見られたのか分からないがいきなり案内の申し込みがった。http://www.shingyo.net/mayumi/ やはりこの需要は大きい。今から楽しみだ。今日もこの準備委員会を行った。会長はマナーズの桜井祐子さんに決定。カミさんが事務局兼プロデューサー。そして今回はチラシ作りの打ち合わせ。ワクワクする効したイヴェント作りは楽しい。

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2006年10月 5日 (木)

六人の相談+弟子との勉強+西邨まゆみ講演会実行委員会

今日は六人の相談があった。びっくり仰天。やはり一ヶ月間お寺を空けるとこうなってしまうのか・・・。ただ彼ら彼女に話すうちに、私自身にも言聞かせていた。人と話をするということは自分自身と話をすることであることを改めて知る。

その合間に弟子に密教概論を伝えた。ここでも自分自身の理解度が見えてきてなかなか自分のためにもなった。まさに自利利他。

夜はマドンナのプライベートシェフの西邨まゆみさん講演会実行委員会各務原。会長も決まり、一安心。会長は・・・Mannaz/わらべ村の桜井祐子さんに決定。

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2006年10月 4日 (水)

警告を無視されてきた岐阜刑務所刑務官の問題 ついに自殺者が

岐阜刑務所のこと。私はこの春より何度も何度も語ってきた。河野副大臣(当時)のも何度もメールをした。民主党の法務担当にも連絡をした。しかしどちらもそれを無視するかのごとく、調査を進めることはなかった。そして今回の事件。ついには自殺者まで生んだ。これはあきらかに政務の怠慢だと思う。私はこの自殺者が出ることを警告してきた。そしてついに自殺者が出てしまった。どんな理由があるにせよ、そのような場所に追い込んでしまったのは悲しい限りである。

刑務所はA級・B級・LB級がある。LB級は凶悪犯や重犯者を収容する場所。言葉は悪いが、いわば最終処分場のようになっている場所だ。岐阜刑務所はLB級。以前検察審査会の時に、岐阜刑務所を訪問した。そこで感じたことはとても暗いものだった。そして岐阜刑務所の暗黒面を別のかたちで知ることになる。刑務官の上司たちは守秘義務を盾に、刑務官がどれほど心を病んでいっているのかを無視した。今も心を病んだ刑務官たちは数多いと思う。

今こそ、刑務官たちの心のケアが必要だ。ここを無視しては何も進まないと思う。新たに刑務所関係に関わる政治家の方々にお願いをしたい。刑務官の離職率が激しいという問題点にも注目してもらいたい。刑務官の自殺者はこれだけではないはずだ。刑務官を辞めていった人たちのケアと追跡調査をして欲しい。現役の刑務官たちの心のケアをして欲しい。もちろん、受刑者の心のケアは重要だが、それを日常的にカバーしていく刑務官が病んでいては何にもならないからだ。

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生島足島神社 善光寺

200610042220061004212006100423200610042410月4日、別所温泉を出発。カミサンは北向観音へ。私はその前のお店でお饅頭を購入。手作りでなかなか美味しい。ここで両親用のお土産を購入。カミサンも気に入ってくれた。

その後は、生島足島神社へ。ここは原初のエネルギーを感じる場所。大地そのものが祭神だ。夫婦欅と呼ばれる巨木もあった。また武田信玄や真田信之の起請文などがあったのも感慨深い。ここでいくつもの野菜や果物を購入。とても新鮮で美味なものを100円というワンコインで手に入れて、神さんの機嫌はすこぶるよかった。私はここのリンゴと葡萄がとてもお気に入りだ。

P10409852そして、高速を使わずに善光寺へ。 途中、来年のNHL大河ドラマ『風林火山』の重要な場所になる川中島を通る。ここであの武田信玄と上杉謙信がぶつかり、多くの武将の命が消えて行ったかと思うと、思わず運転しながらも心の中で合掌をしてしまった。善光寺ではおそばを食べた。

ただ今回感じたのは、観光化された場所よりも、原初のエネルギーを感じる場所の方が気持ちが良いと言う事だ。これはとても重要なことのように感じる。それぞれのお寺や神社の概要についてはまたの機会に。

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2006年10月 3日 (火)

別所温泉:花屋旅館と北向観音

無言館のあと、別所温泉へ。http://hanaya.naganoken.jp/に宿泊した。ここは90年ほど経つ有形文化財の旅館でなかなかのものだった。なんと七回も温泉に入ってしまった。食の量が多すぎてちょっと辛かった。7割の良でも十分だったと思う。まったけ三昧、薬用ニンジンと盛りだくさん。カミサンが東京から来たことで時間が遅くなったことと、ベジタリアンに対応していただけたことは嬉しい限りだ。

Dvc00017Dvc00018 さて、旅館に着いた直後、北向観音へ。天台宗の慈覚大師の創建とされる。 愛染カツラで有名なお寺でもある。善光寺におまいりする際は、このお寺も訪れなければ片参りといわれるらしい。

Large06100207_m その後に八角塔で有名なお寺に。

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前山寺と無言館

Large06100202_m Large06100203_m 昨日は諏訪大社を訪れた後、上田市へ。そこで前山寺へ。新義真言宗のお寺で、根来寺の座主を輩出している名刹。三重塔はなかなかのものだった。東方アシュク、南方宝生、西方阿弥陀、北方釈迦(不空成就)、中心大日が祀られている。本堂は真言宗のお寺としては異例のもので、おそらくもともと持仏堂ではないかと思われる。ただ内陣は面白く、かなり勉強になった。

Large06100204_m その後に近所にある無言館へ。ここは美術学校を卒業したりして絵心はあったが、戦争によって若くして死んでいった戦士たちの遺作の数々。涙なくしては観ることのできない作品ばかりであった。ここにある作品を本来は靖国神社が展示すべきのような気もしたが、ここは難しいところかもしれない。

http://www.city.ueda.nagano.jp/kankoka/ko/bijyutu.htm上田観光コンベンション協会のHP

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2006年10月 2日 (月)

諏訪様へ・・・

Large06100201_m 朝、七時半前に出発。中央自動車道で事故があったため駒ケ岳PAで休憩。父の在所の伯母さんに偶然出会った。父の在所は岐阜市で諏訪神社を守ってきた家柄。これは・・・と思い、諏訪ICで降りて、諏訪様に行った。写真は上諏訪の前宮。ここはとんでもなくパワーのある大社。ひっそりとしているが、そのパワーはとてつもない。ある意味、三輪山に似ている。諏訪と三輪、共に私の祖先がその末社を守ってきた神社。おそらく私のDNAが反応したのだろうが、やはりここのパワーは桁が違うと感じた。その後、本宮へ。ここもかなりのパワーがある。ただ、少し洗練されすぎていて、原初のパワーを感じない。むしろ包み込むエネルギー。諏訪は面白い。そして下諏訪秋宮へ。ここは整備が行き届いている。そのためか逆にパワーは上諏訪ほどではなかった。それでも包み込むエネルギーは一般の神社に比べると絶大なものがある。

今は別所温泉に居る。詳しい報告は明日以降に行う予定だ。今日は眠くて眠くて仕方がないので、今宵はこれまで・・・。

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今日は上田と別所へ

今日は信者さんと共に上田市と別所温泉に行く。お寺が多い。また善光寺にも近い。

善光寺から、私の祖父(父の義父)が「南無阿弥陀仏」の文字を受け、北川家のお墓に刻み込んでいる。上田市は真田氏ゆかりの地。ここ数年、真田正之に惚れこみ、彼のことをいろいろ調べていた。また、今年になって上田市の教育委員長の講演を偶然機会を得ていたし、真田太平記のDVDを手に入れ、さらにたまたま訪れた名古屋のビルでも別所温泉の観光案内をやっていて、何かと縁があるようだ。何が待っているのか、結構楽しみにしている。

雨模様のようだが、雨模様でしか味わうことができない別所温泉郷を満喫してみたいと思っている。

ちなみにカミサンは横浜で、マクロビオティックのシェフのデザート&フィンガーフーズを食べに行き、その後に別所で合流するそうだ。

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2006年10月 1日 (日)

玄米は身体を守ってくれることを実感

昨日今日と久しぶりにマナーズへ行った。高野山ではほとんど玄米を食べることができず、精進食ではあったが、食の上ではかなり荒れていたように思う。そこで早速、マナーズへ。http://www.warabe.co.jp/mannaz/mannaz.htm

やはりここの食事は美味しいし身体にも良いことを実感。こうしたお食事をいただけるときはまさに至福の瞬間だ。

このマナーズで気づいたことがある。白米を食べていると、なぜか糖分が欲しくなり、肉類が欲しくなるということだ。玄米を食べていると、糖分や肉類は逆にあまり欲しくないのだが・・・。不思議なことだ。マーティンさんとそのことを話していると、彼が教えてくれた。「白米はすぐに吸収されてしまい、すぐに消化されてしまう。だから、その後にまた、すぐに糖分が欲しくなってくる。」と。また彼が言うには、白米は自分の中のエネルギーを小さくしてしまい、身体の中に押さえ込んでしまう。しかし玄米などのホールフーズはそのエネルギーをより大きなものとして守ってくれる。」と。

なるほど・・・やはり原点はホールフーズ。これから自宅にいる間は玄米が食べられるので、ほっとするが、それでも今月来月と外出が多いので、食には気をつけていたいと思っている。

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